「新潟県の佐渡島、イカの加工工場で働く60歳間近の登美子(田中裕子)...」千夜、一夜 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
新潟県の佐渡島、イカの加工工場で働く60歳間近の登美子(田中裕子)...
新潟県の佐渡島、イカの加工工場で働く60歳間近の登美子(田中裕子)は、30年前に夫が突然姿を消した。
拉致被害者の可能性があり、特別失踪人に指定されている。
登美子は、これまで夫の消息を訪ね、夫の帰りを待ち続けていた。
そんなある日、登美子のもとに、30代の若い女性・奈美(尾野真千子)が現れる。
彼女の夫も2年前に理由なく突然に失踪、拉致被害の可能性が信じた奈美は、夫が消えた理由を知りたかったのだ・・・
というところからはじまる物語で、夫が姿を消した女性ふたりを対比して描く物語(のようだ)。
ま、それはおおむねそのとおりなのだけれど、対比されるのはふたりの女性だけでなく、女性という意味では、もうひとり登場する。
地元における特別失踪人捜索者支援をしている初老の男性(小倉久寛)の妻で、彼女は認知症を患い、最愛の夫が目の前から消えてしまったと思い込んでいる。
この認知症の妻の存在が物語に奥行きを与えており、彼女がいないとなると、登美子と奈美の対比だけでは薄っぺらくなってしまう。
さて、奈美の夫であるが、案の定、拉致被害ではないことが終盤判明。
登美子と対峙する奈美の夫(安藤政信)の口から語られるのは、漠然とした不安である。
この漠然とした不安というものは、わからない人にはわからないが、感じている者にとっては強迫観念に近いようなもので、逃れることが難しい。
奈美の夫が感じた漠然とした不安の契機は、妻・奈美との結婚なのだが、もうひとり、漠然とした不安を抱え込んでいる男性が登場する。
登美子の幼友だちで、長年彼女に恋慕し続けていた漁師の春男(ダンカン)である。
彼の不安の契機は、ひとりでいることで、恋慕の感情は、いわば言い訳めいたものである。
その春男も中盤、ふと姿を消してしまう。
男というものは、不意に姿を消すものなのか・・・
たぶん、消すんだろう。
いなくなることで、それまで「いた」ことを証明する。
なんだか歪んだようなレゾンデートルだ。
一方、女は姿は消さない。
いつづけることが存在証明、レゾンデートルだ。
姿を消したふたりの男(奈美の夫と春男)がふたたび姿を現してからは、過去観た映画を彷彿とさせる。
映画は『いつか読書する日』。
田中裕子演じる登美子のキャラクターも似ている気がするが、男性陣も似ている気がする。
似ている気がするのも道理で、本作の脚本は同作を担当した青木研次。
なるほど。
なお、映画の時代背景は、いまから少し前(たぶん10年ほど前)の設定なのだろう。
拉致被害が多かったのは70年代後半~80年代前半(登美子の夫の失踪時期を考えるとそうなる)。
なので、時代背景がいま現在だみると、奈美が夫の失踪を拉致と考えるのには合点がいかない。
10年ほど前ならば、拉致被害者の帰国もあり、理由なき失踪を拉致と結び付けてしまったのにも合点がいきます。