「汚れた「ふるさと」を象徴的に描いた作品」ヴィレッジ 鶏さんの映画レビュー(感想・評価)
汚れた「ふるさと」を象徴的に描いた作品
本作の監督である藤井道人監督作品と言えば、2019年に「新聞記者」を、2021年に「ヤクザと家族 The Family」を観てきました。いずれも非常に面白い作品だったので、本作も期待して観に行きました。
前々作「新聞記者」は東京を、前作「ヤクザと家族 The Family」は地方都市を舞台にしたお話でしたが、本作は山村を舞台にしたものでした。こうして俯瞰してみると、藤井監督は都会から田舎まで、この日本の現代社会を隈なく描こうとしているのではないかと勝手に解釈したところです。
肝心の本作ですが、
「兎追ひし彼の山
小鮒釣りし彼の川♪」
で始まる童謡の「ふるさと」を地で行くような、言い換えれば日本人の原風景のような山村で暮らす人々と、そこで起こった事件を描いていました。「霞門村(かもんむら)」と名付けられたこの山村には、藁葺き屋根の旧家や田園風景が広がり、恐らくは数百年の歴史があるのではないかと思われる薪能の伝統もあるのですが、ただ一つそれらに全く似つかわしくないものがあります。それが本作の真の主役とも言うべき廃棄物の最終処理場でした。
10年程前に建設されたこの処理場、建設前には反対運動もあったようですが、今や時代はSDGs。リサイクルとか環境保護とかいう身の毛もよだつ流行りのお題目を使うことでこの処理場が今や村のシンボルになり、テレビの取材も来るほどの存在になっていました。実際は国だか県だかから出る補助金が目当てで造られた側面も大きく、そのために国会議員だか県会議員だかに大橋修作村長(古田新太)がキックバックを払っていることが暗示されてしました。また最大の問題は、暴力団が深夜に産業廃棄物を不法投棄していて、しかもこれは村長らもグルになっていたというのだから、この腐敗ぶりは凄まじいもの。日本人が心に抱く「ふるさと」が、実は都市部にも負けず劣らず汚れた存在になっていたことが描かれていました。
さらに興味深かったのは、処理場が建設されたのが、村の氏神様が祀られ、村祭りの時には薪能が演じられる神社の裏山の頂上付近だったということ。つまり長年村の守り神とされてきた神社の後継かつ上位概念として、現在は廃棄物処理場が存在しているということが示されていたことでした。
話の内容は、この処理場で働く片山優(横浜流星)の行き場のない閉塞感や絶望、幼馴染の中井美咲(黒木華)の登場でほんの一瞬だけ訪れた華やいだ時間、そして再度のどん底への転落を通して、現代日本人及び日本社会の惨状が、日本中至るところまで蔓延してしまっていることを、観るものに訴えた作品だったように感じたところです。
俳優陣で感心したのは、村長の弟で、村を出て刑事になった大橋光吉を演じた中村獅童でした。薪能の伝承者でもある光吉が能を舞うシーンが少しありましたが、流石は歌舞伎役者、動きに全く淀みがありませんでした。また、劇中で演じられた「邯鄲」という能(昔の中国にあった蜀国の邯鄲という街の宿屋に泊まった盧生(ろせい)が、不思議な枕で昼寝したところ、紆余曲折を経てやがて一国の王になるが、全ては栗ご飯が炊きあがるまでの「一炊の夢」だったというお話)も、絶望のどん底で喘いでた主人公の優に一瞬訪れた春とその後の転落とオーバーラップしており、なかなかニクイ創りになっていました。
主役の横浜流星も、昨年公開された「流浪の月」で演じたDV夫同様、目の下に隈が出来るような悲惨な状況に立たされた人物の内面を実に上手く表現していたと思います。
以上、結論を言えばかなり暗い作品であり、鑑賞後スッキリ出来る内容では全くありませんでしたが、藤井監督の過去作品と並べてみると、監督の問題意識が分かるような気がする作品でした。昨今の社会の動きを鑑みると、次回作はもっと暗くなりそうですが、2年後(かな?)楽しみにしています。