「水と油のように現実と虚構が混じり合うことなく共存する、ドキュメンタリーでもミステリーでもなくただそこにある作品」とら男 よねさんの映画レビュー(感想・評価)
水と油のように現実と虚構が混じり合うことなく共存する、ドキュメンタリーでもミステリーでもなくただそこにある作品
石川県警の元刑事、西村虎男さんが自分自身を演じてかつて担当した事件のその後を追う物語。実際に起こった殺人事件のその後をフィクションを足して補完する、テロ事件に遭遇した人達が実名で演じたドラマ『15時17分、パリ行き』の斜め上を行くプロットに驚かされました。かや子はとら男に聞き込み調査のイロハを教わりながら手当たり次第に聞き込みを始めるが、その相手は俳優だったり実際の街の人だったりする。いかにもミステリー映画的にカットを割っているので明らかにフィクションなのに、そこで切り取られる話には現実が混じっている。容疑者を特定しターゲットを絞り込んでいくような話ではなく、行き当たりばったりに歩き回り話を聞いて回るだけ。しかも実際に聞き込みをするのはかや子だけで、とら男は自宅の一室に設置した再捜査本部でじっと待っている。30年前の事件なのでもはや新しい証言が拾えるわけもない。というかそもそもどんな事件だったのかちゃんとした説明も観客には示されない。要するにドキュメンタリーでもミステリーでもない。淡々と徒労が積み重なったところでようやく事件の一部始終が示されるものの、それとてどこまでエビデンスに基づいているのか判らない推理に過ぎない。いよいよ行き詰まったところでかや子の素朴な疑問にとら男が放つ一言が盛大にちゃぶ台をひっくり返す。その後とら男が見せる一瞬の表情にこの作品が世に問う全てが凝縮されているように見えました。
物語の中で何度も言及されるのが“終わり“。研究され尽くしたメタセコイアを卒論テーマに選ぶかや子も時効から15年経ってもなお事件が頭から離れないとら男もどこが終点なのか判らない。映画もそれに呼応してエンドロールが終わってもなお続く。今まで慣れ親しんだどんな映画の文法にも当てはまらず、ストンと腑に落ちることもなくただ記憶の中にプカプカと浮かび続ける、そんな作品でした。