きっと地上には満天の星のレビュー・感想・評価
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【”モグラびと”としてNYの地下に暮らす、親娘の物語。行政に地下から追い出された母娘の悲痛な姿。娘に”羽”を与えるために、ラストに母が下した決断が、心に沁みる作品である。】
ー ジャーナリスト、ジェニファー・トスの、地下コミュニティー潜入記「もぐらびと ニューヨーク地下製作者たち」に触発されたセリーヌ・ヘルドが、大学時代からの友人ローガン・ジョージと共同制作した作品。
尚、ヘルドは地下の生活しか知らない5歳の女の子、リトルの母ニッキーも演じている。-
◆感想<Caution! 内容に触れています。>
・哀切な親娘愛を描いた物語である。
・ヘルドは、辛い日々の中、リトルの成長だけが生き甲斐で、お金を稼ぐために時々、地上に出て身体を売っている。
そして、クスリ依存症にも・・。
ー けれど、ヘルドはリトルに”背中に羽が生えたら、地上に出られるんだよ‥”と言い聞かせながら、彼女を大切に育てている。
”背中に羽が生える”の意味は、地上でも暮らせる大人になるという意味だろう。
・違法占拠を市から咎められ、地上に出たリトルと、ヘルド。
ー だが、地上は喧噪、多くの人に溢れ、リトルは戸惑う。ヘルドの”仕事場”の窓からは、”死んだ星”しか見えない・・。-
・そんなある日、リトルと、ヘルドは地下鉄に乗るが、ふとしたタイミングで離ればなれになってしまう。必死にリトルを探すヘルドの姿。
ー ヘルドが、必死に娘を探す姿と、それを追うカメラワークが臨場感を高めている。-
<そして、ある駅でヘルドは座席の下に隠れているリトルの脚を見つける。そのまま、再会と思いきや、ヘルドは駅員に”女の子が席の下にいる”と告げ、涙を流しながらその場を去る。
ヘルドは、リトルに”自分の様になってもらいたくはない・・。”という断腸の思いで、リトルに”羽”を与えるために、別れたのである。
ヘルドの決断が心に沁みた作品である。>
<2022年9月25日 刈谷日劇にて鑑賞>
リトルに、地上で力強く生きていける、羽根が生えますように。
ニッキーとリトルのような、地下生活者が実際にいたということ、想像はできても、実感することは難しい。子を思う母の気持ちは分かるが、もっとほかにやりようはあるのではないかと思ってしまう。。しかし、そうともいかないのが現実なのかもしれない。
映画の邦題と、ポスター、素敵ですね。
ないないづくしの中で・・・
お金がない。職がない。家もない。娘は地上に出たことがない。そして二人が離ればなれになることを意味する摘発におびえながらの生活には、安心もない。何とか一晩のねぐらを探すために主人公がしたことは・・・ロマンチックな邦題とは裏腹に、描かれている現実の生活は実に過酷なものでした。
しかしながら、そんなないないづくしの中で、いやないないづくしの中だからこそ、暗闇の中で、二人がお互いを必要としあう思いは、思いだけは、何故か、満天の星空のようにキラキラ輝いているように見えたのです。
日本ではここまでの環境は考えづらいですが、それでも本日のNHKニュースでは、コロナによる収入減やインフレにより、シングルマザー世帯の一段の苦境が伝えられています。心ある人達の努力で「子ども食堂」等は全国に広がってはいるようですが・・・・・。
日本のそして世界の、苦境にあるすべての親子の心の中にも多分ある、満天の星空のような輝き。その輝きが守られるような世界になると良いのにな。そんな風に思えた作品でした。
子供の事を思えば何が良いのかな?
そもそも論はあるけど、一生懸命に育てているのは分かる
でも、それは母親の自己満足に過ぎないとも思える
例えばペットの様
パニックしてから、ただの一言で考え方が変わってしまうなんて・・・・
やっぱりこの親は危なかっただろう
これを母性に目覚めたとは思えない
画面が暗くて動き過ぎて見づらかったです
バックグラウンドがわからないから…
結末が無ければ親のエゴにに過ぎない、と思ってはいけないのか…。困窮者の現状を突きつけられてもこの状態が子供のためになるとは思えない。地上での逃避行はただただ親の欲、結末があってちょっと光がさしたかも…。
NYの不快な現実を巧みな演出とカメラワークで見事に表現
ニューヨークの地下鉄の廃トンネルで、母とともに育った少女が感じる暗闇のぬくもり、初めて知る街の光と音の洪水をスリリングに描く、実在したニューヨークの地下コミュニティを原案とした作品。
脚本、監督、主演を務めたCeline Heldが素晴らしく、子役のZhaila Farmerの演技も秀逸。
ふたりに容赦なく襲ってくるニューヨークの不快ともいえる現実、地下と地上の世界の異なる空気感を、音と光で巧みに表現。
地上の世界で、人々が日頃浴びているであろう様々な光、街中や地下鉄の止めどない喧騒を巧みに演出。さらに特に後半の地下鉄車内や駅構内での卓越したカメラワークに圧倒される作品。
最近、最も没入した映画。
地下で暮らす人達
テレビ番組クレイジージャーニーでも取り上げられてたから、その存在を知ってる人は知ってるだろうけど、
アメリカ都市部の地下で暮らす人達の話。
悲しくて、かわいそうです。
評価は、面白いか面白くないか、ではなく、よく出来てるから、星4つ。
普段、地下で暮らす人が地上に出てきた時の地上世界の見え方、
まぶしさだったり、音だったり、映画を観ている人は、それを追体験させられます。
この映画を観た人は、ほとんど思うだろうけど、
こんな悲しく、かわいそうな人が、1人でも減るといいですね。
こんな事を思わせる、人によっては行動を起こさせる、この作品は素晴らしいと思う。
ちなみに、主演は監督が自ら演じてます。
うーん😔子を思う母親の気持ち
地下鉄で暮らすといった発想ができないが、冬は温かく夏は涼しのかなと余計なことを考えながら…
子を守らなければといった母親の強迫観念は、地上に出る(地上で逃げ惑う)ことで更に深まり、最後には…。
精神的に追い詰められる母親に対して、そんなに頑張らなくてもといった気持ちもわいたが、女性にしか理解できないことなのかも😓
日本では似た考え方はないけれど…。
今年231本目(合計507本目/今月(2022年8月度)7本目)。
映画自体が元ネタの小説にあるようで(公式参照)、その小説もあることないこと完全に全部架空です、ということはないはずなので(そのほうが怖い…)、ある程度固有名詞などは入れ替えたのだとは思いますが、基本的な趣旨としては史実に準じる、または「趣旨として」史実に準じる、という扱いだろうと思います。
結局、日本では似たような概念を探すことが難しく(日本ではこういった類型が想定されていないし、そもそもそのような場所は存在しない)、あえていえば「福祉行政(ホームレス行政)」になるのだと思いますが、映画内では行政(この語は、日本と文化圏と同じにする韓国・中国・台湾以外では珍しく、「明示的に」出ます)に対する極端な不信感がまず前提にあります。映画内ではそれが何なのか明確に描かれていませんが、おそらく「不法な占拠者に対する処罰の度合い」であるとか、(映画内では明示的には出ませんが)「ひとり親に対する福祉行政の充実さのなさ」という点が背景にあるものと思います。
日本に結局似たような事情がないことからなかなか日本と比較することは難しい一方で、結局のところ「主人公(誰を主人公にとるかは微妙ですが、母親?)が、子にかけた願い」という論点があるのは事実で、それはたとえ作り話だとしてもリアルでも実際に存在はしますし、存在しえます。
なかなかにレビューが難しい映画で、結局「日本に似た制度・概念が存在しない」という点(下手をすると、不法侵入などで刑事罰の問題になってしまう)があり、日本ではせいぜい「ホームレス救済の福祉行政」程度しかないものの(「しかない」というより、映画内で参照されているような類型が、日本では想定されていない)、趣旨は違っても「親が子に願う想い」というのは国の文化によって多少の差はあっても同じものです。
上述通り、日本では結局同じような類型を探すことが著しく困難ですが、あえていえば「ホームレス福祉行政」「ひとり親行政」など、似たような論点と考えることができるところ、日本ではむしろ「排除よりも救済」「救済を求める限りにおいて行政も最大限協力する」というのがごく当たり前になっている現状があるので、なかなかに対比がしづらいところがあります。
このように「日本にぴったり該当する制度がない」という事情から、たとえ作り話の範疇としても「普通に考えればありうる類型」に対しても「日本のそれと似た概念をあてはめるのが難しい」という点は確実にいえます。
もっとも、映画内で描かれているように「親が子の幸せを狙ってとった行動」に対しては賛否両論ある(必ずしも保護されるとは限らない)とはいえ、趣旨としては理解可能だし、日本でも概念自体はなくても趣旨としては同趣旨ないし趣旨として同一ないしほぼ同一というものは存在するので、そこの比較(海外におけるこうした弱者への対応と、日本におけるそれ)という考え方では単純に比較はできない(制度が違うため)ものの、類推することは可能で、その限りで日本においても見る価値がはあると思います。
採点上気になった点は下記ですが、特に大きな問題ではないのでフルスコアにしています。
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(減点0.1/字幕の配慮不足)
・ 現在ではミニシアター中心ですが、ミニシアターといっても、「シアター数が少ないだけで座席などでは大手とは負けない」シアターもあれば、明確に座席数などからして「ミニシアター」もあります。
一方でこの映画、妙に文字が小さく(字幕含む)、後ろのほうに座ると結構苦労します(上述通り、ミニシアターといっても、各シアターごとの規模はまちまちなので、一概にはいえない)。もし気になるようなら、真ん中よりも前のほうがおすすめです。
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▼ (参考/原題の topside について)
・ 単に「物事の上側」という意味です。日本語名はちょっと意訳しすぎているかな…というところはあります(ただし「満天の星(星空)」が何であるのか、などは映画内でも明示的に出ます)。
ロードムービーというより、パニック化した思考と感情が行動とともに見...
ロードムービーというより、パニック化した思考と感情が行動とともに見せつけられる激しい映画。苦しさが伝わってくる。こういう映画、他にも見たことがあるような。
誰もが願っていること
事情は様々でも、経済的基盤がないまま放り出されてしまう母子(父子というケースもあるが、母子の場合のほうが多い)。
一応、先進国の多くでは福祉制度上の最低限の生活保障はあることになっている(現実には救われていない人がたくさんいるとしても)。
こどもに対する親の愛情がいくら強くても、制度の側が不適格と判断した場合、親子関係を保ったまま保障を受けることが難しい、ということもある。
もし、長澤まさみさんが演じた『マザー』のような母親だったら、少額納税者の私だって、あの親と切り離さない形での生活支援はやめて欲しいと思う。
とはいえ、個別のケースについていちいち納税者に確認するわけにもいかないので、法律や行政の制度で一定の線引きをせざるを得ないわけです。この制度の運用(現場の実務)で生じる問題は、『護られなかった者たちへ』で描かれていたのはまだ記憶に新しいところです。
自分の手元においてこどもの成長を見届けたい。
でも、そのこどもの未来(社会適合性)を優先したら、生活の安定と教育機会を与えてくれる制度に委ねたほうが合理的(当事者でないものが言葉にするのは簡単ですが)。
幸福な家庭はどこも似たようなものだが、不幸な家庭は、色々なパターンがある(どこかで聞いたことがあるような…😅)。
その色々なパターンに人間味のある対応ができる人を社会として育てることのできる国になって欲しい。
是枝裕和監督やケン・ローチ監督のように、世界の映画人がそう思っているから、どこの国でもこういう映画が作られるのだと思います。
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