アウシュヴィッツのチャンピオンのレビュー・感想・評価
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90分間の中に言葉を超えた多くの要素が凝縮され、力強く引き込まれた
本作を観る前、ある種の型にはまった内容なのではないかという危惧の方が強かった。しかしいざ蓋を開けてみると、まるでボクサーの肉体のように90分台のスリムさの中に必要な要素が凝縮されていることに驚いた。特徴的なのは、主人公を始めとする登場人物たちの過去がほとんど描かれないことだ。彼らは自分のことをベラベラ喋ったりせず、ただ現在を生き抜くことに必死。けれどこのある種の地獄の中での相貌や行動、ほんの些細な振る舞いを見ているだけで、これまでどのように生きてきた人なのかが如実に伝わってくる。主人公の場合、それは当然、リング上でのリアルなファイト場面、そこでの一挙手一投足においても言えることだ。感動的ながら仰々しく感情を煽り立てはしない音楽や、端々まで緊張感を身に纏ったエキストラ、収容所内の美術に至るまで、作り手の情熱にも圧倒される。なぜ戦うのか。言葉にせずとも、映画そのものが答えを誠実に体現している。
『Arbeit macht frei』
Glenn Miller:Little Brown Jugで始まる アメリカ!
黄色い腕章に『CAPO』と書かれている。
この映画では隠す事なくはっきりとキャラクター設定している。
「囚人自主管理」とも呼ばれる囚人管理制度が親衛隊の下部組織としてあり、ある意味に於いて、戦後大問題になる。
この映画の通りであったかなかったかそれはわからないが、第三者である日本人としては、干渉することなく、真実をリテラシーとして蓄えるべきと感じる。
ストックホルム症候群の泣き所をうまく扱ったストーリー展開と思うが。お情けをかけるナチスドイツたが、ナチスドイツには変わらない。また、CAPOは主人公のファイトする姿を見て、まるでCAPO自身の性格がが入れ代わったように表現されている。しかし、ナチスドイツはナチスドイツだしCAPOはCAPOである。
歴史を覆す事は出来ない!
さて、この映画の種明かしを自分なりに考えた。なぜ???この主人公が生き長らえたか?
答えは
独断と
偏見
で
分析
ネタバレだよ。
彼がユダヤ系って誰が決めたのか?
オシフィエンチムにはあらゆる民族が収監されていた。
アウシュビッツと言うとユダヤ人。
まるで『負のパブロフの犬』
『タデウシュ・ピトロシュコスキ』と言うらしいが、Wikipediaしたらやはり、ユダヤ系ではなかった。
更に別件で
ポーランド軍の中尉だが少尉がスパイとしてアウシュビッツに潜伏したと言う話すらある。
そう考えると、天使の人形の少女もそれを送った少年もユダヤ系ではないと分かる。なぜなら、ユダヤ教には天使を崇拝する事はあっても、偶像は硬く硬くご法度である。
ロケ地はオシフィエンチムである。
さて、
世界遺産であるが、事前予約がないと入れない場所だった。でも、粘ったらポーランド人の女性が無理をして入れてくれた。
さて、いざ出発!!
だが、しかし、遺品の中に少女の靴と思しき物があるのを見つけた。
あ✖
一気になえてしまった。
申し訳ないけど二度と行きたいと思えない。そんな場所だった。
ヒーロー過ぎないのは良かった でもメッセージも弱かった そんなんで...
ヒーロー過ぎないのは良かった でもメッセージも弱かった そんなんで勝っちゃうだ、と呆気に取られてもしまった ドイツ人は何でこんな酷い事ができるのだろう 本当にこんな人ばっかりだったのだろうか 違って欲しい そうでなかったら救いがない
【今作は、アウシュビッツ強制収容所に連行されたワルシャワのボクシングチャンピオンが、不屈の闘争心で自由を得るまでの姿を描いた実話である。ラストのシーンはジワリと涙が溢れます。】
■1940年、第二次世界大戦中のドイツ占領下のポーランド。 アウシュビッツ強制収容所に連行されたワルシャワのボクシングチャンピオン・テディ(ピョートル・グロバツキ)は、過酷な労働に従事させられていた。 ある日、テディは衛兵たちの気晴らしに、リングに立たされることになるが、まともな食事も与えられていないのに、華麗なフットワークで連戦連勝していく。 ◆感想<Caution!内容に触れています。> ・今作が心に響くのは、死と隣り合わせの状況下で、テディが決して諦めない姿である。 ・更に彼は、試合に勝った後、褒美で渡されたパンを、餓えた仲間達に分け与えたり、喘息持ちの少年の為に、自分の傷の手当をした貰った際に、クスリを貰っている。 ー 彼の人間としての、器の大きさが良く分かる。- ・そんな彼の姿に、心動かされた収容所指導者マルチン・ボサックは、彼を別の収容所(アウシュヴィッツより助かる可能性が高い)に送るように指示するのである。 ■今作は資料によると、強制収容所でリングに立ち続けた実在のボクサーの物語を元囚人たちや本人の証言をもとに映画化したモノだそうである。 今作では、囚人番号”77”を左腕に彫られたテディが、囚人仲間達の希望の象徴である事が見事に描かれている。 <マチェイ・バルチェフスキ監督は、元囚人たちの証言やテディ本人の記録から今作をドラマティックに描き出したそうである。 凄い人物がいたモノである。> ■ナチスの蛮行を描いた映画は、数知れない事はご存じの通りである。 殆どが、ユダヤの民や、ポーランドの民の末裔が制作しているが、(こちらの方が、リアリティ溢れる作品が多い気がする。) だが、ドイツ人が自ら製作している作品も多い。 ロシアの現況の愚かしき行為(今でも既に数作のドキュメンタリー映画が公開されている)が、何時か”あんなことは二度としてはイケナイ”と言う想いを込めて、ロシア人監督により映画化される日が来ることを切に願うモノである。
ホロコーストは戦争には関係ない、人道に対する犯罪
サロン・シネマ2さんで、この日の三本目。客席中央の三列21席について空席をカウントしてみた。一本目「なまず」が16/21。二本目「プアン」が15/21。三本目の本作が5/21です。ナチス・ヒトラー・アウシュビッツがネタとなると、高齢者が席を埋め入りが良い印象がありましたが、実際そうだったw
ここ数年、ナチスものが多く、かつ良作傑作は皆無だったと思ってますが、コレは良かった。一番好き。
ボクシングものに無条件に燃えてしまう習性のせいなのか。少年少女をネタにされると、どうしても感情移入してしまうからなのか。
Holocaust とは、元々宗教儀式で丸焼きにされ神に捧げられた生贄の事。
一服盛られ試合に負け、一晩吊るされていた「77番」は死体を焼いて処分する穴の底をのたうち回り、丸焼きになった木彫りの天使像を見つける。ヤネックが少女に贈った守護天使ミカエル。
人間が生まれる前は皆、天使なのだと。
絶対的な力の差。守ってやれなかった絶望感。出来る事はただ一つ。ボクシングに命を掛ける。
そうですよね、やっぱり。ボクシングものの文法でホロコーストを描いたら、こうなると。
ラストのボクシング・ジムの風景に、ポロリーンですよ。
良かった。
とっても。
監督のナチスに対する憎しみのようなものを感じる
アウシュヴィッツ収容所に入れられたポーランドのボクサー視点で見たホロコーストサバイバル映画。 テディと称されるボクサーが、パンをもらうためボクシングの試合をしていくのだが、 彼が色んな相手を付けられ、戦っていくいく姿は、彼の生きる意志と同時に、彼が生き残れば誰かは死ぬという不条理を表していた。 また彼の視点で描くナチスの蛮行が包み隠さず表現されている。 もちろんナチスの犯した行いを描いた映画は多々あるのだが、この映画は飽くまでもボクサー視点なので、フォーカスが当たってないところで、ナチスがアウシュヴィッツでやった蛮行が垣間見えるのだ。 この作品は、テディというボクサーのアウシュヴィッツ体験記のような描き方をしているが、 根本にはナチスのひどい行いを決してオブラートに包むことないよう描く、と言う監督の意思を感じる。観る側をテディと同じような視点に立たせ、疑似体験をしてもらう意図も感じられた。 それだけ彼は家族、親戚からナチス体験談を叩き込まれてきたのだろう。 しかし、毎年のようにホロコースト映画が公開されるが、毎回ドイツ語で蛮行が行われる映画を観させられるドイツの映画関係者はきっと複雑な想いだろう。それほどナチスの行いは現代史に傷を残したという事だが。
思っちゃいけない
120本目。 最初の方で全てを否定される所から始まる。 分かって観てはいるけど、キツいしツラい。 もし自分がと想像しようするが、自分自身が負けそうで考えない様にはするけれど、それって作品から逃げようとしてるのかと、葛藤したりもする。 主人公目線でみれば、あぁ良かった、だろうけど、収容所に残っている人の方が多いんだから、そう思っちゃいけないだろうな。
いや〜ボクシング映画って本当にいいもんですねぇ
予告編を見て気になっていたので鑑賞。夏バテ気味で疲れていたのでクーラーの効いた映画館で何回か寝落ちしてしまいましたが映像も綺麗でナチスドイツの非情さもよく描けていました。テディ役の俳優さんもかっこよかったけど欲を言えばボクシングのアクションシーンとかもう少し迫力あればなとかキャラクターも個性とか魅力が足りなかったかなとか思いました。映画的にはよく出来ていたんだろうけど感動が欲しかった。
霧のような男
第二次世界大戦中、アウシュビッツの収容所にて司令官らの娯楽としてリングにあがることになったボクサー、「77番」ことテディ。勝つことで与えられたパンを皆に配り、いつしか囚人の希望の象徴となっていくが・・・といった物語。 本日ワタクシ、戦争映画2連続鑑賞の第1段。 強制労働中、あることがきっかけで、収容所のボクサーとして活躍することとなったテディ。 理不尽な階級差もものともせず、持ち前のディフェンス力で闘い続ける。 このテの映画やドラマって、時にはボクシングの演技が酷すぎて内容が入ってこなかったりするけど(それは日本だけか?)、本作はその辺もちゃんと見応えがあった。 それでいて、アウシュビッツでの残虐行為は、例の如く目を覆いたくなるほど、こちらもしっかり描かれていた印象。 守るべき少年との話は哀しくも心温まるものだったし、司令官(?)の家族の描写も、彼らの物語に効果的に影を落としている。 屋外試合での出来事は哀しすぎましたね。 気持ちを失ったテディが再びリングに転がり上がるシーンはアツかった。 最後の試合はもうちょっと何かあっても良かったかな~と思いつつ、少年を守り、囚人たちへパンを配り続けるだけでなく、その存在こそが囚人たちの希望になっていたのだなと思うと、やっぱり彼はホンモノの戦士だったんだなと。 ボクシングのシーンだけでなく、ストーリーにも魅せられた良作だった。 ちょっとわからなかったのはウォルターさんの立ち位置。彼も囚人ですよね? どんな映画でも兵に目をかけられている囚人って一人はいるイメージだけど、彼もそんなところでしょうか? そして何より、エンディングはちょっと目頭が熱くなった。
芸は身をたすける
運のいい人ですね。試合することになったのもたまたま。 主人公はじめ、人物の詳細には細かく触れないままストーリーはすすんでいきます。名前も経歴も全て無しにされてしまう世界だからでしょうか? 少年を気にかけたり、主人公に影響を与えるのも何故なのかわからないままです。 若いから生きてほしい、という希望だったのでしょうか? わからないけど不自然には思わず、話に入りこめました。 赤ちゃんを抱っこしている人に上着をかけてあげるシーンで涙が出ました。死を目前にしても人を思いやれる人もいるのに…。収容所というものが現在もあるというのが恐ろしいです。 ちなみに、もうこの種の映画は人気ないのですかねー? 大阪でも1つの映画館でしか上映されてませんし。 もっとたくさんで上映してほしいなーと思いました。
アウシュビッツからの素晴らしい帰還者
第2次世界大戦中の1940年、ワルシャワのボクシング・チャンピオンだったタデウシュ・ピトロシュコスキ(通称テディ)は、アウシュビッツ強制収容所に移送された。彼には77番という呼び名が与えられ、捕虜のため十分な寝床や食事も与えられず、過酷な労働を強いられる日々が続いた。その間、老人、女性、子どもは怪しい建物に連れ込まれ、虐殺が続いていた。
そんなある日、テディは司令官や看守たちの娯楽としてリングに立たされボクシングをすることになった。負け知らずで勝つたびにパンやソーセージなどの食料や薬を貰い、囚人仲間に分け与えていた。そして、終戦までなんとか生き延び、ポーランドに帰った後は子どもたちにボクシングを教えた、という実話に基づく話。
アウシュビッツってユダヤ人の収容所かと思ってたから、ユダヤ人じゃなさそうなテディがなぜアウシュビッツの強制収容所に送られたのかと思ってたが、ポーランドに侵攻したナチス・ドイツは、愛国主義になるとスポーツを禁じ、愛国心の強い危険分子とみなしたスポーツ選手を強制収容所に送ったんだと知った。
Arbeit macht frei(働けば自由になれる)の看板はナチスの強制収容所が映る作品を見るたびに見ているが、果たして働いて自由になった囚人が何人いたのだろうか?戦後まで生きて戻れたテディは貴重な体験者だったんだと思う。
テディ役ピョートル・グロバツキが良い体を作ってて素晴らしかった。
戦中の日本も戦地でこんな事をしてなかったのか、今のロシアは?なんて事を考えながら観た。
やはり戦争はいけない。やっちゃいけない、と強く思った作品でした。
多くの人に観てもらい、戦争の悲惨さを体感してもらいたい作品です。
忌々しい歴史を忘れないために/(参考)日独の考え方の違いについて
今年221本目(合計497本目/今月(2022年7月度)33本目)。 日本では7~8月によく放映される、ナチスドイツの忌々しい歴史を風化させないための映画がよく「固まって」放映されることがありますが、本作品もその一つです。 ここの特集などにあるように、史実をもとにしているため、あることないこと書けないこともあります。 ナチスのこの収容政策といえばユダヤ人が真っ先に挙げられますが、身体障害者や牧師(牧師についてはちらっと映画でも出る。宗教関係者を余りよく思っていなかったらしい)も犠牲にあったことも事実です。ただ、それら含めて全て「平等に」描こうと思うと10時間コースであり、何か一つに絞ろうと思うと難しいところです。 また、映画内をよくみるとわかりますが、当時のドイツ(収容所内)のドイツ側の思想も必ずしも一律ではなかったようで、中にはヒトラーに懐疑的ないし反対していたものもいたようです。それが前提になっているセリフもあります(他の方が詳しく書かれていた通り)。 もう戦後何十年もたつこの文化(および、同じく敗戦国である日本、イタリアがとった極悪非道の政策)は未来永劫忘れてはいけないし、次の世代に伝えていかなければ…と気を強く思ったところです。 採点上特に差し引く要素はないので、フルスコアにしています。 -------------------------------------- (参考/日独の考え方の違い) ・ 同じ敗戦国のこの2つの国ですが、表現・言論の自由という観点で大きく違います。 ドイツはもちろん、ドイツのこの被害にあった国の中には憲法や法律のレベルで「ナチスドイツを英雄視するような著書・映画は許されない」という国があり、違反者には罰金も取られます。これを「表現の自由の侵害」と見るかは微妙ですが、余りにも支離滅裂であったことも事実です。 翻って日本を見ると、日本も敗戦国で敗戦後、日本国憲法が定められ、そこで思想良心の自由、表現・言論の自由は最大限尊重されるようになりました。基本的人権の中でも「表現・言論の自由」はその「王様」と言われるほど強く保護されます。それは、「表現・言論を戦わせてより健全な民主主義国家を作る」という思想に根差したものです。 しかしこれも絶対無制限でなく、それに名を借りたようなものは個別に罰せられます。代表例は「わいせつ表現」「名誉棄損にあたるような行為」「個人情報の勝手な書き込み」といった類型で、これらは戦後の判例で確立されたもので、現在もそれにいたります。 実は日本では「表現・言論の自由に対する例外的な規制」は上記程度しか判例で確立されていないため、「天皇制反対」や「憲法9条反対」、さらにはこの映画の通り「ナチス万歳」という表現も基本的には禁止できません(もちろん、こうした評価サイトが個別に「いい加減にしろ」ということで制約を入れることはある。これは私人間の話)。 つまり、国として反省するドイツが一定の表現の自由に制限をかけているのとは対照的に、日本は「他を害するものは許されない」という立場にたつのであり、それはその通りなので、極論、先の第二次世界大戦で日本を擁護するような発言も基本的には自由です。 日本とドイツは同じ敗戦国だし、民法(日本の民法はドイツ民法をまねて作られています)や憲法などかなりの部分が似ますが(「英米法」と「大陸法」の概念)、細かいところで差があります。その最たる例が「表現の自由の規制の度合い」です。
実在のボクサー アウシュビッツのテディ
4と4.5の間で、厳しめの星4つ。 素晴らしい映画です。 観たい映画が時間が合わなくて、時間が合ったので、とりあえず観てみたんだけど、 観て、よかった!! 事実に基づく話で、実在のボクサーの話、すごい話です。 最後、泣きそうでした。 実在のアウシュビッツのボクサーの話としか情報を入れてなかったのですが、それが正解でした。 これから観る方は、情報を入れないで観た方が絶対に面白いと思います。 暗くて静かで眠くなる映画かな?と思ったら、そんな事なく観やすかったです。 時間も91分とコンパクトですが、濃厚濃密な内容で大満足。 ボクシング好きは、もちろん。 そうじゃない方にも、オススメです。 主演の方は、ヒュー・ジャックマンに似てます。
人は、優位になると悪魔になる!
ドイツ人は、真面目で働き者。日本人に通じる。しかし
権力を持つと残酷になる。まあこれが現実だな。
テディは、元アマチュアのボクシング選手。
ドイツ人は、基本に忠実な選手が多い。
しかし人を殺して殺して殺しまくってるね。
テディは、身体の大きな選手のパンチをかわしてかわして闘うんだな。
ラストは、戦後自分らしく生きれてよかった!よかった!
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