ぜんぶ、ボクのせいのレビュー・感想・評価
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松本優作監督の恵まれた商業映画デビュー作。ただし話にはいろいろ難が
1992年生まれの松本優作監督は自主映画が海外の映画祭で高評価され、CMやドラマにも活動の幅を広げてきた新鋭で、本作が初の商業映画となる。文化庁の文化芸術振興費補助金の対象となったこともあり、オダギリジョー、片岡礼子、仲野太賀、木竜麻生、松本まりか、若葉竜也といった中堅から若手の豪華なキャストが揃い、恵まれたデビュー作となった(脚本も兼ねている)。
主人公・優太を演じる白鳥晴都の悲しい光を宿した目は、近年の作品でいえば大森立嗣監督作「MOTHER マザー」の奥平大兼や、レバノン映画「存在のない子供たち」に主演したゼイン・アル・ラフィーアに通じるような観客の心を締めつける力がある。ただまあ、優太が発する題名の「ぜんぶ、ボクのせい」という台詞は、そこに思い至るまでの心理描写が乏しいせいで唐突だし、嘘っぽく響く(大人の作り手に言わされたことが透けて見えてしまう)。もし本気でそこまで思い込めるのだとしたら、逆に自分の影響力を過大評価していることになるが、もちろんそんなキャラクターではない。
ほかにも優太が失踪後の施設の対応や、人目につく漁港近くでホームレスと一緒に車上生活を送る少年がいつまでも通報されなかったり、制服姿の女子高生がラブホテルを出入りしたりと、話のあちこちで現実味が乏しいのもひっかかる。母親から育児放棄され施設暮らしになった子、親からの虐待によるトラウマに苦しむ男など、社会問題を提起するが、その先のメッセージが弱いのも難点。不遇な人、社会の底辺でもがく人を描き、同情を誘うのは結構だが、その先を考える姿勢、では周りに何ができるか、本人たちはどうすればよかったのか、という視点が希薄に感じられた。
悪くないんだけど,ちょっと残念かなぁ
母親に育児放棄されてる中学生の男の子、母親の死に疑問を持ちながらエリートの父親と上手くいかない高校生、そして浮浪者のように軽トラで暮らす中年。前半とても期待できる展開で,どうなっていくかと思ったら、予想外の結末。初めて心を許せた,居場所を作ってくれた中年は車ごと焼かれ,おまけに警察に保護されるのかと思ったら,放火の容疑だった。ちょっと唐突な展開で最後に彼がこのセリフを言うのだ。これはちょっと納得感が低かった。
ボクの、せい
母親会いたさに施設を抜け出した優太。母親の対応が酷い。施設にこっそり電話して迎えにきてもらう。突然来られて今は無理でももう少し待ってとか、せめてキチンと納得させないと。とはいえ、迎えに行く気など全くないのだろう。もう、自分の子は捨てた、私には彼氏がいれば良い、くらいにしか考えていないんだろうな。酷い話だ。優太が可哀想。
迎えにきた施設の先生から逃げて、ホームレスの坂本と過ごすことになるが、彼は大人としたら働かず、盗みをしたりと良い人間ではない。でも何も聞かずに優太に手を差し伸べる。優しい人間である。優太には彼の優しさが居心地よかったんだろう。
火事を起こした人物は分かっているのに、警察に捕まって問い詰められると「ボクがやった。世界のすべての悪いことはみんなボクのせい」と言う。アイツらがやったっていえば良いのに。よく世間で親が子供を虐待した事件などの時に、被害側の子供は、自分が悪い子だから。お母さんは悪くない。と言う場合があるが、全て、自分が悪い子だからと思い込んでしまう。この映画の優太もそういう心理状態だったんだろうか。なんか観ていてつらい映画だった。
えっ、このまま終わってしまうのか?
養護施設で暮らす少年が、トラックで生活するホームレスと出会う。
そこに、援助交際に明け暮れる女子高生が絡んでくるという物語。
3人とも似た境遇。キーとなるのが母だ。
母親に捨てられた少年。母親から虐待を受けていた男。
幼い頃に母親を亡くした少女。
その意味深な設定が、伏線かと思っていたのですが、
最後まで回収されませんでしたね。
不幸を絵に描いたような3人が、不幸なまま終わっていく。
この映画で何を伝えたいのだろう?
キャスティングはいいですね。特にオダギリジョーさん。
こういう役をやらせたら、天下一品です。
【”火は自分の心を映し出す・・。”ラスト、優太が、氷の様な静かな怒りの眼で、刑事に向かって言った言葉が突き刺さった作品。白鳥晴郁君、役者続けて欲しいなあ・・。】
<Caution! 内容に触れています。>
■主要登場人物は、3人。
1.母(松本まりか)に捨てられ、施設で暮らす優太。母に会いたくて、施設を抜け出すも、母は男(若葉竜也)と暮らしていて、居場所はない。
2.幼い頃、母から虐待を受けたことがトラウマになっている海岸に停めた故障した軽トラで暮らす坂本(オダギリジョー)。
ー 優太と坂本は劇中でも、坂本自身が語っているが境遇が似ている。それだからか、優太は初めて明るい表情で廃品回収を手伝う。廃品回収業の男(仲野大賀)も、良い男である。
ついでに言えば、オダギリジョーって、良い役者だなあ、と再認識する。ホームレスを演じても、崩れた姿にならない所が、凄い。-
3.幼い頃に母を亡くした詩織(川島鈴遥)。父から病で死んだと聞かされているが、実は自殺ではないかと思いながら、何不自由ない生活の中、空虚な日々を送っている。愉しそうなのは、坂本の所に遊びに来る時だけである。
■そんなある日、坂本の車への落書きが増え、そしてある夜に火が放たれる。だが、坂本は“妄想である、地震で倒壊した家で業火に焼かれる母の姿”が脳裏に過り、逃げようとしない。
残された、優太は母の家に一度は戻るも、男に抱かれる姿を見て、世間に対する怒りを感じながら海に入って行く。それを、止めようとする詩織。
二人は、夜の海岸で、焚火をしながら夜明けを迎える。
そして、坂本の認知症になった母が居る名古屋に行くことを約束する・・。が・・。
<ラスト、警察に放火犯として拘留された、優太が刑事(駿河太郎)に氷の様な静かな怒りの眼で”世の中の悪い事は、全部僕がやった!”と言い放ったシーンは、凄かった。
白鳥晴郁のあの眼は、本当に凄いと思った作品である。>
<2022年10月9日 刈谷日劇にて鑑賞>
救われない者たちへの鎮魂歌
児童養護施設で暮らす優太は母親の居場所を知り、1人施設を抜け出す。
なんとか母親との再会を果たした優太だったが、男に依存し自堕落な生活を送る彼女の姿は優太の知っている母親ではなかった。
遂に母親からも追い出されてしまった優太は、軽トラで暮らしているホームレスの坂本と自分には何もないと言う女子高生の詩織と出会い、自らと似た境遇の2人に徐々に心を開いていくのだが…
「ぜんぶ、ぜんぶです。」
上映終了ギリギリでなんとか観ることができた。
ミニシアターの空気感と規模がぴったりの作品だったので、ミニシアターで観ることが出来て本当に良かったと思う。
親、金、社会…etc
それらから見捨てられた居場所のない3人によるひとときの夢。
少年にはあまりにも残酷なこの夢の結末に心の中はぐちゃぐちゃだった。
自分の名前が主人公と同じだったことに加え、(位置は全然違うけれど)千葉県が舞台だったこともあって、かなり親近感を覚えた。
何度も名前を呼ばれた気がしてハッとする。
しかし、境遇に関しては彼とは全く正反対。
本当に有難いことに私は恵まれているし、親や家族に対しても大きな不満は全くない。
この映画で起こることは映画として多少オーバーに描かれているが、今もすぐそばでこのように苦しんでいる人がいるのは事実だろう。
幸せとは何なのだろうか。
詩織のように裕福な優等生でも幸せじゃないかもしれないし、坂本のように貧乏で最低でも多少の幸せの元自由に暮らす人もいる。
立場や年齢の異なる3人が同じ悩みを抱えて互いを埋め合うように浜辺に集まる姿はなんとも映画的な一幕だった。
親ガチャという言葉があるけれど、親という存在がいかに大切なのか考えさせられる。
施設の人たちや警察が恐ろしい敵のように描かれていたのも印象的。
本当はもっと優しく接していたかもしれないが、優太から見れば皆あんな風に見えていたのかもしれない。
この作品を観たいと思った1番の理由でもあるのが主題歌に大滝詠一の「夢で逢えたら」を選んでいたこと。
希望はすぐ目の前に沢山あるのに残酷な結末を迎えてしまったこの物語に合った優しいメロディ。
1人ホームで優太を待つ詩織のヘッドホンの中にもきっとこの曲が流れていたのだろう。
「これがもしも夢であったら素敵なことね。」
そんな風に言っているような気がした。
〈余談〉
シリアスなシーンなのにテレビでさらばの「男優」っていう本当にあるコントが流れてて笑ってしまった。
地上波で流すようなコントじゃない笑
考えさせられる映画
映画の終わり方がハッピーエンドではなくむしろ悲しい終わり方をするので、どうしてこの終わり方にしたのかや、主人公の少年は今後どうなっていくのだろうかと考えさせられるような構成になっていて、少し希望を持たせるような終わり方になっているより良いのかなと思いました。
自分ならどのように振る舞えるか、どのように取り組んでいけるか。大きなテーマですがふと思い出したときに折に触れて少しでも想像できたらと思いました。
ダメ親父だけど憎めない男を演じているオダギリジョーさんがとてもいい演技をされているなと思いました。
年下の男の子
松本優作監督作品では、「日本製造」はトコトン合わずでしたが「 Noise 」が好きだったので期待して鑑賞開始です。ただし事前情報は完全にゼロw
いきなりの木竜麻生ちゃんです。2日連続です。最近、よく顔を見ますね!えっと、あなたは松本まりかさんじゃあーりませんか?と思ってたら青葉竜也登場。更に、久々に情け無い感じのオダギリジョー。太賀は来るわ、川島鈴遥は来るわで。このキャストはB級ちゃいます。全然シネコンレベル。なんで単館?
これがですね。オチで納得です。こりゃ一般受けしそうにないw
そんなに俺を悪者にしたいのか?
なら、それで良いから。
でシャッターが下りた。
松本優作さんの画力は、藤井道人さんのそれとはちょっと違うと思うんです。画、そのものの粒度と美しさが藤井道人監督なら、松本優作監督の画力は、描写に使うカットのセンスって言えば良いのか。連続感のある描写、みたいなヤツ。台車を押して軽トラまで帰る優太の姿をちょっとだけ挟み込むとか、エンコーする詩織がホテルに入って行く場面と出て来る場面を、違う日・違う人・違う画角で使うとことか。海辺のソワレは岸側からで、自殺で海に入る画は海側からと言う対比の仕方とか。
この「基本点」の高さ、と言うか、考えて狙いがあってやってます!って言うところが良いですもん。
松本優作監督のシネコン作品、待ってます。イヤ、一般受けするオチが必要なんだと思うんですけどね。藤井道人監督だって、短命悲恋ものを撮ったくらいだからw
良かった。
普通に。
リアリティがやっぱりなかった
映画なので、多少のリアリティのなさは仕方ないとは思うけどあまりにもなかった。
大切な人が焼死したのに、火を見て「落ち着く」という発言にビックリしてしまった。
女子高生はなしで、おっちゃんと少年二人の関係をもう少し深く描いて欲しかった。
無駄に恋愛を絡めてよく分からなくなった。
オダギリジョーの演技は自然すぎで最高でした。
悪夢でもし会えたら
なぜか東海大地震だけ違和感があって、もしかしたら大災害が起こっている気もするのに、のんびり暮らすオダギリジョー。彼のその日暮らしのホームレスぶりがピッタリで、優太が憧れるのも無理ないわな~などと、二人の行動が面白かった。まぁ、結核みたいな咳をしていたし、長くはないんだろうなと思いつつ。
児童虐待、認知症、育児放棄、援助交際、窃盗、万引き、詐欺、ひも男・・・色んな社会問題がある中にあっても優太、オダギリジョーのホームレス、女子高生詩織の3人はとにかくみな母親を愛している(いた)。どんな仕打ちをされていようが・・・である。
テーマとしてはとてもいいのに、テンポが悪いせいかなかなかのめり込めない。それにオダジョーの母親は夢の中には出てくるけど、それは真実なのかどうかもわからないまま。結局、大地震がどれくらいの被害をだしたのかが不明だからだろうか。
坂本健二という役名があるみたいけど、ジョニーでいいやん!このジョニーにはなぜか惹かれてしまう。こんな性格だったら、ホームレスにならなくても済むような気がする。詩織ちゃんだって懐いてるし。
途中までは結構良かった。だけど警察の取り調べにリアリティが全くないのが残念。児童相談所職員を呼ばないこともそうだし、子ども相手に犯人扱いして恫喝するってのはいかがなものか・・・
どうしてあそこまでひねくれたのだろう
児童養護施設で母の迎えを待ちながら暮らす優太は、どうしても母に会いたくて、職員の不在時に資料を見て母の住所を調べ、施設が出た。たどり着いた先で見たのは、同居する男に依存し抱かれるだけの生活を送る母の姿だった。そんな母から不要な扱いを受け児童養護施設に連絡されてしまい、迎えが来たが家を飛び出し逃げた。母に捨てられた絶望で当てもなく防波堤を歩いてた優太は、軽トラックの荷台で暮らすホームレスの男・坂本に出会った。坂本は優太を都合よく使い、2人はわずかな日銭を稼ぎながら寝食をともにするようになった。ホームレスの男の知人で、裕福な家庭に生まれながらも家に居場所がない少女・詩織とも知り合い、優太の事を心配してくれる優しい彼女にひかれていく優太は・・・てな話。
優太はどうしてあそこまでひねくれたのだろう?
養護施設の片岡礼子や木竜麻生など優しそうな感じだったのに。そこがよくわからなかった。
優太役の白鳥晴都は口数は少ないが、寂しい少年を上手く演じていた。
ホームレスのオッチャン役のオダギリジョーは悪い奴なんだけど絵がうまくて優太に優しくて魅力的だった。
詩織役の川島鈴遥は強い少女を好演してた。
彼女はタバコを吸ってたから20歳過ぎてるのかな、って思ったらやはりそうだった。
養護施設の木竜麻生も観れて良かった。
ぜんぶ、脚本のせい
優太役の白鳥晴都君の憂いのある佇まいは良かった。
仲野太賀ファンとしては、少ない出番ながら良かったし、役者さんはそれぞれとても良いと思った。
しかしいろいろ脚本がおかしい。
施設の人が迎えに来たはいいけど、簡単に取り逃したまま放置。
小さな町でホームレスと少年が一緒にいても放置。3人それぞれの親の事もフワッとしたまま。
題材は良いだけに残念。
うーん、と思いながらエンディングまて来たら、最後に酷いな。これといった証拠もなく、一緒に生活してたというだけで犯人と決めつけて、駅前で大捕物なんてあるかな?あの段階では話を聞くだけでしょう。
それは優太もぜんぶ、ボクのせいって言いたくもなる。
絶妙な小ヤンキーとJK
「真実一路」この物語を少し知っていると、味わいが違ってくるかも知れません。
が、それは置いておいて素直な感想をば。雰囲気を味わう映画としてはまずまず。社会派として考えるならば今一つ。そんな感じでございました。役者陣は味があって良かったんですけどねー、脚本なのかな…??
千葉県人としては舞台が「いすみ市」だったのが何よりもソワソワ気持ち良かった。コロナ禍前は「いすみ健康マラソン大会(ハーフ)」で毎年お世話になっていたので感慨ひとしおでございましたね。地域は少しはなれているけども、雰囲気や匂いはそのまんま。住人の田舎特有な明るい閉塞感が良い感じでした。
「ぜんぶ、ボクのせい」と言うには色々と弱かったけれども、三者三様な虚無感と見えない澱み(コレもスッキリしない要因だったりする)に思いを馳せる部分があったのでキライではないです。「砕け散る所を〜」や「NOCALL NOLIFE」が頂ける方は試してみても良いのではないでしょうか。
仲野太賀くんの不穏さが最高だったな。
生きることだけが選択肢である、そのリアル。
なんと表現すれば良いのか∙∙∙
どんな言葉で伝えれるのか見つからないような作品。
絶望の先、愛情の先、孤独の先、
共存の先、無力の先、夢の先、
様々な感情や出来事には先があって
〜些細なことでも良い。〜
何かを見い出して日々を繋いでいくものだと思っていたが
そんな雑念など何もなく、ただシンプルに『愛』を渇望し、
『生きること』ではなく『生きていくこと』の
強さとリアルを見せつけられた。
主人公の優太の凄みもさることながら、
ホームレスの坂本を演じたオダギリジョーが本当に見事だった。
愛と空気と距離と優しさ、包容力と無責任さ、そして弱さと強さ。
あんなに様々な表現が凝縮される人間を演じれるのは
オダギリジョーしかいないのではないかと思わせるほどさすがだ。
坂本の存在は優太の幼稚さを浮き彫りにし、
その対比がリアリティのコントラストを際立たせたようにも感じる。
その他のキャストも、本当に一切ムダが無く
この作品は映画館で見るべき作品だったと、
観終わった後に思い返しながら、しみじみ痛感した。
現代社会の陰をなまめかしく描いたこの作品。
映画の大事なキーとなっている楽曲『夢で逢えたら』(大瀧詠一さん)
この歌詞の意味を素直に受け取るか、皮肉ととるか。
それがこの作品を観た人の答えなのではないかと思った。
【良かった点】 主人公の成長を描く上で、出会う大人たちの説得力が大...
【良かった点】
主人公の成長を描く上で、出会う大人たちの説得力が大切だとこの手の映画ではよく感じるが、脇を固める俳優陣の信頼度は凄まじかった。海岸のシーンが頻発するが、昼夜共に絵的な美しさに息を呑んだ。これだけの絵力があればもう元は取れたようなもの。オダギリジョーの達観しつつもクズなおじさんの役所が素晴らしい。激渋イケオジだった。
【良くなかった点】
地震、売春、ホームレスとさまざまな問題を盛り込んだだけに一つ一つの掘り下げが甘いと感じた。どれをとっても問題提起で終わってしまっていて、根本的な解決には至っていない。その曖昧さが思春期の感情の不安定さを表しているのだとしたら見事。
私の自転車は新品で9000円。
めちゃめちゃ期待して観に行ったけど、ちょっと肩透かしくらった感じでした。キャスティングに関しては全く不満ないけど、ストーリーが粗かった。
大前提として優太は脱走してる状態で、しかも隠れてる訳でもないのに施設はなんでこの状態を放置してるのか謎過ぎる。このせいで全部嘘っぽくなってしまって残念。更に名古屋への想いは分かるけどあんな大地震必要だったのか。
1対1の構図が多いけどあまり印象的な会話もなく、うまく生きられない3人が結局誰も前に進めず終わりを迎えるというやるせなさ。ほんとキャストが良かっただけにもったいない。そして予告から違和感しかなかった主題歌も合ってなくて監督の狙いが分からなかった。
自己責任社会を問う、意義ある映画
この映画、自分が所属する映画合評会8月の課題映画でした。いわゆる映画通の会のメンバーからは、作中のプロットや設定に関する無理筋やほころびを指摘する少々ネガティブな意見もありました。
でも、私は30歳の若い松本優作監督がこの映画を作った意義はとても大きいと思います。
映画の中から一番感じ取ったのは、この10数年この国に蔓延る、何かが起きた時の「自己責任」を問う雰囲気、同調圧力、そういう圧をかける元凶となる「匿名性の下の監視社会」への問いかけでした。
映画の話に戻します。
主人公は13歳の少年。母親のネグレクトによる、施設での生活をしていますが、この生活が嫌で「母親が迎えに来ない理由」を確かめに訪ねて行くが、邪魔者扱いで施設に戻されそうになる。見放され、お金もなく、行くところもない…苛酷な状況に追い込まれます。
しかし、母親を探した先の土地で自分と同じ寂しさを抱えるホームレスのおっちゃんと、孤独な女子高生とに出会います。
少年は、二人にシンパシーを感じ、心の平安を得て自立に踏み出そうとするのですが、大好きで頼りにしていたホームレスのおっちゃんが焼死するという悲劇が起き、主人公は放火の疑いで警察に捕まってしまいます。
放火の犯人は映画の中では特定できません。観客に問いかけているのです。
ストーリーの登場人物がやったようにも見て取れるのですが、私には、そういう単純な話ではなく、誰が良い者か悪者か非常に分かりにくくなっている今の世の中の「普通に暮らしている人」の誰かがやったのだと思えました。
ホームレスの存在を自分の身近な場所で許さない、だから焼いて消す…という排除の論理です。
匿名性が許されてしまう今の社会の「あいつゴミだから」「汚くてキモいから」「目につくとむしゃくしゃするから」という、そんな動機で殺人が起きてしまう。この映画でのクライマックスは、今の社会の病理を描いたものだと私なりに解釈しています。
(過去に起きているホームレス襲撃やバス停での殺人事件も同じ病理)
そして、母親に捨てられたこと、大切なおっちゃんを死なせたこと、そういう一連の事を「ぜんぶ、ボクのせい」と、中学1年の少年にラストで言わせる。
これが、冒頭で言及した「自己責任社会」です。
この国のセーフティネットの無さ、富む者と貧しい者との格差や分断を解決せず「自己責任」で片付ける今の日本社会では、孤立による痛ましい事件が確実に増えています。この1〜2年では「無差別な集団巻き添え殺傷事件(大阪の心療内科放火事件や、小田急線京王線の刺傷事件)がその例に当たると思います。
映画は、この社会の写し鏡のようなセリフで、締め括られているのです。
(考え過ぎかもしれませんが、社会的受け皿の無さとしては、もしかすると、監督は、今映画に携わる人達の労働環境の酷さ等も考えた警鐘もあるのでは、と思ってしまう部分もありました。)
何も示唆のない、軽い邦画もたくさんあるなと感じる今の日本映画界で、若手がこういう作品を作ることに、「どうか負けないで歯を食いしばって欲しい」いう思いや「問題から希望を生む一筋の光になって欲しい」という思いを、勝手にですが十分過ぎるほど受け止めました。
監督の次回作や今後に期待したいです。
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