アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場 オリジナル・ディレクターズ・カット版のレビュー・感想・評価
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フィンランド歩兵小隊の視点から見た対ソ連戦
フィンランドといえば、森と湖の国、または作曲家シベリウスしか思い浮かばない。フィンランドとソ連が戦争を行ったこと。及び「敵の敵は味方」でフィンランドがヒトラードイツと同盟したなんて、始めて知った。もともと、ソ連・ロシアは領土拡大を図るため、自国周辺の小国を侵略していた。そのうちの1つがこの映画で描かれた。 その史実を確かめるため、バンフレットを買おうとしたけれど販売されていなかった。 映画チラシを読むと、原作はフィンランドの国民文学で原題は「無名兵士」。 地上戦・塹壕戦の過酷さはよく描かれている。但し、戦闘は同じことの繰り返しで、ちょっと厭きてる。もちろん、人が殺されていくので心が痛むけれど。戦争を実際に経験したことがないので、現実の戦闘はこの映画の描写の通りなのかわからない。 ソ連の戦車T34が歩兵による爆弾で破壊される。そんな簡単に戦車がやられるのか疑問に思う。盛っている気がするけれど、実体験がないのでよく分からない。 古参兵ロッカの活躍に素直に感情移入できた。負傷はしたが、生還でき妻と子供たちに会うことができて良かった。先に書いたが、戦闘は同じことの繰り返しだ。殺すか殺されるか、状況は違っているけれど。 観客が兵士に感情移入できるなら、成功だろう。3時間は長かったけれど、鑑賞料金にはみあっている。
人類はよほど早く絶滅したいようだ
とてつもなく重い作品だった。180分という長さもさることながら、登場する兵士たちが命の危険にさらされながら、常に最前線で戦い続ける緊張感に、観ているこちらまで疲れ果ててしまう。 国内外の戦争の記録を分析している作家の保阪正康さんによると、戦場に行ったことのある軍人は、なるべく戦争を避ける傾向にあるそうだ。そういう軍人にとって軍事力はどこまでも抑止力でなければならない。実際に戦争に向かおうとするのは戦争体験のない人間ばかりだ。 役所広司が主演した映画「山本五十六」では、日露戦争の日本海海戦に参加した経歴のある山本五十六は、戦勝よりも講和第一を何度も口にしていた。ヒロシマ・ナガサキの被爆者や沖縄戦で生き残った人々は、言うまでもなくみんな戦争反対である。 そして本作品に登場する兵士の多くも、やはり戦争反対である。兵士は殺人マニアでもシリアルキラーでもない。ソ連の国民を憎んでいる訳でもヒトラーと同盟したい訳でもなく、人を殺したい訳でもない。ただ命令された場所に行く。そして戦闘になる。殺されたくないから敵を殺す。 兵士にとっても民間人にとっても戦争は理不尽だ。国際紛争を解決するために戦争という手段を取ることそのものが理不尽なのである。 家族間で揉めたら殺し合うだろうか。もちろんそういう事件もある。しかし大抵は互いに相手の権利を認め、話し合って妥協点を探す。国際紛争でもおなじだ。相手国の権利を認めて話し合う。 話し合いができない暴力的な国がいたらどうする?というのが国家主義者たちの論理だ。しかし国の構成員は個人である。大抵の個人は殺し合いより話し合いを選ぶ。それが国家になるといきなり戦争に飛躍するのはおかしい。戦争したい人間が政治を決めているからに違いない。 戦争したくない人間を政治家に選べば、当然ながら戦争は減る。この自明の理がわからない人が世界中にたくさんいる。他国が攻めてくると考えるのは、現代ではほぼ被害妄想である。 戦争は、頭の悪いヤクザみたいな政治家が、国民に被害妄想を植え付けることからはじまる。自分の権力維持のためである。外敵を想定すれば国民は一致団結すると思っているのだ。人間は弱いから、被害妄想に抵抗できない。そして国には軍事力が必要だと考える。軍事力のエスカレーションは戦争への一本道だ。 しかし話し合いに軍事力はいらないという当然のことに世界中の人間が気づけば、戦争でたくさんの人が死なずにすむ。非軍事化の道にこそ人類の未来はあるのだが、現実はその逆の道に進んでいる。人類はよほど早く絶滅したいようだ。
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