EO イーオーのレビュー・感想・評価
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イーオーよどこへ行く?
ポーランドの巨匠とはいえ、重厚なものもあれば、常識で推し量れない怪作や奇作も多いスコリモフスキ監督。「EO」もつぶらな瞳をしたロバがサーカスから離れてトボトボとさまよい歩くというなんとも動物ファンタジー的な趣きだが、可愛らしい仕草も数多くあれば、それとは一転して人間が巻き起こす騒動や悪事を見つめたり、ギョッとする暗視スコープ風の映像や、はてにはEO自身がロボ化してしまったかのようなシュールな描写までてんこ盛り。いちいち頭いっぱいに「?」を抱えこんではキリがない。あらかじめスコリモフスキ作品であることを認識した上で、全ての「?」を柔軟に受け入れ、人間の生態をちょっと離れたところから観察するこの”ひととき”を味わいたい。なお、ブレッソンの『バルタザールどこへ行く』からの影響は一目瞭然。その昔、この映画の鑑賞時に涙を流したというだけあり、スコリモフスキにとって本作が念願の企画だったことが窺える。
流離うロバがそのつぶらな瞳に映し出すものとは?
サーカス団が閉鎖されたために居場所をなくしたロバのEOが、馬小屋、農場、木が伐採され続けていく森、サッカー場、病院、伯爵婦人が住む豪邸、ダム、そして、屠殺場と転々としていく。 サーカス団が閉鎖されたのは動物愛護団体の抗議が原因だが、そのために外の世界に蔓延る人間社会のさらなる矛盾とエゴをEOは目の当たりにしていくという設定は、予測の範囲内だが、物言わぬ動物のロードムービーはスリルに満ちていて最後まで目が離せない。動物好きは時々目を背けたくなる場面があるが、勿論、動物たちの安全は担保された上で撮影されているのでご心配なく。 EOが迷い込んだ森ではハンターたちがレーザー照射で動物たちを狙っている。サッカー場に迷い込んだEOがPKを妨害したことから負けチームにボコボコにされる(そのものスバリは映さない)、やがて、屠殺場に連れて行かれる。生々しくも痛々しい場面に次々と遭遇していくEOが、その都度、つぶらな瞳に恐怖と憂いを湛えているように見えるのは、監督のイエジー・スコリモフスキが仕掛けた演出的な秘策なのか、それとも、そもそもロバは感性が豊かなのか、そこに本作の魅力が凝縮されている。 『EO』は『帰れない山』と共に昨年のカンヌ国際映画祭で審査員賞を分け合った。2作品は偶然同時期に日本で公開され、一方では「ザ・スーパーマリオブラザース ザ・ムービー』や『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー VOL3』が拡大公開されヒットしている。両分野はまるで異なるし、客層も違うだろうが、個人的な意見を言わせていただければ、どっちも間違いなく面白く、全く別方向へいい案配に振れている。これだけは伝えたいと思う。
凡百の会話劇より雄弁な、ロバの瞳に映る世界
タイトルにもなっている主人公のロバの名前「イーオー」(ポーランド語の原題はIO)は、ロバの鳴き声に由来する。ちなみに「くまのプーさん」に登場するロバのぬいぐるみのキャラクター「イーヨー」も、英国でのロバの鳴き声の表記"eeyore"にちなんだもの。偶然の一致かもしれないし、イエジー・スコリモフスキ監督がイーヨーを意識したのかも。 もっとも、スコリモフスキ監督が公言しているように、ロバの視点を通じて人間の暴力性や愚かしさを描き出す基本姿勢は、1966年のロベール・ブレッソン脚本・監督作「バルタザールどこへ行く」にインスパイアされた。ブレッソンの映画はドストエフスキーの長編小説「白痴」に着想を得ており、一方で“バルタザール”は新約聖書の東方の三賢人(または三博士)の一人の名前。ロバに「聖なる愚者」が重ねられているなら、「EO イーオー」のストーリーから2018年のイタリア映画「幸福なラザロ」などを想起するのも当然だろうか。 ロバのイーオーはもちろん台詞を発しないし、内面を代弁するナレーションもない。イーオーに話しかける人のモノローグや、イーオーが行く先々で出会う人々の会話はあるが、体感で本編尺の半分以上は台詞に頼らずイーオーの大きくつぶらな瞳から見える世界を綴っている。撮影監督ミハウ・ディメクの詩情豊かな映像は実に雄弁で、繊細なサウンドデザインも相まって、台詞のないシークエンスにも引き込まれ続けて飽きることがない。観客の想像を促す余白とはよく使われる言葉だが、本作の余白も豊穣で多くを考えさせる力に満ちている。 動物愛護派や自然エネルギーに対するシニカルな言及も含まれる。常識や社会通念にとらわれず、純粋な眼差しで世の中と自らの生を見つめなおすことの大切さを説かれているようでもある。
鬼才の考えることはよくわからん
鬼才の考えることはよくわからん。いや、動物愛護は必ずしも動物のためにやっているのではない、というメッセージは痛烈に伝わってきたが。 ロバ目線だけではなく、ロバの妄想も混ざっていて、途中で混乱した。何度も巻き戻して同じシーンを確認しながら見ていたので全部見るのに2時間ぐらいかかってしまった。 途中、違うロバが出てきたような気がしたので、もしかしてロバの群像劇かと思ったらそうではなかった。エンドロールで結局、6頭のロバが分担してイーオー役を演じてたことを知った。 カサンドラのイーオーの撫で方が官能的でちょっとちょっとこれってそういう映画なの?と思った(もちろん違います)。
ただじっと人間の愚かな行動を見据えている
ロバは知能が高く、相手を見て態度を変えるらしい。好きな相手にはなつくが、嫌いな相手からの指示は無視するらしい。そういえばこの作品でも、しばしば気に入らないのか暴走するシーンがあった。好きな相手でないと餌も食べないシーンもあった。 最初のサーカス団の女の子の飼い主が好きだったのだろうな。そこから放浪の旅に出るわけだが、その後は誰に対しても心を許さなかったように見える。 ロバの目から見た人間たちの軽薄さ、あざとさ。まるですべてを悟っているかのようなイーオーの目が優しくて切なかった。人間たちにいいように扱われ、自分の主張などこれっぽちも充たされないのに、彼は厳然と人間と相対している。その姿をイエジー・スコリモフスキ監督は、とても優しいまなざしで描いている。 馬のようにわななくこともなく、ただじっと人間の愚かな行動を見据えているイーオーの姿に、完全に魅入ってしまった。 そして、最後には自然と共生していく姿が心に強く残った。
「ロバの目を通し」ということだが、実際にロバ目線になっているのはご...
「ロバの目を通し」ということだが、実際にロバ目線になっているのはごく一部分に過ぎない。 また「人間の愚かさ、社会の不条理を描く」というようなメッセージ性もほとんど感じなかった。 残念な作品。
映像と音楽
電子音とアコースティックの絶妙なブレンド具合。環境音と楽音のモーフィング。 映像と音楽に心を鷲掴みにされたまま、あっという間に見終えた。ちょうどいい長さだった。 美しい作品である程、瑕疵が目に付いてしまう。丘を駆け上がって朝日を見つける時のよくあるカメラワーク、風力発電機といえばこれでしょみたいに鳥の死体をポンと眼の前に出すショットは姑息と言おうか安直と言おうか、恍惚としている中で目を覚めさせられた。
World according to ロバ
いななき(ギャヒィぃぃいいん!みたいな結構大きい声)はあげるが物言わず、大きくもなく小さくもなく荷物を黙々と運ぶロバのEOが見えてるものを見る映画。 OEのロバ生は基本的に他者に決定されて、それに対してただ生きている様を見る。ランダムに運命を左右されるが、ロバでも生きてくのは易くは無い。
意味がさっぱり分からなかった EOが次の飼い主に渡る理由も描かれな...
意味がさっぱり分からなかった EOが次の飼い主に渡る理由も描かれない事が多いし、 行き先での人間ドラマ?も説明がなく何の感情移入もできないし、そのドラマもつまらんし。
令和の『子猫物語』
見ながらずっとムツゴロウが監督した『子猫物語』のことを思い出していた。 「あんなコンプラ無視の動物虐待映画と一緒にしないで!こっちは動物愛に溢れた文芸映画なんです」 と言う声が聞こえてきそうだが『子猫物語』だって作られた時はスタッフ一同、真面目に動物愛に溢れた文芸映画を作ってるつもりだったはずだ。私は公開時に劇場で見てるんで分かる。 しかし時が流れてみると『子猫物語』が動物虐待の代名詞になってしまっているように、この『EO』も五十年後に見たら「映画撮影という名の下に馬やロバを無理矢理映画に出演させている!とんでもない映画だ」ってことになってるかも…。
オトナ向けの環境アート系
“動物愛護”の名の元に、翻弄される一匹のロバの物語。 愛してくれる人と引き離され、生まれ育った場所から色々な施設へ、 転々とさせられる理不尽さ。 言葉を使わないロバの目線で淡々と描かれるのでセリフはそれほどありません。 赤と黒の光の明滅が印象的で、壮大な景色と音楽でアート感あります。 もの言わぬ動物が酷い目に合され続けるなんて…絶対泣く そう思っていたけれど、実際は意外と涙は出なくて、EOの眼差しの他に、 人間に世話されている馬、毛皮を取るために飼われている狐。 どの動物も幸せそうには見えない。 EOが現れるのが唐突な場面も多々あったけれど、ファンタジーっぽさも必要だよね。 エンドロールの最後に、 「本作は動物と自然の愛から生まれました。撮影でいかなる動物も傷つけていません。」 そして、EOを演じた6匹のロバさんがクレジットが。 主役だからと1匹を追いかけまわして撮影したわけじゃなく、 動物のペースを大切に、大切に扱っていたんだなと確認できてほっとした。
無垢なロバの視点で描く映像が、意外に前衛的で驚かされる一作
一頭のロバがさまよう最中に出会った人々が、ある種勝手に騒動やドラマを繰り広げるという、一種の「彷徨もの」と呼んでも良いような種類の作品です。 無垢なロバの視点から人間社会を描くということで、もちろんそこには文明批判の視点も含まれているのですが、撮影監督ミハウ・ディメクが描くロバ”EO”の見る世界は、時に前衛的だったり、実験映画のようでもあったりして、むしろ人工性をばりばりに打ち出しています。かわいいロバのつぶらな瞳を愛でたいと劇場に足を運んだ人の中には、度肝を抜かれる人もいるでしょう(もちろん、かわいいロバの姿もたっぷり堪能できるのですが)。 ロバが主人公であるなど、本作はイエジー・スコリモフスキ監督が原案としたと表明している、ロベール・ブレッソン監督の『バルタザールはどこへ行く』(1966)の物語的骨格を忠実に引き継いでいます。さらに、彷徨した先で生じる事件を描いていくというリニアな構成と新奇性の高い映像の組み合わせという点では、『異端の鳥』(2019)も連想させます。無垢なるものに対する人間社会の暴力的な介入という面でも。 公式ホームページには、ロバ牧場のリンクも貼ってあるんだけど、本作見た後で心置きなくロバを愛でることができるかというと、ちょっと複雑な気分…。
ロバさんの幸せって。
予告映像の幻想的な色と空間に惹かれて鑑賞。ロバって本来どういう動物だっけと考えながら、意志を持つ脱走の旅路のあまりに不穏な幻想と悲しみを大きな瞳と共に延々と見つめ不本意なラストへ。人間愚かしや。ドローン撮影な場面は酔うわ。。
ロバの目線を通して描く現代の寓話
ロバのEOのつぶらな瞳が非常に印象的な映画である。果たしてその瞳には、人間の醜い争いや理不尽な行為がどのように映ったのだろうか?物言わぬ動物ゆえに澄んだその瞳が雄弁に語る。鏡が人の心を映すが如く、そこにはきっと人と世界の真実の姿があったのだろう。 本作はロベール・ブレッソンの「バルタザールどこへいく」をモティーフに、ポーランドの鬼才イェジー・スコリモフスキが製作、監督、共同脚本を務めて撮り上げた作品である。 確かに「バルタザール~」の影響をかなり受けているように見えるが、ミニマリストの作家ブレッソンに比べるとスコリモフスキはどちらかと言うと映像派作家である。所々に幻想的な映像やシュールなシーン、人間の目線では決して捉えることができないような大自然の神秘的な美しさを配しながら寓話性に満ちたドラマに仕立てている。 例えば、真っ赤なトーンが横溢するオープニングシーンからして一種異様な禍々しさを感じるのだが、以降も”赤”は様々な場面で印象的な使われ方をしている。 カサンドラとの再会シーンでは、彼女の顔をバイクのテールランプが真っ赤に染め上げ、かつての純粋さが失われてしまったことを鮮烈に表現している。中盤の森、風車等を捉えた空撮映像、4本足のロボットの悪夢。後半では家畜を運ぶトラックの内装が真っ赤な照明で染め上げられていた。 他にも、本作で面白いと思った映像は幾つもある。 森の中に迷い込んだEOを狙う狩猟者のレーザー照射には不気味な怖さを覚えるし、古い建造物の地下に突如として現れる長い通路、豪水が滝のように流れるダムのシーンなんかも超然としたシーンで印象に残った。 こうしたシュールで禍々しいトーンが横溢する本作は、セリフが少ないからこそ余計に寓話性が際立ち、結果として独特な作風の作品になっている。 一方、物語も軽快に展開され最後まで面白く観れた。 「バルタザール~」はどちらかと言うと善人と悪人がはっきりとしていたが、この「EO イーオー」は人間の善と悪の二面性を強調した作りになっている所が面白い。 優しかったカサンドラはサーカス団を辞めてすっかり変わってしまったし、家畜を運ぶトラックドライバー、若いイタリア人司祭も善良な一面を見せる一方で下心や放蕩癖があったりする。こうした二面性は動物にはない人間特有の物だろう。EOがどこまでそれを理解し得たかは謎だが、しかし彼らを見つめるつぶらな瞳はすべてを見透かしているように気がしてならなかった。 それにしても、あのままサーカス団にいればEOは幸せだったのかもしれない…と思うと、このラストは何とも皮肉的である。彼がサーカス団を追われた原因は、動物愛護団体の批判を受けてのことである。それが結果的に彼を追い詰めてしまったのであるから、何とも居たたまれない話である。 現実世界に目を向けてみれば、環境保護団体や人権団体等、良かれと思って声を上げる人々がたくさんいる。しかし、彼らの運動が必ずしも世界を正しい方向へ導くとは限らない。作中ではそのあたりの矛盾を明確に提示しているわけではないが、そんなことも考えさせられた。直接関係はないが、昨今の小人プレレスやF1のグリッドガールの件を連想してしまった。
新しい映像体験ってこういうのを言うんだね
サーカス団で飼われていたロバのEOは、動物愛護団体のありがた迷惑な活動によって法律が変わり、牧場で保護されることになった。 元飼い主の女の子が会いにきてくれた事がきっかけで、女の子の後を追いかけて牧場を抜け出してしまう。 道中に猟師に撃たれたキツネ、サッカーの試合で一方では勝利のロバと持ち上げられて、もう一方の負けたチームから「お前のせいで負けた」とボコボコにされる。 治療されたが、後に奴隷のように労働させられたので逃げ出す。 売られて、移動中のトラックの運ちゃんが良心と下心から少女に食事を与えると、少女をエサにした強盗に殺される。 等など、EOがそこにいるだけで人間が勝手にトラブルを起こし、悲惨な結果が立て続けに起こる。 最後は牛の群れの中で戯れてるのかと思ったら、屠殺場の列に並んでいてオバちゃんに「早く行け」とムチでぶたれて、建物に入っていくところでエンド。 苦難を乗り越えて、最後に飼い主の元へ辿り着く、というようなハッピーエンドの可能性もあるかなと思ったけど、ひたすら本人と関係なく世界が進むという理不尽な展開で終わってしまった。 ロバの視点と心のイメージみたいなものが、新しい世界の見え方のように感じられて、斬新な気分を味わえました。 もう一度見たいと久しぶりに思った。
【人間の愚かさをロバの視点から描いた、超シニカル・ロバ・ロードムービー。道中会った、伯爵夫人を演じたイザペル・ユペールが魔女の如く怖いです・・。】
ー ご存じの通り、ロバと言えば愚鈍の象徴である。だが、今作はそのEOとサーカス団で名付けられたロバの視点から、人間の愚かさを喝破した作品である。- ■サーカス団から”動物愛護”の名の下、連れ出され放浪を余儀なくされるEO。人間の愚行と暴力に満ちた夜の街や山で、屡命の危険に晒される。 ◆感想 ・鮮烈な丹や、ダムの前でのシーン等可なりアーティスティックな作品である。 ・だが、スコリモフスキ監督のメッセージは冒頭のシーンで直ぐに分かる。 ー 動物愛護の名の下、サーカス団を解散させるときに、わざわざ写真を撮らせるお偉いさんたちの姿。- ・サッカーで贔屓のチームが勝った事に喜ぶ人達に、偶々いただけなのに、宴会場に連れていかれて、挙句の果ては相手チームのサポーターの殴り込みを受け、EOも傷つくシーン。 ・EOが殺処分された狐たちを運ぶシーン。突然止まったEOは係の男の顔面を蹴り、男は失神。だから、要諦類の後ろに居たら、駄目なんだって!危ないから! ■伯爵夫人を演じたイザペル・ユペールが息子に対し、接するシーンは怖かった。皿を割りながら、息子を責めるイザペル・ユペール。いやあ、堪りませんな。 <ラストのテロップが、コレマタシニカルである。 ”この映画は動物と自然の愛から産まれました・・。” 嘘つけ! 今作は、愚かしき人間の数々の行為をロバ目線で描いたロードムービーなのである。> <2023年7月2日 刈谷日劇にて鑑賞>
愛玩動物ではないがゆえに
動物放浪映画は数あれど、大抵は元の家族のところに帰るだとか、新しい居場所が見つかるというストーリーの縦軸がある。本作にはそれがなく、eoは常にアテもなく転々としている。 eoの立ち回り先で垣間見える人間模様を、オムニバス的に繋ぐのが彼の役割なのかも知れない。 経済動物であるが故、放浪していればすぐに人間に拾われ自然の厳しさに晒されることはないが、その身柄はやはりど不安定。必ずしも愛情や親切で拾われるとは限らないeoの役割を、犬や猫のではなく「ロバ」にしたのは絶妙なチョイスだと感じた。
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