「米国中西部オレゴンで美術学校に勤める塑像作家のリジー(ミシェル・ウ...」ショーイング・アップ りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
米国中西部オレゴンで美術学校に勤める塑像作家のリジー(ミシェル・ウ...
米国中西部オレゴンで美術学校に勤める塑像作家のリジー(ミシェル・ウィリアムズ)。
個展に向けて最後の追い込み中。
同じく現代アートの作家ジョー(ホン・チャウ)の家を間借りしているのだが、ある朝未明、飼い猫が鳩を弄んでいるのを玄関口で発見。
「死ぬなら別のところで死んで・・・」と窓から瀕死を鳩を放り出したところ、朝になって、ジョーがくだんの鳩を発見した。
手当したいが出かけなければいけないジョーに代わって、リジーが鳩の看病をする羽目になってしまう・・・
といったところからはじまる物語。
ポイントはふたつ。
ひとの生活に潤いを与えるのが芸術なのだが、その芸術作品を作り出す芸術家が、どうにもこうにも疲弊しており、余裕などないという矛盾。
もうひとつは、鳩のエピソードに秘められた、加害者としての米国人から来る後ろめたさ。
後ろめたさを払拭するように行動するがゆえに、さらに疲弊してしまうという悪循環が描かれ、心を病んだリジーの兄ビル(ジャド・ハーシュ)のエピソードなど、両親との確執など、もっとドラマティックになりそうな題材にもかかわらず、ドラマ性は薄い。
本作鑑賞前に、ライカートの旧作『ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択』を再鑑賞したのだけれど、ライカートは本質的には中編レベルの長さの監督のようで、本作では幾分間延びした印象が拭えず。
傷ついた鳩はいつしか回復し、リジーの個展初日に、幼い兄妹が籠から出してやるのだが、ケン・ローチだと絶対に壁かガラス窓のぶつかるよね、というところ。
これが、まぁ、そうならないあたりがライカートの良さなのだが、ある種の能天気さも感じられます。
そう、加害者としての後ろめたさと、どこかなんとかなるかも的な能天気さ。
本作でも、米国の本質がきっちり描かれていたんですね。