逆転のトライアングルのレビュー・感想・評価
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お下劣上等、最後までキレッキレの風刺劇
冒頭のH&Mとバレンシアガ(などの高級ブランド)のモデルの佇まいの違いと、飲食店での支払いに見る性別での偏見の話で、個人的につかみはOK。
ヤヤとカールのあの喧嘩は、男女の会話のすれ違い方としてものすごくリアリティがある。それに、カールの側に勘定書を置くウエイターに始まる、男性が支払うのが当たり前という空気、モデルの性別による報酬額の違いなど、何故かあまり騒がれない男性差別の話やそのことを本音で話す時のジレンマをいじって見せたのが面白い。
ファッションショーで誇示される意識高い系キーワードの羅列も絶妙なバランスで安っぽく、皮肉が効いていた。
この後、船が遭難して人々のヒエラルキーが逆転するというところまでは前宣伝で分かっていたが、この遭難までが結構長い。船上での濃いメンツのふるまいが、尺を十分取って皮肉たっぷりに描かれる。遭難後が物語の唯一のメインというわけではなく、船内での人間描写にも同じ程度の比重が置かれているように思えた。
妻と愛人を引き連れたオリガルヒ、上品そうないで立ちで大量殺戮兵器の商売話を平然とする武器商人、アプリ用コードで当てた一人旅の成金。仕事中のクルーを上から目線のお節介で泳がせようとする鼻持ちならないご婦人。
そんな彼らを乗せた豪華客船の船長は、何故か酒浸りで船室に引きこもっている。
見ているこちらのフラストレーションがいい加減高まったところで、少しずつ船内に異音が響き始め、みんな斜めになる。そして、地獄のキャプテンズ・ディナーの始まり始まり……
いやね、鑑賞前に本作のサイトを見た時、画面全体に散らばってるこのキラキラしたのって何だろうな、とは思ったんですよ。で、何となく、汚ネタかなと思って覚悟はしてた。
あのシーンは、傾斜する回転台の上に作ったセットで、13日間かけて撮影したそうだ。セットの上にずっといたスタッフも船酔い状態。「出物」については役者の口にチューブを付けたりCG処理したり、といった方法を取ったそうだが、聞きたくない情報をひとつ。ベラ(テーブルに向かって最初にえずいていたオリガルヒの奥さん)役のズニー・メレスのはリアルだそうです。
”無人島”に漂着してからは、火おこしや漁の技術を持った清掃スタッフのアビゲイルが覇権を握る。食料と引き換えにカールを侍らせたりしてなかなかの女王ぶりだ。生きるために重要なものが変化すれば、力関係も変わる。
ラストは、ヤヤの台詞が効いている。エレベーターの発見をアビゲイルと友人同士のように喜んだヤヤだが、結局、彼女はアビゲイルを「支配される側」だとナチュラルに、悪気なく思っているのだ。
結末に想像の余地を与えてくれる疾走エンドがいい。まあ、アビゲイルはやったでしょうね。
意識高い系の薄っぺらさや富める人々の無自覚な傲慢さを切りまくる本作だが、ヤヤとカールの冒頭の喧嘩はオストルンド監督自身の体験が元になっていたりする。ちょっと自虐も入っていて、批判対象を笑い飛ばせど上から目線で糾弾する雰囲気がないのがこの監督の賢明なところだ。監督はインタビューでこう言っている。「誰もがこの世にいる限り、無実でいられないとも思う。僕はこういう映画を作りながら、僕自身を批判している。なぜなら僕もこの世界の一員だから」
本作が遺作になったチャールビ・ディーン。お腹にうっすら手術の傷跡があるが包み隠さず堂々とビキニを着こなしていて美しかった。
感想メモ
面白かった!
原題はTriangle of sadness 眉間のシワのこと、モデルオーディションの時に言及されていたし、船が沈没後のカップルとアビゲイルの関係性を表したタイトルで良い、邦題も船が沈没後の権力構造の逆転を表していて良い
3章仕立てで、1章目はカールとヤヤのカップルの話
レストランでどちらが金を払うかという話とモデル界での女尊男卑の話とが合わさってかなり激しいやり取りになっている
隠さず話して、っていう割に言いたい事言ったら不機嫌になる感じとかリアルで見ててハラハラする
2章目は豪華客船での出来事
リッチで厄介な客、クソ売り、帆が汚れているという客、帆は付いていないのに、船員を海で泳がせるロシア人
上裸でタバコ吸ってたら船から降ろされた船員、ある意味幸運だったな
ディナーのシーンはゲロ注意、直視できない
自分の会社が作った手榴弾で爆発させられるセレブ、皮肉なもんだ
共産主義、資本主義の話は3章にも通ずるテーマになっている
お待ちかねの3章は船が沈没後たどり着いた島での生活
セレブ達は何もできない、魚を獲ったり、火を起こしたりできる清掃員の女が権力を握る
若くてイケメンのカールにセックスの代わりに食糧を与える
最後アビゲイルがどういう行動をするのか!気になる終わり方で余韻があり良い
ヤヤが島から帰ったら雇ってあげるよー、とナチュラルに階級を感じさせる発言をしていて不安、不穏
最後カールが全力疾走していたのも意味深
入れると出すの繰り返し
第一部は
“行き過ぎたルッキズム”“食べ残しよりもインスタ映え”“奢る奢られ論争”と、昨今のSNSでホットになった話題を扱ってました。メインキャストも若者でしたし、after internetがテーマなんですかね。
第二部は
資本家と労働者の対比が強烈で、これはタイタニックのパロディですか?さすがに三等客室は無さそうでしたが、前時代的な価値観を持つ成金がメインキャストでした。いやー、彼らをここまで醜く化石の様に描くのはなんだか清々しいですね。酔っ払い(アルコール)やブランド品も今となってはなんだか古臭いものですしね。しかも、乗客である武器屋(戦争屋)が売った手榴弾で乗っていた船が沈むというおまけ付き。ブラックすぎるでしょ。資本主義vs社会主義論争が出てきたあたりも、資本主義黄金時代と崩壊した社会主義の両者を皮肉っているのでしょうか?
第三部は
まさに狩猟採集時代でした。第一部・第二部でイキってたモデルも資本家もその価値はだだ下がり。無人島でサバイブできる人間がトップに立つというとてもシンプルな権力構造でした。男も女も関係なく、権力を持つと若い人とセックスできるのも普遍的なんですかね。セックスってそれくらい支配的なもの。それに権力者はいつの時代も邪魔者を殺したいもの。
良く考えてみたら人間は、食べる、排泄する、セックスする、出産するなど、入れると出すの繰り返しで生きているんですよね。これは客船の嘔吐のシーンで思ったんですけどね。そんな本質を忘れちゃって、お金や美貌、セックスに振り回される愛すべきお馬鹿な人間。
さすがリューベン・オストルンド監督だけあって、想像以上にパンチが効きまくってました。でも、人間に対する愛はほんのりと感じました。本作を鑑賞した弊害は、ずっと船旅をしてみたかったのにしたくなくなったことですかね。
多彩な登場人物だが・・
パート1:カール&ヤヤ(26分)、パート2:ヨット(1時間)、パート3:島(1時間)の3部構成。冒頭から上半身裸の男性モデルが多数登場、オーディションの様なシーンは気色悪い、何なのだろうと半信半疑。ファッションモデルのカールとヤヤ、相思相愛のカップルかと思ったらレストランの支払いをめぐって一悶着の怪訝なカップル、次は豪華客船の旅、大富豪や船のスタッフたちが繰り広げる皮肉たっぷりのブラックコメディが見せ場なのだろう、続いて船が海賊に襲われ爆破、近くの島に漂着した、カールとヤヤ、富豪とスタッフなど8人のサバイバル篇、中でも掃除婦のアビゲイルが魚を捕まえたり火をおこしたりするなどのスキルを発揮し皆を采配することに、船の中とは異なるヒエラルキーの逆転ということかな。
てっきり無人島かと思ったら、ヤヤが崖にエレベータを発見、なんとリゾート・アイランドだったの?、支配を続けたいアビゲイルがヤヤを襲おうとしたり、森の中を走り回るカールのシーンでThe END、恐らく助かったのだろうが良くわからない終わり方でした。
カンヌでパルムドール受賞など評価は高い映画らしいが、個人的には登場人物に興味が持てず無駄に長いだけの俗っぽい群像劇でした。
「バルタザールどこへ行く」をリスペクトしてるね。
・フローレンスダイヤモンドが28000€!!
・生牡蠣はやはり銚子の岩牡蠣だね。スリル満点で美味い。
・社会主義の難点は最終的に他人の金を使い果たす事。
間抜けでシュールなブラックユーモア。
しっかりした脚本だと思うが、使われるユーモアのネタが古すぎるしありきたり。
「二年間の休暇」と言うよりは「蝿の王」ですかね。
追記
色々な国をディスりまくるが、スウェーデンの映画だそうで、ロシアの件で一番冷静でいてもらいたかったお国。
因みに、兵器大国と言っても過言で無い。
キリスト教に於けるロバはジーザスへのアプローチ。それを食するとはかなりタブーなのか?
眉間のシワ
原題「Triangle of Sadness」は眉間のシワのこと。苦労すると眉間にシワが寄った人相になる的なことらしい。邦題は「逆転のトライアングル」で、映画の中で起きる出来事を想起させるようなタイトルになっているが、リューベン・オストルンド監督が本当に描きたかったことはむしろ「苦労が人を変える」ということにあるんじゃないかと思う。
でも「眉間のシワ」っていう邦題じゃあ、いくらパルムドールでも売れないよな。「眉間のシワ」て。
簡単に書くとこれで終わっちゃうので、なんで私が「苦労が人を変える」というテーマにたどり着いたのかをつらつら書くことにしよう。
着目したのはチャールビ・ディーン演じるモデルのヤヤ。彼女のラストシーン、掃除のおばちゃん・アビゲイルに対して「あなたには感謝してる」「あなたの為にしてあげられることを考えていた」というセリフ、登場した時のヤヤからは考えられないセリフであった。
ヤヤは無自覚に傲慢なモデルとして登場する。同じくモデルの彼氏・カールとの食事ではスマホに夢中で、「私がご馳走するわ」と言ったことも忘れ、仕方なく会計したカールの苦言には逆ギレ。
相手を慮る態度とはほど遠く、グルテンを摂らないのにパスタを注文し、インスタ用の写真を撮る。当然食べない。生まれついての自己中みたいなキャラクター、それがヤヤだったのだ。
船が遭難して、ヤヤの価値であった美しさなど何の意味もなくなる。不器用で力もなく、役立たず。グルテンの塊みたいなクラッカーを、カールが身を売って分け与えてくれることに縋り、生きていくことがやっとの状態はヤヤにとってショックな状況だろう。
他人のことなどどうでも良かった自分が、他人の情に頼って何とか生きている。そのことが、彼女を大きく変化させたのが、上に書いたラストシーンに集約されるのだ。
食べ物を入手することも出来ず、力仕事も向いていないヤヤだが、アビゲイルのリュックを借りて島内を探検するうち、遭難したと思っていたこの島がリゾートであったことが判明する。
後をつけてきたアビゲイルも同様に事実を知るが、そんな折にヤヤはアビゲイルに感謝するのだ。
この状況から脱出出来たら、多分みんな遭難する前の生活に戻るのだろう。ヤヤはモデルに復帰し、アビゲイルはまた低賃金でキツい仕事に就かなくてはならなくなる。
それ以前に、やりたい放題の女王だったアビゲイルは他のメンバーに仕返しされてもおかしくない。
いっそ、原始的でも頂点に君臨出来る今の状態を続けたい、とアビゲイルが考えてもおかしくない状況だし、現にリゾートへの入り口を見つけたヤヤに襲いかかりそうなシーンでもあった。
ヤヤがそんなアビゲイルに気づいていたのかは分からない。アビゲイルが自分の後を追ってきていたことさえ気づいていなかったかもしれない。
それなのにヤヤは今まで支えてくれたアビゲイルに、何か、恩返しになることをしたいと考えていたのだ。
自分に出来ることは、ほんの些細なことしか無いかもしれないけれど、それでもアビゲイルの苦労を軽減できるのなら…。
そんな風にヤヤが考えることになるなんて、最初に想像できただろうか。
アビゲイルは遭難前に苦労してきて、遭難というまた違った苦境に立たされ、能力が開花したことで傲慢さをさらけ出すようになった。
これもある意味「苦労が人を変えた」という変化なんだろう。
それに対してヤヤは遭難という苦労の中で、他人の有り難さや自分の無力さを痛感し、生きていくというシンプルな目的の為に、沢山の他人の力を借りていることを自覚した。苦労の中でも明るさを失わない人、自分に出来るベストを尽くそうとする人、自分が苦しい時にも他人の面倒をみられる人。
いつもの生活の中では気づけなかった諸々に、ヤヤは気づき、等身大の自分と向き合い、他人を思いやる気持ちまで獲得したのだ。
アビゲイルの「苦労が人を変えた」があまり良い方向に進んでいるとは言い難かったのに対し、ヤヤの変化は間違いなく良い変化だと言えるだろう。
監督はあえて誰か一人に焦点を当てないことで、映画の中で語られることを大袈裟に表現しない方法をとったのだと思う。
ヤヤの良い変化だけを切り取ると、なんだか胡散臭い説教映画になってしまうし、なんなら人間の愚かさを皮肉った部分の方が多いし、面白い。
しょーもない人間たちの群像に、キラッと光る微かな希望。そんな風味の映画だった。
わかる人には面白いが、万人受けではない
根底にあるのは権力のピラミッド構造と、その権力要素の変遷。
第一部はスノッブなヨーロッパ貴族社会、第二部は下品な成金、第三部は労働に支えられた共産主義。
それらを風刺画風に描いた作品。
だからゲラゲラ笑うのではなく元ネタに思いをはせてクスっと笑う作品。
最後のシーンが意味不明だとの意見があるが、
・脳梗塞の彼女は言葉が通じない/情報が伝達できないから現状を仲間には伝えられない。
共産圏や圧政圏での情報統制のアナロジーだから、ブランド物の行商人との邂逅は仲間には伝わらなかったろう。
・続くシーン、エレベーターを見つけたヤヤをアビゲイルは殺そうとするが、そのシーンは描かれない。
しかし社会主義や共産主義における施政者は、自ら権力を手放すことはなかった。
当然、アビゲイルもそうするだろう。
・最後にカールが走っているシーン、なぜ彼は走っているのか、が謎になるわけだが、そもそも閉鎖空間でアビゲイルとヤヤがどちらも相手を生き延びるためのチームとして見ている状況ではどちらも相手を殺すことは無い。だからカールは二人を送り出している。
閉鎖空間ではなかったと知って初めて、アビゲイルとヤヤの間の殺意が現実味を帯びて来る。
が、行商人のシーンがアナロジーとして挿入されたのなら、その情報は最後まで仲間たちには伝わらなかったはず。
としたら、おそらくアビゲイルがヤヤの死を事故による墜落死として伝え、その現場に走っている。
監督はそのあたりは好きなように解釈できるようにと説明を放り投げているけど、そういう「好きに理解してちょ」的な描き方は好きじゃないな。カンヌはそういう方が受けが良いけど。
面白かった。
観たかったけど劇場で観られなかった映画。
配信で観られるようになったので少しずつ観る。
内容知らずに観たので、一体この話はどこに行くのか??と思いながら。あらすじに結構内容書いてあったけど、ちゃんと読んでなかったから、かえって面白く観られた。
最初のヤヤとカールのやり取りから面白かった。船でのお祭り(?)シーンからの島に漂流、そういう話だったのか〜からの、最後までずっと面白かった。
話が進むにつれて、ヤヤが段々好きになる。カールも悪い奴じゃないんだよなぁとか、島でなんとなく男たちが仲良くなったりするところとか、最後アビゲイルとヤヤの山登りシーンのシスターフッド的な美しさとか、それもまたひっくり返るのか?!な展開とか、コロコロと変わる面白さ。
ヤヤ役の人がすでに亡くなっていると知って悲しい。
フレンチアルプスで起きたこと、の監督だった。というのをあとから知って納得。
最初は??
最初の方は何がなんだかさっぱり分からないけど、我慢して見ているうちにだんだん深みに入っていった感じ。しかしあんなに吐くシーンを映画で見せつけられたのは初めてだ!
船上では船長が業務放棄で「これはまさかタイタニックのようにならないよなぁ・・」と思っていたら本当にそうなってしまうし、最後は映画LOSTみたいになって。
まさかの連続。
色々な立場の逆転現象が次々と起きて面白かった!!
中でも掃除係の豹変ぶりには驚かされるが、極限状態だとそうなるのかなと思ってみたり。
結末はどうなったのか視聴者が考えてって言う終わり方。
若いモデルをしているカップルがレストランの支払いで揉めるという細かな出来事から始まり、次の場面では何故かその二人が豪華クルーズ船に乗っていて驚かされたし、こんなに先の読めない映画は初めてだったかも。そういう点でとても印象に残る映画でした。
ブラックユーモア全開
全体として大きな一つの流れがあるというよりは、主人公は同じの4つの連作短編くらいのテンション
①モデルのシーン
バレンシアガは怖い表情、H&Mは笑った表情
②カップルの会話
奢る奢らない論争
③クルーズ船
せっかくキャプテンになったのに金持ちの接待ばかりで嫌になったおじさん
兵器売りで儲けた穏やか老夫婦
良かれと思って船員に無理やり泳がせる老婆
最終的には船酔いにより嘔吐と下痢でぐちゃぐちゃ
④サバイバル生活
海賊により転覆
権力が新規に発生して、支配が生じる
どのシーンもどの会話もきれきれのブラックユーモア
かなり好み
最後の様子から
なかなか観るのに忍耐を要しました。
最後どうなるのか気になって、見届けました。
カールの様子は緊迫していたのですが、どうなったのかは想像するしかない!
ヤヤを始末したところで、いずれは誰かが見つけるでしょうしね。そんな浅はかなことはしないと思いますけど。
ヤヤ役の女優さんは亡くなったそうですね、ご冥福をお祈りします。素敵な女優さんでした。
ブラックジョークでshit
導入でめんどくさい主人公だと思ったが、周りも大概で、それでも豪華客船であんなに酷い展開になるとは思わなかった。
島編はナディアばりに要らなかったのではとも思いつつも、金持ち、権力の移り変わりとかの皮肉な演出にはやはり必要だったのか。。
それでも船爆破で終わっといても良かったような。。
カンヌの“間”
物語が展開するまでたっぷり時間をとる(間を取る)感じがカンヌ。物語が展開するまでが長い気がした。ただこの間を待ってられるのがカンヌ。ハリウッドなら30分は短縮してたはず。オチはスタイリッシュな音楽で誤魔化された感じがするが、後半の設定は映画「OLD」とさほど変わらない。
人物像(個人)の心理描写が少ない(表面的な事柄のみ、掘り下げない)ので、なんとなくオチも読めた。映画評論家ウケのよさそうな映画。
船の中という世界で、各々の業界で「1番」を目指す・自負する金持ちの注文に、船のクルーはすべてイエスと応える。その「資本主義/社会主義/マルクス主義のせいで不幸が訪れ、原始的な生活を人間が強いられるようになる!」…とでも言いたかったのだろうか。鑑賞者にとってはどうとでも取れる。
船の中ではチップがもらえるから従うだけで、島の中では食料があるから従うようになる。お金を持っている=お金持ちの人らへの戒めのような映画。なので、セレブが見てセレブが(あぁこんなふうになるのはやめよう)と思うための映画で、セレブが評価した映画。
お金を持たざるものからすると「いけすかない」とも思ってしまった。でも映画は映画。おもしろいです。
ラストシーンの後はどうなるのだろう?
カンヌのパルムドール受賞作品で観たいと思っていたが封切りの時に見損ねていた作品。少し長過ぎるとは思うが中々面白かった。この監督は色々な人達(軍需産業で儲ける英国人とか売春してるのと変わらないモデルとかインフルエンサーとか)をコケにするのが好きなようだ。現代が何故"眉間の皺"なのかは(台詞で一度出てきたが)僕はピンと来なかった。寧ろ邦題の逆転のトライアングル(三角関係の意味で)の方がしっくりくる。ラストシーンの後はどうなるのだろう?色々なシナリオが考えられるが。
トレイラーでアピールされた痛快さよりはなかなか一考すべき作品
数年前に監督の前作『スクエア』を観て、今よりも圧倒的にあまり深く考えずに映画を観てきていた自分は
「これはなんだったんだ?」と疑問だらけになった記憶がある。
やはり人間臭さの表現と万国共通の気まずさを直視させる演出は一級品。眉をひそめつつ爆笑させてくれる皮肉に満ちた会話は素晴らしい。
パート2の遭難までが冗長に感じるが、それらは遭難までの振りなので仕方なしと思う。そこでの船長の振る舞いや会話は特に"逆転"の要素にも絡んでくるのでやはり仕方なしと思う。
ラストに関しては、「ヤヤは殴られずに2人でキャンプに帰り報告を聞いたカールは喜び急いで島の反対側へ向かう」といったものだと思った。そう感じた後に他の可能性、パターンも考えたが直感的に思った上記の感想は揺るぎなかった。
ただこれは一見"どのキャラクターに感情移入するか"ということがラストシーンの捉え方に影響するようにも見えるが、モデル2人には冒頭のやりとりなどからも不快感を与える構成になっているため感情移入はしづらいので、どうしてもアビゲイル側に立った視点になってしまいがちとなる。だが「あの特定のシチュエーションでは逆転していたが、それ以外のこの世ではすべからく富や名声が支配する側に立っている」という事実を理解している以上は一種の諦めとして遭難メンバーが脱出することをゴールに映画を観ており、このままサバイバルしてアビゲイルがキャプテンのままいて欲しいという気持ちのままエンディングを迎えるのは私は難しいように思った。
逆転島で起きたこと
学校や会社は社会の縮図とよく揶揄される。
世の中皆平等と言っときながら、悲しいかな人間って必ずピラミッド型になる。
それを豪華クルーズ船の中に置き換えて。
ピラミッド上部はイケメンモデルやインフルエンサーの美人恋人や裕福な乗客たち。
中部は船長や客室乗務員たち。
下部は料理や清掃などのスタッフたち。
これには国籍や人種も絡む。
上部はアメリカ人やイギリス人やロシア人ら世界の大国。中部は専ら白人。下部は黒人や有色人種が多い。
結局世界ってこんな感じ。覆る事はない。
が、もし、ある状況に置かれた時、このヒエラルキーが“転覆”したら…?
皮肉や風刺をたっぷり乗せて。
イケメン&美人カップルはたかだかレストランの支払いで言い合い。
“クソ”で大金持ちになったロシア人富豪。彼の妻が死んだ時、泣きながら亡骸を抱きつつ、身に付けていた宝飾品をちゃっかり取る。
穏やかそうなイギリス人老夫婦は、武器商人! 二人がある物で爆死するシーンは何ちゅー皮肉。
船長はまともに働きもせず飲んだくれ。白人客室乗務員たちは如何にしてチップを貰うか熱心。
そんな中、料理や清掃のスタッフたちはせっせせっせと仕事。
嵐で船がゆ~らゆら。豪華ディナーがとんでもねー場に。
揺れやアルコールやなまものに当たってゴージャスセレブたちはゲロゲロ祭り。
チップを期待した客室乗務員たちは空回り。
そんな中、清掃スタッフは汚物をせっせせっせと処理。
嵐に加え、海賊の襲撃。もはや漫画だ。
船は難波して生き残った面々は無人島へ漂着…。
言うまでもなくサバイバル能力など皆無のセレブたち。
魚も取れない。火も起こせない。出来るのは少ない飲食を恵んで貰ってボケ~ッと助けを待つ事だけ。
客室乗務員はこんな場でも仕切ろうとする。
そんな中驚くべき能力を見せたのが、トイレ清掃員の中年有色人女性。
魚も取れる。火も起こせる。類い稀なサバイバル能力を見せる。
よし、船の中同様コイツを働かせて…なんてのはここじゃ通用しない。
ここじゃ私がキャプテン。食べる物を餌にわざわざそれを言わす。
食べ物を恵んで貰う為、皆彼女に媚びる。
まるで犬に餌をやるように食べ物を投げ与えるトイレ清掃員。それにがっつくセレブ。
自分や女性たちは救命ボートで寝る。男どもは火の番。
それをすっぽかして見つけたスナック菓子をこっそり食べる。その姿が何と情けな…。無論バレて翌日は食事抜き。
女王のような力握るトイレ清掃員。まあ、分からんでもない。
魚を取ったのも私。火を起こしたのも私。私は何でも出来る。じゃあ、アンタたちは何が出来るの?
何にも出来ない役立たずども。働かざる者食うべからず。
でもどんどんどんどん独裁者になっていく。救命ボートで寝るのも最初は女たちだったのに、いつしか若いイケメンをお呼びに。
シュール過ぎるラスト。あのエレベーターは何…?
ここから助かって、またヒエラルキーの下部になるよりかは、ここで女王様として君臨していたい。
人はここまで醜態堕ちるのか。
遭難や漂流やサバイバル映画数あれど、絶対にこんな状況になりたくないトップレベル。
最初は退屈だったが、船の揺れが始まってから~無人島サバイバル辺りはそれなりに。
滑稽なハリス・ディキンソン。
美しい肢体を披露しつつ、癖ある役所のチャーリビ・ディーン。経歴調べたら、事故で脾臓摘出、感染症で急死とは…。合掌。
知名度あるキャストはウディ・ハレルソンくらいだが、一際存在感放つのはドリー・デ・レオン。
『ザ・スクエア 思いやりの聖域』に続き2作品連続でカンヌ国際映画祭パルムドールに輝いたリューベン・オストルンド監督の目の付け所は奇才ならでは。
その『ザ・スクエア』よりかは面白く見れたと思う。
でも、本当に心底面白かった/良かったかと問われたら…。
作品は人間やヒエラルキーを風刺したテーマやメッセージこそ訴えているのかもしれないが、どうしてもゲロゲロゲロゲロやトイレ逆流の汚物シーンが干からびるほど脳裏にこびりつく。見ていてかなり辟易…。セレブの醜態を失笑するには充分だけど、あんなに胸糞悪く見せる必要あったのか…? 何だかかなり趣味が悪い。
意味はあるのかもしれないけど、はっきり言って中身なんてない。これで2時間半…。
それがカンヌ受賞やアカデミーノミネート。批評家や業界人や通な人たちはこんなのが好みなのか…?
こんなのに面白味を感じて、理解してこそ、真の映画マイスターなのだろう。
きっとお偉い批評家様たちが選ぶキネ旬でもBEST10入りは間違いないだろう。
『マリオ』や『サンドランド』や『キングダム』などに興奮&感動する私なんぞ、お偉い批評家様たちから見ればそれこそ失笑ものなのだろう。
そんな低能無知アホバカな私に映画を語る資格ナシ!
私の映画を見る目って…。何かガッカリする。
今日は凹んで寝よう…。
下品なシーンが長すぎて最悪
個人的に下品なシーンが嫌いなせいもあるのか、
乗客がディナー中に船酔いして嘔吐しまくるシーン(トイレでさらに汚いシーンも)が本当に不快で最悪でした。
それがまた一瞬ならまだ仕方ないが、もう長くてしつこいのなんのって。終わるまで目と耳を塞ぎました。
ストーリー的にあんなにも汚いシーンを長々と観客に見せる必要性はないのに意味が分かりません。
監督の神経を疑いました。
DVDで観たのが不幸中の幸いで、これ映画館でポップコーンを食べながら観ていたらもう本当に最悪だった、と思います。
下品なシーンさえなければ伏線や細かい描写に皮肉や深い意味が込められていたりと、全体的に面白いストーリーでした。
ちょっと雑な時間配分と構成で下手くそな映画ではありましたが。
狂った時代を笑い飛ばせ
豪華客船のクルージング船が漂流した島での局所的な社会の発生を描く。
社会主義者である船長の自暴自棄な航海により、皮肉にも資本主義者たちが社会主義的なコミュニティを形成する。
金銭的な裕福は意味を失い、容姿や能力が権力へ直結するもある程度生活が形になっていく。
ヒエラルキーの逆転が安定してきた所で、キャプテンと1人のクルーは社会への復帰の糸口を見つける。
キャプテンは現在のヒエラルキーを維持するためにクルーの殺害を目論むが、それに気づかないクルーの言葉に葛藤する。
最後の言葉は「付き人とならないか?」、、、善意から成る暴力の結末はどうなるか?
悪意がないからこそ救いのないラストシーン、最後までシニカルを貫いたブラックコメディの良作。
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