CLOSE クロースのレビュー・感想・評価
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一人ひとりの心情やその変化をじっとりと、丁寧に伝えていた映画
2人の少年と花々の風景がとことん美しい。
一つ一つの映像がどのシーンを切り取っても絵画のように美しくて、2人の時間がいかに尊かったのかを実感させられる。
前半は自分の思春期を思い出すエモい青春映画。中学校の感じは、自分の中学生時代を思い出して胸がぎゅーっとなった。
後半からは、大切な人との永遠の別れと後悔という重い展開。
みな多くは語らず、大声を出すことも少ない。小さな表情や会話の間で伝えてくる。優しい大人たちとの触れ合いを積み重ねて少しずつ感情を表出し、前を向く主人公。演技や伝え方に、なんとなく『ドライブマイカー』を少し思いだした。肌の質感や温度までじっとり伝わってくるあたり、邦画っぽさがあった。
大人たちはみんな優しくて温かく、でも子ども目線でみても人間くささが滲み出ていたりして、よかった。
観たい度◎鑑賞後の満足度◎ 13歳、児童とはもう言えず思春期には少し早い、無意識の残酷さを残したまま、でも成長は止まらず外界の一切を吸収しながらも最も傷つきやすい年頃。外界を見つめ内面を映すレオの瞳。
①自分の小学校から中学校に上がった時を思い出した。
レミのような大親友はいなかったけれども、小学校からの友達との付き合いは続いたけれど新しい環境になれることを優先した日々。
②12歳までは二人の世界が世界の全てだったのに、13歳ではじめて自分達が人の目にどう写るか嫌でも意識させられるようになるレオとレミ。
私もそうだった。狭い地域に住む友達達との日々が世界の全てだったのに、中学に上がってもっと広い地域の子達に混じって自分の居場所を作っていかねばならない。
ある意味はじめて“社会”というものに触れて意識し始める年頃。
③二人で一緒にいるのは二人にとってとても自然なことだったのに、“(少年少女の)社会”では「付き合っているの?」だの「いつも一緒にいる」だの揶揄される。
子供は残酷だから思ったまま言葉にする(大人になると思ってても言わないけど)。
レミは特に“オンナオトコ”等と呼ばれたから余計意識してしまう(私も全く同じ経験あり)。
“社会”に適応しようとするレオ。相変わらず自然体のレミ。
次第にギクシャクし出す二人の関係。これも思春期の入り口や思春期ではよく有ることだけど…
昔からの友達が新しい友達とつるむようになって自分が置き去りにされたような寂しさ、悲しさ。
今まで此方を向いていてくれたのに次第に向いてくれなくなる時の喪失感や寂廖感、孤独。
最も感じやすい年頃、最も傷つきやすい年頃だからこその苦しみ。
登校時先に行かれたレミが涙を流しはじめてレオにくってかかった時の気持ちもよく分かる。
でもあそこまで追い詰められていたとは。そこまで傷ついていたとは。
※最初にこの映画の概要をおぼろ気に知った時、少年版『噂の二人』?と思ったけれども、パルム・クィアにもノミネートされたところをみるとやはりうっすらとではあるがそういう要素を忍び込ませていたようだ。
④レオもそこまでは思い及ばなかったしレオに罪があるわけではない。
でも罪の意識が芽生えてしまったらもう抑えることは出来ない。
でも言えない。苦しい。そこまで苦しむことはないのに、と大人になった自分は思うのだが、それは自分が大人になってしまったから。
苦しいし怖い。
そこはやはりまだ子供だ。
勇気をふるってソフィに告白するが、怒ったソフィに危害を加えられるかと身を守る為に棒を振り上げるレオ。
しかしソフィとて真相を知ってもレオを傷つけられる筈はない。
レオも十分苦しんだと分かるから。
二人の抱擁は感動的だがそれがハッピーエンドではない。
頭では許していてもやはりレオが近くにいれば心穏やかにはなれないからだろう、引っ越していったレミの家族。
⑤何かを永遠に失くしてしまった13の年。
私達も忘れてしまっただけで何かを失くしてしまっているのかもしれない。いや、みんなそうなのだろう。
ラストのレオの視線がそう語っているように思えた。
レオ役のエデン・ダンプリンは大したものだと思う。監督の手腕とは云え、映画を一人でひっばっている。
追記:レオとソフィの抱擁のシーンは泣かなかったけれど、レオとレミの家族が食卓を囲んだシーンでレミの父親が泣き出した時にはもらい泣きしました。
大人であること
同監督の前作は観られていないのだが、子供の日々少しずつ変化する微妙な表情や行動を捉えるのが上手いな、という印象。
子供っていつも同じようでいながら毎日毎日少しずつ変わっていく。そうした変化の中で、周りからのほんの一言によって二人の関係も変化してゆく。
そして少年時代の終わりとしての花の季節の終わり。非常に上手い。風景や天候に雄弁に状況を語らせる。
そして予期せぬ事件。あの年代特有の危うさにふと思い当たったり…
フランス映画を観ていつも気付かされるのは、大人が過度に大人であることを求められず、個人のままでいることを許されている、ということ。レミの母もすべてを理解する大人でなくても良いのだ、ということの救いと残酷さ。
最近の日本映画のように一方的に大人であることを良しとはしないのだ…
切ない・・・
観ていて揺さぶられまくった
とにかく美少年の表現力が凄い映画!
この重苦しい気持ちをどうしたらよいのか
現実と地続きの物語にしか感じることができず、心の整理がつかない。レオとレミの表情や仕草は、思春期の自然な反応としか思えないし、両親や兄弟は、本物の家族でないとできない複雑な感情を見せる。
実話を追体験している感覚に陥って、終始、胸が締め付けられる。
是枝監督の『怪物』とテーマは重なるが、『CLOSE』の方が愛情と友情の境目が少ない。レオもレミも愛情に関しては無自覚というか、恋愛に発展しなかった可能性もある。そんな仲の良い2人を、思春期の同級生が放っておくはずもなく、からかいの対象になってしまう。
バラ農園の中を駆ける2人のシーンとか、レオが雨に打たれて歩くシーンとか、見とれるような美しいショットが数多くスクリーンに映し出される。その美しさと裏腹に、2人やその家族の心情を思うと心が晴れることはない。
この重苦しい気持ちをいったいどうしたらよいのか。
反復でみせる隙間風
隣りの女性が終盤からずっと泣いていた。そんな繊細な映画でありつつ、とにかくドキッとするほどの美少年がこっちを見つめる。出演しているどの女の子より美しい。そんな仲良しの少年同士のお話。ただ、思ったよりエモーションに来ないのは、キモの部分をあまり描かないから。2人だけの楽園に邪魔(学校生活)が入るとメリメリっと関係に隙間風が忍び込んで、予想もしない亀裂となる。展開はとにかく日常の繰り返しを繰り返して見せて(特にオープニングとラスト)、2人だったものが1人に変わった世界、そしてその1人が消えると行くあてない世界が広がってしまうことを映す。削ぎ落とした中で見せる寂寥感。そして見せないことで引っ張る少年の罪。美しさと残酷さと、そんなわけで失った者を反復で見せる映画でした。
思春期の儚さ、危うさ、残酷さをここまで美しく描けるものとは
皆背負って生きていく
重いストーリー。二人の少年の演技は見事
話題のCLOSEを観たが、二人の少年レオとレミの演技は素晴らしかった。ここは良かったが、ストーリーは考えさせられる内容だが、重たいストーリー。好みは分かれるだろう。もう少し、最後は希望を持たせても良かったのでは。先月公開の怪物でも二人の少年がポイントになっているだけに比較も面白い。気になったのはレミは結局どうなったの?観客に想像してほしいのだろうか?ここははっきりさせてほしい。可もなく不可もない作品。
重たい
映像、文章、マンガ、それぞれで表すのが得意なもの、そうでないものが...
タイトルなし
曖昧な関係性の脆さと鮮烈さ
この関係性に身に覚えのあるセクシャリティの自分からしたら、美化しすぎなんじゃないかと思う瞬間や要素も結構あった。そして、会いたいという感情をあの年齢で相手にしっかり伝えることただそれだけのことが本当にどれほど幸福なことか。
やっぱり、自分はレオが踏み出した一歩を成長とも適応ともまだ言い換えたくない。
曖昧な関係性を曖昧なまま余白を残して表現してくれた製作陣に感謝します。絶対見なければいけないと感じる映画が今年は多く、本作品も劇場でまた見に行ってからもっと色々考えて文章にしてみたいと思います。
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