CLOSE クロースのレビュー・感想・評価
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名作誕生!
僕は「クーリンチェ殺人事件」をフェイバリットムービーにしているが、本作「CLOSE クロース」はそれに匹敵する、いや、凌駕していると言ってもいい、思春期の心を見事に映像化している作品だと思う。
観客は何度も繰り返される日常的な風景の中に映し出される、揺れる少年たちの心に触れることになる。それは「同性愛の映画」などと陳腐な言い方でまとめられない、少年期の繊細な心のありようであり、我々もかつて感じていた友情や愛情に対するいびつな感情や純粋な思いであって、宗教的、倫理的な正義や悪のような二項対立で言い表せるほど簡単ではないものだ。
僕らは社会に絡めとられていく中でそういった感情を忘れて大人になっていくのだけど、どちらが生き方として美しいのだろう。その答えは、この映画が教えてくれている。
少年時代の悲しさ
映画『クロース』だれでも、少年時代に似たような経験が、あるはず。でも。大人になるにつれて、そんな気持ちが、あったことさえ忘れてしまう。ただ、生きてゆくことだけに貪欲なだけでいいのだろうか。こんな少年時代のピュアな心のかけらでもあれば、人生は豊かに。
古今東西、いろんな物語があります。
少年愛、BLといった部類になるのでしょうか。
古くは、四世鶴屋南北作『桜姫東文章。』
青年僧と稚児さん(少年)との恋愛物語。
映画では、『寄宿舎 悲しみの天使』でしょうか。
カトリックの男性だけの寄宿舎での少年と、青年の恋物語。
今回の作品でもそうですが、少年愛の物語は、片方の死で終わるのが、通例。
ただ、恋愛の異型だと、決めつけるのは、いかがなものでしょう。
もともと人間は、同性愛。
それが、思春期を過ぎて、異性への関心が芽生えてくるもの。
あるいは、そのまま同性愛の道に進むもの。
それって、本人の意思では、変えられるものでもなく。
まあ、医療的にその性的関心の方向を変えることは、決して不可能ではないですが。
もともと、人間の性愛などというものは、曖昧なもの。
それをいや、同性愛だ、異性愛だ、やれLGBTだと問題視するほうが、おかしい。
不可思議なものとして、そのまま受け入れるのが、自然。
ただ、社会生活では、何かと不便と偏見をうけますから、問題として取り上げているだけのこと。
日本をみてください、江戸時代は、ごくごく当たり前のことと、してたんですよ。
ガラスの少年時代のあやうさ。
ピュアであるがために、その実直さが、悲しい結末に。
この作品だって、幼い頃から、兄弟のように育った同じ年の二人。
いつもいっしょ、やがて中学生に。
その仲を、同級生にからかわれて、一人が、相手を突き放す。
よくあるパターンなんですが。
異性間だったら、失恋ということになるのかな。
ただ、異性間だと同性のように、あそこまで距離は、近くないよね。
ただの失恋なんだけど。
そこが、少年愛のピュアなところ。
すべてを失って、絶望の縁に陥ってゆく。
なんで、そこまで、ただの失恋じゃない。
ひたむきさや、純粋さを捨て去った大人
極端な言い方ですが、生きてゆくとはそういう一面もある、ということ。
大人になるには、色んな面を脱ぎ捨てていかねばならない。
でないと、生きて行けないから。
ただ、多くの大人たちが、脱ぎ捨てなくていいものまで捨てて、大人になってゆくということ。
そんな、人たちには、この映画は、わからないだろうな。
悲しい結末だけど、人間として、捨ててはいけないものがある、ということ。
たとえ、かけらであっても持っていないと。
この映画は、そのことを言っている。
ただ、残された家族の悲しみが、どこまでも深く、救いがないのが、寂しい。
パスタを吸い込むシーンが大好きです⭐️
家族ぐるみの付き合いで兄弟の様に仲が良く
いつもどんな時も一緒に過ごす13歳の少年2人の物語
冒頭の柔らかな光の中、花畑を駆けぬける天使の様な2人に見(魅)入ってしまいました
しかし無邪気な時間の終わりが訪れてしまう…
思春期へ向かう13歳の彼らには
集団という世界への入口、その世界の中で
自分を偽るのか自己を貫き通すのか…
生き辛さをも感じ始める時期でもあるのだ
鑑賞して1週間以上が経ち
ようやく迷子になっていた心が落ち着いてきた
取り返しがつかない悲劇の物語ではあれど
優しい旋律の音楽と柔らかで美しい映像は
鮮やか過ぎる程…私の中で宝石の様な傑作として心に刻まれました
レオ役エデン・ダンブリンの繊細で壊れそうで儚げな瞳に心奪われました⭐️
大きな傷を胸に歩いてゆく。
カンヌでグランプリを受賞した話題の本作。とても哀しくて儚くて、そして美しい映画でした。まるでアート作品のような圧倒的な映像美の反面、ストーリーは余りにリアルです。
ベルギーの田園風景の中、自転車で並走する2人の少年。13才のレミとレオ。四六時中共に過ごす2人。しかし中学に入学するとクラスメイト達からその間柄を揶揄され少しずつ関係が変わっていってしまう。そしてその先に待つある出来事。
レオが小さな背中で背負わなければならなくなったもの。どれだけ自らに痛みを与えても真実を受け入れなければ1歩も進めない。誰もが経験のある思春期の友情や素直になれない感情。小さなコミュニティの中で少年が恐れたものの正体。圧巻のリアリティーで描かれる繊細な表現に観ているこちらも胸が苦しかったです。2人の少年の眼差しも、演技も本当に素晴らしかった。揺れ動く心の内側を強烈に映し出した傑作です。
ラストカットに打ちのめされる
主人公のレオと幼馴染のレミは、24時間ともに過ごす大親友。2人が中学校に入学した初日、その親密さをクラスメイトにからかわれたことで、レオはレミへの接し方に悩み始め、次第に距離をとるようになる。レオの態度に傷つき気持ちのやり場がないレミと、そんなレミを気にかけながらもクラスに馴染む事を優先しレミとの距離を置き続けるレオ。そんなレオにある日、レミとの突然の別れが訪れる。
このあらすじを読めば誰もが察するだろう、是枝裕和監督の「怪物」と近しいテーマの作品だ。しかし、怪物の方がずっと救いのある話であった。あの作品の少年ふたりは心を通わせ、少なくとも劇中ではラストシーンまで同じ場所にいた。でももしかしたら、あの2人にもその後同じような悲劇が訪れたのかもしれない…と、本作を観ると想像してしまう。レオの喪失感と罪悪感は如何ばかりかと、気の毒でならない。
舞台となるベルギー郊外で、花き農家を営む家に育つレオが、花摘みの手伝いをするシーンが印象的なのだが、綺麗な花が咲く暖かい期間が過ぎると、茎を倒し農地を耕す寒々しい季節が訪れ、少年2人の仲睦まじさを表していた「CLOSE」が、残された1人の少年が心を閉ざす「CLOSE」に転換していく様を、美しも切ない情景とともに観客に突き付けてくる。人生とはなんて無常なのだろう…。
今年の初めに友人を亡くした自分にとって「残された側」の後悔は痛いほどよく分かる。だから、ラストカットでレミの母親がみせる、様々な相反する感情が入り混じったあの表情に、こうやって生きていくしかないんだ…と改めて思い知らされるような結末だった。
「君の名前で僕を呼んで」「燃ゆる女の肖像」に匹敵する珠玉のラストカット、というHollywood Reporter評は、まさにその通りだと感じた。
ちょっと合わなかった
今の時代はこういう作品が評価されるべき
ストーリーはよくある展開だし、
大どんでん返しや驚きなストーリーじゃないけど
少年の涙にここまで心が動かされるとは…
心が洗われる作品だった。
色々なやりようで、さらに涙で前が見えないくらいに感動で陥れるような展開とかがあったと思うけど、
この映画はそこがちょうどいい。
心の窓をトントンと優しく叩いて、奥に入ってきて
じんわり溶かしてくれるような作品だと思う。
誰かの心無い言葉で関係が悪くなったり、傷ついたり、
そういう人がいることがわからないお馬鹿さんがあふれているSNS時代の今こそ、こういう作品がきちんと評価されるべきだと思う。
あとは、残された人がどんなに辛いか、
周りの影響にも気付いてほしい。
今度から疲れた時におすすめの映画ある?と聞かれたら、この映画を紹介したい。
あの花は紅花油の紅花?
レミのお母さんのソフィー(エミリー・ドゥケンヌ)の表情で見せる演技がなんとも素晴らしかった。
助演女優賞あげたいです。
レオに車から降りてと言ってしまったけど、追いかけて抱き締めるシーン。うすうすわかっていながらも、よかったなぁと胸を撫で下ろしました。
いなくなったレミの悲しみを共有するふたりの物語でした。
レオがそんなに悪い訳じゃないのに、やっぱりレミのお母さんを見ると少年レオの胸は痛みます。何度も突然会いに行ってしまいます。毎日のようにお泊まりしていたので、ソフィーにとってもふたりは同じように息子だったんでしょうし、レオにとってもお母さんだったんでしょう。
ソフィーの仕事は病院の新生児室の看護師さんか小児科医師。
それだけにつらい😢
しっかりした息子がふたりいて、家族総出で仕事をしているレオの家庭が羨ましい。レミがいなくなってからのお呼ばれしての夕食も辛すぎる。旦那が泣き出して、堪らず夕闇の中に出ていった悲しい後ろ姿も印象的でした。
あの花は紅花油の紅花?
花に詳しい方、教えてくださいな。
鑑賞用の花にしては花だけ摘んだり、機械で根こそぎ刈り取ったり。
プラ容器に苗を並べて、機械にセットするような場面もあったけど。
紅花の花言葉調べてみました。
特別な人。愛する人。化粧。情熱。包容力など。
好き過ぎて喧嘩しちゃった原因のひとつがレオの虚栄心だったとしたら、化粧も関係するかななんて思ってしまいました。このくらいのことは男の子にはよくあることなのだけれど、突然先に逝かれてしまった方は堪りません。
23-094
美しさが印象に残る映画
とにかく美しさが印象に残る映画で、出てくるのは美男美女ばかり、
咲き誇る綺麗な花畑、自転車で通り過ぎるだけの草原、やわらかな陽射し、
その全てが美しい。
撮影は、監督の出身地ベルギーとゴッホの出身地オランダで行われたらしいです。
美しい映画なのでケチつけたくないんですが、後半ねむくなってしまった(笑)
でも、いい映画です♪
シリアスな映画で少し静かめだけど、暗すぎず明るすぎず、観やすい映画かと。
ベルギーやオランダって美しいなー♪と思った、美しい映画です(笑)
ベルギー、オランダ、フランス、の合作なので、言語は何だろう?と調べてみたら、
ベルギーは、オランダ語、フランス語、ドイツ語、の3ヶ国語らしく、
過去、オランダ、フランス、ドイツ、に支配されてきた事に由来するそうです。
同じベルギー人でも言葉が通じない事あるんだとか。
映画で使われてるのは何語なんだろ?
レオの美しさに圧倒✨
とにかくレオとレミの二人の透明感にやられました✨
二人ともお互いに同性愛を感じていたのははっきりとは分からないけど、レオにとってはレミが、レミにとってはレオがかけがえのない存在だったのは間違いなく、それなのにその関係はあまりにもあっけなく他人の心無い軽口によって壊れてしまう…その儚さに少年たちの繊細さを感じて切なかったです。男の子っぽさを全面に出すスポーツを敢えて始めて、レミと距離をおくレオ。もしレミが亡くならなかったら?二人はどうなってたのでしょう…ハッピーエンドになっていたでしょうか?ずっと考えてしまう、そして後から思い出しても涙が出てしまうような映画でした。
ほんのりBL
性のあわいの悲劇。
レオとレミは幼いころからの親友で、花卉農業を生業とする互いの家を行き来して長い時間を共にすごしていた。互いに深い好意を示すことに少しも疑いをはさまない暮らしの中で、夜も自然にベッドで体を寄せ合って眠るほどだった。
しかし二人のそうした濃密な関係は、彼らが小学校に入ると淫靡なからかいの的になる。レオはそれを疎ましく思い始め、レミは深く傷つき、事件が起きる。
中盤までのカメラはなかなか素敵。とりわけオープニングからしばらくの、暗がりで声を掛け合う二人が外へ飛び出して一面の花畑を駆けだしてゆくショット、オーボエを吹くレミを逆光の中からみつめるレオの幸福な視線、等々。このあたりは自らの性を明確に意識するより前の、幼い両性具有性をうまく捉えてみせたと思う。
しかし照明・カメラ・編集のいずれも表現の引き出しが少なくて、中盤以降は、同じスタイルが反復されすぎることがどうしても鼻についてくる。脚本の踏み込みの弱さがその印象に拍車をかける。
是枝裕和『怪物』にも同様のニュアンスを示唆するシーンがあるけど、あの映画の複雑さ・繊細さには到底及ばなかった。
ところで朝日新聞の本作レビューで「メロドラマの傑作」と評しているのは、メロドラマという言葉の誤用。メロドラマというのは、本作の場合なら二人が最後まで出口なしの状態で悩み続ける映画のことです。
少年たちの悲しみ
流れる空気
オーボエ、口から出す音、風音、効果的にその心象を表現する演出には敬服する 是枝監督が今作のアンサーを贈ったのではないかと勘ぐる位、その親和性を高く感じた作品である
クィアー系とはいえ、まだまだその自覚どころか、却ってミスリードさせてしまうほどのギリギリの岐路を丁寧に、しかもセンチメンタルに描いてみせた作劇、そして映像手法である あくまで主人公の顔のアップの多さで、主観をキチンと明確にしていることも好意的である
どの作品でも観賞後にあらすじを確認するためネタバレサイトを必ずチェックしている そこでの見識深い内容に、毎度感心し、自分の稚文など便所の落書き以下だと、はっきりとその能力の差違を重く受け止めてしまう事仕切りである ま、自分は対価など貰っていないのだから当然と言えばであるが・・・
そのサイトの中で、興味深い内容があった 『映像制作者向けにWHOが「自殺予防の指針」』
表現の自由に対する、公共の福祉という観点であろう、12項目から成る『望ましい、そして防止足り得る』方法の提言といった内容である そして今作はその指針が強く反映されている作りであることを解説されていて、自分は合点がいき、腑に落ちた心地なのである
今作ではハッキリとした演出や衝撃的なシーン、そして筋として核となる作劇は描かれていない なので観客がそれを推測、もしくは想像、又は先回りしたり巻き戻したりしての、もしかしたら"邪推"や"誤解"を誘発しても構わない覚悟を持った作品であることを強く感じ取れたのだ
例えば、部屋のドアノブが壊されている画は、単純にそこに縄を引っ掛けた際の損壊を想像したが、その前のシーンで、風呂から出てこないで鍵を掛けている演出があることを忘れていて、そこから鍵を親が壊して発見したと解釈し直す 重要なシーンだが、しかしこうして観客それぞれが一つの疑いない作劇上の事実でさえあやふやにしてしまう表現方法は、果して良いのであろうか?という疑問が過ぎるのである 否、勿論、だから今作を否定として捉えていることではなく、寧ろ今作の心象表現や、強い表現を回避する工夫を逃げずに努力する大事さを感じる程だ
表現の自由を損なうと簡単に切り捨てられないのは、現在のより高い人権意識への移行のとっかかりに過ぎない 自由と福祉の一見矛盾している方向が、でも何とかお互い携えて活けないモノかと叡智を産み出す作業は、これからも継続して欲しいし、映画ファンは、それをキチンと理解、応援する事を忘れてはならないと、何度も思い起こさせる思考にバージョンアップする努力が上位互換として実装することに逃げてはならない
まるで脊髄反射の様な、エンタメに支配された頭ではいつまで経っても自分はだらしないから・・・
展開が読めてしまって涙腺が緩まなかった。。。
幼馴染の少年2人、レオとレミの悲しい物語でした。2人は兄弟同様に育ち、寝る時も一緒というほどの仲良しでしたが、同じ中学校に入学して周囲から2人の関係を揶揄われるようになってからギクシャクしだし、悲劇を迎えるところで前半が終了。後半はレオの心情の変化に寄り添う形で物語が進められ、一応彼がひとつ成長したところでエンディングとなりました。
印象的にもテーマ的にも、また(カンヌ国際映画祭という)ショウレース的にも是枝監督の「怪物」と軌を一にする作品と言って良く、単なるLGBTQ物をさらに一歩進めて少年同士の話にするのが最近のヨーロッパ映画界の潮流というところなのだなと確認できる作品でした。ただ「怪物」と比較すると、容易に先が読めてしまうところがあり、悲しい物語でありながら全然泣けないところが悲しい作品でもありました。仮に同じことが現実に自分の身に起きたとしたら、立ち直るのに相当の時間をようするであろうことなのに、きっとこうなるかなと思った通りの出来事が起きるため、事前に耐性が出来てしまって涙腺が刺激されるには至りませんでした。別に泣きたくて映画を観に行った訳ではないですが、ちょっと残念な部分ではありました。
また本作の特徴は、そのカメラワークにありました。主に主人公に焦点を合わせてしかも大写しにして、さらにその背景をぼかすという映像が連続しており、他の登場人物があまり目立たないような創りになっていました。これは、彼らの心情がCLOSEしていることを表していたのか、美少年の映像を堪能してくれというメッセージなのかは分かりませんが、印象には残ったもののあまり感情を揺さぶられるような感じもありませんでした。
さらに、扱っているテーマ性から、社会に対するもっと強烈なメッセージ性とか、風刺とか訴求とかがあるのかと思っていましたが、そうしたものもあまり感じられず、ちょっと肩透かしを喰らったような形で映画館を後にしたところでした。
あと、内容とは全く関係ありませんが、「CLOSE クロース」という題名はどうなんでしょうか?先日も「Pearl パール」という作品を観ましたが、「英語+英語のカタカナ読み」という形式にするくらいなら、単純に「CLOSE」とか「Pearl」だけにしたらいいのになあ、と思わないでもありません。
そんな訳で、主人公2人の少年は、「怪物」同様にとてもかわいかったものの、物語としてはあまり揺さぶられることがなかったので、★2.5の評価とします。
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