「流れる空気」CLOSE クロース いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
流れる空気
オーボエ、口から出す音、風音、効果的にその心象を表現する演出には敬服する 是枝監督が今作のアンサーを贈ったのではないかと勘ぐる位、その親和性を高く感じた作品である
クィアー系とはいえ、まだまだその自覚どころか、却ってミスリードさせてしまうほどのギリギリの岐路を丁寧に、しかもセンチメンタルに描いてみせた作劇、そして映像手法である あくまで主人公の顔のアップの多さで、主観をキチンと明確にしていることも好意的である
どの作品でも観賞後にあらすじを確認するためネタバレサイトを必ずチェックしている そこでの見識深い内容に、毎度感心し、自分の稚文など便所の落書き以下だと、はっきりとその能力の差違を重く受け止めてしまう事仕切りである ま、自分は対価など貰っていないのだから当然と言えばであるが・・・
そのサイトの中で、興味深い内容があった 『映像制作者向けにWHOが「自殺予防の指針」』
表現の自由に対する、公共の福祉という観点であろう、12項目から成る『望ましい、そして防止足り得る』方法の提言といった内容である そして今作はその指針が強く反映されている作りであることを解説されていて、自分は合点がいき、腑に落ちた心地なのである
今作ではハッキリとした演出や衝撃的なシーン、そして筋として核となる作劇は描かれていない なので観客がそれを推測、もしくは想像、又は先回りしたり巻き戻したりしての、もしかしたら"邪推"や"誤解"を誘発しても構わない覚悟を持った作品であることを強く感じ取れたのだ
例えば、部屋のドアノブが壊されている画は、単純にそこに縄を引っ掛けた際の損壊を想像したが、その前のシーンで、風呂から出てこないで鍵を掛けている演出があることを忘れていて、そこから鍵を親が壊して発見したと解釈し直す 重要なシーンだが、しかしこうして観客それぞれが一つの疑いない作劇上の事実でさえあやふやにしてしまう表現方法は、果して良いのであろうか?という疑問が過ぎるのである 否、勿論、だから今作を否定として捉えていることではなく、寧ろ今作の心象表現や、強い表現を回避する工夫を逃げずに努力する大事さを感じる程だ
表現の自由を損なうと簡単に切り捨てられないのは、現在のより高い人権意識への移行のとっかかりに過ぎない 自由と福祉の一見矛盾している方向が、でも何とかお互い携えて活けないモノかと叡智を産み出す作業は、これからも継続して欲しいし、映画ファンは、それをキチンと理解、応援する事を忘れてはならないと、何度も思い起こさせる思考にバージョンアップする努力が上位互換として実装することに逃げてはならない
まるで脊髄反射の様な、エンタメに支配された頭ではいつまで経っても自分はだらしないから・・・