私の大嫌いな弟へ ブラザー&シスターのレビュー・感想・評価
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すべての人々が直面せざるを得ない「生きることの難しさ」への問い
アルノー・ディプレシャンの『私の大嫌いな弟へ』には、現代を生きるすべての人々が直面せざるを得ない「生きることの難しさ」への問いが基調低音となって静かに流れている。
タイトルの通り、いつの頃からか弟に憎しみを感じ始めた姉。舞台女優として誰もが認めるアリスは、幼い頃から父に「天才だ」と言われて育てられた。弟のルイは、長い間芽が出ない日々を過ごした後、詩人として活躍している。子どもの頃、両親の教育に晒された姉や弟を自分なりに守ってきたと自負している。そんな姉弟を見て育った末っ子のフィデルはゲイである。5年前、最愛の息子ジャコブを失ったルイは駆けつけたアリスを拒絶し、それ以来断絶状態が続いている。
ある日、弟が本に記した言葉に傷つきながらも舞台に上がるアリスに両親が交通事故に遭ったと急報が入る。
息子を失った後、道路もなく馬に乗って向かわねばならない山間で、ユダヤ人で教師の妻フォニアと隠遁者のような生活を送っているルイには、親友のユダヤ人精神科医のズウィが事故を知らせる。妻のフォニアは「私は行かない」と夫を送り出す。こうして病室に家族が集まることになる。
顔を合わせても互いに口も利かない姉と弟。舞台演出家である夫ボルクマンはルイの親友で、アリスとの間に生まれた息子のジョゼフは叔父のことが大好きだ。何ごとにも気を配るフィデルは、パートナーのシモンと事の成り行きを見守っている。
意識がある父と会話を交わし、昏睡状態が続く母を気遣いながら、長期公演の舞台に上がる。精神的に追い込まれていくアリスは、雨の中で出待ちを続ける一人の女性ルチアに目を留める。ルーマニアから来たという彼女は、「あなたが人生を変えてくれた」と目を輝かせるが、仕事も得られずに貧しい日々を送っていると言う。
泊まる場所がないルイは実家をねぐらにする。「素面じゃいられない」とズウィが訪れ、電話口では察しの良い妻が「クスリやってるの」と優しく斬り込む。自宅での生活は、ルイに過去との向き合いを促す。
舞台を続けるアリスは、知りあったばかりのルチアに誰にも言えないことを話すようになる。だが、病院の廊下でルイと鉢合わせすると精神状態に破綻を来し、ズウィに薬の処方を依頼する。
ある夜ハイになったルイが病院に向かい、眠り続ける母と添い寝をする。翌朝、母の身体に異変が見つかり、脚の切断を迫られる。「生きていてほしい」父の言葉に迷いはないが、その時は刻一刻と迫っていることが伝えられる。
家族とは。兄弟とは。仕事とは。人を愛するということとは。人種や信仰の差違を認めるということ。移民と貧困。薬物への依存。暴言や罵詈雑言、独断が生み出す憎しみとは。看取り、見送るということ。究極の問いは、自分らしく生きることを選択するということ。
「偶発的な無私なる再会」を見出したとテプレシャンが語るこの映画には、今を生きることを切実に問いかけ、かくも多様なテーマが内包されている。
そもそもそこまで憎み合う理由が明確になっておらず 理解が出来ません...
そもそもそこまで憎み合う理由が明確になっておらず
理解が出来ません。
弟の姿を遠目で確認しただけで脳震盪で倒れるとか
鼻血をだすほどの「怒り」の源がわからない。
激しい姉と弟の憎しみのぶつかり合いは、
裏を返せば同じくらい激しい姉弟愛というところでしょうか🤔
濃縮家族
令和5年9月26日(火)に観賞して、随分寝かせてしまった 理由は姉弟という繋がりが今作品と自分との余りにも乖離に中々思いを寄せられなかったからである
勿論、自分にも姉弟が居るのだが、あそこまで愛憎を意識する気持が湧かない それは多分、無から有を生むクリエイター気質の人物が皆無だからだからと分析する
そんなかけ離れた内容の作劇なので、俯瞰的にしか観賞できないし、だからといってこれをどう楽しめばいいのか見当も付かない
だからこそ映画という総合芸術の尊さに敬意を表したいと思うのである
分からない事を映像化するという行為の素晴らしさを改めて噛みしめるのである
作劇としても充分愉しませてくれたし、何より"近親相姦"に近い姉弟の恋愛を色濃く印象付ける情緒の内容は、それだけで別世界を覘きうる最高の"肥やし"なのだ
有名な舞台女優のアリス(マリオン・コティヤール)と、弟で詩人のルイ...
有名な舞台女優のアリス(マリオン・コティヤール)と、弟で詩人のルイ(メルヴィル・プポー)。
ある夜、ルイの幼い息子が病気のため死んだ。
弔問に訪れたアリス夫婦を拒絶したルイ。
ふたりは長い間、仲違いをしていたのだ。
それから数年。
兄弟の老いた両親が冬の林道を自動車で走っているとき、凍った路面にタイヤをとられた自動車が正面からやって来た。
正面衝突をすんでのところでかわしたが、若い女性が運転していた車は林の中へ突っ込んでしまう。
救助に駆け寄る老夫のもとへ、ハンドル操作が効かなくなった大型トレーラーが突っ込んできた。
若い女性は即死、老夫婦は病院へ搬送された。
これがきっかけで、アリスとルイはしばしば顔を合わかけるのだが、どちらも頑として会おうとしない・・・
といった物語で、ふたりの仲違いの原因が明確に示されないので、観ていてもどかしい類の映画です。
この手の、原因が示されない、最後まではっきりとは描かれない映画は、日本ではおおむね評判は芳しくなく、本作も巷のレビューではそんな感じ。
ま、ひとにはそれぞれ事情があるので、そこんところ深入りしなくてもいいんじゃない、というお気楽な立場のわたしとしては、原因がはっきり示されなくても結構面白かったです。
ただ、映画を子細に観ていくと、なんとなく原因めいたものがわかってくるような感じがします。
両親と折り合いが悪かったルイ。
特に、母親とは折り合いが悪く、年の離れた姉アリスが母親代わりの愛情を注いでいた。
ルイも、アリスに対しては、姉や母親への愛というもの以上の感情を、どことなく抱いていた。
アリスは若くして舞台女優として頭角を現したが、ルイは詩人とて一向に芽が出ない。
が、ある時、何冊目かの詩集で注目を浴び、賞を獲る。
満面の笑みで、「あなたのことが嫌いよ」とルイに祝福するアリス・・・
と、この時まではふたりの関係は良好。
というよりも、かなり深い愛情で結ばれている感じがする。
その後、ルイが発表する作品は評判を呼び、彼の成功に嫉妬めいた気持ちを覚えるアリス・・・
なのだが、それが成功に対する嫉妬だけではないようで、自身に献辞を捧げられたルイの新作に対して、アリスは唾棄すべき視線、嫌悪の表情を見せる。
どうもルイの詩集には、アリスとの関係が赤裸々に綴られている気配なのだ。
ただし、オブラートに包んでいるだろうし、そのものずばりではないだろうが(なにせ詩集なので、隠喩や暗喩があるだろうが、読む人が読めばわかる程度に)。
で、そのルイとアリスの関係なのだが、後半、体調を崩したルイが全裸でアリスのベッドへもぐり込むエピソードがあり、ここで「ははぁん」と気づく。
ルイの一方的は思いかもしれないが、アリスに対して「憧憬の生身の女性」といった、ちょっと生臭い愛情を抱いていたのだろう、と。
まぁ、そんなものが隠喩や暗喩といえども語られて、出版されたとしたら、アリスとしては赤面もの。
怒り心頭、絶対許さない。
というわけで、これはこちらの勝手な想像なんだけれど、そういうものだから、結末は安易に姉弟の再生には向かわない。
ま、どこか根っこのところで、いがみ合いながらも寄り添っていた過去を含めて、妙に共存していたふたりが、それぞれ別個に、大いなる意思をもって出発するのは、再生といえばいえる結末なのだけども。
ということで、アルノー・デプレシャン監督にしては短い尺の2時間の作品。
これまでだったら、ふたりの下のゲイの弟のエピソードや、両親の過去のエピソードなどを詰め込んで、本筋が描写不足になりそうな尺なのだが、マリオン・コティヤールとメルヴィル・プポーのやや重苦しい芝居をみせるということに焦点をおいた本作は、デプレシャンの2時間作品ではじめて満足した作品でした。
(デプレシャン作品は2時間半は必要だよね、って思っていたものですから)
なお、ルヴィル・プポーはやや芝居が重すぎるかな。
あれだけハンサムなんだから、もっと女性にモテモテでも然るべきだと思うんだけれど、意外といまのフランスではモテないタイプなのかしらんね。
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