「最期の旅に凝縮された人生」君を想い、バスに乗る ニコさんの映画レビュー(感想・評価)
最期の旅に凝縮された人生
老人が若い頃を回顧する物語、おじいちゃん(おじさんでもいい)のロードムービー、イギリスの田舎の風景、個人的にツボな要素が3つも入っている映画。
人は誰しも必ず老いて死ぬ。それは裏返せば、全ての老人にはかつて若く瑞々しい時代があったということでもある。そんな当たり前のことが、つい忘れられがちだ。
ティモシー・スポール演じる老人トムの旅の目的は、時折挟まれる回想で徐々に明らかになる。
若き日のトムと妻メアリーは、クリスマスに授かった子供を翌年のクリスマスイブに亡くした。その記憶があまりにつらいため、出来るだけ遠くに行きたいというメアリーの希望で二人は出会いの地ランズエンドを離れ、スコットランド北端のジョン・オ・グローツに移り住む。
おそらくそのまま、亡き子の墓参りに戻ることもなく、メアリーは亡くなったのだろう。楽しかった頃の思い出と我が子が眠る地に戻り、一番の喜びがあった場所に妻の遺灰を返すのが、トムの人生最後の道標だった。
お年寄り特有の頼りなさにはらはらし、折々によぎる亡き妻との思い出に切なくなりながら、トムと一緒に彼の人生を遡ってゆく。そのうち、道中の出来事のひとつひとつが人生の象徴のように見えてくる。バスで居眠りして乗り過ごしたり、希望したホテルの部屋が取れなかったりと、時に思い通りに行かないところも。行きずりの人がくれたやさしさのありがたみも。
鞄を盗まれそうになったり、バスの事故で怪我をしたりとアクシデントにも見舞われるが、通りすがりの誰かしらが助けてくれる。イングランドに入って無料パスが使えず人通りのない丘陵に置いていかれた時は、バンで通りかかったウクライナ人が乗せてくれて、家族の誕生パーティーに招いてくれた。うまく行きすぎと言えばそうなのだが、じゃあ彼が誰にも救われず路頭に迷う絵面を見たいかと言うと、そんなのはつらすぎてとても耐えられない。それほど、65歳のスポールが演じた90歳のトムの姿そのものに圧巻のリアリティがあった。
実際、人生というものは思っている以上に、一期一会の人たちの小さなやさしさに支えられている面が大きいのではないだろうか。
トムの道行きを見守るように広がるイギリスの風景も素晴らしい。緑豊かな牧草地だけでなく、時に曇り空と枯れ草色に包まれた丘陵があり、市街地の渋滞もある。これもまた人生を暗示するかのようだ。湖水地方に代表される田園風景も美しいが、イギリスの沿岸部などにあるどこか荒涼とした風景の寂しさにも惹き付けられた。
強いて気になった点を言えば、通りすがりの人間が他人の姿を動画に撮って勝手に拡散するということに(犯罪行為の証拠が必要な場合を除いて)、もともと個人的にはあまりよい印象がない。それに、序盤で彼の動画をSNSに上げる人たちの描写があった時点で、これがバズってゴール地点には人だかりが出来る、ということが見えてしまう。これは人間の善性に光を当てるファンタジーだからと片目をつぶるような気持ちで見ていたが、欲を言えばひとひねりほしかった。
それでも最後の場面から伝わるメッセージはあたたかく、素直に心に沁みた。生きていれば深い苦悩を抱えることもあるが、自分の中の良心や愛情を誠実に守って生きたなら、最期に心は報われると思えた。劇中で彼が歌う「アメイジング・グレイス」の歌詞にある「神の恵み」は、そういった救いを示しているのかも知れない。