「これが「よくできた脚本」……?」リバー、流れないでよ DDDさんの映画レビュー(感想・評価)
これが「よくできた脚本」……?
前作『ドロステ』が楽しめたので観てみた、ヨーロッパ企画の演劇は未鑑賞の人間です。
いや、この作品はダメでしょう。擁護できない。普段はレビューなど書かないのですが、あまりの未消化な内容に腹が立ったので。
アイディアそのものは面白くなりそうで、短期間でのループの連打は見たことのない感覚があり悪くなさそうなのだけれど、まず冒頭からリアリティラインをどのあたりに置いているのか不可解な発言や行動を登場人物が連発。
「コメディだからそういうもの」ではない。コメディだからこそ、奇妙な状況に困惑している人間に感情移入しなければならず、多少変わり者が出てくるとしても、人間として理解できる心理の流れと「普通の人間のリアクション」はきちんと押さえていなければならない。
状況がおかしいのだから、人物がおかしかったらダメなのだ。
冒頭から大人たちが即座にタイムループなどという破天荒な状況を速攻で受け入れる、老舗旅館の従業員にしては失礼すぎる物言いを客に繰り返す、バスタオルを巻いている程度の裸体の男性を見ただけで大人の女性が照れて視線を逸らす、というところで「?」だったが、一番不可解だったのは中盤の「逃避行」の下り。
ループしてるのだから逃避行しても意味ないし、意味のない行動を思わず取ってしまうほど主人公が追い詰められているわけでもないし、百歩譲って逃避行するにしても全く主人公が真剣にやっていないので、展開として緊張感も必然性もない。
そもそも芝居全体がいわゆる大仰な「舞台演技」なので、大したことない事態にもいちいち大袈裟に感情表現していて感情移入の妨げになる(人前でこんな振る舞いをする大人は普通いない、というレベルで)。
舞台上でやる分にはこれぐらい強めでもいいかもしれないが、あくまでこれは映画なのだから、演出の段階で加減したりはしないのだろうか。
そして主人公が実は原因だった(のかもしれない)という状況になった時点で、主人公が切実に「このループの中にずっといたい」とまで感じさせるだけの感情的・状況的積み重ねがない(とってつけたような理由が提示されるだけ)ので、主人公の動機に共感できない。
これぐらい、冒頭から少しずつ振っておけば(主人公たちの若干の不和・軋轢とか、待ち受けている未来のしんどさとか、それに対してどう感じているかとか、逆にループそのものを主人公だけやけに楽しんでいるとか)済むことでしょう……。
考えてみればそもそも、物語の構造として、どの登場人物に関しても「解決すべき課題」のようなものが冒頭でほとんど提示されていないのが気になる。
ループを題材にした物語を描くなら、ループが始まる前に、その登場人物たちが抱えている問題(『恋はデ・ジャブ』なら主人公の人間性の問題であるとか)が提示されて、ループという経験を通してそれが解消される、という流れになるはずなのに、ループの前には全くそういう問題が描かれていないのは単純に脚本の甘さでしかないと思うのだが……。
登場人物ほぼ全員が、「ループから脱出する」以外特に大した問題を抱えていないので、物語を通してそれが解消されるカタルシスが皆無に近いのだ。
作中でほぼ唯一緊張感が生まれたのが「死」に関わるアイディアが出てきたあたり。ここらでトーンが変わるなら、とも思ったが、作家性的にそういう方向に真剣に物語が進むはずもなく、一瞬ピリッとした流れもなんとなーくで解決していってしまう。
「何度繰り返しても崖から落ちてしまうタクシー」なんて面白そうなネタも口頭だけで消化されて、「崖に落ちずに済む方法見つかったらしいです!」って、そのくだりもいらんだろう! 包丁で刺し合いになった人はどうなった!
考えてみれば、登場人物全員の記憶が維持されている以上、このループのシチュエーションは、孤独や前進できない寂寞感を描くのではなく、シンプルに無限地獄でしかないはず。それ以外は、何度も初期位置に戻される以外は普通の現実と何も違わないのだ。
だから、『ハッピー・デス・デイ』のように避けがたい死を回避する、というプロットになるのなら転がしようがあるが、それ以外はそんなに盛り上げようがない。他の人たちも同じ不安を共有しているし、ループ自体は自分たちではどうしようもない問題なのだから。
そして、最も盛り上げられるはずのループの解消作戦については、ビールを数本持って行くぐらいであっさり解決。漁師の銃が必要というのも本当にとってつけたような理由づけで、そもそもあの人物は必要なのか、と……。
さらに、SFやファンタジーを描く場合、重要になるのは「この特異なシチュエーションでしか描けないような内容になっているのか」というところもあるだろう。
ループを描いた無数の名作群は、「変えることのできない運命はあるのか」「人生における選択に人間はいかに向き合うべきか」といった問いかけに、真摯に向き合っていたはずだ。つい最近の『ザ・フラッシュ』もそうだった。
この作品は何を描いた? 「やっぱり前に進まなきゃね」? そんなこと、わざわざこんなシチュエーションを描かなくたってわかっている。
別に原因が未来人でもタイムパトロールでもなんでもいい。低予算で外の景色を一貫させることができなくたって仕方ない。百歩譲って、芝居が舞台から離れられないのもいいだろう。
それ以前の、脚本の物語としての盛り上げ方、感情の流れの作り方が全くなっていない。「二分間でループしたら面白いんじゃない?」から先が全然出来上がっていない(実際、思いついたときは面白そうな気がしたけれど、いざ執筆してみたら意外と難しくて持て余したのではないか?)。
SFやファンタジーとしての練り込みも、テーマの掘り下げも、全く足りていない。
別にCGが使えなくても超有名俳優が出せなくても、なんとかする方法は脚本レベルでまだいくらでもあったはず。映像的な驚きや意外性もあった前作と比べても、大きな後退だ。
テレビでさらっと見たショートドラマぐらいならこの程度でも別にいいかもしれないが、移動時間込みで3時間くらい休日を費やさせて、2000円払って、『ミッション・インポッシブル』や『怪物』、『RRR』と同じ土俵で上映しているのだ。細かいセリフのネタでクスッと笑わせるぐらい(それにしたって少ない)でよしとされては困る。
腹が立ったらこれぐらい言わせてほしい。前作は面白かったから、次はもっと磨き上げた脚本で勝負してほしい。
2023年7月5日追記・
○さんのコメントへ。
コメント、ありがとうございます。まず、
>人間の感情の機微やユーモアが理解できない人が、自分の理解の外にある表現を「映画はこうあるべき」という勝手な思い込みで断罪してしまう、あまりに思い上がったコメント。
この部分は明確に私に対する人格攻撃なので、やめてください。映画.comの投稿時のガイドラインをよくご確認ください。
>「リアリティ」の基準にせよ、「演出の必然性」にせよ、全部あなたの感性の匙加減次第だという事に気づいているのでしょうか。
>要は「自分は嫌い」と「そのように表現してはいけない」の区別が付いていないのです。
その通り、全ては観客の感性の匙加減であり、私はこの作品を傑作と感じている人を否定するつもりは全くありません。おっしゃる通り、「自分は嫌い」だったので、なぜそう感じたのかを言語化しただけです。それがつまり、レビューであり、批評です。
>映画を見ることが「自分の中で勝手に作り上げた名作の条件とのパターンマッチング」に成り下がっている人、居ますよね。
上記の通り、「なぜ自分はこの作品に腹が立ったのか」ということを言語化したので、当然自分が過去に鑑賞して、自分が良いと感じた作品群との比較になります。比較対象が名作かどうかは関係ありません(『『ザ・フラッシュ』はだいぶ批判されてますね)。批評とは一般的にそういうものです。
私のレビューが誤っている=私が誤読しているのなら、私に対する人格攻撃ではなく、どこがどう誤っているのか、論理的に反論してください。
あなたが「良い」と感じたし、全ては「感性の匙加減」の問題なら、それも結構です。私は「よくない」と感じたので、その理由を筋道立てて書きました。
最初のレビューに書いた通り、お金を払い時間を費やして鑑賞した以上、私には賞賛する権利も批判する権利もあります。
最後の文ですが完全に理屈が破綻した感情的な文章になってしまっているので無視してください。
点数は関係ないですね。
> 極端な点数を付けた上で詭弁をもってしてそれを正当化しようとするあなたの評論はただの思い上がりでしかありません。
かなり長いこと放置してしまい申し訳ありません。
>人間の感情の機微やユーモアが理解できない人が、自分の理解の外にある表現を「映画はこうあるべき」という勝手な思い込みで断罪してしまう、あまりに思い上がったコメント。
>この部分は明確に私に対する人格攻撃なので、やめてください。映画.comの投稿時のガイドラインをよくご確認ください。
まず前提としてあなたの評論も表現の一つであり、酷評しているレビューが酷評される事自体あなたは受け入れるべきです。
「腹が立ったらこれぐらい言わせてほしい」ですね。
ただ、「人間の感情の機微やユーモアが理解できない人」という表現はあなたの評論への批判の域を超えた攻撃的な発言だったと思いますので取り消させていただきます。
「自分が嫌い」というただの気持ちに過ぎないものを文章中で「でなければならない」と表現する傲慢さを思い上がった評論だと批判しているわけです。
あなたの提示している論理のようなものは創作物を作る上で普遍的に存在しているルールでも何でもなく、あなたの感性を言語化しただけのものです。
本来何の拘束力のないルールをもって読者に「そうである」と思わせることを何と呼べば良いか、詭弁です。
極端な点数を付けた上で詭弁をもってしてそれを正当化しようとするあなたの評論はただの思い上がりでしかありません。
人間の感情の機微やユーモアが理解できない人が、自分の理解の外にある表現を「映画はこうあるべき」という勝手な思い込みで断罪してしまう、あまりに思い上がったコメント。
「リアリティ」の基準にせよ、「演出の必然性」にせよ、全部あなたの感性の匙加減次第だという事に気づいているのでしょうか。
要は「自分は嫌い」と「そのように表現してはいけない」の区別が付いていないのです。
映画を見ることが「自分の中で勝手に作り上げた名作の条件とのパターンマッチング」に成り下がっている人、居ますよね。