「60年代末頃の米国ペンシルベニア。 大型ダンプが行き交う炭鉱の外れ...」WANDA ワンダ りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
60年代末頃の米国ペンシルベニア。 大型ダンプが行き交う炭鉱の外れ...
60年代末頃の米国ペンシルベニア。
大型ダンプが行き交う炭鉱の外れの粗末な小屋に大家族と暮らすワンダ(バーバラ・ローデン)。
夫との間に子どももあるが、家事は疎かで、夫からは離婚されることになった。
行く当てのないワンダは、ちょっとしたことで知り合った男と懇ろになるが、男にはすぐに棄てられ、寝る場所に困って入った映画館では、寝込んでいる間に有り金すべてを盗まれてしまう。
トイレを借りようとして閉店間際のバーに入るが、そこでまた怪しげな男(マイケル・ヒギンズ)と知り合う。
「叩き」に入った小悪党だということが後々わかるが、ちょっといい男だし、行く当ても金もなく、そのまま盗んだ車に同乗してついていくことにした・・・
といった物語で、16mmの低予算製作で、冒頭の炭鉱場の長廻しからワンダの暮らす小屋への繋ぎなどドキュメンタリー映画風で、なかなか良いところもあるが、中盤、男と知り合って、夜中に玉ねぎその他全部抜きのパテとバンズだけのハンバーガーを買いに行けと男に命じられるあたりから、ちょっとまだるっこしくて退屈します。
その後、男に同行したワンダ、男は父親とカタコンベ(地下墓地)で再会し、父親に金を渡そうとするが、金の出どころを察した父親は受け取りを拒否・・・という一幕を挟んで、終盤になだれ込む。
男が計画したのは、第三ナショナル銀行の支店の支店長を拉致し、彼に金庫を開けさせて大金を奪おうとするもの。
ひとりでは無理と思った男がワンダに片棒を担がせようとするあたりの口論のシーン(男「You can do it.」 ワンダ「I can't do it.」の繰り返し)は、ジョン・カサヴェテス映画のワンシーンのよう。
支店長を拉致した男の車の後を、ワンダが運転する車が尾けていくシーンは、ヒッチコック作品でもありそうなシチュエーションなのだが(間に別の車に割り込まれ、道を知らないワンダは先行車からはぐれてしまう)、エンタテインメント作品と違って、ハラハラという感じではない。
どちらかいえば、「ありゃりゃ、はぐれちゃったのね・・・」と呆れる感じに近い撮り方。
支店長を盾に行内で強盗行為に及ぶ男と、道に迷ってUターン禁止の場所でターンして警官に停められるワンダのクロスカットは、Uターンシーンを俯瞰で捉えていて面白い効果を発揮しています。
続く、男の強盗失敗、銀行へ走って駆け付けるワンダのクロスカットもうまく撮れています。
その後、バーのテレビで男の死を見、知り合った警官と町はずれまで同乗。
警官に襲われ、逃げ出すワンダ・・・
というところで終わる手もあったかもしれませんが、あまりにも映画映画していると感じたのか、もうひとつ日常描写を描いて映画は終わります。
70年製作なので、米国ではアメリカンニューシネマの時代で、主人公が最後に死んだりする映画も増えて来ており、それすらも「映画の虚構」というのがバーバラ・ローデンの思いだったのかもしれません。
リアルを追求した結果として、映画としてはまだるっこしい部分も多々あり、感心しないところもあるのですが、後のカサヴェテス作品、初期のスコセッシ作品に通じるところがあり、シン・アメリカンニューシネマといった位置づけの作品でしょう。
個人的には、ワンダという女性には共感できないなぁ。
若い女性観客も多かったのですが、若いひとの眼にはどのように映ったのかしらん。
『わたしは最悪。』の主人公よりも、「最悪」感が強かったです。