「緑と赤が交錯する」戦争と女の顔 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
緑と赤が交錯する
原作は読んでいないので分からないが、多くの女性に聞き取りをし、それをまとめたノンフィクションらしいので、おそらくは大きいストーリーというものはないのだろうと思う。
その原作を原案に物語のあるものに仕立て変えた(原作のままでは映画に出来なかったろうし)わけだから、注目すべきは戦後の生き方についてだったかと思う。
戦争が終われば、はい元通りというわけにはもちろんいかない。
国という大きなものの体力を回復させなければならないし、国民も元の生活に戻るために努力しなければならない。
そして、傷つき回復が見込めない元兵士はもちろんのこと、その家族や、傷ついていなくとも戦中の出来事が尾を引くこともある。
物語冒頭は、起こっている出来事に対して誰も彼も笑っていて、陽気にさえ感じる雰囲気が恐ろしくもあった。泣いたり喚いたり誰もしないのだ。
戦争が終わったことを喜んでいるのかとも考えたが、どうやら違ったらしい。マーシャの登場あたりから雰囲気が変わっていく。
いや、陽気なときでさえ恐ろしさがあったのだから変わっていないのかもしれない。
主人公イーヤは緑。マーシャは赤。この二人の物語が全体を牽引する。
二人が着るセーター。緑色に塗られた壁。緑色の模様に赤く縁取りされた模様があるストール。色味が薄いサーシャの家で緑色のワンピースを着ているマーシャ。
もっと多くの場面で緑と赤は二人のパワーバランス、力関係、影響、などを表す。
それらは複雑に交錯しながらエンディングでは互いのセーターの色が入れ替わる。
イーヤ、マーシャともに、心境をあまり語らないので、二人のことを本当に理解するのは難しい。
悲劇的な出来事に対して笑顔でいる序盤と、ある意味で同じだ。
なので、互いが互いを内包したように見える色の入れ替わったラストの意味するところを理解するのも難しい。
しかし、命を奪うものが戦争であるなら、その対比として生きていこうとする。それだけでも価値のあることなのではないか。
子どもは女性にしか産むことはできないが、産むことができない女性が無価値なわけではないのだ。女性は「産む機械」ではない。
「死」の対極が「生」であるなら生きていくだけでも充分なのである。それがどんな形であれ。