エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスのレビュー・感想・評価
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素晴らしき感動のおバカSF映画!
この映画は100人が観て100人が「最高!」というWell-Madeな映画ではありません。
なにせ、死体から出るオナラで命を救うというおバカ映画「スイスアーミンマン」の監督ダニエルズですから。そして制作にマーベル映画のルッソ兄妹という最強タッグです。
この映画にはこれでもかという程のテーマ、おかずが満載です。
・家族愛(夫婦愛、親子愛)
・ADHD(多動症(マルチタスクで脳がパンクする))
・アジア移民、LGBTQ+クィア、人種差別
・カンフーアクション
・映画パロディ
・下品でおバカ
これだけの要素をマルチバースという世界に落とし込みます。
前半は呆れるくらいおバカですが、後半は感動の涙。
普遍的な家族愛がテーマになっていますが、現代社会のSNS論争や、ナショナリズム、人種差別問題などのメタファーにもなっています。
映画を見ながら「わけわからない」からと言って、考えることをやめてしまうと、それで終わりです。
上面上はおバカで下品な映画ですが、とっても私たちが生きる上で大切なことを改めて気づけさせてくれます。
最高におバカで下品、マニアックでオタクでカオスな最高の映画でした!
奇想天外も・マルチバースも・エキサイティングも・おバカも・深いテーマと普遍的な感動も、全て一つ
組合賞など前哨戦の圧勝から見ても、まず本作のオスカー受賞はほぼ間違いない。大本命。
にも関わらず、日本では酷評の嵐。訳が分からない、理解不能、最低最悪、駄作…。
結構楽しみにしてたので何かちょっとガッカリもしたけど、いざ見てみたら、いや普通に面白れー!じゃん。
話や設定だって訳が分からないって事はなく、しっかり分かる。これの何処が訳が分からないの…??
昨今のハリウッド映画の何でもかんでものマルチバースが飽きたから…? マルチバースって言い換えればパラレル・ワールド。日本だったら『ドラえもん』などアニメや漫画でよくある。お馴染みじゃん。
ハリウッドと中国の仲良しこよしがムカつくから…? 本作のアジア人キャストは80年~90年代映画ファンには堪らない。ハリウッドとは縁の無いと思っていた彼らが今こうしてハリウッドを席巻して嬉しい限り!
またまた人種やLGBTなどへのポリコレにうんざりだから…? それらも全く意味ナシの設定ではなく、ちゃんと話や展開上に織り成す。ディズニーの“ポリコレ・ワールド”とは訳が違う。
まあ確かに好き嫌いは分かれるタイプの作品。好きな人はハマり、ダメな人にはとことん何もかもダメ。
だって、スタジオはA24で、監督は異色の作品を発表し続けるコンビ。万人受けする作品じゃないのは見る前から分かる。後は自分がハマれるか、否かだけ。
勿論好みはあるが、ハマれないからと言って最低最悪の駄作ではない。皆大好き『鬼滅の刃』や『SLAM DUNK』が性に合わない人だっている。それら王道が良くて本作のようなブッ飛んだ作品がダメなんて事は絶対にない。
映画のイマジネーションは、それこそマルチバースのように無限大。
だから私はその無限のイマジネーションに唸った。
ブッ飛んでて、奇想天外クレイジーで、メチャクチャヘンテコ。
その中に、ユーモアやエキサイティングさ。おバカやお下品も。
果たしてどう着地するのかと思ったら、まさかまさかの深いテーマや感動的な家族のドラマを魅せてくれる。
見る前は、マルチバース×カンフーのSFアクション・コメディがよくオスカーにノミネートされたなぁ…と思ったが、見て納得。奇想天外に見せて深みのある、本作の本質はここにあり。
とは言え、アカデミー賞も変わったもんだ。一昔前だったら一部門もノミネートすらされていなかっただろう。でも、変わる事はいい事だ。いつまで経っても変わらず、本作のような作品が認められなかったら、アカデミー賞なんてやる意味も必要もない。それこそ日本バカデミーレベル。
もう一度言う。私は面白かった!
話そのものも面白い。
破産寸前のコインランドリーを営む平凡な中年女性。
父は惚け、夫は不甲斐なく、娘は反抗期。国税庁の職員も容赦ない。
もう人生どん底。これが私の人生なの…? 私の人生ってこうなる運命だったの…?
そんな彼女の前に“現れた”のは、マルチバースから来た夫。全宇宙の危機を救う為に力を貸して欲しい。君は“選ばれし者”だ。
しかも全宇宙を支配しようとしているのは、マルチバースの娘で…。
…って、よくもまあこんなへんちくりんな話を思い付いたもんだ。こんなの思い付く人は、天才かバカか。
おそらく監督のダニエル・クワン&ダニエル・シャイナートの通称“ダニエルズ”はその両面を併せ持っている。
天才じゃなきゃこんな作品をまとめる事は出来ない。
バカじゃなきゃこんな発想は生まれない。
劇中でも言ってたじゃないか。バカをすればパワーが増すと。
某アニメソングにもあるじゃないか。♪︎頭空っぽの方が夢詰め込める
本作のインスピレーションの一つが、斬新な日本のアニメーションからというのも何だか嬉しい。
なるほど確かにジャパニメーションを彷彿させる要素も。
バカをしてマルチバースの自分とリンク。“ジャンプする”。
あっちはバカはしないけど、もうこれ、まんま『攻殻機動隊』じゃん!
『攻殻機動隊』と言えばあの革命的ハリウッドSFアクションにも影響与えたよね。本作は所々、その作品を思わせる。
別世界とリンク、別世界の脅威、レジスタンス(みたいな仲間たち)、選ばれし者、己の運命…。カンフーや移動指揮車内なんてあの工作船。
そう、『マトリックス』!
本作は新世代の『マトリックス』だったのかも…?
その他映画ネタ(『2001年宇宙の旅』『レミーのおいしいレストラン』)や細かな伏線も鮮やかに繋ぐ。
だけどやっぱり、このブッ飛んだアイデア!
昨今のマルチバース…つまりはMCUに於いてはヒーローやヴィランのコラボで扱われているけど、本作では“別宇宙の自分”という本来の設定を踏襲しているのがいい。
様々なマルチバースでは…、カンフーマスターの自分がいる。映画スターの自分がいる。料理人の自分がいる。
指がソーセージの世界や生物発生の起点が無く“石”の世界もある。
もし、自分だったら?…と、想像膨らませてみるのも楽しみの一つ。
そんな別世界の自分とリンクして…何だか昔、『ドラえもん』見てた時のワクワク感。
幾つものマルチバースや自分が目まぐるしく交錯して展開。
何だかここも分かりづらいと叩かれてるけど、いやそこが面白い所なんじゃないの!
別宇宙の自分がジャンプ。能力が備わり、性格も変わる。
特にそれがユニークだったのは、夫のウェイモンド。“この宇宙”では冴えないのに、“別宇宙”がジャンプしたらキリッと切り替わる。キレッキレのカンフーと、あのウィンクにはやられたね。
登場人物はそんなに多くはない。でも各々が一人数役こなしているようなもんだから、ある意味アンサンブル劇!
ヒューマンドラマの実力派女優としてのミシェル・ヨーとアクション女優としてのミシェル・ヨー、両方を一つの作品で見れるのが嬉しい。
他にもコン・リーやチャン・ツィイーもいる。でも、ミシェル・ヨーなのだ!
監督コンビは彼女ありきで脚本を書き、断られたらどうしようと思っていたという。ヨーは、ハリウッド作品では単なる背景や空気でしかないアジア人中年女性を主役にしてくれた事が嬉しくて堪らなかったという。
望み、望まれたケミストリー。
娘(マルチバースではヴィラン)役ステファニー・スーの容姿に関して叩いている輩もいる。美少女の方が良かったなどと。この役、美少女アイドルだったら合わなかっただろう。あの母親や世の中に対してのうんざり感、マルチバースでのふてぶてしさが絶品だった。もし日本だったらまたバカの一つ覚えみたいに橋本環奈みたいな美少女をキャスティングするんだろうなぁ。
ジェイミー・リー・カーティス姐さんも宿敵ブギーマンみたいなしつこさと異形で襲い掛かってくる。ちゃんとユーモアも交えて。
父役ジェームズ・ホンは御年94歳、キャリア70年以上の大ベテラン! 惚けた父だが、その存在や設定にも中国問題の一つ、家父長制を提起させる。
キャストで最大の話題が、キー・ホイ・クァン。
近年稀に見るカムバック。彼の経歴についてはもう充分知られているので、わざわざ語る事もないだろう。
ユーモラスで、哀愁あって、人間味あって、アクションも披露して、美味し過ぎる役所。
また、キー・ホイ・クァンという役者自体が本作(=マルチバース)を表していた。
80年代は子役として活躍し、役者の道を一旦諦め裏方へ…。
もし、あの時役者を続けていたら…? もし、あの時映画界を去っていたら…?
全く別の人生を送っていたかもしれない。ジャッキー・チェンが夫を演じ、クァンはそれを観客として見ていたかもしれない。
裏方でもいいから、映画の世界にしがみつき留まっていたから…。
彼はこうして帰ってきた。素晴らし過ぎるカムバックで。
『インディ・ジョーンズ』の子役、昔のジャッキー・チェン映画にも出ていたアクション女優…。リアルタイムで見ていた人には感慨深いだろう。
これは同窓会ですか!
マルチバースの危機を救う…なんて聞くと壮大なSFと感じるが、本作は各々個人に行き着く。
もし、あの時ああしていたら、ああだったかもしれない。
もし、その時そうしていたら、そうだったかもしれない。
もし、この時こうしていたら、こうだったかもしれない。
人生はほんの些細な決断や選択で無数に枝分かれしていく。
あの時ああ選択していたら、この時こう決断していたら…。
結果は変わっていたかもしれないなんて、誰だっていつも思う。良くも悪くも。
もし、今冴えない人生だからって、決断ミスだったのだろうか…?
もし、今何不自由ない人生だからって、心底幸せなのだろうか…?
今の人生。こうだったかもしれない人生。あり得たかもしれない人生。
それら無限のマルチバースの中から、今の自分がいる。
選ばれし自分などではなく、それが自分なのだ。
存在を成し、意味を成し、今ここの自分に行き着く。
無数の自分は、一つ。
その時、今の自分と周りに、何が見えてくるか。何が大切か。
向き合う事。受け入れる事。理解する事。愛する事。
優しいだけが取り柄の夫、反抗期の娘、惚けた父だって、破産寸前のコインランドリーだって、どん底人生だって。
温もり感じ、愛おしくなってくる。捨てたもんじゃない。
突飛な奇想天外映画である。
エキサイティングな映画である。
究極のおバカ映画である。
そして、普遍的なメッセージに溢れた珠玉の映画である。
追記その1
本作の話や設定を訳が分からない、理解不能という意見に対してもう一つ。
多くの人が『アバター』を平凡な話だと言う。平凡だったら平凡で退屈だと言い(『アバター』は映像世界に没頭出来るよう敢えてキャメロンの優しい配慮で話はシンプルにしているのだ)、そのくせ少し複雑になると訳が分からない、理解不能と言い出す。何だかなぁ…。どうしろっちゅーねん。
追記その2
本作の略したタイトルが、如何にも配給会社の流行りワードにしようとしている魂胆が見え見えで好かん。何でもかんでも略せばいいってもんじゃない!
残念だった。
前情報や予告から、
これは人生を変える映画になるかもしれない
などと大袈裟なことを考えながら見に行った
結果、人生は変わりそうに無い
母と娘の確執が本筋となっていて
母が娘のガールフレンドを父に紹介できなかった
ことが布石となって話が進むのだが、
なにぶんマルチバースの説明が長い。
おたのしみとして
まるでレミーの美味しいレストランのシェフや
ウォンカーウァイの世界観のカップルを挟んでいるのだが長すぎる。
本当に眠くなるレベルで長い。
し、本筋どうでも良くなっちゃうよ、
もっとそこを見せてよって思ったし、
それ以外の要素がたんまり入れられると
まるでエンタメが無ければこの話が映画として成立しないみたいじゃんか。
ガッツリ母娘の話で90分で良かったよ。
もう始まって序盤のアクションシーンで、
観たかったの"これじゃない感"に苛まれてましたよ。
おそらくギャグのセンスやらも合わなくて、
何となく笑うというより、失笑に近かった。
たださ、娘の気持ちは嫌というほど理解出来るし、
その辺の諸々やられちゃうと涙出ちゃうんだけどさ。
しかも今回それを(やり過ぎだとしても)マルチバース
という形で、うまく見せたわけだし凄くはあるのよね。
娘は、自分が母親の理想になれなかったことを気にしていて、母親の別の人生を考える。そんで、今起きてる事はすべて無意味だなんて言い出しちゃう。岩になったりしちゃう。(このシーン、良かった)
その結果、母親の「あなたを選ぶ」という言葉を引き出す。
なんかここでさ、エンタメ盛り盛りのパラドックスを見てきた君らはそれで納得でいいかもしれないけどさ、現実はどうなの?って思ったりしちゃった。
パラドックスもマルチバースもない現実世界で、本当に母親はその事に気付けるの?そういう答えを出してくれるの?パラレルワールドを選ばない保証はあるの?無いから映画が見せてくれたの?気づかないから映画が教えてくれるの?
と、取り止めのない私的なことを考えてしまいましたよ。。
そんでもって、私はもっと痛い気持ちとして表現出来るんじゃないかと思ったし、こんなモンじゃない、と思った。もっと、もっとだよ。こんな痛みじゃない。
真の武術とは暴力を止める事。愛の物語です。
大のカンフー好きですが、予告の時点でSFを期待してたので寧ろ思ってたよりアクションみれて良かったと思いました。
前半は何層にも重なったマトリックスみたいな話だと思いながら見ていました。
それが段々とエヴァみたいな話だなと思えてきた。
当方エヴァは1番最初の映画化1作目までしか観ていません…
毎日バタバタで地獄の様な日々に追われてるが、別の世界線ではいろんな可能性があった。
現実問題、誰かが作りだした価値観"正しさ"により、
人種も老いも若きも男も女も全ての人々が揉めに揉めまくっている。
悪意ある誰かの作り出したシステム"ベーグル"
皆が皆、本当にあなたが憎くて嫌な態度を取っているだろうか?
価値観は後から後から、その時の勝者の都合に合う様に塗り替えられ植え付けられるもので、見る角度が違えば善意も悪意に見えるもの。
本当はそんな事で揉める筈ないのに現在は壊滅的なとこまで来てると思います。SNSなどの壁によってね。
フィジカルの暴力も言葉の暴力もマウントを取るとかいうが、歴史はどんなに間違った事であっても勝った人の言う事が正義になります。それは人間が勝手に作ったルールであり、本来なら勝ち負けではない。
相手を押さえつけて勝ち取った勝利では平和は来ない。
それは独裁者が取って代わるだけで結局は何も変わらないのです。メキシコのギャングみたいに…
ファシズムで勝利しても人の心は変えられない。
人の心を変えられるものは愛と許しのみ。
不幸な境遇を人のせいにする事ではない。相手じゃない、自分の弱さに打ち勝つ事こそが本当の勝利なのだ。理解や多様性はここがスタート地点。
これは武術の真理でもある。
手を出さずに丸く収まるならそれを1番最初にする。
手を出すのはやむを得ない最後の行動。
人間は全て距離感、関係性。声のトーンや表情が見えないと相手が何を思っているかの本質は見えてこない。
皆が今隣にいる人にやさしくなれれば自然に争い事はなくなります。
壮大な親子喧嘩
ハイパースーパーアメリカ映画
前半はブラックジョークと下ネタだらけで久しぶりに映画館で腹抱えて笑いころげた
毒親に育てられた人が子供育てるのは大変だよな~おもた
A24イズム満載の演習の場面もあって嬉しかったわん
後半はちょっと感動した、泣く程ではないけど
あと色んな映画のオマージュを感じてよかった
発狂する唇+シンエヴァ
エヴァやグレンラガン、まどか☆マギカなど2000年代以降のアニメや漫画でよくみた展開が続き、
最後までこのような系統の話の想定の範囲内という感じでした。
パクってるとかいうつもりもないのですが、「あーこういう感じならそうなるよね」という既視感が続き、突拍子のない話のはずなのに「まさかそんな展開に!?」という驚きがなく自分には退屈に感じました。
有名なアニメ・漫画なら見てみるくらいの自分でも似たような展開の作品がいくつか思いつくので、いろいろよく見る方ならもっと既視感を強く感じるかも知れません。
アフターヌーンの漫画にありそうな感じです。
逆に、2000年代以降の日本のアニメ・漫画にあまり触れてない方が見たらすごく面白いかもしれないので、海外で色々な賞を取っているのも理解できます。
実写で超大作というほど予算もなさそうなので話のスケールに映像が追い付いていないのも残念です。
主演にミシェル・ヨーさんのキャスティングとかは面白いので、もっとそれを生かしたメタネタとか入れれば面白かったかもしれませんね🙃あとイワトーーク!はちょっと面白かったです
映画界のポリコレ表現……もうええて
※2023.03.05加筆
映画のポリコレ的な表現
性的マイノリティや、アジア人俳優を起用して
理解を求めるみたいな展開……まだ、そこに居るの?
その割には犬(ポメラニアン)を振り回して武器にする表現があったり
コインランドリーに来た客を「鼻がデカい女」と揶揄したり。
何に対しての配慮なんだか
どの表現に対する自由なんだか……
結局、性的マイノリティ、アジア人の器用もファッションでは?
「今こういうのがクールなんだよ」と
本質分からずノリでやってる感じ
下品な描写をアーティスティックに見せようとしてる感じもシラケる。
ドヤってるけど、スベってる。
これが今のアメリカの価値観なの?
これでアカデミー賞本命?
マジかよ。
この映画の良さが分からない人たちは
単純明快なエンターテイメントを求めるタイプなのか、とても幸せな人生・家族の中で育った人たちなんだと思いました。
マトリックスや猿の惑星、たくさんの映画のオマージュやパロディ調の笑いのシーンを交えながら(ホットドッグ指はさすがに苦笑いでしたが)普遍的な生きる意味や人との関わり方を、夫婦・親子の関係性の中で本当に美しく表出した作品だと思いました。
監督方がインタビューでいっていた移民家族の葛藤、生きることに必死でこれで正しかったのかわからず、さまざまな後悔の中で生きていく様。エヴリンもジョイも親から期待外れのメッセージを受け取り、自分の人生の意味を見失っていきます。エヴリンはそこに夫のウェイモンドの優しさも浅薄さ、幼稚さにとり、映画の世界のロマンスや、出てきた「アルファ」ウェイモンドにも想いを馳せます。
でもさまざまなウェイモンドから、優しさは何も考えてないのではなく、彼の戦い方であることを知り受け止めていく様も、どうせ全てに意味がないなら投げ出したいとブラックホール(ベーグル)に吸い込まれていこうとする娘に、たとえ意味がなくとも、長い世界の中での一瞬でも私はあなたといたい、と石になった娘を追いかけ、現実で離れようとした瞬間に、最後にやっと、まっすぐ伝えて抱きしめるシーンに私は涙が止まりませんでした。人の寂しさは完全に埋まることはないけれど、瞬間瞬間に誰かに理解され必要とされる、あなたといたいと思ってもらえる。その思いと繋がりが生きる一つの原動力になると改めて感じることができました。
このメッセージ性をシリアスに、他の回り道なしに表現する映画は沢山あると思います。でもこのはちゃめちゃに見える映像のツギハギで、最後に見せる世界観だからこそ伝わること、伝えられるものがあったと感じました。
私はアカデミー賞のノミネート数は至極納得でした。また重ねてみたい映画です。
壮大な親子喧嘩
実は直前までノーチェックの作品だったが、アカデミー賞ノミネートうんぬんで紹介されてる記事を読んで、にわかに興味を持った。しかも、「スイス・アーミー・マン」の監督だというので、さらに。あのちょっとヘンテコな世界観、けっこう気に入ってるのだ。今作も、やっぱヘンテコ。で、よりヘンテコのスケールが大きくなった。俳優の数も、セットの規模も、前作とは段違い。
根本的には中二のこじらせ。下ネタやゲロとか、こども(特に男子)は大好きだもんね。だけど画はきれい。白い窓の白いカーテンとか、峡谷を見渡す崖の上の石とか、黒いリングが十字架のように鎮座してるのとか。ジョブのファッションもおもしろい。ちょっと渡辺直美を連想しちゃった。
中年女性が主人公、娘はぽっちゃり、と、美男美女がいない映画。でも、普通の人間にだって、ドラマはある。私もジャンプしてみたい。指の間を切るのは嫌だけど。下品でくだらないジョークを許せるなら、この映画を楽しめると思う。
キー・ホイ・クァンの目が、子供の頃と同じく、黒曜石のようにつややかだった。
スイスアーミーマンが宇宙の中心で愛の讃歌。と言うか、おバカンフー。
ダニエルズですもん。何と言ってもダニエルズですもん。更にルッソ兄弟が製作に名を連ねるA24作品。普通のおバカで終わるタマじゃなければ、感動のバーゲンをする訳もなく。
家族愛・人類愛を、捻くれ者が照れ隠しで、おバカンフーにしちゃいましたけど、見たい人だけ見てちょーだい!的な。
最高に楽しかった。
マジで。
楽しかった。
とっても!
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3/11 追記
「スイスアーミーマン」って、科学的な根拠の部分って、突っ込んだらアホじゃないですか。と言うか、あほらしさのインパクトから、真面目に考えようとする人はいないと思うんですよね。だから、これもそうだと予想してたんですよ。映画界にはびこる「マルチバース」を逆にコケにしに来るんじゃないかと。
で、実際、多少そういうところはあるんですよ。ハリウッド大作って、この手のマルチバースだのの設定のあるSciFものには、「だれがそんなものを作った?」なんて言う、大掛かりな設備や基地があったりしますが、今回はバンです。VANです。VANに取り付けられた歯医者さんの椅子みたいなやつと脳波計に、極めつけはドラゴンボールを探すドラゴンボールレーダーみたいな小道具。マルチバースが、地下鉄の路線図的なんが止めですw
そもそもがですよ。
SciFものに「量子論」を持ち込み、実際、量子の力を借りながらも、映画のスクリーン上では依然として人間の形をしている登場人物たち、っていう時点で、科学的な論拠よりも描写の方を優先してるわけです。ドクター・ストレンジじゃ、量子の世界が登場すると、空に渦がウズウズ巻いてたりします。つまりは、そこからは「ニュートン力学」が通用しない「量子の世界」。モノは、その形からしてニュートン力学で結合している、今の、この3Dの世界のそれとは、根本的に異なるはずですが、創作物では、そこは描写の自由で、割とフリーになってたりします。
で、本作ではベーグルですよ。
あれの意味は「ニュートン力学が崩壊した世界」。単純なブラックホールではありません。
「どんな選択をしても、それは量子の確率論の海に消えてしまう」
とは、ジョブ・トゥパキの言葉。本質を、シンプルに詩的にしてて。いや、かっこよくてニヤってしてしまいましたけどね。ででで。そこから、
「ならば、全てを、その海の中に入れちゃうわ」
なんだと思われ。
この「ベーグル」は、多分いろんなものを象徴している。新しい秩序。それまでの規則に縛られない、自由な世界。まぁ、いろんな言葉で言い表すことができるもの。
それは良いけど、やっぱり愛だよね、家族愛だよね、って言うオチ。
と。人生は選択肢の連続。その枝分かれした今の世界に生きる、今の自分を大切にせよ。と言う、べたのダメ押し。
だから、結局はベタなんですよね。ベタベタ。エブエブの本質はベタベタですよ。で、SciFをコケ、と言うかお笑いにしてる。この塩梅、しょっぱさが、個人的には堪らなかったです。
これは、iMaxである必要は、無いかと思います。
今月末に引っ越す予定の立川に。シネマシティはそこそこ混んでたので...
今月末に引っ越す予定の立川に。シネマシティはそこそこ混んでたのでドラクエウォークしながら一時間歩いてMOVIX昭島に行ってみた。こちらはいつもながらガラガラで、ちと可哀想だった。
作品はあちこちで耳にする高評価からかなり期待して見に行ったんだが、マルチバースの解説とか刺さる部分も確かに多いけど、舞台と登場人物がかなり限定されてたり、個人評価はそこまでではなかったかな。皆さんのレビューとか読むと感想も変わるかもですが。
ミシェール・ヨーは軽快な動きの部分のダブルももう少し上手にすり替えてほしかったし、スター女優のバースのシーンはもっと綺麗に撮ってあげて欲しかったなあ。キー・ホイ・クァンは冒頭のモニター越しでの軽快な動きとそれに気づかぬ主人公から、後でさらなる大活躍が見られるかと期待したのだが、活躍するのが別バースの彼だったのが残念。ちなみに使われる中国語は、お父さんは広東語のみ、その他は北京語、ミシェール・ヨーは間に入って両方使ってた。
多元宇宙すごろく。
同じマルチバースを扱ったアントマンとは桁違いの低予算、しかしかの作品より全然見ごたえある作品だった。
ルーレットで出た数字次第で未来がコロコロ変わる人生ゲームのように可能性の数だけ広がる多元宇宙。
確かに可能性の数だけ自分が存在するとしてもアニメや落書き、あげくに石ころはないかなあ。生物発生しない世界の石ころは石ころだから思考や会話はできないだろう、なんて硬いことは言いっこなし。所詮何でもありのコメディー作品なのだから。
多元宇宙に存在する他の自分と自由にアクセス出来る技術が開発されたことがきっかけで、邪悪なジョブトゥパキが誕生する。彼女は主人公のエヴリンを狙っており、開発者のウェイモンドによって知らされる。
ジョブトゥパキと戦うには同等の力が必要、すなわち多元宇宙の他の自分にアクセスしてその自分が持つ技術をダウンロードすること。この辺はマトリックスみたいだ。このアクセスする際の「ジャンプ」がいちいち馬鹿げたもので可笑しい(ほとんど罰ゲーム)。
本作のこのアイディアはまんまボードゲームにすれば売れるかも。
ちなみにジョブトゥパキは全ての多元宇宙の自分と常時繋がった状態なのでジャンプは不要。
ジョブトゥパキは無限の力を手に入れたにもかかわらず何故ベーグルブラックホールを作り、自身を消滅させようとしたのか。すべての可能性の自分とつながったことで逆にあらゆる人生の可能性を失ったために絶望して自分を滅ぼそうとしたのだろうか。同じ能力を持つエヴリンを道ずれにして。
しかし、結局は母の愛が彼女を引き止める。無限に存在するマルチバースであっても母の愛は共通だということなのか。夫の妻への愛も。
多元宇宙なんて考えだしたらきりがない。仮に存在したとしても次元の違う世界を往き来できるわけもないのだから、本作はタイムスリップもの同様に深く考えずに楽しむのがいい。
多元宇宙の他の自分につながれたら現世界では天下無敵になれるという娯楽作品。ワンアクションごとにサンドイッチマンやシェフになるあたりも非常に可笑しかった。
このカオスな世界をすべて理解したい
マルチバースの自分の能力を吸収して巨悪な敵と戦うという斬新かつカオスな展開がとても面白くハマった。
どの世界もユニークで面白かったが、中でも指ソーセージはぶっ飛びすぎててめちゃくちゃ笑った。
自分はMCUでマルチバースの概念を知っていたからスッと入ってきたが、マルチバースはじめましての人は理解出来たのだろうか?
めちゃくちゃ笑ってからの家族の確執が解消するシーンや色んな世界の自分を知っても結局自分自身を受け入れるシーンは感動した。
まさかこんなカオスな作品で涙するとは…。
ハチャメチャな内容だけど意外と深い意味やメッセージ性ある作品だと観終わってから気付いた。
コメディエンタメムービーとしてラフに鑑賞してしまったがゆえに正直半分ぐらいしか理解出来てないと後悔。
近々改めて視点を変えてしっかりと鑑賞しようと思う。
映像の見応えが凄い
去年見たマトリックスレザレクションくらい意味が分からなかったです。マルチバースという表現は流行りに便乗して使ったけど、言ってみればパラレルワールドのことと思いました。
展開が難しくて、最後は感動シーンなのでしょうか?よく分からなかったです。SUUMO君が出てきたような気が•••?
嫌いじゃなく、作品をディスった訳でもないです。一回じゃ理解できませんでした。
それと、最近のディズニーのポリコレ映画を中国で上映禁止してるのに、本作品は中国要素強めなのにポリコレ全開なのが不思議でした。
期待高すぎたなー
久々映画館行きに鑑賞。話題にもなっており、ミシェル・ヨー・カンフーときて期待してました。
星は、基本どんな映画でも3つから評価するようにしているのですが、期待値との落差が大きい時下回ります。(期待してないのに低い時は、「なんじゃこりゃ」って酷い映画(笑))
かなり上映館数多いようですが完全に単館系の映画です。
IMAXで観ちゃったよー!普通の上映で良かった。
カンフーも期待程ではないし、不思議系の映画で、上映時間も長過ぎる(1時間半位でいい感じ。)
予算の無いマルチバース&マトリックス+単館系のノリで作られてます。(下ネタも全開(笑))
キー・ホイ・クァンが懐かしいのと(子供の頃とあまり変わって無いね。)国税庁の監査官がジェイミー・リー・カーティスだったとは!(全く気付かなかった!)
後、脇役でYouTubeでカンフーアクションやってる人達出てましたね。(ケツにトロフィー突っ込んで襲いかかる2人、他にもいたかな?)
内容というか前半はね、物語を追う感じで観れていたんですが、中盤くらいから冗長でダレてきて(同じような語り、演出)結局家族愛かい!
家族愛でもいいんですが、ラストまでが長過ぎる!
また、家族の不和にしても原因が、マルチバースの影響みたいな感じなので感情移入しにくいし、沢山のシュールな設定のわりに真面目な雰囲気なので、もっとコメディ風に寄っててもよかったかなと。
個人的感想ですが、賞取るほどのモノかなーと言う感があります。
単館で話題になる程度な作品だと思うんですが、まあ、ヒットもしたようだし受け入れた人多いんでしょうね。私は、???でしたが。
壮大な宇宙のかけら
奇しくも、税務署 確定申告の帰り
ちょうどその時間に合った今日の一本でした🤣
人って…
なぜ誰かにプレッシャーをかけてしまうんだろう。
なぜ自分の物差しで決めつけてしまうんだろう。
なぜ優しさを忘れたように争うんだろう。
奇想天外な覚醒がフラッシュバックするような長い悪夢とまだまだ見ていたいような夢を挟みながら畳みかけ問う(たぶん。)
そして、世界の果てのどこか…
石の姿の会話にやたらしみじみほのぼのするのだ。
田舎の縁側でおばあちゃんとなんの制約もなくほっこり日向ぼっこしている時間みたいに。
ほんとうに大事なものはどこにある?
いくつかのことばたちが星のように時々光る。
早々に退場する影も視界に入ったけど、見届けず、はもったいないかもなぁ。
(と思いながら観る。あ…これをもしやプレッシャーと呼ぶ?😅)
だが、好き嫌いは大きく分かれそう…だ。
かけらのひとつの自分としては、優しく柔らかく生きていきたいなぁ…と、それだけは思えたことが収穫だったのかなと…
でもちょっと疲れはてた笑
2.6なかんじの3.0です^^;
修正済み
人生ベスト更新
年間100本以上見ている上で、間違いなく人生ベストでした。最高。本当に素晴らしい!ここまで全方面にぶちまけてる映画は今までに無い!
個人的ベストな理由とアカデミー最有力と言われる理由、あとはあれ結局何だったのポイントを備忘の意味も兼ねて記します。
①キャスト
主演女優、助演男優、助演女優をSAG賞やロサンゼルス映画批評家協会賞で取ってます。これまでの賞レースの歴史として言わずもがな白人優位の歴史がありますが、近年有色人種の受賞が徐々に目立つようになってきました。一方アジア人での受賞はほとんどなく、劇中語られていたようなアメリカ移民の成功が難しい部分がこれにリンクします。例えばミシェルヨーはハリウッドの中でアジア人で最も成功した女優といえますが、主役を張った映画での受賞はほとんどなく。キーホイクアンもグーニーズやインディで天才子役で抜擢されるも、依頼仕事はほとんどなく俳優業から退くまでになった(映画NOPEでのスティーブユアンの子役がまさにそれ)。アジア人のチャンスがアメリカにおいて限りなく少ない事、別のチャンスがあったのでは?というような葛藤が、本作の演技をする上で本人達のリアルな思いと共に伝えられる点がリアリティが増し傑作であると言えます。
②Z世代の葛藤
ステファニースー演じるジョイは大学を中退しタトゥーを入れゲイであることを母親にカミングアウトするも全ての行いを全否定され無力感に苛まれる。結果として生まれる虚無主義(ニヒリズム)が悪の権化として、本作のヴィランになります。全部どうでも良いというマインドは昨今のZ世代にも共通するものがあると思っており、コロナや不景気などの急激な時代の変化に対し、希望も期待も抱けない等身大の若者像を見事演じてました。
ちなみに虚無のブラックホールとして存在する巨大なベーグルは全てを諦める死よりも恐ろしい象徴として存在しますが、実際にエブリシングベーグルというものがアメリカには存在します。ケシの実やひまわりの種など文字通り全部載せベーグルで、いわばめちゃくちゃでよく分からん混沌の象徴として面白いすり替えだと思います。
③インターネットミーム
本作はインターネットミームが多用されます。これがご年配やアメリカ文化に精通してないと響かないところだと思います。例えばグーグリーアイ(目玉シール)に関しては
2010年代くらいにネット上でグーグリーアイをつけると全てがおもろくなるみたいなミームがあり。あとはポメラニアンが武器になるシーンなんかは、ベイビースローイングという赤ちゃんとか可愛いものが燃えたり投げられたりしてるミームが流行りました(Sims4とか)。他にもミシェルヨーが小指カンフーを極めた時、相手を打破する音が大乱闘スマッシュブラザーズのバットでホームランするSEと同じだったりとか、orange fuzzを一気飲みするのはtiktokへのディスでしょう。
④名作映画のメタファー
本作はマルチバースお約束ということもあり過去の名作映画の引用が大量にあります。映画好きなら分かるところが分かるのでとても楽しめるかと。マトリックス、2001年宇宙の旅、花様年華、レミーのおいしいレストラン、グランドマスター、パプリカ、グリーンデステニーなど。他にも私ときどきレッサーパンダにメッセージ性は似てましたし、もちろんマーベルを追ってる人からすればマルチバースという概念はおろか、ガーディアンズのロケットみたいなアライグマがツボだったんじゃないでしょうか(しかもめちゃチープ)。
⑤アクション
カンフーアクションがメインで最近のアクション映画とは一線を画します。ダニエルズ監督達がいう様に昨今VFXが簡単に使える今、我々はあの手のアクションシーン(キャプテンアメリカやデンゼルワシントンのクールな戦い)が量産され見飽きてる節があります。マーベル自体も最近はあまりフェーズ4ほどのアクションシーンを入れてませんよね。そこで往年のカンフーアクションをあえて入れたらしく、そこが変わり種として良いアクセントになってました。しかもキーホイクアンはほとんどのアクションを自身でやってのけているらしいです!すごい!
⑥家族愛
Z世代の葛藤でも述べた通り、昔と違って色んな事を諦めたり期待しない悲しい時代になってしまっていると思います。でも一方でそれは親の世代でも同じ様にあり、ジョイの気持ちは母親も経験している為唯一の理解者となる。だからこそジョイの原動力であった全部どうでも良いという虚無主義が、最後エブリンの全部どうでも良いからただあなたを愛すという無償の愛に繋がるところは号泣どころ。
またエブリンの言動は家族のためにせかせかと働く肝っ玉母ちゃん感がある一方で、ADHD気質なところがあります。だから必ずしも正しい事をしているとは言えないところもあり、そんな中で心優しく楽観的な夫ウェイモンドを全否定します。変化を受け入れず、他者のことを否定する事、それは結果的に自分自身を否定する事になります。LGBTQ+について今まで異性愛者しか受け入れなかった事からの否定、男はこうあるべき、大人はこうあるべき、という様なトキシックマスキュリニティ、受け継がれた悪しき慣習から変化を受け付けないこと、それはより良い世界は産まずに虚無だけが残る最悪の未来が待ち望んでいる。ウェイモンドの語るビーカインド(親切でいてね)は、夫婦間だけでなく全世界に対して言える言葉となります。これは我々へのメッセージでしょう。
あらすじと考察
Everything, Everywhere, All At Once
エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス
アメリカ社会に生きる中国系移民の女性が、中年の危機を迎え、自分の過去を振り返り、人生にあり得た様々な可能性を検討しながらも現実と向き合う物語。
家族の絆や、人種問題の融和といった感動的なテーマを掲げる。
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主人公はクリーニング屋を経営し、コインランドリーも兼ねている。
注)アメリカには「洗濯屋は中国人がするもの」というステレオタイプなイメージがある(あった)※1
彼女には夫と一人娘がいる。
夫は優しいが頼りなく、娘は反抗的で大学を中退し、今はガールフレンドと付き合っている。
映画が描くのは、そんな彼女が確定申告に追われながら、中国からやってきた父親の介護に追われ、新年会(旧正月?)を取り仕切る慌ただしい1日の出来事である。※2
確定申告は彼女の仕事。父親の介護も女の仕事。新年会を取り仕切るのも彼女。夫に指示を出して動かすのも彼女。
夫は離婚を切り出そうとしているけれども、彼女が忙しすぎるせいでゆっくり話し合う暇もない。
娘は新年会にガールフレンドを連れてやってきたが、主人公は、そのガールフレンドを父にどう紹介するか迷った挙句「友達」と紹介したため、娘は不機嫌に。
確定申告へ向かった国税庁では、監査官の白人女性との間に以前から確執がある。
言語や文化の違いもあってか、人種間摩擦にも似た問題を抱えている。
そんな彼女が自宅の食卓で確定申告業務をしている場面から映画は始まる。
家族との会話を交えつつ、自宅併設のコインランドリーの内部を経て、カメラはようやく屋外へ出て、国税庁へと向かう。
これは「自宅→仕事場→彼女を取り巻く社会」という順番になっている。
いずれも問題だらけで、彼女の人生の行き詰まりを「内→外」と、身近な順番で紹介していると言えるだろう。
そのあとには、夫と駆け落ちしてアメリカに来たこと、父親からは勘当同然の扱いを受けたこと、アメリカンドリームを抱いてコインランドリーを購入した当初の希望に満ちた様子が描かれる。
しかし彼女はずっとクリーニング屋=社会の底辺(成功者とは言えない)。
父の介護のためにいよいよ身動きが取れず、夫からは離婚を切り出されそうだし、娘との確執もあり、映画の中でアメリカ社会(白人社会)の代表として登場する監査官からは真っ当に扱われている感じがしない。
「クリーニング屋として社会の底辺に固定され、家庭に縛られ、アメリカ社会の中でも不自由している」ことを理解させる設定がふんだんに盛り込まれている。
★あらすじに間違いがあればコメントにてご指摘ください。
※1 ロマン・ポランスキー監督の名作『チャイナタウン』(1974)の中で、「中国人の洗濯屋はまだツバで洗濯しているのか?」というセリフがあり、ここから中国系移民に対する見下した意識が見て取れる。ちなみに『チャイナタウン』の舞台設定は1930年代。
※2 アメリカの確定申告の〆切は4月だとか
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人生の停滞を迎えた主人公だが、そんな彼女のために用意された救いの手が「マルチバース」だ。
確定申告のために国税庁へと向かった彼女は、監査官を前にいよいよピンチを迎えるのだが、「別の宇宙からの夫」が登場。
彼女こそが全宇宙の救世主であること、全宇宙を崩壊させようとする恐ろしい追手が彼女にせまっていることを告げる。
そこから後半にかけて、物語はカンフーアクション映画の様相を呈し、「別の宇宙の自分が持つ能力をダウンロードしながら戦う」という斬新な設定が盛り込まれている。
アクション自体は革新的なものではない。
ダラダラと進行する感も否めないが、「能力のダウンロードのためには何しらの奇行をしなければならない」との条件が伴う。
そのためアダルト描写を交えながら、ドラマ『スペック』の堤幸彦監督のセンスさながらのシュールでコミカルな笑いを誘う。
彼女に襲いかかる追手もまた、別の宇宙の自分の能力をダウンロードしながら戦いを挑んでくる。
『マトリックス』のエージェント・スミスによって乗っ取られた一般市民さながら、別宇宙の自分自身によってコントロールされている様子。
よくよく考えてみると、オフィスで無線で指示を受けながら追手から逃げ回るのもどこか『マトリックス』っぽい。
終盤には「あの有名なシーン」(どのシーンでしょう?)が再現されており、明確にオマージュを捧げている。
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【マルチバースについて】
本作におけるマルチバースは、量子力学の「多世界解釈」に影響を受けているようだ。
「私たちが何か選択をするたびに世界が分岐し、その蓄積によって無数の世界(宇宙)が同時に存在している」というものである。
加えて、別の宇宙の自分との意識の共有が可能で、別の宇宙の自分に意識を転送したり、別の宇宙の自分の意識が、現在の自分に転送されてきたりする。
主人公はその結果として、「すべての宇宙の自分の人生を、同時に1カ所で経験できるようになった」という設定だ。
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【まるで『インセプション』?】
このように、「全ての自分」を1つの肉体で経験できるようになった主人公だが、実はその主人公もまた別の宇宙の自分だった、と考えていい。
あるいは「『マルチバースにアクセスできる主人公』は主人公の妄想である」と解釈してもいい。
というのも、この映画は現実改変モノではない。
どのような選択をしようともあくまで分岐した世界が存在している、と設定しているからだ。
主人公はカンフーの能力を手に入れるが、それによって現実が改変されるのではなく、あくまで普通の人生を送る別の自分も存在している。
ということは、
解釈①「マルチバースにアクセスする主人公」は、普通の人生を送る主人公の妄想である
か、
解釈② 普通の人生を送る主人公もまた、分岐によって生じたマルチバースの1つであり、意識の共有によってカンフー能力を手に入れた世界線の主人公の意識が転送されてくることによって、現実世界をより良いものにしていく
ということになる。
クリストファー・ノーラン監督による有名な『インセプション』(2010)は、夢の世界を舞台にしている。「夢から覚めた世界もまた夢だった」という演出が印象的だ。
"Dream within a dream" (夢の中で見る夢)というセリフが記憶に焼き付くが、終盤には「夢の中で夢を見る」ことを繰り返し、夢の第1階層、第2階層、第3階層、そしてもっと深い階層でのアクションが同時進行していく。
本作も同様に、複数のマルチバースを同時に経験しながら物語は進んでいく。
マルチバースが全て「夢」、そして普通の人生を送る主人公が「現実」だという解釈も可能だ。
解釈①によれば、"エブエブ"は、普通の人生を送る主人公が、「マルチバースにアクセスできるようになった自分を夢見る」という白昼夢だということだ。
解釈②は、国税庁のあたりで主人公の世界は「カンフーマスターになった人生」("Kung-Fu Timeline")と「平凡な人生を送り続けた人生」("Reality Timeline")に分岐しており、"K"タイムライン(万能になった主人公)から"R"タイムラインに情報が転送されてくる、ということだ。
主人公は特殊能力を獲得して現実を改変できるはずなのに、物語は平凡な人生へと着地していく、という点に注目したい。
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【物語の結末】
この映画は、マルチバースという最先端のSF設定を採用しながらも、ごく平凡な人間ドラマとして着地する。
主人公はマルチバースにアクセスし、宇宙一のカンフーマスターとなり、様々な能力を手に入れるけれども、人生の問題を解決するのは夢のような能力ではない。
あり得たかもしれない別の人生を想像し、さまざまな検討を加えた結果、彼女はただ、目の前にいる夫を愛した。
夫はただ、白人の監査官と会話し、主人公はただ監査官とタバコを吸いながら話し合った。
さまざまな葛藤を経て、娘とただ胸の内のありったけをぶつけ合った。
父親にはただ「娘のガールフレンドです」と紹介した。
その「ただ〇〇した」が、物語を平和な結末へと収束させていく。
確定申告の〆切は1週間延長され、白人とも打ち解け、事業拡大への希望もつながった。
夫とのあいだに愛も取り戻したし、娘も一緒にいてくれる....
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今ある人生からは逃れることができない。
この映画は、観客に向けて「今ある現実、その生活は変えることができないのだから、まずは目の前にいる人を愛しなさい。優しくしなさい」と無条件の愛を訴える。
カンフーマスターとなった主人公。
だが彼女は戦いの型をとるのではなく、無条件の愛を持って手を差し伸べる。
エンドロールを最後まで見れば、まるで脳死の"I love you"が連呼される...
「家庭の問題も、人種間の問題も、愛があれば、優しさで解決できるよね」と
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【映画の問題点】
マルチバースを導入した斬新なカンフー映画であり、ユーモアも豊富だが、見せ場のアクションが真新しいものであったというわけではない。
マルチバースの設定もやや不明確だ。
インセプションのような入れ子構造が、明確なものだとも言えない。
「ベーグルってなんだ?」「結局全宇宙をかけた戦いはどうなったの?」「悪役ジョブ・トゥパキはどうなったの?」「夢オチってこと...?」
そういった娯楽面や表現面での批評はさておき、この物語が下した結論、物語が掲げたテーマについて考えてみる。
ジョン・レノンの「イマジン」が如く、この映画は「脳死の愛や優しさで人生をポジティブに変えよう」と訴える。
けれども主人公の家計や収入が良くなったわけではないし、父の介護によって縛られるのも変わらない。なぜ「娘のガールフレンドよ」と伝えただけで父の理解が得られるのかもわからない。
この映画は、パラレルワールドにおいて、家族や白人と主人公が繰り広げる葛藤が、あたかも現実世界に作用したかのように描いている。
けれども実際は、現実の主人公と登場人物たちの間には何も起こっていない。
パラレルワールドの登場人物たちと現実世界の登場人物たちを重ね合わせる演出が錯覚を生んでいるだけだ。
だから「パラレルワールドで色々と起こったからといって、なぜ全てがうまくいくのか」という疑問を生む。
「サリーとアン課題」という心理学の実験があるが、この映画を見て「主人公が家族や白人と和解した」と感じるのであれば、それは編集の巧みさと、サイケで時にサブリミナルな照明効果によるものではないかと思う。
現実世界の多種多様な問題に具体的な解決策を提案したわけでもない。
主人公が人生の問題や生活の問題を解決したわけでもないが、「愛の力」で人間関係だけは良好になる。
「貧しくても優しさですよ、愛ですよ」と説くが、「経済的余裕こそが精神的余裕を生むのでは?」「衣食足りてこそ礼節を知るのでは?」という疑問が生まれる。
現実のアメリカ社会で生活する貧しいアジア系移民に向けて「愛だ、優しさだ」と説いても意味がないが、支配階級に向けてアジアと白人が融和する映像を見せると満足する(態度が軟化する)ということなのだろうか?
社会問題に対して具体的な解決策を提示するわけでもないが、白人に対してアジア系への融和的な態度を促すのには効果的に思えた。
「マルチバース」というホットなテーマを導入しつつ、『マトリックス』のようなアクションと『インセプション』のような入れ子構造で描き、「性的多様性」や「アジア系と白人との融和」といったアメリカ人左派の価値観を再確認した、といったところだろうか。
自分は「夢と現実」のような映像表現が大好きなので、マルチバースという設定を整理・理解する経験が楽しくて少し高めの評価になった。
(3月4日 改筆済)
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