ロストケアのレビュー・感想・評価
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人にしてもらいたいと思うことを人にもしなさい。
人にしてもらいたいと思うことをしてあげたい。でもその時にならなければ何をしてもらいたいか分からないこともある。子が親にしてあげられることは本当はあまりない、松山ケンイチと長澤まさみの迫真の涙に、苦しさと悲しさ、悔しみで体が震えた。
彼の行為を批判はできない自分がいる
日本に住んでいる全員に観てもらいたい。
42人を殺したのか?それとも救ったのか?
久しぶりに、胸の奥に突き刺さる作品を観た。当初、42人の介護ケア老人を殺したサイコパス・サスペンスの要素が強い作品か、と思っていた。しかし本作は、老人介護について、改めて考えさせられる、前田哲監督らしい社会派のヒューマン・ドラマとして仕上げていた。
親の介護というのは、身内だからこそ、簡単には考えられない現実。しかし、いつかは、誰もが辿り着く社会の課題ともなっている現在、寝たきりや認知症を患った親に対して、私達は、どう接すればよいのか?もちろん、私達も歳をとり、介護される側となり、子供の世話になった時、迷惑をかけないようにするにはどうすればいいのか?それぞれの立場において、とても身につまされる内容であり、現代社会に対しての問題提起とも思える内容。
普段は、とても優しく、親身になって老人の介護にあたる松山ケンイチ演じる介護士・斯波。しかし斯波には、これまでに自分が介護にあたってきた老人を42人も殺してきた裏の顔があった。ストーリーの前半で、その事件は判明し、逮捕されるのだが、そこには、「ロストケアは、殺人ではない、救いだ」という、斯波なりの確固たる正義が存在していた。そして、斯波がなぜ人を殺めるようになったのか、彼と父親との過去に遡って、物語は展開していく。
その事件の検事として、斯波と対峙するのが、長澤まさみ演じる大友。大友もまた、シングルマザーで育ててくれた母が、認知症で介護施設に入居しており、仕事を理由に、母の介護をおざなりにしている後ろめたさも感じていた。そして、冒頭のショッキングな事件シーンが、実は大友と深い結びつきがあったことも、ラストに明らかになっていく。
先日、親の介護支援を依頼してきた自分にとっても、正直、とても重い内容であり、斯波の正義と大友の正義の両面での葛藤と、弱い者が生きづらい悲しい社会の状況に対して、後半は、涙腺も緩みっぱなしだった。
そのように感情移入できたのは、松山ケンイチと長澤まさみの、本音と建て前の両端な想いに揺れ動き、感情を露にした演技もさることながら、脳梗塞で身体の不自由が効かずに、認知症も進んでしまった、斯波の父を演じた、柄本明の鬼気迫る演技にあったと思う。介護に悩み、苦しんでいる人々の生活が、非情なまでにリアルに描かれており、柄本明の役者としての底力を、改めて感じた。
絆か呪縛か、答えはバラバラ
なかなか重いストーリー、重いテーマでした。
高齢化社会における、介護、認知症・・・
立場により見え方も感じ方も違うのだろうな。
安全地帯、穴に落ちた家族、それを介護する職員・・・
正解がなにかわからない、いや人によって正解が異なるのか、
尊厳死、安楽死という考えもあるが、さすがに人殺しはどうかと思う。
現代社会の大きな問題を描いた映画であった。
私も同じような立場になったとき、介護する立場、される立場になったとき、
どのように思うのか、何ができるのか。。。
マツケンがカッコ良過ぎた
テーマが面白いと思って見たものの、
斯波のアパートにあった書物、持ち物がないシンプルな部屋であることの、裏付けとなる描写が少なく、斯波の人となりが伝わってこなかった。
それに加えてマツケンご本人の存在感が前面に出過ぎて見えた。
(最後のシーンは泣けましたが)
長澤まさみの演技も、動揺が表情に出過ぎで、
検事にマッチしていなかったかな。
大画面でTVドラマを観ているかのようだったのは、何故だろうか。
テーマは面白いはずなのに、考えさせられるほどでもなかったのは、何故だろう。
所長の窃盗問題、これこそが現実的過ぎてゾッとした。
ロストケアは悲しいラストケア…
原作未読で、内容は全く知りませんでしたが、主演の二人の演技合戦を期待して鑑賞してきました。期待どおりの演技と練られた脚本で作品としての満足度は高いですが、内容は鑑賞後も深く考えさせられるものでした。
ストーリーは、ある民家で認知症老人とその訪問介護を請け負っていた施設のセンター長の死体が発見され、心優しく誰からも慕われる介護士・斯波宗典が犯人として浮上し、取り調べに臨んだ検事・大友秀美が同様の死亡老人のデータを分析して詰め寄ると、斯波は自分の犯行を認めるものの、それは「救い」であると主張し、二人の信じる正義が激しくぶつかり合っていくというもの。
劇的な場面はほとんどなく、物語は淡々と進行していくように見えますが、一つ一つの場面から登場人物の背景や思考が窺い知れ、それが本作のテーマに密接に絡んでいるため、ぐいぐい引き込まれていきます。圧巻だったのは、取り調べシーンで見せる主演二人の演技のぶつかり合いです。その役の人物背景から発せられる説得力のある言葉が、もはや演技を超えているとさえ感じさせます。
そんな中、終始押され気味の検事・大友が感情的に声を荒げます。それは理詰めで論破されているからではなく、彼女自身の後ろめたさや現在の状況に起因していることが、ラストで明かされます。そして、その布石が冒頭のシーンにあったことに気づかされ、構成の妙を感じます。
本作は、厳しい介護の現場をまざまざと見せつけますが、私自身は介護経験はなく、知人の話やテレビで見知った程度の知識しかありません。私のように本当の意味での介護の苦しさを知らない人は多いと思うので、それをこうして本作で突きつけられたことに衝撃と意義深さを感じます。本作が、実際に介護で苦しんでいる方の背中を間違った方向に押すことはないと思いますが、行政の側には真剣に現行制度を見直すなり何らかの方策を打つなりするきっかけとなってほしいと切に願います。
超高齢化社会へ突き進む我が国において、介護問題は目を背けてはいけない喫緊の課題です。そんな課題に対して、斯波が出した答えの一つがロストケア。しかし、これは取り返しのつかない、もう後がない最終手段。ラストケアがロストケアだなんて悲しすぎます。では、どうすればよかったのか。その答えはわかりません。わからないからこそ、議論し模索し続ける必要があるのだと感じます。救いのない闇の中でもがく人、もがく気力さえ失ってしまった人たちがいることが本当に切ないです。
主演は松山ケンイチさんと長澤まさみさんで、二人の迫真の演技が秀逸で、介護問題の深刻さを際立たせています。特に松山ケンイチさんにいたっては、揺るぎない自身の正義に従う斯波を圧倒的な存在感で演じきり、役の上でも実力的にも長澤まさみさんを凌駕していたように思います。脇を固める柄本明さんも、主演の二人を引き立たせる抜群のアシストで作品に奥行きを与えています。坂井真紀さん、戸田菜穂さんらも、被害者遺族を好演しています。
予告で完結
予告映像に惹かれて見に行きました。
介護センターに勤める松山ケンイチ演じる斯波は、老人から実の息子のように慕われる優秀な介護士だったが、その実は、担当する老人42人を殺害したサイコパスであり、長澤まさみ演じる検事が真相を追求するというもの。
個人的な感想は、物語の展開が少なく、予告映像で完結していると感じてしまいました。
まず、長澤まさみは役にはまっていないと思います。
斯波と対決し正義を突きつけるのですが、演技どうのよりイメージと合っていない感じがしました。
マツケンの演技はよかったですが、白髪が不自然でずっと気になってしまいました。
あのカツラ感はもう少しなんとかならなかったのでしょうか。
柄本さんの演技は神がかっていました。
実家のお父さん的な役はエゴイストでも演じていましたが、こちらでもばっちりはまっていました。
どんな理由があろうと殺人は犯してはならないという理屈だけでは解決できない問題を突きつけらえ、考えさせられる作品です。
しかし、この点は予告を見てなんとなく分かっていることであり、それ以上のミステリー的な展開はありません。
42人目が斯波の父であることや冒頭の腐乱死体が検事の父親であり、取調べや面会室で2人は対決しているようで実は同じような立場だった的な展開も見え見えすぎてしまいました。
分からなかったのは、下着の女性が何人か出てくる場面は何だったのか。
新人介護士の亜紀が風俗で働き始めたということだったのでしょうか。
何を伝えたかったのか分かりませんでした。
深い話でした とても考えさせられる
皆が通る道
誰も自分が、長生きするかどうか
わからない。
若くして、病や事故で誰かの介助が必要になるか
歳を重ねても、誰にも頼る事なく
独りで生きる人もいる。
自分の未来なんかわからない。
護られなかった者たちへ…を思い出したけど
介護や年金…生活保護
色々あるが、自分が知らない事が多く
せめて、身体が動かなくなった時に
子供や家族に頼らなくていい
気兼ねない場所があればいいのに、と思う。
松山さんに「救われた」坂井さんが言うシーンと
裁判中に「父を返せ」戸田さんが叫ぶシーン
があり、人が人の人生の最後を決めてしまった事に
曖昧さを残したと感じた。
柄本さんが、亡くなった時に息子に
折り紙に手紙を残していて…
あれは反則。
柄本さんの演技もうますぎて泣く。
…皆、自分の幸せと家族の幸せ祈ってるけど
満足する人はいない。
後悔のない人生なんてないんだろうな。
また柄本明!
ここ最近、見る邦画全てに出ているのでは!?
というくらい、柄本明が出ている。
また、この作品でも存在感を発揮していて
介護される老人役を見事に演じていた。
(めちゃくちゃ泣かされた。)
テーマとしては高齢化社会をどうしていくかという
「PLAN75」でも取り扱った内容
ただ「自ら安楽死を選択できる制度が国で決定」
という内容に
ややリアルさを欠く「PLAN75」に比べると
本作はかなりリアルに起こりそうと思った。
し、あれは障害者施設での出来事だったが
「社会の役に立つ」という意思で殺害を行った植松某と斯波は似ていると思う。
あの被害者の中にも「救われた」と思う人が居たかもしれない。
まだまだ考えなければいけないし、答えが出せない。
綺麗すぎるのか?
前半はすごく良かった。介護の現場で斯波たち介護士が働いている姿や、苦しんでいる家族たちの様子に、揺さぶられた。
こういう、身につまされる映画は、心がえぐられるから苦手なんだと思いながら見ていた。
検察事務官の青年が、すごく良かった。斯波の話に動揺する様子とか印象的だった。
このまま抉られて言って、最後は大号泣か?と思いきや後半失速(個人の見解です)
なんかねぇ、主役のふたりが綺麗すぎる。長澤まさみは凛と美しすぎ、松山ケンイチは真っ直ぐに揺らぐことが無さすぎて美しすぎる。
しかも、見ているうちに、だんだんと過剰な映像の演出が鼻につくような気がしてきた。泣かせに来る良いシーンぽいのだけれど、説得力がなくて、ただ綺麗なだけ。
話が泣けるんだから、小道具とか映像とか(鏡とかガラスの演出がうるさい)いらんねん。
そもそもこの映画、2人の対立が主眼なのが違和感。大友のキャラが、斯波と対決するには弱いのだ。彼女に対して共感できる要素もゼロ。説得力のない空虚な正論を振りかざすのみで、全然響かない。かといって正論が空回りしている、という意図でもないらしい。よく分からない。
斯波に引きずられて崩れた訳でもないのに、大友検事の突然の揺らぎにはついていけず。彼女のパートの物語としての必然性が分からず、少し白けてしまった。(それをなぜ斯波に告白するのだ?)
こういう映画だと父親は必ず柄本明で、母親は藤田弓子だ。キャストのマンネリも、邦画が苦手な理由の一つなんだよな。
あと、主役ありきの無理のある展開も。
うーむ、原作を読んでみようと思う。
すごく良さそうな物語だったのに、なんか消化不良。
育児にも通ずる
身につまされる映画
対
「絆」と書いて「じゅばく」と読む
巷間語られている、
自助・共助・公助の順序が
さも当然のように。
しかし、元々我慢強いのに、
お上に頼ることを善しとしない国民性から、
介護する側、される側が共倒れになるケースも多いと聞く。
また、生活保護についても、
受給までのハードルは高く、
本当に必要な世帯に届いていない可能性も
常々指摘されるところ。
本作は、そうした社会の歪みから生まれる悲劇を
極大化し描写。
とは言え、こうした痛ましい事件は、
単発では新聞やテレビのニュースでも
折々に目にすること。
『斯波(松山ケンイチ)』は
訪問先の家族からも職場の所員からも評判の良い介護士。
対応は真摯、思いやりの態度も自然で、
そのたたずまいはさながら聖職者のよう。
ただ、年齢の割にはかなりの白髪で、
「随分と苦労したのでは」とは同僚の噂話。
そんな彼が殺人事件の、
それも四十人以上の老人を殺害した容疑者として取り調べを受ける。
対峙するのは長野地検の検事『大友(長澤まさみ)』。
ここで驚くのは、本人があっさりと容疑を認めてしまうこと。
勿論、嫌疑を掛けるまでの検察側の丁寧な捜査はあるものの
(上司は一過性の単純な事件として急ぎ処理するよう、
いかにも免罪を生むような指示をしていたのだが・・・・)、
その過程は一本道。謎解きの要素は弱め。
ではどこに尺が割かれているかと言えば、
『斯波』が(「救った」と表現する)殺人を犯すようになった経緯と
『大友』自身が抱える家族の問題。
彼はシリアルキラーでは全くなく、
冒頭「聖書」の一節が提示される如く、
あくまでも介護される老人と
その家族を慮ってのことと言い切る。
前者は尊厳を、後者は慰撫を意識してのものだと。
実際に要介護の親族が居ると
相応の時間を費やさねばならぬことは間違いなし。
また、外からの助けを当人が拒否するケースもあり
家族は次第に疲弊していく。
そうしたことへの救済であるのだと。
裁判に当たっての被害者家族の反応も複数通り。
「(殺された)父親を返せ!」と声高に叫ぶ者、
一方で肩の荷が下りたの如く
自身の幸せに改めて向き合える者、
どちらも真の姿ではあるのだろう。
とは言え、根底に在るのは
親族への愛情と、肉体的疲労から来る戸惑いとの
血の繋がりが生む、抜き差しならない
アンビバレンツな感情なのには違いない。
もう一つのテーマ、
家族の関係性が浮かび上がって来る。
ストーリーの主線はあくまでも
『斯波』の物語も、
並行して『大友』の事情も語られ。
幼い頃に両親が離婚した彼女は
女親の手一つで育てられ、
しかしその母親は娘に迷惑を掛けまいと
独り逍遥と老人ホームに入所。
が、次第に痴呆の症状が出始め
将来への暗雲が広がりつつある。
二十数年間音信不通であった父親との関係性も、
日々の多忙な業務を言い訳にし、先延ばしにした経緯。
そうしたわだかまりが、
『斯波』が触媒となり一気に爆発、
場所を変えて二人が向き合う最後のシークエンスは一種の「告解」。
『大友』が映る多くのシーンでの鏡像の多用は二面性の表現。
加えて、『斯波』の科白回しや外見の造り込みは
全てこの場面に集約する目的だったのだなと感嘆する。
顔が皺だらけやぞ、長澤‼️❓そんなこと、あるわけ❓鏡を見て❓ホンマやサンマさん‼️❓
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