ロストケアのレビュー・感想・評価
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マツケンがカッコ良過ぎた
テーマが面白いと思って見たものの、
斯波のアパートにあった書物、持ち物がないシンプルな部屋であることの、裏付けとなる描写が少なく、斯波の人となりが伝わってこなかった。
それに加えてマツケンご本人の存在感が前面に出過ぎて見えた。
(最後のシーンは泣けましたが)
長澤まさみの演技も、動揺が表情に出過ぎで、
検事にマッチしていなかったかな。
大画面でTVドラマを観ているかのようだったのは、何故だろうか。
テーマは面白いはずなのに、考えさせられるほどでもなかったのは、何故だろう。
所長の窃盗問題、これこそが現実的過ぎてゾッとした。
ロストケアは悲しいラストケア…
原作未読で、内容は全く知りませんでしたが、主演の二人の演技合戦を期待して鑑賞してきました。期待どおりの演技と練られた脚本で作品としての満足度は高いですが、内容は鑑賞後も深く考えさせられるものでした。
ストーリーは、ある民家で認知症老人とその訪問介護を請け負っていた施設のセンター長の死体が発見され、心優しく誰からも慕われる介護士・斯波宗典が犯人として浮上し、取り調べに臨んだ検事・大友秀美が同様の死亡老人のデータを分析して詰め寄ると、斯波は自分の犯行を認めるものの、それは「救い」であると主張し、二人の信じる正義が激しくぶつかり合っていくというもの。
劇的な場面はほとんどなく、物語は淡々と進行していくように見えますが、一つ一つの場面から登場人物の背景や思考が窺い知れ、それが本作のテーマに密接に絡んでいるため、ぐいぐい引き込まれていきます。圧巻だったのは、取り調べシーンで見せる主演二人の演技のぶつかり合いです。その役の人物背景から発せられる説得力のある言葉が、もはや演技を超えているとさえ感じさせます。
そんな中、終始押され気味の検事・大友が感情的に声を荒げます。それは理詰めで論破されているからではなく、彼女自身の後ろめたさや現在の状況に起因していることが、ラストで明かされます。そして、その布石が冒頭のシーンにあったことに気づかされ、構成の妙を感じます。
本作は、厳しい介護の現場をまざまざと見せつけますが、私自身は介護経験はなく、知人の話やテレビで見知った程度の知識しかありません。私のように本当の意味での介護の苦しさを知らない人は多いと思うので、それをこうして本作で突きつけられたことに衝撃と意義深さを感じます。本作が、実際に介護で苦しんでいる方の背中を間違った方向に押すことはないと思いますが、行政の側には真剣に現行制度を見直すなり何らかの方策を打つなりするきっかけとなってほしいと切に願います。
超高齢化社会へ突き進む我が国において、介護問題は目を背けてはいけない喫緊の課題です。そんな課題に対して、斯波が出した答えの一つがロストケア。しかし、これは取り返しのつかない、もう後がない最終手段。ラストケアがロストケアだなんて悲しすぎます。では、どうすればよかったのか。その答えはわかりません。わからないからこそ、議論し模索し続ける必要があるのだと感じます。救いのない闇の中でもがく人、もがく気力さえ失ってしまった人たちがいることが本当に切ないです。
主演は松山ケンイチさんと長澤まさみさんで、二人の迫真の演技が秀逸で、介護問題の深刻さを際立たせています。特に松山ケンイチさんにいたっては、揺るぎない自身の正義に従う斯波を圧倒的な存在感で演じきり、役の上でも実力的にも長澤まさみさんを凌駕していたように思います。脇を固める柄本明さんも、主演の二人を引き立たせる抜群のアシストで作品に奥行きを与えています。坂井真紀さん、戸田菜穂さんらも、被害者遺族を好演しています。
予告で完結
予告映像に惹かれて見に行きました。
介護センターに勤める松山ケンイチ演じる斯波は、老人から実の息子のように慕われる優秀な介護士だったが、その実は、担当する老人42人を殺害したサイコパスであり、長澤まさみ演じる検事が真相を追求するというもの。
個人的な感想は、物語の展開が少なく、予告映像で完結していると感じてしまいました。
まず、長澤まさみは役にはまっていないと思います。
斯波と対決し正義を突きつけるのですが、演技どうのよりイメージと合っていない感じがしました。
マツケンの演技はよかったですが、白髪が不自然でずっと気になってしまいました。
あのカツラ感はもう少しなんとかならなかったのでしょうか。
柄本さんの演技は神がかっていました。
実家のお父さん的な役はエゴイストでも演じていましたが、こちらでもばっちりはまっていました。
どんな理由があろうと殺人は犯してはならないという理屈だけでは解決できない問題を突きつけらえ、考えさせられる作品です。
しかし、この点は予告を見てなんとなく分かっていることであり、それ以上のミステリー的な展開はありません。
42人目が斯波の父であることや冒頭の腐乱死体が検事の父親であり、取調べや面会室で2人は対決しているようで実は同じような立場だった的な展開も見え見えすぎてしまいました。
分からなかったのは、下着の女性が何人か出てくる場面は何だったのか。
新人介護士の亜紀が風俗で働き始めたということだったのでしょうか。
何を伝えたかったのか分かりませんでした。
深い話でした とても考えさせられる
皆が通る道
誰も自分が、長生きするかどうか
わからない。
若くして、病や事故で誰かの介助が必要になるか
歳を重ねても、誰にも頼る事なく
独りで生きる人もいる。
自分の未来なんかわからない。
護られなかった者たちへ…を思い出したけど
介護や年金…生活保護
色々あるが、自分が知らない事が多く
せめて、身体が動かなくなった時に
子供や家族に頼らなくていい
気兼ねない場所があればいいのに、と思う。
松山さんに「救われた」坂井さんが言うシーンと
裁判中に「父を返せ」戸田さんが叫ぶシーン
があり、人が人の人生の最後を決めてしまった事に
曖昧さを残したと感じた。
柄本さんが、亡くなった時に息子に
折り紙に手紙を残していて…
あれは反則。
柄本さんの演技もうますぎて泣く。
…皆、自分の幸せと家族の幸せ祈ってるけど
満足する人はいない。
後悔のない人生なんてないんだろうな。
また柄本明!
ここ最近、見る邦画全てに出ているのでは!?
というくらい、柄本明が出ている。
また、この作品でも存在感を発揮していて
介護される老人役を見事に演じていた。
(めちゃくちゃ泣かされた。)
テーマとしては高齢化社会をどうしていくかという
「PLAN75」でも取り扱った内容
ただ「自ら安楽死を選択できる制度が国で決定」
という内容に
ややリアルさを欠く「PLAN75」に比べると
本作はかなりリアルに起こりそうと思った。
し、あれは障害者施設での出来事だったが
「社会の役に立つ」という意思で殺害を行った植松某と斯波は似ていると思う。
あの被害者の中にも「救われた」と思う人が居たかもしれない。
まだまだ考えなければいけないし、答えが出せない。
綺麗すぎるのか?
前半はすごく良かった。介護の現場で斯波たち介護士が働いている姿や、苦しんでいる家族たちの様子に、揺さぶられた。
こういう、身につまされる映画は、心がえぐられるから苦手なんだと思いながら見ていた。
検察事務官の青年が、すごく良かった。斯波の話に動揺する様子とか印象的だった。
このまま抉られて言って、最後は大号泣か?と思いきや後半失速(個人の見解です)
なんかねぇ、主役のふたりが綺麗すぎる。長澤まさみは凛と美しすぎ、松山ケンイチは真っ直ぐに揺らぐことが無さすぎて美しすぎる。
しかも、見ているうちに、だんだんと過剰な映像の演出が鼻につくような気がしてきた。泣かせに来る良いシーンぽいのだけれど、説得力がなくて、ただ綺麗なだけ。
話が泣けるんだから、小道具とか映像とか(鏡とかガラスの演出がうるさい)いらんねん。
そもそもこの映画、2人の対立が主眼なのが違和感。大友のキャラが、斯波と対決するには弱いのだ。彼女に対して共感できる要素もゼロ。説得力のない空虚な正論を振りかざすのみで、全然響かない。かといって正論が空回りしている、という意図でもないらしい。よく分からない。
斯波に引きずられて崩れた訳でもないのに、大友検事の突然の揺らぎにはついていけず。彼女のパートの物語としての必然性が分からず、少し白けてしまった。(それをなぜ斯波に告白するのだ?)
こういう映画だと父親は必ず柄本明で、母親は藤田弓子だ。キャストのマンネリも、邦画が苦手な理由の一つなんだよな。
あと、主役ありきの無理のある展開も。
うーむ、原作を読んでみようと思う。
すごく良さそうな物語だったのに、なんか消化不良。
育児にも通ずる
身につまされる映画
対
「絆」と書いて「じゅばく」と読む
巷間語られている、
自助・共助・公助の順序が
さも当然のように。
しかし、元々我慢強いのに、
お上に頼ることを善しとしない国民性から、
介護する側、される側が共倒れになるケースも多いと聞く。
また、生活保護についても、
受給までのハードルは高く、
本当に必要な世帯に届いていない可能性も
常々指摘されるところ。
本作は、そうした社会の歪みから生まれる悲劇を
極大化し描写。
とは言え、こうした痛ましい事件は、
単発では新聞やテレビのニュースでも
折々に目にすること。
『斯波(松山ケンイチ)』は
訪問先の家族からも職場の所員からも評判の良い介護士。
対応は真摯、思いやりの態度も自然で、
そのたたずまいはさながら聖職者のよう。
ただ、年齢の割にはかなりの白髪で、
「随分と苦労したのでは」とは同僚の噂話。
そんな彼が殺人事件の、
それも四十人以上の老人を殺害した容疑者として取り調べを受ける。
対峙するのは長野地検の検事『大友(長澤まさみ)』。
ここで驚くのは、本人があっさりと容疑を認めてしまうこと。
勿論、嫌疑を掛けるまでの検察側の丁寧な捜査はあるものの
(上司は一過性の単純な事件として急ぎ処理するよう、
いかにも免罪を生むような指示をしていたのだが・・・・)、
その過程は一本道。謎解きの要素は弱め。
ではどこに尺が割かれているかと言えば、
『斯波』が(「救った」と表現する)殺人を犯すようになった経緯と
『大友』自身が抱える家族の問題。
彼はシリアルキラーでは全くなく、
冒頭「聖書」の一節が提示される如く、
あくまでも介護される老人と
その家族を慮ってのことと言い切る。
前者は尊厳を、後者は慰撫を意識してのものだと。
実際に要介護の親族が居ると
相応の時間を費やさねばならぬことは間違いなし。
また、外からの助けを当人が拒否するケースもあり
家族は次第に疲弊していく。
そうしたことへの救済であるのだと。
裁判に当たっての被害者家族の反応も複数通り。
「(殺された)父親を返せ!」と声高に叫ぶ者、
一方で肩の荷が下りたの如く
自身の幸せに改めて向き合える者、
どちらも真の姿ではあるのだろう。
とは言え、根底に在るのは
親族への愛情と、肉体的疲労から来る戸惑いとの
血の繋がりが生む、抜き差しならない
アンビバレンツな感情なのには違いない。
もう一つのテーマ、
家族の関係性が浮かび上がって来る。
ストーリーの主線はあくまでも
『斯波』の物語も、
並行して『大友』の事情も語られ。
幼い頃に両親が離婚した彼女は
女親の手一つで育てられ、
しかしその母親は娘に迷惑を掛けまいと
独り逍遥と老人ホームに入所。
が、次第に痴呆の症状が出始め
将来への暗雲が広がりつつある。
二十数年間音信不通であった父親との関係性も、
日々の多忙な業務を言い訳にし、先延ばしにした経緯。
そうしたわだかまりが、
『斯波』が触媒となり一気に爆発、
場所を変えて二人が向き合う最後のシークエンスは一種の「告解」。
『大友』が映る多くのシーンでの鏡像の多用は二面性の表現。
加えて、『斯波』の科白回しや外見の造り込みは
全てこの場面に集約する目的だったのだなと感嘆する。
顔が皺だらけやぞ、長澤‼️❓そんなこと、あるわけ❓鏡を見て❓ホンマやサンマさん‼️❓
ズバリ来年の日本アカデミー賞を総ナメにする傑作だと断言します!
昨日観た『The Son/息子』のラストに衝撃を受けたのに、その余韻を打ち消すくらいの激しいショックに包まれました。上映が始まったら、心が揺れ動くのが自分でわかるくらい物語に引き込まれ、夢中で最後までスクリーンに釘付けとなったのです。そして、自分ならどちらの判断をするのだろうと、観終わった今もずっと考えています。
葉真中顕の日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作の原作は、謎解きの要素もありますが、何より、命の尊厳、家族の絆といったテーマに真摯に取り組んだことに好感が持てました。映画化において「ミステリー」という原作のジャンルを通してでも、重厚な問題提起が可能なんだいうことを、提示した作品となったのではないでしょうか。
小さな町のケアセンターに勤める介護士、斯波宗典(松山ケンイチ)は献身的に働き、高齢者やその家族、同僚の信頼が厚く、誰からも慕われていました。でもその裏で施設利用者を大量に殺害していたことが明らかになるというのが、この作品の基本的な話です。
物語の前半はミステリー調。施設利用者の家で利用者と斯波の上司で所長の団元晴(井上肇)の死体が発見される事件が発生します。
事件を担当することになった検事の大友秀美(長澤まさみ)は、虚偽の証言をしていたことから斯波に疑いの目を向けます。しかし物証がない中で、数字に強い部下の事務官である椎名幸太(鈴鹿央士)がデータから、斯波が勤めるその訪問介護センターが世話している老人の死亡率が異常に高く、彼が働き始めてからの自宅での死者が40人を超えることを突き止めるのです。
真実を明らかにするため、斯波と対峙する大友は、「誤った正義感をふりかざした身勝手な大量殺人」と断罪します。しかし斯波は「殺人は最後の介護、ロストケアなのだ。本人と家族を救った」と主張するのです。冷静に語る斯波の言葉は揺るぎない確信に基づくものでした。
斯波が目にしたつらい介護の現場の様子は、介護サービスを利用して年老いた親の面倒を見るその子たち(坂井真紀、戸田菜穂)の追い詰められた日常として描かれていきます。
大友は、「自分勝手な誤った正義感に基づいた殺人」として、斯波を糾弾します。「一人一人の人生の何があなたに分かるのか」「大切な家族の絆をあなたが断ち切っていいわけがない」「他人の人生に決着をつける権利はない」と。しかし、斯波は「この社会には穴が開いている。落ちたらはい上がれない」「かつての自分がしてほしかったことをした」と反論する斯波に大友は言葉を失うのでした。そして斯波は、介護殺人が毎年何人増えているかという数字で畳みかけるのです。(厚生労働省の統計<2006~2019>によると年間20~30件起きているそうです。)
斯波が介護対象者を次々殺害していく原点となったのは、実父である正作(柄本明)における過酷な介護経験でした。介護のために就労もままらならず、父親の年金では家賃や光熱費で精一杯。次第に貯金を切り崩していって、最後はお米を購入する資金までも枯渇し、飢えをしのぐ日々に。思いあまって市役所に生活保護の申請に行っても、就労可能な斯波が介助している限り、生活能力があると認定されて門前払いを喰らってしまいます。もう親子揃って飢え死にを覚悟せざるを得なくなったとき、正気を取り戻した正作から、自分を殺してくれと嘱託されたのでした。
このときの殺害方法がバレずにすんだことが、後々の連続殺人につながっていったのです。
大友が真相に迫る過程は、なかなかスリリング。しかし映画の主眼は斯波が犯行を認めてからの、大友との議論にありました。予告編では単なる殺人鬼にしか見えなかった斯波でした。大友の主張の方が当然だと思いました。けれども物語が進み、斯波が体験してきた介護の現実は、行政も宗教も救いようもない過酷なものでした。そんな現実を見せられると、斯波の主張する「殺害が救いなんだ」という主張に、すっかり共感してしまったのです。
トドメのひと言は、作品の冒頭に表示される「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」 (マタイによる福音書 第七章 十二節)という聖書の言葉でした。
キリスト教信者でなくとも、この言葉は耳にしたことがあることでしょう。他者に愛を求めるのではなく、みずからが愛を与えなさい。この考えはキリスト教に限らず、他の宗教でも根幹になっていることから「黄金律(ゴールデン・ルール)」と呼称されています。 斯波はクリスチャンではなかったが、どうやら「黄金律」の部分を繰り返し読み返していたようなのです。そして斯波が思ったように、もし「人にしてもらいたいと思うこと」が、正作が語ったように殺してくれ、自分を苦しみから解放してくれと懇願されたとき、「人にしなさい」と殺してしまうことがどうなのか、わたしの中の宗教観が混乱してしまいました。
もちろん殺人は決してあってはならない行為ですが、何が正しくて何が悪いのかは、その時、その状況にならなければ判断できないと考えさせれたのです。
ただ本作は、観客それぞれの置かれている状況によって、2人の議論は違って見えるかもしれません。毎日、高齢者を相手にしている家族や介護スタッフ、親を施設に預けた家族、近い将来介護する身、あるいは介護される身になるであろう中高年、少子高齢化社会を想像する若者たち…。斯波は、介護現場の厳しさとは無縁の人たちを「安全地帯」にいると言いいますが、そこにいるかいないかでも、違うことでしょう。
ただ、誰もが受け止めざるを得ないのは、過酷な現実から逃れられない人たちがいるということ。映画は、見終わった観客にずしりと重い手応えを残すことでしょう。
映画では、小説とは異なる大友の背景が描き込まれ、彼女が斯波に重なって見えてくるのです。いやそれ以上に、自分の母親を多忙な自分の都合に合わせて、老人ホームに押し込めていた大友は、斯波の言葉によって、罪悪感を感じ始めて、追い込まれていくのでした。まさに善人と悪人が逆転する悪人正機説を地で行く作品だったのです。
接見の場面での前田哲監督の演出も、その狙いと一致する。松山と長澤は、丹念に役を演じています。微細な心理をリアルに表現し、何度も熱演に息をのみました。特にあの斯波の超絶したキャラクターは、作品ごとに役になりきる、松山ケンイチでしか演じられないものだと言えるでしょう。来年の日本アカデミー賞を総ナメにする傑作だと断言します。
かつてなく犯人の言い分が分かる
観るべき映画です。
何年何十年ぶりに素晴らしい映画でした。
何が良いって取り敢えず敢えて言うなら松山ケンイチと柄本明という演技に定評のある2人が親子の設定なことがこの映画の良さを表してると自分は言い切れます。
正直この2人の陰に隠れてしまった長澤さんも素晴らしいし他の出演者も素晴らしいのですがやはりこの2人の演技は本当に素晴らしかった。
それにこの映画が観た側に問いかけてそして感じて欲しいテーマが今の日本にある沢山の問題全てに共通してると自分は感じました。
本当に松山さんや長澤さんや柄本さんのキャスティングは見事だと感じました。
是非まだ観てない人や観る気もない人でも騙されたと思って一度でいいから観てくれればなぁと思ってます。
皆が目を背ける正論作品。若干の非現実も、骨太の誰でも共感
わし
履歴上ほぼ最低の 個人的感想にすぎないが、くだらない作品が
ドクターデスの遺産 綾野剛さん、北川景子さん主演
なんです。キレイ事 法律のボウテキ解釈で正直、劇場で観て大後悔した。ワシ的に生涯映画ワースト
その点この作品は
安全地帯のキレイ事を排している
実際の介護家族の立場、介護される本人の立場に立っている点が ドクターデスのキレイ事と大きく違う。
無料リーフと言うよりフライヤー段階で福祉大学の専門家が太鼓判、
森山直太朗、LiLiCo 笠井信輔 さんが皆さん正論で安心した 秀逸無料事前パンフ
有料パンフもおすすめではあるが、エコノミーで行きたい人にはこの事前無料フライヤーだけでも秀逸、
有料パンフはそれはそれで俳優の立ち位置、制作意図がわかって良い。
ワシ、実は
法律捜査実務と 介護福祉実務には 経験則で 精通してる。片方だけ詳しい人は腐る程いるだろけど
捜査 と 介護する立場 精通してる人間は多くは無いと自負している、自分語りですみません。
なにを言いたいかと言うと、捜査実務も介護も違った意味で大変な仕事 両極端。一方捜査官は縦社会書類作成地獄。正検事は実は汚れた仕事は副検事、事務官、警察に押し付けて気楽な稼業だが、捜査にクビ突っ込むほど暇では無い。
一方の介護実務は体の酷使、汚物我慢!認知症の方の狼藉我慢地獄、低賃金我慢の現状
と言うこと。
前半、長澤まさみの検事が
理屈としてはあり得ても、現実にはあり得ない警察飛び越えての捜査指揮に眉間にシワのワシだったが
最後に整合性を持たせており共感、好感なのだ。
介護家族、介護士の苦しい立場、薄給 も現実的
介護に携わる人が口が裂けても言えない本音に踏み込んでいる。
松山ケンイチの役
よくぞ、正論、苦悩言ってくれた。
法律的には間違い無く死刑の裁き、極悪であるが
完全に 社会的勝ち組の検事を論破し•
安全地帯からの綺麗ごとを糾弾•••
ある意味凶悪犯罪者🆚検事の対決は
社会派エンタメ ていう括りで、見応え十分。エンタメ枠として取り扱わないと かなり危険な描写ではあり、最後、法廷傍聴人としての 戸田菜穂演じる介護家族の暴言咆哮不可解
で中和してる
全く飽きる事の無い。息詰まる展開、そして、それぞれの立場に共感ゆえにワシの涙腺崩壊寸前、
チコっと24時間365日稼働+テクノロジー 松山ケンイチ役は ご愛嬌的飛躍
介護家族、介護士、介護される本人に 寄り添う
好作品。実は 良いも悪いも無い 難しい問題できれば目を背けていたい問題に対峙している、
誰でも老いるし、自分自身を失った状態で 生きながらえたい人はどのくらいの割合だろう?
この作品監督 そして、バトンは渡された
と同一監督とは思えないレベルで生み出された秀逸作品 つぎはぎ から 骨太 へ。
原作のチカラも大きい
戸田菜穂🆚坂井真紀
も見どころ
ただ生活保護は受付係員段階で冷酷拒否だけは誇張が大きい描写であるが、現行制度への提言だと思うと許容範囲
もちろん、安楽死とはいえ、一部、嘱託殺人とはいえ
法的には殺人は絶対許されない極悪犯罪行為
だが、当事者の立場では
森山直太朗のコメントが正しい 是非は軽々には論じられない。森山直太朗さん、半落ち のテーマ曲で好感度高いしメロディも美しいが、サビ以外の歌詞がいきなり本番だと聴き取りにくいのが玉に瑕、
青森出身の松山ケンイチさんの醸し出す 朴訥な信念の深さに心打たれた 介護される立場に刻々とせまりつつあるジジイであった。
不謹慎かもしれないか、誰でもわかる面白い作品でした。ただ力作すぎて1回の鑑賞で十分の息詰まる作品
昭和時代からは考えられない超高齢化社会に是非❗️
iPad復旧せず•••文字打ちにくいなぁ⁉️もう❗️のジジイでした。スマホ📱無理目ギブアップ寸前•••私ごとですみません。あっ⁉️あと客席満員御礼 ゆえに涙腺崩壊してたまるか❗️の我慢大会だった。ただ安直な お涙頂戴では無いので、客席全員、涙腺死守の 同志戦友感 が半端なかったのは伝えておきます。
迫真の演技による問題提起
解決の見えない課題
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