ロストケアのレビュー・感想・評価
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長寿を喜べない時代になって
健康寿命という言葉がある 医療や介護サービスの世話にならない年齢のことを言うようだが、骨折や脳卒中などの入院を契機に要医療あるいは要介護状態となって、逝去するまでの間が、医療・介護サービスの進歩・普及により数年、人によってはその間は10年以上となり、この数年から10年以上が「生きている」というより、見方によっては「生かされている」という現実がある 「ピンピンコロリ」、死ぬ直前までピンピンしていてコロリと死
ぬことが、高齢者自身の願いだという人もいる一方で、子どもの側からすれば親の長寿を願いたいという気持ちがある
しかしその多くは医療や介護サービスといった「社会の支援」があることが前提であり、子ども自身の仕事やその家族生活を犠牲にしなければならない「家族介護」のみで先の見えない数年から10年以上を費やすことは困難なことである 社会の支援なしでは、介護者である家族が、「親孝行の美談」から一転、虐待・放置といった「加害者」にいつ変わるかもしれない、という危うさの中で家族介護が行われている 骨折や脳卒中で救急入院して一命をとりとめれば「退院許可」という「命令」が主治医から告げられる 月20万支払えれば、有料老人ホーム、サービス付き高齢者住宅、療養型病院という「選択肢のカード」があるけれど、支払えなければ「自宅」もしくは「家族」という選択肢しかない 親が基礎年金だけなら、支援する子どもが一人っ子なら、「親ガチャ」じゃないけれど、親の余命の間子どもが介護づけの生活となることが確定するのかもしれない
「失われた20年」世代に非正規雇用の方が多く、また8050問題といわれる80代の親の年金に寄生する未婚の50代、こういった人々が親の介護にこれから直面してくる
医療も介護も「2割負担」「3割負担」と自己負担が引き上げられれば、医療・介護サービスを購入できる「安全地帯」で暮らす人以外はみんな「穴に落ちる将来」に直面する
きれいごとではない「自助・共助」の呪縛が始まっている
本作の検事も容疑者も、立っている場所の違いはあっても、常に親の介護についての葛藤の中にあり、観る側も他人事ではないことを知っているからこそ苦しくなっていく(3月30日 イオンシネマりんくう泉南 にて鑑賞)
正直このように良くできた映画になるとは思わなかった。殊に柄本明の父親役は原作超え。(帰りに母親に美味しいものを買って帰りたくなった。我ながら甘い。)
(原作既読)
①着地点の難しい話だから(原作もその点では成功していない)、どう締めるのかと思っていたら、冒頭のシーンの伏線回収をすることで検事をなぜ原作の男性から女性に変えた理由を明らかにするという捻り技で幕を下ろした。
②他人事ではないが、身につまされる程ではない塩梅。
胸にズンと来る程の社会派ではなくエンタメとのギリギリの境くらいに位置しているかな。
そういう時代なのか、着地点が難しいせいなのか分からないけれど。
③映画化すると聞いた時点で原作の持つミステリーとしての面(叙述トリック)は無くなるだろうな、と思っていたが、最初の四分の一くらいの間で上手くミステリーの味わいを残した脚色になっていて、ちょっと感心した。
特に犯人を炙り出すくだりは原作に負けず劣らずスリリング。
④冒頭の刑務所に入りたいがために軽犯罪を繰り返す老婆役に何と綾戸智恵。原作ではもっと身につまされる感じだったが、綾戸智恵の怪演で此処は笑ってしまった(私も年を取ったら刑務所暮らしも良いかな、と思ったことがあるクチなので本当は笑えない話だけれども😅)。
⑤長澤まさみは、役のせいもあるだろうけれど『涙そうそう』の頃からすると、だいぶん年を老けたなあという印象。
だが表情で演技できる良い女優になってきた。特に中盤、雨の日に椎名との二人芝居の時に大変良い表情を見せる。
⑥柄本明はどの出演作でも上手いが(最近では『ある男』でも短い出演シーンながら強烈な印象を残す)、本作でも、半身不随になり認知症になり挙げ句寝たきりになって、”死んでくれたらどんなに楽か”と思いながらも手に掛けられなかった(普通はこちらが当たり前)息子に、“自分が自分でなくなる前に殺してくれ”と頼み、とうとう息子が一線を越えてしまうのも納得の父親の姿を「これこそ演技だ」と云える芝居で見事に造形している。
⑦その息子役の松山ケンイチは一線を越えるシーンを粘り強く熱演して感心した。但し、そのあと赤い折鶴の裏に書かれていた父親の遺言(?)を読んで泣き崩れるところはありきたりの演出でもう一つ胸に迫らず。
⑦刑務所で検事と死刑囚が面会するラストシーンは原作にはないが、向かい合う二人をまるで鏡で自分を見ているような演出で描く(そういえば、あちこちに鏡や窓に映るreflectionが多い映画でしたね)。
勿論、二人は社会的には相反する立場だし、人間として似ているわけでもないが、片方は実際にその手で父親を殺し(物的に殺し、しかし心の中からは消していない⇒後悔していない)、もう一方は父親を見殺しにしたことを後悔している(物的に殺したわけではないが、自分の人生からその存在を亡いものと思っていた)という法や倫理を超えたところで共有する物がある人間として対峙させている。
何かを解決しているわけではないが、映画らしい終わり方だったと思う。
⑧
3つ穴に落ちた身としては、鑑賞後これまでに無い大脱力
いやー、鑑賞後体に力が入らず、もの凄い脱力感に苛まれました。別の映画を観るべく電車で移動したのですが、とてもすぐには着く気になれず、特快来たのに乗らず、わざと快速でゆっくり目的地に向かいました。そうでもしないと、気持ちを落ち着かせられなかったのです。劇場で年間300本映画鑑賞する私でも、こんな経験は初めてでした。
3回穴に落ちた経験があるので、もう一度あの頃を追体験したようで、喉カラカラになりました( ; ; )
これはサスペンスというより、社会問題の提起です。明確な答えは用意されていません。
いつもはディテールに違和感があると白けてしまうのですが、この作品に限ってはそんなことは凌駕して、お前はどうなんだと迫ってくるのです。勿論主人公のしたことは肯定できませんが、それだけ追い詰められ、或いは罪悪感に苛まれ、家族が疲弊していく様がまざまざと繰り広げられて、もう目を離せず息も浅くなりヘトヘト。
公的介護保険で賄いきれない、特に体力のある24時間見守りが必要な認知症の患者の介護問題は深刻です。有料のヘルパーさんやお手伝いさんを別に雇わなければならないので、金銭的にも大変です。家族がいる人は、施設の優先順位が低くなり順番待ちにかなり時間がかかる場合もあります。運良く預けられたとしても、「安全地帯」に逃げたという申し訳ない気持ちは消えません。私も贖罪のように毎週施設に通いました。1回目に穴に落ちた時は、自宅介護を頑張り過ぎて自分も介護うつになったので、2回目3回目は他人に世話をお願いする決断ができました。
と長くなりました。まだ穴に落ちていない方にも是非観ていただきたい。そして、少子化の今社会全体としてこの問題を解決する術を考えていけたらと思います。
実は「二極対立」にもなっていない?
ほとんど寝たきりのお年寄りの在宅介護については、斯波介護士(松山ケンイチ)のような考え方をする人が出てくることは、容易に想定できると思います。本作中の聖書の箴言を引くまでもなく。
そして、法の適用(ふつうの考え方?)として、大友検事のような立場も簡単に出てくることでしょう。
結局、そういう「二極対立」は、本作による指摘を待つまでもなかったことと、評論子には思われました。同様の対立は、既に「病者の余命か安楽死か」などという問題を通じてこれまでも論じられて来ていたことと、本質においては、概ね変わらないと、評論子には思われるのです。
原作は未読ですが、原作のいかんに関わらず、せっかく映画化するならば、本作には、その「二極対立」以上に、第三の「解」となるようなものを何か付け加えて欲しかったと思うのは、評論子だけでしょうか。
そういう意味で、本作は、とても物足りないものになってしまいました。評論子には。
(追記)
しばらく前の話ですが、老人病院で、何者かが点滴用製剤に消毒液を混入し、その事情を知らない看護師から投与を受けた入院患者が相次いで亡くなるという事件がありました。
結局は同僚看護師の仕業と分かるのですが、その動機が「自分の当直時に入院患者(お年寄り)が亡くなると、処置や遺族への説明が面倒だった」から。
この看護師の場合はまったく自分のため、斯波介護士の場合は形としては他人(家族や死期の迫った老人)のためという違いはあっても、結局は自分が信奉する価値観のためには他人の権益(生命)を軽んじても構わないという考え方としては、ともに共通の基盤に立つものと思われます。
便宜「二極対立」と書きましたが、そう考えてみると、斯波介護士のような考え方は、実社会では受け入れ難い…実は成り立たず、構図として「二極対立」になっていないようにすら思います。評論子は。
犯人の方に肩入れしていました
クライマックス泣ける映画はたくさんあるけど節々で泣ける映画は珍しい...
落とし穴に落ちた神の裁き❗️
これほどまでに引き込まれるとは思わなかった。映画館で涙がボロボロ出るなんて久々だ。
42人の老人を殺した介護士の斯波(松山ケンイチ)と対峙する検事の大友(長澤まさみ)を通して、過酷な介護という現実とその家族の幸せと不幸を考えさせる秀逸なサスペンス。
斯波の最初の殺人は実の父親。これだけは嘱託殺人なのだが、これをキッカケに彼はロストケアが善であり、神に近い行為という感覚を得たのではないか。対する検事の大友は決して公私混同してはいけない立場だが、自らの脛の傷もあり、徐々に斯波の言い分と遺族の以外な言葉のなかでもがき苦しむ。殺人は勿論大罪だが斯波のことを私は憎むことも、賞賛することも出来ない。今の日本が抱える闇を落とし穴に落ちた人間と安全地帯にいる人間模様を通して描いた見事な作品。昨今「親ガチャ」という言葉をよく聞くが、それの介護版といった感じだろうか。心に深く深く刻まれる重厚なドラマでした。松山ケンイチは信頼の厚い介護士と検事を淡々と論破する殺人鬼を見事に演じました。長澤まさみさんは職責と私人の間で揺れ動く心を見事に演じました。特筆したいのは斯波の父親役の柄本明。とんでもない演技というしか言いようがありません。人間国宝です。親子の別れのシーンが一番泣いた瞬間でした。ちょい役ですが刑務所に入りたがる関西オバチャン演じた綾戸智恵さんはこの作品の重要なパーツだと思った。やす(ずん)の自然な演技も良かった。折り鶴に込められた親子の絆。人間の尊厳。長寿。介護。認知症。離職。行政。格差。などなど様々なメッセージを見事な脚本で繋ぐ刺さる映画でした。さもありなん。
善悪で割り切れない哀しさ
現実に存在している介護問題。ワンオペ、ヤングケアラー、または高齢者による高齢者の介護。その果てに殺人事件が起きているニュースを目にすることがある。非常に現実感があり、自分の親の事を考えずにはいられなかった。結果的に大量殺人であり大罪ではあるが、その最初の殺人についての背景があまりに切なくて、正当化は出来ないが、理解し寄り添いたいと誰もが想うのではないか。
柄本明と松山ケンイチの親子のシーンがあまりに凄まじく、号泣しそうになるのを堪えたほど。この国で助けが必要な人を見過ごす、孤立させて助けない、そんな状況が無くなりますようにと、強く願うばかり。様々な角度から現代社会の問題提議がされている作品。
起こりうるから怖いのか
自分がして欲しい事は、他人にしても良いとは限らない
最近何でもかんでもSDGsじゃないですか。
17項目ありますよね。
なんか中途半端に感じません❓
奇数だからかな❓
実は、ハッキリと宣言できない、
「第18項目」があるらしいのです。
それは、
「生死の選択」
と言われています。
最近、成田某氏が
「集団自決」云々と言ってたのも、
強ち間違いではないのです。
確かに、それをメディアで表すれば、
あんなのTVに出すな❗️💢
となるのは当たり前。
斯波宗典へのデモと同じ。
日本は世界に類を見ない、
超超高齢化社会。
老人に手厚い国です。
その割に、高齢者介護事業には
手厚く無いです。
恐らくは介護事業に手厚くするには、
被介護者が限界突破してるのだと思います。
私は介護の現場に近い者です。
様々な被介護者がいる中、
認知症は一番手が掛かり、
精神的な負担も大きいです。
昔はドリフのコントでしか聞いたことのない
「あたしの夕飯はまだかい❓」
「おばあちゃん、さっき食べたでしょ」
というやりとりを、
30分置きに5回、
しかも真顔でやられると、
正直手を出したくなります。
「お金を取られた‼️」と
騒ぎ出す方もいます。お金持ってないのに。
今では慣れましたが、
「アンタが犯人かぁ⁉️」
なんて言われたら、
微かな殺意も覚えます。
認知症の方の親族に会う事もあります。
携帯電話の使い方は覚えているので、
毎日の様に電話がくるそうです。
ここはどこ、家に帰りたい、
いつ来るんだ、お金はどこだ、
あたしは親だぞ、
ほぼ毎日同じ内容の電話。
皆さん揃って疲弊してます。
斯波宗典は、
自分が手を下さなきゃいけない
こんな世の中間違ってるよ、
とでも言いたいのだろうが、
本当にどうしたら良いのか、
行政は分かっているのか。
案外斯波は間違ってないのかも、
と思う自分が怖い。
その分、裁判で叫ぶ戸田菜穂と、
公園で手を繋ぐ坂井真紀、やすには、
「救われた」気がした。
「PLAN75」が礼賛されたのは、
世界では、
微かにその流れはあるのかもしれない。
一つ言いたい。
柄本明は白眉の演技。
セリフシーンは字幕が欲しかったけど。
鏡と十字架
前田哲監督。あまり意識してなかったのだけど、いいですね。「陽気なギャングが地球を回す」「こんな夜更けにバナナかよ」「そして、バトンは渡された」など、気がつけば結構観てました。社会課題を絡めたテーマを入れてさらりと、時にはコミカルに描いて、エンタメとして成立させていて、すんなり内容が入ってくるのが心地よい。
今回は一転、高齢者介護の課題をシリアスなトーンで深掘りして、見事にまとめ上げた。介護の重荷にさらされた家族は、要介護者の死により救われるのか。正面からこの問いに取り組んでいて、観ていて複雑な感情が駆け巡る。
松山ケンイチと長澤まさみの二人は、十年来の推し俳優。その二人が初共演で、水と油の対話劇を見せるのだから、それだけで感涙ものだ。検事室での戦いは、両者譲らず、お見事! 狂信的だが、冷静な連続殺人者である斯波(松山ケンイチ)と、斬波の悪を断罪しようと詰める検事の大友(長澤まさみ)。それぞれの過去が絡みながら、事件の本質が見えて来る展開。
まあ、見せ方として、舌戦手に汗握る、という感じではないのだけど、印象的な画面が展開されて、じっくりと物語が、展開されていく。その中で、特に2つの構成が印象に残った。
1つ目は鏡や鏡面など。磨かれたテーブルに映る大友の姿と実像の大友が、表面と内面の相反を感じさせたり、4つの鏡に映し出された大友が、そこから不穏な空気を暗示していたりと、強く記憶に残る。
2つ目が十字架。タイトルの赤い十字架が何を暗示しているのか気になったが、終盤の斬波の部屋で佇む大友から引いて壁に、窓の影として映る十字架。膝の上で泣き崩れる大友の母が首から下げている小さな十字架。
この鏡と十字架が、本音と建前や揺れる正義など、全体のテーマを伝えるモチーフとして、物語に芯を与えていたように感じた。
「沈黙」などのキリスト教の正義への問いや「PLAN75」で提示された死の選択に追い立てられる社会など、考えさせられる作品たちと同様、何度も描かれてきたテーマではあるものの、タブーとされがちな死と救い(幸せ)に対する考え方について、相対する機会を与えてくれる良い作品だ。
身につまされる
良くも悪くも“問題提起”映画
最後に大友の信念が揺らいだところで終わっており、物語としては尻切れトンボな印象。
そこはそれぞれで考えて、ということなのだろう。
両親とも介護が近い歳なのに、方法やお金のことなど何も準備ができてない自分には堪えた。
しかし、脚本面で余計な描写も多い。
所長の空き巣や刑務所入りたがりおばちゃんなど、別の問題が入りすぎて気が散る。
遺族の恋愛描写も、意図は分かるものの全体の中では浮いていた。
由紀の不自然な発狂と、唐突で無意味な風俗転身カットには愕然。
「早めに処理しろ」とか「数学科出の変わり者」とかも活かされていない。
父親が懸命に折ったであろう鶴をいきなり開くなど、物語のための不自然な行動もいくつか。
また、台詞がモロに文語体のままなのが非常に気になった。
作品によっては問題ないが、せっかくリアルな題材を扱っているのに現実感が薄まってしまい、残念。
原作があるとはいえ、そこは上手く口語に直してほしかった。
しかし、圧巻だったのは柄本明の演技。
表情や仕草は元より、リアルさと聞き取りやすさを両立した台詞回しは絶妙過ぎる。
松山ケンイチも良かったが、アタマ二つくらい抜けていた。
個人的には、本人・親族双方の合意があれば、安楽死は認められてもよいと思う。
ただ、どちらの意志も無視した斯波の行為は肯定できない。
日本の未来
検事に殺人を続けた理由を聞かれた主人公が「バレなかったから」だと答えたことがとても引っかかった。
積極的に殺人を犯したい精神性ではなかったのに、バレなかったことがなぜ殺人を続ける理由になったのだろう。
また同時にバレないように絞殺などの痕の残る方法を選んだのではなく、純粋に父親を苦しめたくなくて毒殺を選んだ主人公の優しさがとても悲しかった。
この時もし殺人に気付かれていたらきっと、彼は素直に罪を償ったし、殺人を救いだとは思わなかったのではないか。
でもバレなかった。
それで介護殺人とは正しいこと、殺人によってもたらされた平穏は救いだと錯覚してしまったのではないだろうか。
(これが錯覚かどうかというところに議論の余地があるのが日本の現状の社会問題でもありますね)
彼の行った殺人によって、本当に救われた人もいて……でも裁判の場面では最後、家族を返せと力の限り叫ぶ人もいた。
他人の心は目には見えないですね。
幸せそうに見えても本当は辛い思いをしてる人もいるし、辛そうに見えても実は幸せを感じている人もいると思うんです。
彼の大きな罪は他人の幸不幸を自分の物差しで勝手に判断したことではないだろうか。
モヤモヤが残るラスト
認知症だった母が亡くなるまで、認知症と診断されてから2年ちょっとだったと思う。一人暮らしだったからかなり大変になるだろうなと思っていたら、脳梗塞が併発した後、転院を繰り返すうちに亡くなったので介護のつらさは感じることがなかった。「安全地帯」から出ることなく親の介護は終了したということだ。
介護職でありながら、担当する高齢者を殺害した犯人と、事件を担当した検事の話。いくつかの家族の介護が語られるのだが、これがまたかなり過酷。開放されたい、救われたいと思う家族の気持ちはわかる。でもそういう映画なのか?と思ってしまう。
あの話の流れだと、犯人の斯波がなぜ42人も殺した(彼の言葉でいうと救ってあげた)のかがメインテーマに思える。松山ケンイチ、長澤まさみ、柄本明、藤田弓子といった俳優陣の演技が素晴らしいので、介護の過酷な現実を知らしめる効果はある。ただ、斯波が42人も殺害することになった動機が最後に明らかになるわけではなかった。むしろ、だから?とモヤモヤしてしまったくらいだ。
いや、このモヤモヤを残すための映画だとしたらなかなか効果的だった。好きなわけではないが。
狂気とは言えない社会
多数の殺人がクローズアップされ宣伝効果が抜群の本作品でしたが視点は違っていたと思いました。
法で裁ける罪を追い詰めれば詰める程、救いと主張して行く斯波の姿は神ってる様に感じた。
現代社会の在宅介護の問題提起と裁判の行方を委ねてるところも斬新で映画の本質を突いていると思いました。
どちらかと言えば、自分は
『殺してほしい』柄本明の立場なら、頼むから殺して欲しいっ、て言うかもしれない。これからの自分の老後問題《安楽死制度》あっていい、そんな世の中になっていくのでは?と考えている。わりと淡々と悲壮感もなく、老いや衰えを受け入れていこうと思う。救われた人多いよね?と私は思う。だから『人殺し!お父さんを返せ』あの時のマツケンの感情ってどんなだろう。『正しいことした』と揺るぎなかった訳だから。原作読んで其々の感情を掘ってみたいと思う。
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