「人ごとではない歳になったからこそ「救い」を自分で選びたい」ロストケア yannさんの映画レビュー(感想・評価)
人ごとではない歳になったからこそ「救い」を自分で選びたい
私は両親を早くに亡くしたのでこのようなケアで苦しむ状況からは免れているが、50を超えた現在、まわりにはこのようなケース「介護」は少しずつ出てきている。
しかしそのようなケースでも今のところ「安全地帯から見下ろす立場」にいる人ばかりなのでここまで介護と家庭の狭間の落とし穴にはまっている人は現実には見たことがない。
見たことはないが一歩間違えれば落とし穴に誰もがハマる可能性があることは「実感」としてひしひしと感じる。
それに近い将来もしかしたら自分が柄本明の立場になるかもしれない、という不安は拭えない。
今は家族仲がとてもよく、だからこそ愛する息子や娘に「家族の呪縛」を背負わせてしまうかもしれない…そう思うと恐怖と涙が止まらない。
こう思わせるのは松山ケンイチ、長澤まさみ、柄本明の圧巻の演技によるもので、誰にでも起きえるこの「現実」をいやおうなしに突きつけてくる。
50を過ぎて本気で思う。
このような「ロストケア」で家族に迷惑をかけたくない、だから「尊厳死」を認める制度が現実にできてもいいのではないかと。
「自分の意思で死を選ぶ制度」を作ってもいいのではないかと。
今のところ体はどこにも異常がなく健康に過ごせているが、自分ではどうしようもない逃げられない現実「老い」の言いようもない不安が毎日耳かき一杯分ずつ心に溜まっていく感覚がある。
しっかりと貯金をしたとして、介護を家族以外の誰かに任せたとして、それは介護のつらさを家族以外の誰かに金で押し付けるだけのことなので根本的な解決にはなってない。
誰だって誰にも迷惑をかけずポックリと死にたいはずなのだが、進んでしまった医療はそれすら許さない。
逃げ場のない介護で心が壊れそうになった時、あなたは家族の「絆」と「呪縛」どちらを選びますか?
共倒れになって汚物と絶望に囲まれながらそれでも「絆」を選びますか?
誰かが知らぬ間に「救い」を実行したとして「呪縛から逃れられた」と感じる自分を「悪」だと思えますか?
私は「悪」でもいいから誰かが「救い」を実行できる世の中にして欲しい。
姥捨山がない時代だからこそ自分で「救い」を選びたい。
高齢化が進む社会で見ないふりをしている「現実」が何度も何度も押し寄せてくる、でも一度ちゃんと考えてみようと思わせる作品。