「上映終了当時、私は本気で激怒していた」ロストケア ソビエト蓮舫さんの映画レビュー(感想・評価)
上映終了当時、私は本気で激怒していた
この映画は、元々注目していて、初上映直後に鑑賞し、
刺さりまくって、ボロ泣きしたにも関わらず、
比較的早めに公開終了したので、世の中に対して怒った記憶がある。
なんでお前ら、みんな観ないんだ、と。
ふざけんじゃねーぞと。
なんだったら、賞レースでノミネートすらされないことに、
テロ計画も辞さぬ勢いで、激怒していた記憶がある。
とあるサブスクで配信され、再び注目されているが、今振り返ると、
ところどころ、なんだかなぁという、主人公の思想、行動諸々、
他の登場人物の行動原理など、
整合性の保たれていない部分も、正直、見受けられる。
ただやっぱり、主人公の父親である、
柄本明と主人公との、顛末一部始終のくだりは、
介護経験のある人間なら、言語化し総括せねばと思わせる、
この作品「最大の見せ場シーン」だと思われる。
この作品に公開当時、なぜ注目していたかというと、
数年前に、一瞬だけ介護業界に、足を踏み入れた経験があった事と、
指定難病で日々老い、日々弱っていく、母親との共同生活の中で、
なにかこう、道しるべのようなものを、強く求めていた時期だったからだ。
介護の世界へ行こうと思った動機も、
母親に将来起こるだろう事を、想定しての事だった。
私の場合は結果的に、見習い期間だけで業界を去ってしまった。
コロナが直撃した直後、という事もあり、
見習い中に、取るべき資格習得の機会を喪失し、
無資格のままの勤務だと、パート扱いにしかならず、
食べていける収入を予測できなくなったのだ。
転職により年収が100万どころか、200万も下がるようでは、絶対無理だった。
その結果、前にいた別の業界に戻り、運よく同じ会社へ出戻りができ、収入こそ減ったが、
逆に時間の都合がつくような、勤務体系となったので、
母の通院時間もとれたし、自身の健康維持活動も新たにできて、
好転した生活部分もあった。
オムツの基本的な取り換え、基本的な排泄介助、移乗介助だけの技術習得に留まったが、
そこでの経験が、昨年秋に実を結ぶ。
母が末期がんにより、急に自力排泄できなくなったのだ。
そして、がん告知から1か月持たず他界した。
ヘルプで叔母が家に来てくれたが、排泄介助のほとんどは、自分がやったし、
映画の主人公のように、親の介助で、精神的にも肉体的にも経済的にも追い込まれる事なく、
あっという間に、あの世へ旅立った。
なので、私と母の関係は、
主人公の松山ケンイチと父親の柄本明のような関係には「運よく」ならずに済んだが、
もし介護が長期化すれば、間違いなくあの親子と近しい関係性にまで、追い込まれた事だろう。
ロストケアで見られる現象の全ては、誰にでも起こりうる不幸、誰にでも降りかかる現実。
私だけに起こる事ではないのだ。
これを予測できてる日本人は、2025年現在でさえ、意外と少ない。どう見ても少ない。
だから、社会に対して、急いで啓蒙すべき案件なのだが、
映画があまりに短期間で上映終了したので、
当時も怒ったし、母を亡くした今では、さらに怒っている。
プンプンプンのプンで、大絶賛の激おこ中だ。
( `ー´)ノ
なんだったら、「はだしのゲン」やら「火垂るの墓」やらを、国民に地上波で見せるよりも、
「ロストケア」を、全国民に見せろよ、とすら思っている。
冗談でもなく、本気で。そして、大袈裟なことでもなんでもない。
2025年7月に災害が起こる事よりも、確実に来る、現実的な困難じゃねーか。
何度も言うが、私はたまたま「運が良かった」だけ。
いつでも貴方は松山ケンイチになりうるし、貴方は柄本明になりうる。
それを世の中の人々は、まるで実感していない風潮すら感じる。
何かがおかしい。何かが。
自分が「トゥルーマンショー」の世界にでも来たのかというほど、
誰も彼もが、困難に対して無自覚なのだ。不思議で仕方がない。
今日、職場の20代の後輩と雑談していたら、
彼もまた、困難に対して、おそろしいほど無自覚で、本当に怖くなった。
だから、あともう10歳、年を取ったら、
頭の中に、健康の事と介護の事を考える時間の割合が、
0から増えるよ、とだけ言っておいた。
それ以上、説教じみていうと、陰謀論者みたいな扱いを受けるから。
そういう意味で、この映画を観てくれる人が増えれば、
きっと、私が後輩から嫌われる機会も減っていくに違いない。そう願うばかりだ。
私は、この映画を観て、母を亡くして、尊厳死肯定論者になったが、
尊厳死肯定論者が、陰謀論者のごとく疎外される世の中が、少しでも変わりますように。
良かった演者
柄本明
松山ケンイチ