「実は「二極対立」にもなっていない?」ロストケア talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
実は「二極対立」にもなっていない?
ほとんど寝たきりのお年寄りの在宅介護については、斯波介護士(松山ケンイチ)のような考え方をする人が出てくることは、容易に想定できると思います。本作中の聖書の箴言を引くまでもなく。
そして、法の適用(ふつうの考え方?)として、大友検事のような立場も簡単に出てくることでしょう。
結局、そういう「二極対立」は、本作による指摘を待つまでもなかったことと、評論子には思われました。同様の対立は、既に「病者の余命か安楽死か」などという問題を通じてこれまでも論じられて来ていたことと、本質においては、概ね変わらないと、評論子には思われるのです。
原作は未読ですが、原作のいかんに関わらず、せっかく映画化するならば、本作には、その「二極対立」以上に、第三の「解」となるようなものを何か付け加えて欲しかったと思うのは、評論子だけでしょうか。
そういう意味で、本作は、とても物足りないものになってしまいました。評論子には。
(追記)
しばらく前の話ですが、老人病院で、何者かが点滴用製剤に消毒液を混入し、その事情を知らない看護師から投与を受けた入院患者が相次いで亡くなるという事件がありました。
結局は同僚看護師の仕業と分かるのですが、その動機が「自分の当直時に入院患者(お年寄り)が亡くなると、処置や遺族への説明が面倒だった」から。
この看護師の場合はまったく自分のため、斯波介護士の場合は形としては他人(家族や死期の迫った老人)のためという違いはあっても、結局は自分が信奉する価値観のためには他人の権益(生命)を軽んじても構わないという考え方としては、ともに共通の基盤に立つものと思われます。
便宜「二極対立」と書きましたが、そう考えてみると、斯波介護士のような考え方は、実社会では受け入れ難い…実は成り立たず、構図として「二極対立」になっていないようにすら思います。評論子は。