「羨ましく、誇らしい。勇ましく、全部入り。」RRR movie mammaさんの映画レビュー(感想・評価)
羨ましく、誇らしい。勇ましく、全部入り。
好みの容姿も出てこない。
グロい描写はたくさん。
普段、暴力物や爆発、スケール重視は好きでない。
それでも、片時も画面から目が離れる事なく3時間以上。
身体から、心から、有色人種のプライドと誇りが燃えたぎって、アドレナリンが湧き出てくる。
積年の、「有色人種、舐めんな」が晴れる。
有色人種なら必ず感じた事がある、世界の不平等な構図を、思いっきりぶち破ってくれる。
こんな映画は初めてだ。
白人中心のハリウッドではありえない構図だし、日本が作る戦争ものは敗戦国としみじみ感じさせられる。
戦争に勝ちたかったわけではなく、人類平等でいたいだけだが、戦後何年経っても、世界は経済的に白人支配。
スケールだけでも相当なのに、この内容を製作できるインドが、心底羨ましい。
作中でも成敗するが、この作品そのものが、インドが製作資金的にも、軍事的にも、政治的にも、英国に依存していない事を指し示し、過去を成敗している。
同じ有色人種として誇りに思う。
それと共に、心底羨ましい。
日本だったら、アメリカに楯突くようなこんな映画は、まず作れない。
あんなに強いラーマとその部族に武器が渡ってしまったらどうなるか末恐ろしいが、そう思わせるためのあの脚本だろう。
人口も不屈の精神も満ち足りている今のインドに、理不尽な闘いを仕掛けて怒らせたらどうなるか、考えてみろ!という、軍事的な牽制も兼ねていると感じた。
ナートゥダンスを撮ったロケ地、ウクライナのキーエの現状。
反戦意識を煽る方が作るのは簡単。
でもこの作品では、恩赦が入るかと思ったが入らずに、イギリス人統治トップを、インド人の命の価値に使うには勿体無いとまで言わせしめたイギリス製のその銃弾で、撃ち殺す。
「目には目を」と言いたいのではなく、
「なぜそこまでされるのか」
「長年どんな気持ちだったか」
その身になって考えてみろ、と突き付ける。
みんなが言いたかった事、よく言ってくれた。
007もミッションインポッシブルも、大好きだったけれど、いつまでスケールとアクションに頼って心の機微を描かないんだとハリウッド離れしていたところで、RRRがドーン!
これまでのスパイ組織ものの登場人物達の動機は、アメリカVSイギリス、警察VSギャングとかの組織攻防。
実際にあった、植民地支配や隷属化には、動機が敵うはずなど全くない。
ビームもラーマもやっていることは無差別テロリストさながらで、イギリス人の無関係兵士が多数、一瞬で犠牲になっていくのは良いとは思えない。
が、この逆をわんさか、太刀打ちできる武器も充分にないのにされてきた歴史の現実もまたある。
インドは89年間植民地だった。
日本に落とされた原爆は11万人を奪った。
アフリカは1200万人が奴隷にされた。
あくまで作中で、多数がビームとラーマと動物にやられるくらいは、我慢して欲しい。
ほぼ丸腰のビームとラーマが、阿吽の呼吸で、子供を助けたり、歌ったり踊ったり、武装した兵士達を倒していく。テルグ語同士の2人は心がすぐに通い合った。
ビームのコミュニケーション手段は、テルグ語と音楽とリズムとダンス。違う部落に帰還するラーマとこれからも交流できたら。異国異文化のイギリス人の中にもジェニーのように心通う人はいて、同じ言葉なら武力に頼らず円満にできたのかもしれない。
そう考えてのラストの「読み書きを教えてくれ」だったのだろうか?
作品の時代の識字から時が進んでも、州ごとに全く言葉が異なるインドでは、インド内でも他州の者とは英語で話す。でも、経済格差がはっきりあり、英語教育が得られなければ、州の言葉のみを話す=その州の中で人生が進む。学校では英語で話し読み書きを習い、家では親の出身地の言葉で話すため、英語の書きはできても、母州語は読みと話すのみで、書きはできないのが割と普通。
英語も、故郷の言葉の読み書きも、両方大切にできたらいいなと傍目には思っていた。
ビームはテルグ語の読み書きから始めるのかな?
神話ではビーマの父は風の神ヴァーユだったはず。水はどこから?と思ったが、ヴィシュヌ神が7番目に化身する姿であるラーマ神は、ラーマーヤナの神話のとおり、弓矢が尽きない弓筒を持つ。ラーマーヤナではさらわれたシータ姫を夫であるラーマが取り戻す話だが、囚われたラーマとマッリをビーマが取り戻しに行く、神話ミックスのような脚本が余韻に浸れてとっても面白い。
この作品のモデルの反英闘争偉人の地に、私は住んでいた。そういう背景をもとにこのトリウッド作品を見られたことが、本当に嬉しい。
特にこれを、インドで見たかった。
インターバルには現地のCMが流れ、再開時間に遅れる観客もぞろぞろ出るが、スクリーンを前に観客が一体化して味わう映画は最高だ。
友達と、家族と、拍手に歓声に賑やかに観たかった!
戻りたい。
日本の平均以上の収入世帯もわんさかいて、物価が安いから、日本とは段違いに良い生活水準で暮らしている。
それでも、本当に、人の心も、質の良い素材にも恵まれ、自然の恵みを衣食住や治療に用いる、根本的にとても豊かなところだった。
友達とサリーを着た日、ヘナでメヘンディを描いた日、ランゴリを描いた日、神々のお祭りの日々、もっとよく知りたくて神々の相関図と神話を読み漁った日、額にビンドゥを付けた日、、限りない様々な思い出の要素が、この映画には詰まっている。
根本的にインドは強い。
それは自然の摂理を深く理解しているから。
愛やエネルギーといった湧き上がる感情を無視せず、自分に素直に向き合うという、日本でなら無理を重ねた後にセミナーとかで開眼する人も多い、「健全な精神」を、ひとりひとりが普通にできているから。
歪んだ政治支配に従ってしまうような、脆い自己が集まった国民性ではない。
大好きです、インドが。
それを深く深く、実感できる作品。