「何が正しいのかなんて。」東京2020オリンピック SIDE:B BDさんの映画レビュー(感想・評価)
何が正しいのかなんて。
SideAとSideBまとめての感想として。
今、開催から1年半が経とうとしている23年年初においても、東京2020を語ると言う行為はものすごくやりづらい。印象として「なんだかフワッと全部が悪いものとして済まされており、こう言う点は悪かったよねこう言う点は良かったよねと言う検証が許されないもの」という整理がされているように思う。個人的な「モノゴト観」としては、(一部の例外を除き)いかなるモノゴトにも良い側面と悪い側面があるのが当然、と考えるタイプなので、この状況は些か居心地が悪い。
ただし、じゃあ今「東京五輪はあれがああだったのは良かったんじゃないか、悪かったんじゃないか」と事細かに語るのも、なんだか時期尚早な気がする。それほどまでに、あの五輪は、国民にとってコロナのストレスと、シン・ゴジラで描かれたようないかにも日本的な意思決定の脆弱さ、本番間際に次々と要職が解任された混乱、本来実現されたであろうオリンピックの姿に対する悔恨、と言った「複雑に絡み合った負の感情」に包まれており、それが多少なりとも薄くなっている印象は微塵も受けない。むしろ、前述のように「とりあえず無かったことにしとこうか」くらいの雰囲気すら感じている。
とりあえず、このざっくばらんに散らかされた映像を、今はひとまず見ておこうと思う。そして、映画のところどころで流される、開会式の「ボレロ」に象徴されるような、東京2020を囲む、なんだか奇妙な、混沌とした熱情だけは覚えておこう。この映像の切り抜き方に対して、発し手の主観や政治的スタンスも、もちろん出てくるであろうと言うことも、当然覚えておく。そして願わくば、10年後にこの映像をもう一回見たい。その時、東京2020はどんな整理をされているだろう?そして私はどんな感じ方を、この映像にするだろう?全てはその時に、また。