東京2020オリンピック SIDE:Bのレビュー・感想・評価
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監督を含むオリンピック側の人々の「心のバブル方式」。
基本的な印象は、SIDE:Aで書いたことと大きくは変わらない。
ただSIDE:Aでよりも時間に余裕がなかったのか、パートごとに編集者が違っているというか、スタイルがバラバラになっている気はした。が、それでもなお、観る側のイデオロギーや、オリンピックをどう思っているかを浮かび上がらせるアプローチは健在であり、この映画が森とバッハを揶揄していると取る人も、森とバッハを擁護していると取る人もいると思う。むしろそれこそが河瀨直美の狙いであり試みであり、うまいこと撹乱しやがるなあと思わずにはいられなかったし、オリンピックの公式映画としては正しいアプローチだったという気もしている。
とはいえ、じゃあ手放しで褒められるかというと、SIDE:A以上に問題の多い映画でもある。いくらイデオロギーの無臭化を狙ったとしても、結局は膨大な事象のどこの部分を切り取って並べ替えるかで、河瀨直美という人が色濃く匂ってきてしまっている。それ自体は全然悪いことじゃないのだが、結局河瀨直美がオリンピック側の人であり、公平性のあるドキュメンタリーなど撮れないということも露呈してしまっていると思うのだ。
確かにマスコミが追いかける森やバッハとは違う、オリンピックを縁の下で支えた人たちへの称賛と経緯を描くことは意義があるだろう。しかしこの映画で語っている人たちは、有名無名に関わらず、ほとんどがオリンピックの運営や賛同側で、反対派はあくまでもデモの集団としてしか登場せず、無関心層の存在などないかのようだ。
結局は監督が含む「オリンピックが好き!」という側の人たちが、外界から自分たちを遮断した「心のバブル方式」の中でオリンピックを開催し、そしてこの映画もそのバブルの中で作られている。オリンピック公式映画としては正しい気もするし、映画ってものにはもう少し大きいものを期待していいような気もする。いずれにせよ映画とスポーツがここまで接近して絡み合うことは珍しいので(ジャンルとしてのスポーツ映画は除く)、最後まで見届けられたことには満足しています。
よくやったなぁ
2020年年明け。夏に開催する東京オリンピックに向け、組織委員会は新年会を開く。しかしコロナ禍でオリンピックは延期。翌年開催できるのか、模索を続ける。運営するスタッフ、ボランティア、反対する人々を、開会式まで描くサイドB。
サイドAで物足りなかった選手競技は、残念ながらあまり出てきません。そういえば大震災からの復興も掲げていたはずなのに、それは忘れるくらい異例となった2020大会。延期に無観客、さらに酷暑までも影響。不適切発言で会長は辞任するし、中止を訴える国民が多数と困難が多い中、よくやったなぁ。前例が多く年齢も高すぎた人物を会長にした人々も悪い。コロナ禍で撮影も困難だったろうに。異例のオリンピックとして見る価値ありました。
1968メキシコオリンピックマラソン銀メダルの君原健二さんが、聖火ランナーで登場。1964東京オリンピックマラソン銅メダルで、1968年1月に自殺した円谷幸吉の写真を持っていたシーンは泣けました。
A・Bをまとめて、色々あった後でのアスリートの感動シーンで締め括って欲しかった…
何とも痛々しい出だしの映画だ。
冒頭で登場する大会関係者が、
次々に降板していくのを我々は知っている。
その中でも、開閉会式の責任者が
野村萬斎から
後に女性侮辱演出問題で降板する電通OB
への引継ぎの場での
確執発言のシーンは興味深かった。
そして、このオリンピックが抱えた
たくさんの問題点を払拭したいかのように、
SIDE:Aでは赤ちゃんを、
このSIDE:Bでは子供たちを、
将来の希望のシンボルとして多く描いた。
この河瀨直美監督の手法は作為的で、
やはりこの作品もSIDE:A同様、
記録映画でもドキュメンタリーでもなく、
彼女の作家性が強く出ている印象だ。
しかし、コロナ禍や世界の諸問題は
オリンピックに対してだけではなく、
全ての事柄に影響しているのだし、
また、映画はエンターテイメント性が重要。
市川崑の「東京オリンピック」や
クロード・ルルーシュの「白い恋人たち」が
名作なのは映像の力だ。
同じ競技場面でも、映画としての映像力で
記録映像を超えた「作品」となり得るはずだ。
だから、インタビューや
発言シーンで作品構成するのではなく、
AとBをまとめて一本にして、
コロナ禍や組織委員会の混乱等々、
色々あった後での
アスリートの感動の映像シーンで締め括る
構成を私は期待したかった。
2021年にあった東京オリンピック
SIDE:Bは競技大会としてのオリンピックではなく、大きなイベントを仕切った人たちの苦労を描いている。
コロナで開催自体が危ぶまれるが、1年延期の末、開催にこぎつける。
バッハや森に代表される組織の長が果たすべき役割とは何か、を問いかけている。
五輪は出場者や関係者が楽しむもの、というのはよくわかったことで、確かにエポックメイキングかもしれない。
大会は無観客だったが、この映画は無観客ではあるまい。
カス(この映画に対して)
何の意味も、理由もない
ただの時系列。
見どころもない、抗いもない。
未来につなげたいのであれば、未来に届く力が必要。
しかし、この映画はあまりに無力で
なんのパワーもない。 100年どころか、2年後に見ても
何の意味も訳が分からない 雑感でしかない。
この瞬間に残すべき事は、たくさんあったはず。
その何にも触れていない。カス中のカス。
よく分からなかった。
解説なしには難しい作品だった。今はまだ様々な騒動が記憶に新しいからいろいろな思いは込み上げてくるけれど、何年か経って鑑賞したら、誰なのかいつのことなのか何についてのことなのかちんぷんかんぷんになりそう。
「白紙に戻す」「無になる」前の、あったかもしれない東京2020オリンピックが観たかったんだな。結局私は。SIDE:Xとして。
お祭り騒ぎではいけないと語る野村萬斎さんの発言が心に残った。
だるまさんがころんだ!もう元には戻れない。
コロナが無く、すんなり2020年に開催されていたら、どんな記録映画になっていたのだろうか。一年の延期で、構想していた映画とは絶対的にアングルが変わってしまっただろうし、当初は関わっても延期後の本番ではファイアされてしまった人々(例えば野村萬斎氏)など、さまざまな「IF」が積み重なる東京オリンピックとその結末。現在進行形の、ネガティブなビジネスに纏わる事件もひっくるめての<五輪>だという点では、三部作にして「完全決着篇」を作る必要があるのじゃないかな。
何が正しいのかなんて。
SideAとSideBまとめての感想として。
今、開催から1年半が経とうとしている23年年初においても、東京2020を語ると言う行為はものすごくやりづらい。印象として「なんだかフワッと全部が悪いものとして済まされており、こう言う点は悪かったよねこう言う点は良かったよねと言う検証が許されないもの」という整理がされているように思う。個人的な「モノゴト観」としては、(一部の例外を除き)いかなるモノゴトにも良い側面と悪い側面があるのが当然、と考えるタイプなので、この状況は些か居心地が悪い。
ただし、じゃあ今「東京五輪はあれがああだったのは良かったんじゃないか、悪かったんじゃないか」と事細かに語るのも、なんだか時期尚早な気がする。それほどまでに、あの五輪は、国民にとってコロナのストレスと、シン・ゴジラで描かれたようないかにも日本的な意思決定の脆弱さ、本番間際に次々と要職が解任された混乱、本来実現されたであろうオリンピックの姿に対する悔恨、と言った「複雑に絡み合った負の感情」に包まれており、それが多少なりとも薄くなっている印象は微塵も受けない。むしろ、前述のように「とりあえず無かったことにしとこうか」くらいの雰囲気すら感じている。
とりあえず、このざっくばらんに散らかされた映像を、今はひとまず見ておこうと思う。そして、映画のところどころで流される、開会式の「ボレロ」に象徴されるような、東京2020を囲む、なんだか奇妙な、混沌とした熱情だけは覚えておこう。この映像の切り抜き方に対して、発し手の主観や政治的スタンスも、もちろん出てくるであろうと言うことも、当然覚えておく。そして願わくば、10年後にこの映像をもう一回見たい。その時、東京2020はどんな整理をされているだろう?そして私はどんな感じ方を、この映像にするだろう?全てはその時に、また。
ダメダメ
こんな記録映画なら残さなかった方がまし。
ズタボロで「呪われた」とまで形容された東京2020。
でも、最悪だったからこそ、後世の人たちが「あの大会って何だったんだろう?」と少しでも考えるきっかけになるのが記録映画の意義だと思うが、これはそれにすらなっていない。
一言で言えば、カメラを回して撮った映像を無軌道に繋ぎ合わせただけ。
時系列が行ったり来たりだけならまだしも、フォーカスした人物への踏み込みも足らないし、批判的な意見を入れたのも申し訳程度のアリバイくらいの中途半端さしか感じない。
これなら、いっそ思いっきり美化してIOCにおもねる内容にした方が潔くて良かったのでは?
そもそも、アスリート以外の人達を追うのがSIDE Bの趣旨のはずなのに、出場したアスリートのパートが結構含まれていたのは尺合わせなのか?
いずれにしろ、河瀬直美にドキュメンタリーを撮る能力が無いことだけは分かった。
バトンミス
時系列がグチャグチャなのと説明不足が多すぎるのが気になるが、次から次へと巻き起こるトラブルをできるだけ詰め込んだ内容は当時のカオス振りをよく表していて記録映画としては成立していると感じた。
特に野村萬斎ら演出チーム8人の降板劇と、女子マラソンの1時間前倒しの舞台裏はよく撮っていたと思う。
森喜朗の会長退任後に女性理事を増やしたこと等に対してシニカルな目線を向けているのも良かった。
一方で南スーダンの選手や被災を経験したバド混合ダブルスの話は「SIDE:A」に入れるべきだったように思えてならない。
無観客の国立で行われた競技としてわざわざリレーの失敗を挿入してきた意図も全く理解できない。
「うれしい。はじめてだもん」
聖火リレーを見に来ていた少年の言葉だ。不祥事やトラブルのオンパレードを見せつけられた後だけに印象に残った。
たしかに色々あった。ありすぎた。コロナ禍でオリンピックだけ特別扱いするなという気持ちも分かる。
ただ、だからといって大会に纏わる何もかもを嫌わなくてもいいんじゃないか。
「あの夏、たしかに日本でオリンピックやったんだな」という実感を得られただけでもこの映画を観る価値はあったと思う。
しかしもう一度言うが数少ない競技のシーンがバトンミスって理解できないよ。
もっと格好良かったり美しいシーンもたくさんあったはず。
圧倒的な無。
オリンピックの関係者(政府、大会の運営に携わる人達、開会式演出メンバー聖火ランナー、選手の恩師、コーチ、警察、などなど)を描くドキュメンタリー。
SIDE Aは記録映画というより監督の主張強めなドキュメンタリーだったけど、今作の方がより記録映画だった。SIDE Aには入らなかった監督自身の声が入るように、この映画は監督の見た東京オリンピックであり、今の日本のありのままの姿。
冒頭、コロナ前の政府のオリンピック関係者の様子が映し出され、森会長やバッハが各所に演説したり子供と交流したり現場を視察したり。この、それっぽいけど中身ゼロなことを言うジジイに気を使う下の人達という"気持ち悪い日本"を見せられた後、徐々に現場やもっと仔細の人達の様子に写っていく。
震災を乗り越えた中学バトミントンの先生や聖火ランナーや現場の人達はアスリートと同じようにそれぞれが何かしらの思いを背負ってオリンピックを迎える。それに対して上の人になればなるほど、信念が全く感じられない。MIKIKOさんが言っていたように「無」。圧倒的な、無。
コロナ禍で色んな声がある中延期までして無理矢理にでもオリンピックをやろうとしてるのに、全くなぜやりたいのかが感じられない。日本のメンツに掛けてが主な理由かもしれないけど、それすらもあまり感じられない。その「無」にひたすら振り回される優秀な現場の人達、という構図が今の日本。
森会長の女性蔑視発言もあれも言ってみれば「無」から出た言葉だと思っていて、ただ女の人達は話が長いと思ったから言っただけ。そして、あとから謝らなきゃいけない感じだったから謝った退任しただけ。
でもその上の「無」の人たちは、もっと上の諸外国という「無」に振り回されている。いつも各国の後追いをして、主導になることはない日本がそこにはある。
リレーを得意とする日本で、今回陸上のリレーでバトンを繋げなかったエピソードがとても印象的で、それは、このままではいつか次の世代にバトンを繋げなくなる日が来ることを示しているのか、今の日本を次の世代に受け渡さないという意思を表しているのか、両方に思えるから面白い。
グダグダだった。何が撮りたいのかわからなかった。Bサイドは撮るべ...
グダグダだった。何が撮りたいのかわからなかった。Bサイドは撮るべきではなかった。聖子さんが少し凛々しかった。森は最後まで未練を見せていて、全くわかっていない。冒頭の男たちばかりの会議と女性理事が増えた会議の対比は素晴らしかった。
政治音痴なんだと思う、監督。
知らないことも色々あって面白かったけど、感動の押し売りで、Aサイドとは異なって感情移入できなかった。そもそもオリンピックの正当性がほとんど論じられていない。バッハの側からしかカメラを撮ってなくて、デモの人たちを他者化する場面は最低だ。河瀬の価値を下げている。もうこういう映画を撮るべきではない。
人間の苦しみと立直る力を見つめる監督の 魂のファインダーは変わらず
「朝が来る」「あん」の河瀨直美監督作品だ。
SIDE:Aに続けて鑑賞。
もちろん五輪映画をではなく河瀨直美を見るためにである。
シネコンでお客は僕を含めて2名。
もっと阿鼻叫喚な後編になるのかと思いきや、意外や意外。落ち着いた作りに収まったようだ。
子どもたちの表情や、美しい自然、林や桜や雨の光景を折り込みながら、過日を回想させるこの後編からは、何かを、あるいは誰かを糾弾するための告発映画としてではなくて
大変だったあの2年間を経験したすべての日本国民への、“労りの後奏曲=ポストリュード”のようなものを、僕は感じた。
酷暑とコロナ禍。
このどう足掻いても逃げられない自然の猛威があったのだ。
人類が、そして日本人が、どれだけあの日々を苦しんだかを河瀨直美が記録した、・・だからこのような優しい映画になったのだろう。
僕は、支離滅裂なオリンピックの運営を撮りたいのなら、撮り手は支離滅裂であってはならないはずだと身構えて開演に臨んだのだが、そこに映し出されていたのは喧嘩腰とは真逆の、大人な慰めとダウンタイムの空気だったと思う。
前編と同様にアスリートたちのシーンは添えもの程度に散見されるだけだったから、「オリ・パラ公式記録映画」としてはまったくの不出来であって、
かつての東京五輪の記録やベルリン五輪の映画のような肉体の美しさに特化もしていない。
説明もあまりに少ない。
短いカットそれぞれの、中身の重さにも応えていない。
だから後代まで残るオリンピックの記録映画にはならないように思う。
でも閉幕後1年を経た人間が今このときに観るための限定的ドラマになっていたように思う。
トーマス・バッハの人となりを知る機会になったし、老人森喜朗への温かい監督の眼差しも覗き見た。
たくさんの裏方さんの努力もこうして思い出すことが出来た。
だから1年後限定の僕らへの温かい便りだと感じた。
一番心に残ったのは
南スーダン (?)の選手の言葉、
「日本を応援するために私は日本へ行きます」と。
頭をガーンと殴られた気がした。
そんな人がこの世にはまだいてくれたのだ。
東日本大震災を悼み、日本のために自分は頑張りたいと言っていた彼女の声に、
ここのところとうに忘れていた無垢な心に触れて 鼻の奥が熱くなった。
・・・・・・・・・・・・
付記:
監督のスキャンダルが報じられているようだが、オーバーワークでburn-outして精神を病んでいるということはないだろうか?
なにか個人的な理由で秘匿を貫くという訳でないなら、体調の不調があるならば何らかのステートメントをマネージャーなりが発してくれたら良いと思う。
SIDE:Aが終わる前に見ておきたい
100席ほどの映画館に10人ほどの客しかいなかったSIDE:Aを見た翌日に、こちらのBを見た。
2部構成にする必要がどれほどあったのか、とも思うが、せっかく2本あるのだから、合わせて見ておいても損はない。
本編には、五輪反対活動家の姿が何度か挿入される。
テレビで映らなかったから知らなかったが、バッハが来日時にも彼はあそこまでしつこく活動していたのか、というひとつの真実をこの映画で知った。
森喜朗元首相が会長を辞めたことに象徴される、いくつもの舞台裏のゴタゴタもしっかりと「記録」したのは、ある意味で評価していいのではないか。
次は、自身のスキャンダルへの反論も、作品化してみてはどうだろう。
にしても、このSIDE:A/Bの2本に客が入らなかったのは宣伝が下手だったんだろう。
五輪に関係した人のすべてが見れば、ここまで客も入らないことはなかった、と思うのだが。
無能なマネジメントと優秀な兵隊
公式映画(国がパトロン)なのでマネジメント層に厚く時間配分されてるけど、
異常事態を切り抜けることが出来たのは現場のおかげなんですよね。そう思いながら見てた。
全世界的にコロナ対策も同時進行。日本はどちらも現場力で乗り切った感が強い。
顔圧とさかれた時間を考えると、バッハ、森喜朗。当然か。さすがにあの二人あっての一年延期開催だったんだろう。森喜朗氏色んな意味で象徴として叩かれたけど結果的にはリーダーだったなと思う。
SIDE:A,Bの2面に絞ってるけどほんとは16チャンネルぐらいの作品にしてほしい。映画としては同時代人がみて楽しむ映画だけに終わらせてほしくない。
ある軍事通の方の軍事ジョーク。
神は第二次世界大戦の結果を見て最強の軍隊と最弱の軍隊を天国で作られた。
最強の軍隊、日本人の兵士、ドイツ人の参謀、アメリカ人の将軍
最弱の軍隊、イタリア人の兵士、中国人の参謀、日本人の将軍
東京五輪と正面から向き合うべきだった❣
東京五輪と正面から向き合うべきだった❣ 選手と関係者、スタッフ、ボランティアの人々は真剣に向き合っていた。バッハIOC会長、森元会長、橋本聖子会長の真摯な姿に感銘。五輪関係者全ての皆様に感謝。貴重な五輪記録を残した河瀬直美監督スタッフ一同、有難う❣
オリンピックの裏側で何があったのか
コロナパンデミックの中、そのコロナに翻弄されながらも開催された東京オリンピックの裏側で何があったのかを見ることのできるドキュメンタリーである。またコロナという感染症(未曾有の大事件)をオリンピックというひとつの側面からではあるが、おさらいする意味でも意義のあるドキュメンタリーである。
東京開催決定で日本中を熱狂させたオリンピックはコロナ禍という突然のアクシデントのために日本国民の思いを一気に萎ませた。
あるものはさらなるパンデミックの拡がりを危惧し、あるものは日常生活の多くが制約されるなかオリンピックだけだなぜ特別視されるのかに疑問を感じ、またあるものは税金の無駄遣いと主張し、またあるものはIOCへの特別待遇(貴族と揶揄)に対する怒りをぶつけてオリンピック中止を叫ぶ。ヒステリックなまでに。
一方、アスリートだけでなくその準備のために心血を注いで働いた裏方の人達の思いには胸をうたれ複雑な気持ちにさせられる。たとえオリンピックに反対だとしても。それが人情というものだろう。それゆえにこの部分の取り上げ方がもう少し多くてもよかったのではないだろうか。
世間からのバッシングを浴びた森前会長、電通の佐々木統括責任者などの姿をみれば、何とも"哀しいオリンピック"という思いを強くする。
世界の大運動会として、開催国のみならず世界中の人々をお祭り気分にさせたオリンピックは何処に行った?
ちゃんと裏方のドキュメンタリー作ろうよ
どこが裏方のドキュメンタリーなんだ?!男子陸上リレーのミスシーンとか瀬戸選手の予選落ちとか、これ裏方の話か?
裏方というより裏話?(ですらないが)
コロナ禍で1年遅れたのは事実だが、バカ正直にコロナ禍で遅れたことを延々と取り上げるとか芸がない。コロナ禍に関係なく頑張った裏方の仕事ぶりを見たかった。
あとなんか平等にオリンピック反対派も取り上げないと納得できないのか?
大事な裏方の方は置き去りのくせに
オリンピック反対派の意見も平等に取り上げる変な正義心。被爆地広島訪問に絡めて
平和平和と唱えるのうっとうしい。
変な思想交えずに、淡々斗裏方の仕事ぶりを見たかったのに最悪。
SIDE:Aが望外にまともだっただけに
期待していたががっかり。もう来週には
終了だそうです。
全39件中、1~20件目を表示