セイント・フランシスのレビュー・感想・評価
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互いに少しずつ、それぞれのその先へ
冒頭いきなり、の出血にちょっと驚く。しかも、一度きりじゃない。何度も何度も、白地に赤い血、が登場する。男性はギョッとするのではと、余計な心配が頭をよぎった。が、そもそも、ギョッとしたのは自分自身。毎月のこと」に、いかに自分がフタをして、見ないようにして流しているか。それは、10代からそのように仕向けられてきたからであり、そんなルールを無批判に受け入れ取りこんできた結果でもある。
34歳のブリジットは、(少なくとも私よりは)堂々と出血しているように思えた。でも、彼女もまた、こんなはずじゃない人生の中でもがいている。やさしい年下の彼氏との日々も、すんなりとは受け入れられない。ダイナーよりもマシな仕事を、とレズビアンカップルの娘•フランシスのシッターに何とかありつき安堵したものの、思いがけない出来事が降りかかってくる。
戸惑いながらも妊娠を受け入れる、とかシッターする子とじわじわ関係を深めていく、といった定番コースを、本作は辿らない。むしろブリジットは、よりこんがらかる方向に足を踏み入れていく。
ささやかな突破口となるのは、産後疲れに陥るフランシスの母親だ。キャリアと家庭を手に入れた完璧な女性に見えた彼女の揺れや孤独に触れ、ブリジットにも変化が訪れる。そして、最後に彼女たちの背中を押してくれるのは、可愛げがなく困った子だったフランシスだ。欠けたところのある大人と子どもが、共に過ごすなかで少しずつ底上げされていく。そんな見過ごしてしまいそうな日常を、本作は丁寧にすくい取っていた。
アルバイトのベビーシッターは日本ではあまりなじみがないが、多くの地域には「ファミリーサポート」という仕組みがある。会員登録制で、子を預かってもらったり、習い事や学校の送迎をしてもらう。私はもっぱら利用するばかりだが、これまでさまざまな方々にお世話になってきた。子どもを介して関わるなかで、子ども以上に、自分が支えていただいたと強く感じている。それに、親だから、子どものことが一番なんでも分かるとは限らない。子について色々伝えていただく中で、そんな好みがあったのか、そんなことを言ったりやったりするのか、という発見が日々あった。家族親族、先生生徒とは異なる繋がりだからこそ、得られるものがたくさんあった。
そんなサポートさんとの出会いと別れは、大抵新学期にやってくる。サポートさんの人生の節目もあり、こちらの節目もあり。フランシスとブリジットのせつない別れの先にも、きっと新たな「はじまり」があるはず。フタをしてしまっていた感情を腑分けし、伝えられるようになったブリジットのその先を、あれこれ想像しながら帰路についた。
『セイント・フランシス』以降という言葉が生まれそうなくらいの先進性
さえない人生を送る主人公の等身大の姿を描いた映画は山ほど存在するが、それでも映画とはこういうものである、というバイアスがかかっていて、不可避的に映画的脚色がなされるもの。映るものより、むしろ映されない要素によって、これは作り事である、という安心感が生まれているものだと思う。しかし本作は、商業映画があまり注目してこなかった日常のひとコマを描くことに時間を割いていて、それがジェンダーなどの問題意識をさりげなく提起するという点で、映画表現として革新的な試みに挑み、そして成功していると思う。
それが等身大のヒューマンコメディであることであまり前景化はしないのだが、今後の映画表現において『セイント・フランシス』以降という認識が生まれるのではないかと思うくらい、大きな変革を成し遂げているのではないか。作り手にとってインスピレーションになったというグレタ・ガーウィグも素晴らしい映画作家だが、フォロワーでありながら、さらなる先の地平を切り拓いた本作には拍手せずにいられない。
さりげなく込められた宗教的側面についての覚え書き
この映画については当サイトの新作評論の枠に寄稿し、その中で「題名を含め、宗教的な要素は本作の要所要所で認められるものの、さらりとフラットに扱われている」と書いた。実は鑑賞してから執筆前の下調べの段階で、初見では気づかなかった宗教的な要素を知り興味深く思ったのだが、残念ながら評論枠の字数の都合で詳しく言及できなかった。そこで、このレビュー枠ではそうした宗教的要素について補足してみたい。
前置きをもう一点。このレビューにストーリーに関するネタバレはないが、作り手(脚本と主演のケリー・オサリバン)が役名などに込めたであろう意図について触れるので、鑑賞前に読むと予備知識がある種の先入観になり、まっさらな状態で映画に向き合うことの妨げになる可能性はある。そんなわけで、鑑賞後に読んでもらえるとよりありがたいかなと思う。
では、ようやくここから本題。まず、自身の体験を映画中のエピソードに反映させたオサリバンは、アイルランド系カトリック信者の移民家系に生まれ、8年生(14歳頃)まで「無原罪の御宿り」という教義に基づく学校に通っていた(ブリジットも幼稚園から8年生までカトリック校に通ったと話す)。“御宿り”とは聖母マリアがイエスを身籠ったこと。妊娠、出産という要素は本作とつながりがある。なお、ブリジットがマヤたちの家の廊下で目にするのは、「絶えざる御助けの聖母」という宗教画。
日本の人名や行事などに漢字文化と仏教的価値観が浸透しているように、欧米にもラテン語・ケルト語などを含む印欧語族の文化とキリスト教的価値観が根付いている。映画の主要人物2人、フランシスとブリジットの名前についても、調べるといくつかわかることがあった。
まずフランシス(Frances)は、男子名Francisとともに、古くは「自由な人(free man)」を意味する名前。また、「アッシジの聖フランチェスコ」(英語表記はSaint Francis of Assisi)という12~13世紀の有名な聖人がいて、その思想のひとつに、人類すべてと森羅万象が天の父とマリアを母とする兄弟姉妹だとする「万物兄弟」があるという。映画のフランシスの家族も、男性の父親と女性の母親という伝統的な家族の形式にしばられず、現代の多様性尊重に通じる“自由な”家族の形を体現している点も、「フランシス」の含意と通じるように思われる。
もう一方のブリジット(Bridget)は、ケルト語派で「力、強さ」を意味する言葉に由来する女子名で、アイルランド系に多い名前だそう。やはり同じ名を持つ有名な聖人として、5世紀頃にアイルランドで慈善活動を行った修道女「キルデアの聖ブリギッド」がおり、別名は「ゲール人のマリア」(ゲール人は今のアイルランド人やスコットランド人の祖先にあたる)。聖ブリギッドは乳児や私生児の守護聖人として崇敬されているという。父親がいない6歳のフランシスの子守りをし、またマヤが産んだ乳児のウォーレスもあやす主人公に、オサリバンがブリジットという役名をつけたのは偶然ではないだろう。さらに、ウォーレスの洗礼式後に教会の庭で参加者らが会食する終盤のシーンには、マリア像に見守られる位置でブリジットが赤ワインを飲んでいるごく短いショットも挿入されている。
以上、散発的ではあるが、本作の宗教的側面について理解の助けになるかもしれない情報を書き出してみた。キリスト教に詳しい研究者や宗教家なら気づくであろう、象徴的な要素や示唆的なエピソードが作中にまだまだあるだろうし、誰かが書いていたらぜひ読んでみたい。
穏やかかつ眩い映像を貫く、率直さと正直さ
30代の女性を主軸に描く成長物語。と書くと、同類の多くの映画群の中で埋もれてしまいそうだが、いざ本作を紐解くや、作品内を貫く率直さと正直さに驚かされる。映像は透明感に満ち、語り口もとても穏やかなれど、主人公が直面する悩みや葛藤はその後の生き方を変えるくらい重要なものだ。その中心に位置する者こそ主人公ブリジットと、彼女が子守する6歳の少女フランシス。この幼子、最初は意固地で心を開かないところがあるものの、やがて母子や友人とも違う独特の、唯一無二の信頼と愛情で結ばれていく。その存在からブリジットが学ぶことは大きく、自然体の交流を重ねる二人はいつだって眩い光に包まれているかのよう。また、フランシスを育てるレズビアンカップルが吐露する胸中、産後うつと周囲の理解、友人との再会で直面する格差意識に至るまで、我々がつい見ぬふりする気づきや感情を随所に散りばめ巧みに織りなす。そんな確かな手腕の光る一作だ。
A Timely Drama on Pregnancy
Saint Frances is the kind of "only in America" drama that shows the new spirit of the age. Who could imagine a pro-life Catholic family with two lesbian moms. With the Roe v. Wade ruling in the news last week, actress and writer Kelly O'Sullivan's personal story on going through an abortion resonates with the time, though obviously with a liberal skew. Oddly parallel to Weinstein's St. Vincent.
シネマフェステで上映するのにとても合っている映画
日比谷シネマフェスティバルの野外上映で見たのですが、まずこのフェスがとっても素敵でした✨
多分この映画、自分で見たいと思って私は選べなかったと思うので、こういう出会いがあるからイベントっていいなと思いました。周りに若い男女のカップルがたくさん見てましたか、ぜひ、彼氏に見てほしい映画。そういう意味でもこのシネマフェスティバルは有意義だと思いました。
中絶経験ナシの私には、こんなに何日も体調が悪くなるというのはわかってなかった、男の人なら尚更わからないと思う。産後うつだって体験しなくちゃわからない。そして外で授乳してるのを咎める人だってもしかして本当は母乳で育児できなくて羨ましくてつい咎めてしまったのかもしれない。世の中はいろんな立場の人がいて、それぞれ知らないから他の立場の人のことを理解できなくて、何もかもが理解するのはもちろん不可能だけど、こんな風に映画でわかる事だってきっとある。それはとても大切な事だと思いました。
なんていい映画
もともと冴えない行き詰まった女性をシリアスすぎずに描く映画って何故か好き。でもこれは今までのそういう映画より抜きん出て質が良い。色んな粒があるのにそれを混ぜすぎず分離させすぎず本当にうまく昇華してる。フランシス最初はカワイくないのに途中からはキュートが服着て歩いてるよう。これは子役の力なのか演出なのかホントにふしぎ。このくらいの年齢にとって男が8歳年下なのって確かにすごい大問題に感じるよね。年を取れば取るほど年齢差ってどうでもいいことに気づくんだけど。それとかフランシスを学校まで送ったあとになぜか泣き出す感覚、これも理由はわからないけどすごい共感。これ34歳の頃に見たら共感で失神してたかも。それとも当時は自分とは違う!って思ったのかな。そういうこと考えるのも有意義に感じるほど良い映画でした。魂がきれいになった気がします。
心が通えば家族なのだ
極端な話その相手が人間だろうが動物だろうが、
なんなら植物でも微生物でもいいけど
まったくの他者と分かりあうプロセスにこそ
多様性ってやつはあるんじゃないかと。
深刻な話を軽やかに、宗教的だけど説教くさくなく
フランシスに限らず、子どもは自分を映す鏡なのだと思う。
我が子ならなおのこと。
見終わったあとにじわじわ効いてくるタイプの良作だった。
ある女性の生き方
序盤から中盤にかけては、主人公の行動に全く共感できなくて、退屈さを感じていました。
ただ、終盤は主人公らしさや仕事先の人との関係が改善されていく様は楽しく見れて、いい感じです終わったなと思います。
生理や中絶などが赤裸々に表現されている作品はあまりないですし、監督自身が伝えたかったことの一つであると感じました。
冴えない人生と自分を卑下する 34歳独身女性ブリジット。 生理・避...
冴えない人生と自分を卑下する
34歳独身女性ブリジット。
生理・避妊・妊娠・中絶…
出産・育児・産後うつ…
女性が持つ悩み
話題にしにくいことにも触れ
レズビアンカップルに雇われ
フランシスの子守りをするうちに
見えてきたこと
変化してきたこと
"ありのまま"のフランシス
振り回されながらも
他者と関わりをもつことにより
視野も広がる
見える景色も変わる
"ありのまま"を受け入れることが
差別偏見のない世の中にも繋がる
主人公を演じたのはケリー・オサリバン
彼女自身が経験してきたことを元に
脚本を書き上げた作品(脚本デビュー作)
ユーモアもあって温かくて
ときに熱くて
そして優しくて
素敵な作品です
女性も男性にも観てもらいたい作品です
フランシスが可愛い
女性の身体の描写がなんとも生々しい。中絶をする事になったブリジットと彼氏のやり取り「私ばかりが苦しむのは不公平、あなたも食中毒になって」なんて笑っちゃうような、それは違うだろうと思うけど、女の人の本音かも。気持ちはなんかわかる。そのくらいの苦痛は男性も味わってもいいよね。でも、彼氏にナプキン見せたり、ちょっと理解できないけど。
フランシスのママとブリジットとの、産後の尿漏れと生理で、トイレで一緒に笑いながらナプキン使ったり、ちょっとオープンすぎるよね。
今に満足していない独身女性の苦悩や、同性カップルの苦悩をコミカルに見せながらも正直に深刻に描いていて、なかなか深い映画である。
フランシスがとてもしっかりしていて、花火の場面では、公共の場で授乳をさせないでと詰め寄る女性と(同じ子持ちで大変さはわかるであろう女性があんなことを言ってくるのはちょっと理解し難いが)ママ、ブリジットの間に入って、いちばん的確な対応をしていた場面がジーンときた。
ブリジット、2人のママ、フランシスとそれぞれに心の葛藤があり、ぶつけ合い、理解し合う。ナニーという形を離れて、いつまでも友人として彼女たちの関係が続いてほしいな。
夏に見ておくべきだった一作
ブリジットが大きく感情を揺さぶる出来事に
じつくりと向き合って感情を整理していく様や
小さな一つ一つのハードルを勇気を持って
乗り越えていく様がよかった。
だから最後にあの台詞がでてくるんだよね。
「わたしは賢い」「わたしは勇気がある」
「わたしはかっこいい」
社会へ出るフランシスへ送る言葉。
もしかしたら傷つく事は避けられないかもしれない。
それでも、自分を鼓舞して誇りに思っていれば、
それさえも乗り越えられるんだ。
フランシス一家とブリジットの関係が最高で。
もう毎夏、花火行ってほしいし、お泊まりしてほしい。
そんで大人になったらブリジットとフランシスは
旅行とかいって、ずっと仲良くして欲しいですな。
ちゃんと生理きたら報告するんだよ。
それともこの夏のこと忘れたりしちゃうのかな。
どちらにせよ、ブリジットはこういう形で
人との交流によって生きていけるわけだね。
あと後半に出てきたブリジットの大学の同級生。
めちゃくちゃ嫌なやつだったな。
そんで現実にも全然居そうっていう。
単なる女性映画として観るべからず
少し前に観た『わたしは最悪。』とか『リコリス・ピザ』とか、近年世界的に30代(前半)女性の生態を描いたような評価の高い作品が作られていて、1つのムーブメントになっている気がします。
評判が良いのでつい観てしまいますが、基本女性映画なので良い映画として理解はしても、所詮男の私はどうしても他人事のように客観的に観てしまい中々感情移入出来ませんし、いつも言うように“私の映画”にもなり難い種類の作品群です。
以前『82年生まれ、キム・ジヨン』の感想で、本作で描かれているテーマは、本来男女問わず“今を生きる総ての人が抱える問題”であると指摘した事もありました。単なる女性映画にしてしまうと、問題を矮小化させるだけになってしまいます。
しかし本作の場合、非常に生々しく女性の生理を描かれていて女性性を強調しているのですが、私は『カモン カモン』の女性版を観ているような感覚となり、テーマ的には男女問わずのもっと大きな人間の成長物語のように捉えられました。
この手の作品レビューを読むと女性観客の共感ばかり目立つことが多いですが、この手の作品群こそ男性のレビューを読むことをお薦めします。本作のテーマはタイトルからして迷えるすべての人間に対してのアンサーである様に思えました。
本作で最も描きたかったのは、現在社会の多様性やジェンダーという価値観の行き着く成れの果ての様な気がしました。なので本来悪役になるべき役や台詞を敢えて女性に言わせたりしていたので、この辺りは確信犯として作られていたのでしょう。とても、バランスの良い作品だと思いました。
フランシスがすごくて・・・・
懺悔部屋のやり取りがとてもよかったです。
祈りなさいの後の上から水ジャバーはなかったですが。
フランシスのIQは150ぐらいでしょうか?
あまりにブリジットの出血場面が多いので、子宮頸がん?って心配してしまいました。
コンドームも使わない膣外射精法頼みのブリジット。
外国には強力な経口堕胎薬があるんですね。ヘイリー・べネットのスワロウを思い出しました。
ブリジットはギターの先生に会ってから急にキレイになった。
それなのに濡れないってどうゆうこと?
惚れたなら、もう少しギター練習しなさいよ。
女性の痛みについて8割ぐらいはわかったかなぁ?
【自己肯定感の低き女性が、一夏、養育係(ナニー)をする中で、女性の生理の大変さ、中絶、産後鬱などを絡めながら様々な経験をし、心が成長する姿を描いた作品。】
■レストランの給仕から、一夏限定で6歳のヤンチャな女の子フランシスの養育係(ナニー)になったブリジット(ケリー・オサリバン)。
大学を、一年で中退し、34歳になっても自分自身の生き方を評価できない・・。
◆感想<Caution! 内容に触れています。>
・冒頭から、良い仲になった10歳下の男とのセックス中に、ブリジットは生理になる。
ー 今作程、女性の生理が描かれた作品を私は知らない。だが、今作では生理を穢れとしては描いていない。男も驚くが、嫌な顔をせず、後始末をする。-
・フランシスは、最初はナカナカブリジットに馴染まない。悪戯好きのヤンチャな女の子だ。彼女の両親は女性のカップルで、マヤは子供を産むが、産後鬱に悩まされている。
ー 申し訳ないが、私は男なので、生理の大変さ、産後鬱の状況などは、分からない。だが作品を見る限りでは、女性が如何に大変なのかが少しだけ分かった気がする。-
・そんな中、ブリジットは、自分だけでなく周囲の人間も不安を抱えながら、人生に立ち向かっている事に気付いていく・・。
そして、様々な経験をしながら、彼女は少しだけ自己肯定感を味わって行く。
<今作では、余り描かれない女性の生理、産後鬱、中絶、避妊を正面から取り扱いつつ、自己肯定感の低き女性が様々な経験をし、一夏の心の成長を描いた作品である。
ラスト、ブリジットとすっかり親しくなったフランシスが”報告するね!”とブリジットに駆け寄るシーンは、良かったなあ・・。>
<2022年10月9日 刈谷日劇にて鑑賞>
重いテーマを軽やかに描き、ラストは清々しい。
僕は男性だからこの作品で描かれる「女性ゆえ」味わうさまざまな感情の全てに「あるある!」て共感することは難しいですが、性別関係なく目に見えないプレッシャーとか生きづらさ、自信の持てなさってあると思うのです。それは、どこかの誰かの集合体が作り上げているであろう「世間の常識」だったり「俗に言う“普通は”」ってことで生成される「枠」にはまっていない場合に。
そんな時、きっと自分は自分なりに頑張るものの、ズレを感じるたびに焦ったり、自分自身を卑下したり、どーすりゃぁいいんだー?ってなっちゃうと思うのです。周りを気にしない、自分自身で居ればいい・・・といろんな啓発本には書いてあるものの、許しているようで「例の枠」の尺度にはまっていなければ世間はなかなかどうして、受け入れてくれなかったり、なんだったら下に見たりとか・・・。
まぁ生きづらいですよね。「枠」からはみ出ちゃうと。
さらに女性の場合は男性以上に大変な事情があると思います。本作ではそのセンシティブな部分をズバっと!大胆かつ明確に表現していたと思います。
しかし、どんな場合でも、人間を貶めるのも人間で、救うのも、きっかけを与えるのも人間なんですよね。そのためには知らない世界を見る機会を作らないとならないのかもしれません。やっぱり出逢いって大切だよなぁと。相手が大人だろうが、子供だろうが。出会うことで「自分らしく」生きれる何かを見つけることができるのかもしれません。何気に本作はテーマが重いんですよね。けど、ゆっくりとかつ着実に主人公のブリジットの横に寄り添いながら進むストーリーはとても心地よく、癒されていく感じすらあります。そして、ちょっとした爽快感も。フランシスとの関係性は見ていて和みます。
誰も彼も、ブリジットの気持ちのいくつかは持っていると思います。ですから日々、もやもやしちゃってる人は本作を見て、束の間ではありますが自身を解放しちゃいましょう。
ありのままでそれぞれに幸せ。
何事も中途半端な30代の主人公ブリジットが、ひと夏だけ6歳のフランシスの子守りの仕事をする。
高齢出産・避妊・堕胎・生理・産後鬱・育児(授乳)などなど今までタブー視されて来た女性の問題オンパレードの101分。こういうと敬遠される方もいるかもしれないが、決して押しつけがましくない。あるグループを敵にしたり、批判的な視点で描かれていない。コミカルで軽やか。しかし芯はしっかりある。
自然や命をありのまま受け入れた、聖フランチェスコを想起させるタイトル
「セイント・フランシス」
ありのままでそれぞれに幸せな世の中になればいい。
脚本は主役ブリジットを演じたケリー・オサリバン。
生理の話(不正出血)で101分なのに、ラストの爽快感よ。
センスを感じる。
次回作に期待したい。
37歳男性の視点で、泣きました
途中、「なんで泣いているか分からない」と言ってブリジットが泣くけど、その感情で自分も泣いた。
生理をこれだけ描いた映画はなかったと思う。産後うつや、親との関係、パートナーや感情の起伏も嫌味なく描ききってて、37歳男性として、女性がどれだけ苦労しているかを思って、泣いてしまった。
男性の自分がいくら感想を言おうと分からない女性の大変さ、それをここまで見せてくれた素晴らしい映画
そして子どもと対等に「離婚したことある?」とか質問してるシーンもすごく良かった。
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