「会えない恋人を待ち過ぎて、ヒマ過ぎて、呼吸だけで遊んだりする女の話。」私、あなた、彼、彼女 osmtさんの映画レビュー(感想・評価)
会えない恋人を待ち過ぎて、ヒマ過ぎて、呼吸だけで遊んだりする女の話。
昔、観たマルグリット・デュラスの白黒の映画に似ていると思っていたら、実はデュラス本人も注目していたようで…
代表作の『ジャンヌ・ディエルマン』は途中で席を立ったようだが、こっちの方は割と好きだったんじゃないかな?
但しデュラスの映画のような、フィクショナルなファンタジーというか、虚構における解放区への誘導というか、ある種の自由を発動させる余白というか、そういった諸々を拒否しているというか…
肉弾戦のようなベッドシーンも、欲望剥き出しの”ぶつかり合い”のようで、お互い自由気儘な交歓に見えつつ、どこか意図されたコレオグラフィのようで…
一見ヴァイタルな行為に見えるのだが、そこに開放的で野放図な悦楽は見えなかった。
セルフ・ポートレートなショットが続くので、本人のプライバシーを曝け出しているようにも見えるが、全て創作かもしれないし、または、その組み合わせかもしれない。
ノンフィクションのような切実なリアルは殆ど感じられないため、間違いなくフィクションであろうが、実体験や即興性も導入しているようだから、現実の出来事のように見えなくも無くて…
作られた物語という人工的な虚構性からの解放は試みたかったかのかもしれないが…
ず〜っと主人公のプライベートな世界を延々と映していくので、最初から最後まで引き込まれはするが、フィルムの外へ広がっていく”何か”を感じることは出来なかった。
まあ、殆ど密閉空間しか映されないから(ある意味ヒッチハイクでのシークエンスも含めて)最初から、そういう意図だったかもしれない。
この閉塞感は、ポスト・ヌーヴェル・ヴァーグ(アメリカン・ニューシネマも含む)特有か?
ゆえに最後のエンドクレジットでのフランスの童謡によって、何か初めて外界の空気を吸ったような気分にもなった。
しかし、この人なんで80年代に日本で注目されなかったかな?
『囚われの女』なんか、カイエ・デュ・シネマで年間2位だったというのに。
ジャームッシュや山本政志などが注目された頃、回顧上映しても良かったのに。