「部落差別という「鵺(ぬえ)」を探して」私のはなし 部落のはなし taroさんの映画レビュー(感想・評価)
部落差別という「鵺(ぬえ)」を探して
この映画は、教科書的解説だけでは容易に正体を現さない部落差別という社会的心理的現象を、関係者の会話や語りを積み上げることで浮かび上がらせようとしている。その結果、被差別部落出身者・(元)解放運動家・研究者・差別心を抱く者たちの言葉や語る姿から、徐々に部落差別の複雑で多様な様態が浮上してくる。
研究者(黒川みどり氏)の話で興味深かったのは、天皇を仰ぎ見る心性と被差別部落出身者を蔑む心性は同じ所から生まれている、その一方で、戦時中は国民総動員の必要性から「一君万民」が強調され部落差別は厳しく批判された(この場合、敵国人が差別の対象にされたのだろう)という指摘である。
部落差別がなくならないのは、この社会で公認されている、少なくとも否定されていない価値観(〝血筋や家柄は大事〟のような)に部落差別が組み込まれているからかもしれない。それが、部落差別をする者に寛容な社会(〝俺はしないけど、差別する奴はいるよね〟的な)を存続させているのかもしれないと、映画を観て考えた。だとしたら、部落差別は、〝血筋や家柄は大事〟的な価値観を否定する社会にならなければ解消されない。それは、〝立派な〟血筋や家柄などに繋がらないほとんどの日本人にとっても生きやすい社会のはずである。
映画の中で特に心を揺さぶられた場面は、20歳の若者3人が自分たちの住む地域について語り合う場面と、20代半ばの青年が地域を離れた友人と電話で会話する場面だった。どちらも繊細で優しく相手を傷付けないように配慮しながら話しつつ、それでも誠実に差別と向き合い自分なりに闘う生き方を模索している姿が伝わってきた。これも、語りや会話をなるべくそのまま作品に残そうとした監督の手法の成果だと思う。そのため映画は3時間半という長さ(途中に休憩あり)になったが、冗長な印象はまったくなかった。