劇場公開日 2022年6月18日

  • 予告編を見る

「「百年」は見えない。「希望」は見えた。」百年と希望 taroさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0「百年」は見えない。「希望」は見えた。

2022年6月25日
PCから投稿

映画のタイトルからすると、来月で結党100年を迎える共産党の歴史を紐解く内容の作品と思っていたが、そうではなく、現在の共産党に焦点を当てた映画であった。選挙の立候補者、その支援者、『赤旗』編集者、市民運動に取り組む党員等、様々な場所で活動する人々にスポットを当て、共産党(員)の多様な姿を浮かび上がらせていく。

全国的には無名(に近い)の人々ばかり登場するが、どの人物も実に魅力的であった。みんな自分の言葉で語り、主張している。〝自分の言葉〟とは、誰も言っていない斬新な意見のことではなく、自分の体験や感情と結び付いた言葉のことである。「いじめは、加害者や被害者じゃなく、第三者にしか止められないないんだ」「戦争を放棄した国がよその国(米国)の戦争を支持するなんておかしい」等、これらは特段目新しい見解を語っているわけではない。しかし、自分の体験や感情、あるいは倫理観に基づいて本気で発せられた時、これらの言葉は輝きを放つ。

共産党が嫌われる、あるいは忌避されるのは、〝正しさ〟ばかりを主張するからだと思っていた。この社会には〝(正しくなくても)お金や利得を得られればいい〟という思考で投票する人が多いから(実質賃金の低下からもわかるように、もはや自民党に投票しても大半の人はお金を得られないのだが)、共産党の言っている事は理想論と片づけられると考えていた。しかし、映画に登場した人物たちが発した言葉は、理想論でも建前でもなかった。己の尊厳と生存を賭けた〝自分の言葉〟であった。

taro