「身代わりの男たち」ブレット・トレイン かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)
身代わりの男たち
クエンティン・タランティーノ大好きな若手映画監督デヴィッド・リーチが撮ったほぼノンストップ新幹線アクションムービー。評論家竹島ルイ氏のご指摘通り、本作はタランティーノの『レザボア・ドッグス』『キル・ビル』等へのオマージュに溢れている。タラちゃんがやる気がないならおれ先に撮っちゃうかんねー、とばかりにリーチが名乗りを上げた?のかどうかはよくわからない。が、一応お約束の10作目(ワンハリ)を撮り上げ休業生活に入ってしまったタラちゃんをまた映画の世界に引き戻すために撮られた、新海誠のアマテラスアニメのような映画なのである。(ブラピが言ってた目の前のドアってもしかしたら“天の岩戸”のこと?そりゃないか)
その竹島氏も述べられていたように、本作品の主役ブラピがデカプリオのスタントマン役で出演している『ワンハリ』同様に、カーハート(俳優は見てビックリの????)なる殺し屋の身代り役として登場するのである。スタントマン=身代り。つまりこの映画、監督休業中のタランティーノの身代りに撮りましたってことを、暗に仄めかしたかったのではあるまいか。『ブリッジ・オブ・スパイ』は、スピルバーグ&トム・ハンクスによる、まさにセルフオマージュ作品(脚本はジョエル・コーエン)だったが、本作もまさに疑似セルフオマージュの様相を呈しているのである。
同じくタランティーノへのオマージュと思われる『ディアスキン/鹿革の殺人者』で劇中、『パルプフィクション』を時系列に並べると全く面白くなくなる、という問題発言があった。その忠告に本作も従ったのかはどうか分からないが、日本の新幹線に集められた殺し屋たちが皆ジョン・ウィック(監督はデヴィッド・リッチー?!)さながらにレディバグ(ブラピ)の命を執拗につけ狙う秘密が、時系列を遡って最後にあかされるのである。じゃあこの映画、過去アクション作品へのオマージュ一辺倒なの?と問われると、だけじゃない気がするのである。
弾丸特急こと新幹線が舞台のこの映画、マクロ的に見ると、ウエスト・ミーツ・イーストな構成であることはすぐにお分かりいただけるだろう。西洋を代表する“ビル”を思わせる白い死神が、この世は偶然に支配されていると思っているのに対し、東洋代表のエルダー(真田広之)は、それも含め全て運命に導かれていると信じているのである。その両者の中間橋渡し役としてブラピ演じるレディバグが想定されている気がするのである。始めは悪運の強さを自認していたレディバグ(天道虫)だが、エルダーからこの世の悲しみを“身代りに”背負わされた証がその七星であることを聞かされ、至極納得するのである。
デヴィッド・リーチが単なる偶然で尊敬するするタランティーノのオマージュ作品を撮ることになったのか。それとも運命によって導かれたのか。そんなスピリチュアルな感覚を密かに行間にこめた映画なのではなかろうか。あの血まみれジョン・ウィックも“平家の落武者”ベースのキャラ?ではないかとも噂されているだけに、この監督日本文化の理解はなかなか侮れないものがあると思えるのである。ちなみに、謎の女マリア役で登場するサンドラ・ブロックはレディガガの代役とかで、『スピード』の元ネタ『新幹線大爆発』つながりだとか。芸が細かいですね。