「原作のすごさ」かがみの孤城 SP_Hitoshiさんの映画レビュー(感想・評価)
原作のすごさ
面白かった。すごく。
良い意味でハードルが低かったので、より面白く感じたのかもしれない。
すごく面白かったのだが、それだけに細かいところの矛盾点が気になってしまった。おそらく原作はもっと緻密に構成されていて面白いのだろうなあ…。映画にする限界だと思うのだが、ディティールが省かれた部分はかなりあるのではないかと想像できる。
ストーリーとして巧みなところは、孤城に集められた7人の共通点が段階的に明らかになっていくところ。
中学生→不登校児→同じ学校→7年ごとにずれている
最近の映画としては展開がゆっくりすぎな気もするが、登場人物の心の動きを自然に追える親切な速さだと思う。
7人の中学生の年代がずれていることは、「どんな時代になっても、子供は人間関係で悩んでいる」という隠れたメッセージがこめられているように思う。おそらく原作では、それぞれの年代での時代背景や不登校の理由が異なることなどももっと詳細に描かれているのではないか。
もったいないな、と思うところは、「7人の時間がずれている」「フリースクールの先生とアキが同一人物」というこの物語の大きな仕掛けが、かなり序盤で分かってしまうところ。だから登場人物の気持ちに共感するというよりは、早く気づけよ~、とイライラした気持ちになってしまう。
もう少したくみに隠して(ミスディレクションやミスリーディングを使って)、「あっ! そうだったのか!」という驚きをもたらしてほしかった。
終盤の展開も???な点が多い。「×印を回る→階段が現れる→時計に行く」という手順がなぜこころに分かったのか? それまで城の中で一番怪しいと思われる時計について調べてなかったのがそもそもおかしい。これも原作では語られている部分が映画で省略された結果なんだろうと思う。
さておき、この映画(物語)が本当に優れている点というのは、ファンタジーと現実をつないでいる、という点だと思う。
ファンタジーの世界と現実の世界の関係というのは、ファンタジー文学にとって非常に重要な部分で、そこに作家の思想がこめられる。たとえば「果てしない物語」では、ファンタジー世界に入って帰ってこれなくなる人間と、ファンタジー世界で成長して現実に戻ってくる人間がある、としている。
「いじめ」「不登校」という現実の深刻な問題に対して、ファンタジーの中での救いを示したところで、現実の問題は解決しないわけで、「現実には鏡の中の世界は存在しない」ことに現実の子供は逆に絶望してしまうかもしれない。物語の世界に没頭することは、一時的な現実逃避になっても、現実の解決不能な問題は何一つ変わらない。
しかしこの物語では、「アキ」の存在がファンタジーと現実をつないでいる。現実の世界でも、全部の大人が信用できないわけではない、中には頼れる大人がいるかもしれない、という救いを残している。この物語は、子供には「頼れる大人もいる」ということを、大人には「救いを求めている子供がいる」ということを教えてくれている。
この映画の感想とは直接関係ないのだけど、最近、「対人恐怖症」というのが日本における「文化依存症群」なのだと知って、すごく気が楽になった。
「文化依存症群」というのは、特有の文化環境にだけ発生する精神障害のことで、「対人恐怖症」(他人が自分をどう考えているのかを異常に不安に思うこと)というのは日本にしかない病気なんだという。
いじめは日本だけにあるわけじゃないと思うけど、対人恐怖症的なものがいじめを深刻にさせているところはあると思う。対人恐怖をメタ的にとらえることで対人恐怖は多少やわらぐ。他人が自分をどう考えているのかってのは、「思いやり」という意味では必要な気持ちだけど、過剰になってしまうと、自分の本当の気持ちを言えなくなってしまうという意味で有害だ。