アイ・アム まきもとのレビュー・感想・評価
全50件中、21~40件目を表示
まあまあ
アスペルガーの主人公が実直にお見送り業務をこなす。孤独死を取り扱い、最後は非業の死。それから、過去にお見送りした孤独な霊逹に大団円でお見送りされる。
なんか引っ掛かりながらも、印象に残る映画。
察しの悪さも貫けば良い
正直、蕪木自体の魅力は分からなかったので
メインストーリーには共感しにくい事が多かったが
まきもとを取り巻く人(特にみはる)とのやり取りが良かった
さかなのこのミー坊のように
まきもとに関わり、何か感じる人が居る。
ただ
ラストシーンの展開に持って行きたいのは分かるけど
まきもとの最期はあまりにも唐突で
さすがにかわいそうだったなあ。
生真面目だけど憎めない男
行動が生真面目で周りから煙たがれる存在なんだけど、何処か憎みきれない男性の生き方。
誰もが自分のことを考え生活する中で孤独死について考えさせられる。そんな彼が起こす小さな奇跡を通して観てるものの心の中に小さな灯火を着けてくれる。
死に向かい続ける男が「生」に触れた時。
めっちゃ阿部サダヲ。
最初から最後まで阿部サダヲ。
サダヲがもうほんとまきもと。
お話は、ずっと孤独死が描かれるのでわりときついです。でも笑える。自分が死ぬ時孤独であることよりも、死後に迷惑がられる方がずっとつらいなと思いました。
そして実は社会問題立ち向かっているのにファンタジーのような透明感があるのは、庄内の美しい景色とやっぱりサダヲのせい。
全体的は特に泣かなかったんですが、赤ちゃんをエア抱っこするところでじわっときてしまいました。ジャケットにしみがある。匂いを嗅いでみる。観客は「ん?なんだっけあれ?」と思う。抱っこのジェスチャーで、そのしみがやっと赤ちゃんによくあるミルクの吐き戻しであり、まきもとが昼間抱っこした赤ちゃんを思い出していることがわかる。空気は読めないし、なかなか人の気持ちもわからない彼、そして常々死に対面している彼だけど、「生」を慈しむ気持ちはちゃんとあり、もしかしたら子を成したかもしれない自分の姿にも思いを馳せたのかもしれない。まきもとのキャラクターを膨らませるとても良いシーンだった。
まきもとが孤独死のように事故死し、無縁仏になることで完結する物語、なのは理解できたが、やはり車椅子とかでカブラギの葬儀に現れて欲しかったし、葬儀の後塔子さんとも語り合って欲しかったな。
そして、ラストのラストの死者の集まりははっきり言って蛇足だった。
不思議な余韻
孤独死した方達のおみおくり係、マキモトさんの奮闘を描く物語でした。
最後に担当したカブラギさん、本人は全く生前のシーンが無いのに、葬儀に「あ、あの人来てくれたんだ。あぁあの車椅子の人も。あのホームレスの人も、船乗りの人達も?!!」って。。
孤独死しただけの見知らぬカブラギさんの葬儀にこれほど多くの人が参列してくれたことに喜ぶ自分の気持ちが不思議でした。
そのマキモトさんの最期は予想してないものでしたが、今度はマキモトさんに言ってあげたい。
頑張った。よく頑張ったって。
自分はどう死ぬのか、その後葬儀とかどうするのかを考えさせられるタイプの映画の中でも、また違う切口で表現する映画でした。
マキモトさんの粘り勝ちが心に沁みる作品でした。。
まきもと、いま、こうなっちゃっていました~の手振り。せんだみつおの「ナハ、ナハ」のパクリじゃないの?
プロフェッショナル・仕事の流儀(山形県庄内町役場市民福祉課おみおくり係:牧本壮さん(48)の場合
なんであの刑事の神永はあんなにイライラして乱暴な口調なんだろうと思ったが、次第に牧本の流儀がわかって来て納得。孤独死のご遺体は警察で検死して、保冷庫保管になる訳だが、その先がつかえていると困るのだ。神永には公営の火葬場の保管所に強制的に移させることはできないのでしょうね。 ゴミ屋敷の腐乱死体をサダヲとでんでんに任せて去って行く刑事の気持ちもよくわかる。葬儀屋のでんでんが言う。「牧本さんすごいね。オレもすごいけど。」自腹で葬儀代を払うって、地方公務員の給料では考えられないが、公団住宅で非常に質素なひとり暮らしだから出せるのかなぁ。ミニマリスト。【川っぺりムコリッタ】で覚えたての言葉。
おみおくり係最期の蕪木(宇崎竜童)の件がメインストーリー。
携帯の電話帳に唯一残っていた食品加工会社から蕪木の人生を紐解いてゆく。アルバムの少女の写真は実の娘ではと推理。最初は松尾スズキ演じる同僚だった男に接触。「あんた、恐ろしく察しが悪いな」には大爆笑。蕪木のあのエピソードは所長室の陳列棚の表彰カップにしたあのことに直結していた。男気のある蕪木に影響され、リスペクトしていたことの表れだ。バカだけど。 蕪木が入れあげていた酒田漁港の居酒屋の女を探しあてる。2年同棲していたという気っぷのいい美人女将のみはるは宮沢りえ。娘と孫娘がいた。「あんた、子供いる?」「いいえ、要りません。」「あげないわよ。」漁師の常連客から話を聞くと、カッとすると手のつけられない乱暴もので、顔を十字に切られたものもいた。傷害事件で逮捕されて、拘置された時の面会書類から、塔子の存在を掴んだ。まるで探偵。協力してくれる神永がとても粋だった。そして、鎗田(國村準)は重要な役。サングラスのせいで、皮肉っぽいイタズラ好きそうなあの目が見えないので、セリフが沁みた。酒を買ってホームレス仲間に接触。民生委員の千晶。民生委員ってだいたい地域の他人の内情への好奇心がすごく強い世話好きおばさんがやるイメージ。ホームレスまでケアして結婚?
蕪木やるね。モテ期長い。
宇崎竜童は明治大学の軽音の後輩だった阿木燿子を捕まえたことが人生最大の金星。学生街の喫茶店がヒットしたガロの前身のバンドのマネージャーをしていた。本名は木村修史。ガロといえば日高富明が36歳の若さで自殺した。彼らの優れた才能は活かしてもらえず、アイドル路線で既成の作詞作曲家の楽曲を歌わされ、腐って解散してしまう。連続ドラマ「新・座頭市」で石原裕次郎の歌う主題歌や劇中挿入曲の演奏として日高富明とファイヤーのクレジットを見るだびにそれを思い出す。悲しい。
牧本と塔子はなんだかいい感じだった。ウェッジウッドのバラの花柄のペアカップや電車のホームのシーンがそう思わせてくれた。お墓を生前に買って所有しているってすごいけど、それを塔子に譲ると申し出る。牧本は塔子と結婚すれば、じきに蕪木と千晶と一緒にそのお墓に入ることになる。いいじゃないかと思った。
しかし、そうはならなかった。
牧本は無縁仏の納骨堂へ。
神永ひとりが花を手向け、牧本さんの粘り勝ちだと言うが・・・・なんか寂しい。
結局、二人の女とその二人の娘と孫に恵まれた蕪木のめちゃくちゃで豪快な人生のほうが牧本の単調な人生よりも、人生やったもん勝ちで、ずっと華があったと感じてしまう。
しかし、牧本は公僕に徹したのだ。そして、それは彼の信念であったのだから、ちゃんと見届けることさえできていたなら、幸せだったろう。
【アイ・アムまきもと】という作品名はケン・ローチ監督の「私はダニエルブレイク」へのアンサーソングならぬアンサー映画なのかもしれない。
本当に、がんばった。がんばった。
宇崎竜童のオーバーザレインボー🌈カッコよかったぜ👏
ラストのオチが酷すぎたので、勝手にラスト10分を妄想
この映画は、独身でそこそこな年齢の人には凄まじく突き刺さる
そして、ラスト5分がなければ星5の傑作だった
内容に関しては他の人のレビューの通り
最後があまりにも酷かったので、勝手にオリジナルラストを妄想
〈以下妄想〉
カブラキさんの葬儀の案内状を送る牧本
当日、牧本はいつものようにただ一人寂しく参列しようとしている
定刻となり葬儀を開始しようとした途端、ポツリポツリと参列者が集まる
口々にカブラキの過去を語り、故人を偲び、温かい葬儀となる
そこへ、牧本が勝手にカブラキの葬儀をあげてることを聞いた局長が式場に駆けつける。
「牧本さん!どうせ誰も来やしないんだから、無駄なことはやめ・・・」と言いながら扉を開けると、そこには満席の参列者が。
口々に、牧本のおかげでカブラキを送ってやれることができたと、感謝する参列者たち。
局長も目を白黒させながら、勝手に自分の手柄にしつつ、お見送り係の存続を口約束してしまう。
葬儀が終わり、火葬し始めた時、トウコに渡すべきものがあったのを思い出す牧本。
火葬が終わるまでに取りに行こうと慌てて、青信号でいつもの確認をせずに轢かれる牧本。
場面が飛んで、無縁墓の前に佇む葬儀屋の親父。
胸には牧本の写真と骨壷。
「まさかアンタが俺より先に死んじまうとはよ。俺も独り身だし、アンタに見送ってもらおうと思ってたんだぜ? それにしても局長の野郎もしみったれてるよな。規則だって言って、即火葬、即納骨、葬儀は無しだとよ。部下が死んだってのに香典の一つも寄越さねえ。せめて花束をサービスしといたから勘弁してくんな」
小さな花束を供える侘しい風景。
葬儀屋が立ち上がり、無縁墓の扉を開けようとすると、刑事が大きな花束を持って現れる。
何も言わず、葬儀屋に黙礼すると、花を供えて手を合わせる。
ポツリポツリと現れる、これまで牧本と関係のあった人たち。
花束で埋もれる牧本の骨壷。
インコを引き取った管理人が、インコと一緒に牧本が飼ってた金魚も連れてくる。
「頑張った!頑張った」と鳴くインコ。
無縁墓に向かい手を合わせる一堂の後ろ姿。
しかし、やけに人が多い。古い着物などを着た半透明の人が参列者に重なるように増えていく。参列者たちは気がつかない。
牧本の遺骨を無縁墓に入れようとした瞬間、「待ってください!」と、カブラキの娘のトウコが現れる。
手には、牧本が最後に渡そうとしていた、カブラキの人生を綴った手紙。血が滲んでいる。
牧本の骨壷の前に立つと、ポツリポツリと牧本の人生を語り出す。
トウコが嗚咽に声を詰まらせると、別の人がそれを続けて言う。
幽霊たちも、聴こえないが何かを口々にいっている。
皆、泣き顔で笑い合う。
最後にトウコが、「牧本さんのお骨ですが・・・」と言いかけ、場面転換。
市役所の局長室
局長に向かい、刑事が言う。
刑事「牧本さんのご遺骨、カブラキの娘が引き取るそうです」
局長「血縁は無いんだろ? なぜだ?」
刑事「いいえ。わかりません!」
局長「まあいい、これで遺骨が一つ減った。経費削減だ」
刑事は無表情で黙礼し、退室しようとする
局長「・・・ああそうだ、お見送り係の存続、正式に決まったよ。そちらの所長にもよろしく伝えておいてくれ」
刑事「・・・霊安室を増やせないか、上に掛け合ってみます」
ポツリと呟く刑事
「牧本さん、あなたの粘り勝ちですよ」
END
赤ちゃんの匂いと紅茶の美味しさ
まきもとが探し問いかけているのは「生きる」「生きている」という動詞ではなく、「生」。
そこには上も下も良いも悪いもなくて、誰も見ていなくてもそばに誰もいなくても、朝目覚め夜眠りにつくまでにすることが「生」であり死んでしまえば明日の朝は来ない。
彼がセンチメンタルに故人のバックグラウンドを収集しているのではなく、楽しんでいるのが良かった。そしておそらく同じ位に赤ちゃんのゲップの跡の色や匂い、ウェッジウッドでのむ紅茶の美味しさ、白鳥が来る田んぼの美しさを楽しんでいる。
ある意味、誰かの記憶に残っている間はその人は生きていると思う。たしかに私も両親も義両親も含め見送った人も少なくないけれど、ふとした匂いや音など見えないものの中に彼らが蘇る。だからといって誰の記憶にも残らずひとり逝った人達の「生」が消えてしまうとは思わない。たとえば今食べている肉まんの中にあるかもしれないしね。
アイ・アムまきもとという題に、私、「まきもと」を生きた彼が大きな声で高らかに「生」への讃歌を謳っているように感じました。
やっぱり阿部サダヲさんはすごい。
生者には愛されない
ちょうど今年、職場関係者が亡くなり、親族が引き取りも委託も拒否するという事があった。
何十年も貢献してもらった会社であっても、血縁上は他人であるため、葬儀はあげられず、密かに火葬のみ立ち会わせてもらいました。
そういった経験もあり、市役所員とはいえ牧本が自費で葬式を行っていたことに違和感が拭えなかった。
(自治体によって違うのか、原作の国では平気だったのかもしれませんが)
また、牧本の想いを現したかったのかもしれませんが、勝手に写真を引き取って収集するのはどうなんだろう。
まぁそのへんは専門知識もありませんので、頭の隅に追いやります。
本人はいたって真面目ながら、アンジャッシュ的な会話がコントのようで面白い。
(「牧本さん子供いる?」「要りません」「あげないよ」はテンポも良く、お気に入り)
牧本のバックボーンは欲しかったが、後半までの流れは楽しめた。
が、終盤が色々と合わなかった。
・内縁ならまだしも、正式に婚姻していた相手との娘に警察が辿りつかない?
・小便はただの嫌がらせにしかならず、抗議ですらない
・死なせるラストは無しではないが安易に感じた
・牧本を見送るのが刑事と死者だけなのは、いくらなんでも報われない
特に最後は、市役所員すら立ち会わないのはおかしいし、結局身近な人からは愛されなかったことにならないか。
蕪木の葬儀にいない時点で塔子などは疑問を持つはずだが、そういう描写もない。
結局、ただあのシーンを撮りたかったんだろうなぁ、というのを感じて白けてしまいました。
人は死んでも魂は生きている
市役所で働く、お見送り係の牧本(阿部サダヲ)が遺体で見つかった蕪木の身内を探す話が中心です。
蕪木の人柄は、頑固であまり他の人から好かれていませんでしたが、亡くなった人の良さを見つけ、身内を探す執念が凄いですね。
蕪木とその娘の塔子は、白鳥の写真が示すように絆は繋がっていたのでしょう。
牧本の性格が普通ではないので、始めは物語に入り込みにくい所はあります。
ラストのシーンは素晴らしいです。人や動物は死んでも魂は生きているのです。牧本が亡くなっていった多くの人から愛されている象徴的なシーンです。
牧本さん、あなたの粘り勝ちですよ。
まきもとさんの孤独
元映画は未見、なので、もともと主人公が自閉症なのかは分からないけど、そこまで必要な設定ではなかったかも?と最後まで引っかかった。あと、ホームレスって同じ場所で35年とかいるものなのか??(健康面や事情の変化はないものか?)
大きく気になったのはその2点だが、それ以外は脇のキャストも素晴らしく、合理性で動く役所のやり方に納得できずにいるまきもとが、蕪木の越し方を追う内に(分からないなりに)裏付けを得ていく展開がグッと来る。
おそらく理解されないことで自分の生に未練もなかったまきもとが、強く共感する蕪木のため、理解し合えそうな塔子のため、用意した墓を譲るのはつまり生きたいという思いからだろう。
しかし、塔子が現れなくても理解者はいたと分かるラストがせつない。(でんでんや篠井英介は最初から理解者だけど)
満島ひかりや宮沢りえ、國村隼はほんの少しの台詞でもさすがという感じ。松下洸平が俗物なのに実は情に厚いというのが、予想外に良かった
低評価ですが、これでもほぼ4.5の評価
生と死を扱う映画はたくさんある中、この映画において素晴らしい点がある。
故人が過去の回想シーンなどでも動いて出てこない。
なんなら免許証や履歴書の写真でしか画面に映らない。
だからこそ今を『頑張った、頑張った』と生きてる人たちとの対比が明確に表れて生死のコントラストとしてより深みが出て秀逸なのだ。
それなのにも関わらず!
ラストの3分はなんだ?一体なにをしたかった?
今まで牧本が関わった身寄りのない故人が実像として現れて無縁墓地(牧本)に対して合掌する為にぞろぞろ集まってくる。はっきり言ってクソゴミのシーン。
この演出がなきゃ伝わらない事などあるはずがない。
【牧本こうなってました】ばりに牧本と共にスクリーンを通して色んな人と真っ直ぐ向き合ってきた我々の目には、例え誰も映ってなくても無縁墓地の画角に牧本の事を迎える故人たちが見えているのだから。
それまで4.5の評価を一気に3.0
にまで引き下げる効果。その前に満島ひかりや宮沢りえと共に号泣したオレの涙を返せ。
どんな人でも人生に爪跡を残してるんだ❗️
市役所のおみおくり係の牧本。かなりのKYだが
憎めない。身寄りのないお骨に囲まれながら仕事をしている。自費で葬儀をやったり、亡くなった人達の写真でアルバムを作ったりする執念のような、取り憑かれたような彼のバックボーンはなんだったのか?自宅は余計なものがない白と黒を基調したサッパリした部屋だが、電子ジャーが骨壺風なのは気のせいか。
おみおくり係の廃止が決まって最後の仕事、蕪木(宇崎竜童)の葬儀の為に、彼の人生を遡っていく牧本。天涯孤独のような人に見えたが、蕪木の人生の爪跡が様々な人達の心に残っていて、最後みんなに見送られて焼き場に向かうことができた。そこに牧村の姿はなかったが、彼の死は彼らしいといえば彼らしい。自分で買った墓を蕪木の娘に譲ったのは、まるで自分の死を予感してたかのようだ。とにかく真っ直ぐな牧本。彼もかなりの爪跡を生者にも死者にも残したことが、ラストシーンで伝わってくる。
牧本演じた阿部サダヲの振り幅の広さには感服します。孤独死はこれからもっと増えていくでしょうが、自治体レベルではなく、国レベルで
孤独死庁みたいなものが出来る時代も来るのではないか。そんなことを考える以外と社会派要素の強い作品でした。
役者やのう!
アベサダの変態的演技力が光りましたねえ。
脚本も終盤にかけて引き込まれる構成力が良い。
信号待ち、横断のシーンが伏線となり、最後は泣かされました。
人は誰もが一人で最後迎えないといけないですが、
自分を愛してくれている人が必ず居ると信じたい気持ちにさせてくれる映画でした。
演技達者の役者が多くえがったです。
見終わって思う。エラク思い切った邦題を付けたもんだとw
いやぁ。主題は「繫がり」で、そう言う見方をするとビターなハッピー・エンド。この邦題だと「マキモト」の生き方の話になって、ビターを通り越して、ホンワカ気分もありーなバッド・エンド。比重は前者にあるって思うんで、この邦題は「阿部サダヲ」の知名度で集客を狙うと言う魂胆の現れ、ですかね?しゃーないか。実際、阿部サダヲを前面に押し出した方が、人は集まりそうだしw
「お見送りの作法」の日本版と言う事になるんでしょうか。と言っても原作未読だし、「お見送りの作法」も見てない私です。
マイ・ブロークン・マリコに続いて、コレも今年の邦画のダークホースでした。
孤独死と言う、ともすれば重苦しくなるネタを、阿部サダヲのキャラに乗っかってコメディタッチで進める前半部。真島ひかりと國村隼の登場あたりからギアが切り替わり、ちょっとだけ泣かしに来ます。葬儀に三々五々、集まって来る所縁の人々の姿が胸にジーンと来るって。
ラストカットは予想通りで、あざとさ全開です。ここ、も少しどーにかならんのかー!ってのは正直あります。宮沢賢治風、と言うか、Pay Forward的、って言うか。こんなんじゃ無くって、阿部&宇崎&松下の3人が高台から皆んなを見送るだけってんじゃ不足ですか?更に言うと、Over The Rainbow(s)はしつこ過ぎひん?このラストカットが、ちょっとやり過ぎな感じが、個人的には気になってしまいました。
食器を使わず自炊している牧本のミニマリスト振りは、徹底しています。「お見送り係」としての仕事は報われる事がなく、孤独の闘いの日々。「闘い」ってのは大げさに見える描写が好き。彼は、自分自身の職務に忠実なだけなのか。孤独死を「理不尽」と捉え、家族の意義を取り戻すべきと信じての行動なのか。その答えらしきものは、最終節で暗示されます。原作はどーだか知らんけどw
無縁仏として骨壺を持ち出す職員に必死に食らいつく牧本。蕪木の精肉工場での抗議の話に感化された「恐ろしく察しの悪い」彼は、より大胆に、かつ秘密裡に抗議をテロ化して実行します。食器を使って食事をする牧本。料理は、北海道を思い起こさせる鮭のちゃんちゃん焼き。塔子に墓地を譲った牧本。塔子が好きだと言う、ハクチョウの姿を捉えるために銀塩フィルムのカメラを購入。
調べ尽くした蕪木と言う男への共感なのか。牧本は塔子に好意を抱いたのか。最後の1件に、人生の全てを奉じても良いと思ったのか。私費で葬儀を上げていた牧本の信念は、最後の最後に実を結びます。彼自身が入る事は無かった、墓所の前で。
あー、これは原作読みたくなったw
良かった。
かなり。
と言うか、最後が惜し過ぎる。
個人的な好みの話だけどw
★が甘めなのは、役者さんが漏れなく素晴らしかったからです。
防げた。
執着心に尊敬します自費で他人さんの葬儀そんな人は周りにいません。
気持ちは掃除のおばちゃんと一緒です。牧本さんは変な人、端末機も使用しない。自宅は必要最低限の物のみ部屋は暗く生活ぶりは仕事の延長戦。さすがに骨箱は自宅に置かないですね。そんな牧本自身に少しずつ変化が起こり始める。
ただファインダーを覗き込んで歩く行動は自身の不注意で防げた事故だった。あの様子はしゃいだ子供のように見えました。勿体ない最後でした。
あとこの映画は、飲食しながらはおすすめできません。
全50件中、21~40件目を表示