アイ・アム まきもとのレビュー・感想・評価
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コメディかと思って観たら感動作品でした。
阿部サダヲが好きで観に行きました。
ネットで意外な結末と聞いてましたが、勝手にハッピーエンドなコメディだと先入観をもって観たら発達障害?な牧本の真っ直ぐさと察することにチグハグなキャラクターに笑いがありながらも、社会問題にもなっている孤独死をテーマとして、孤独に人生を終えたひとり一人にもストーリーがあり最後に弔うことの大切さを思い考えさせられました。
ラストに向けて蕪木の娘に初めて恋し浮かれた牧本に交通事故死という最期が予想外で、私はハッピーエンドが訪れるものだと思って観てましたが本人が看取られることなく亡くなり、ぶつかり合った刑事に無縁仏にされるなんて泣けました。
片や蕪木は生前関わりがあった人々にまで見送られ、幸せな葬儀で荼毘に付されたのは牧本の頑張りの賜物でした。
本当に良く頑張った❗牧本。
出来れば蕪木の娘とハッピーになって欲しかったとストーリーとは関係なく思った。
サイコスリラー映画なのか?
まずシナリオが全く面白くなく、理不尽な不条理映画なのか?
主人公に全く感情移入出来ない。なぜなのか?主人公が何故おみおくりであんなに一生懸命になるのか?バックボーンがないのでただの死者の写真を集めが趣味のサイコパスのよう。または自閉症気味の痛いキャラクターなのか?
食事でまともに食器で食べるシーンとか入れても気持ち悪いだけ。
父親もまた回想等なくただセリフで説明されているだけでただの荒くれ者としか想像できない。炭鉱の話も友人が不幸だから家族を捨てて生きるとかこれこそサイコ。その後に定食屋の女将に転がり込むとか全く感情が不安定。
捨てた家族はどうなるんだよ。これも回収なし。
ラストもただの不条理。あんなに一生懸命家族探したの恩を仇で返されてるのか?牧本の事誰も触れないってあり得る?自分達だけ葬式して。どう考えても牧本が父親の葬式に来ないなら気づくしそこは映画として描くべきでは。
大ラスも何なの?牧本はお釈迦様だった落ちなら納得行くけど。世話した人達出てくる演出なら牧本も出てきて良いのでは?
演出も20年はないのでは。気になって仕方ない。携帯20年も持つのかとか細かいことが気になる。(本編がつまらないから)
久しぶりにつまらなく、時間の無駄だったと思う映画を観た。
これを評価する人は映画がなにか分かっていない。プロビューアーとは何なのか?
人知れない努力が見えた時。感動しました。
牧本さんが身寄りなき故人を思いやり、遺骨を貰い手が来るかもしれないからと最後の最後までとっておく所。自費で葬儀を上げる所。見ず知らずの他人の死をそこまで思いやることが出来る牧本さん。私だったら仕事だからとそこまでは絶対にしないと思います。だけど、最後の場面で牧本さんが亡くなった時。今まで牧本さんがお見送りしてきた人が次々とお参りにしにきたところで涙腺が止まらなかったですね。ちゃんと、亡き人は牧本さんの行動をみてたんだよと。牧本さん、ありがとうね。という声が聞こえてきました。正直牧本さんが亡くなるタイミングがあれだけど、この場面があったからこそ泣けました。よって牧本の死があってからこそのこの映画だと思いました。←失礼
実話だったなら
実話だったなら、物凄く感動的なんだけど。
小説、作った話、ということだと思うので、
ちょっぴり残念。
故人のこと、孤独に最期を迎えた人のことを、
ここまで偲んでくれる人たちがいるなら、
世の中、もっともっと良くなるように思う。
あと、松下洸平さんが、声を荒げてるのが、
(私の彼に対する)イメージと違っていて、
すごく新鮮で、妙に人間味ある感じで、
良かった。
虹が架かった後の空は晴れ
市役所の職員が
孤独死した方を悼み
親類でもないのに弔事を丁寧に
やりすぎることが
行き過ぎた行為として問題になり
部門閉鎖に。
その最後の葬式で起こった
人への尊重が生んだ
出来事の話でした。
牧本の故人への行いは
賛否両論あると思うんですが
私は人にはできないすごいことを
やっていると思いました。
死生観もあるとおもいますが。
ただ、
彼が何を喜びにして
何の為に生きているんだろうと
気になりました。
亡くなった方の為に
生けている人間が、理由もなく
奉仕するのが異様に感じます。
宗教的には、
そういう功徳が天国への往生に
つながるのを示唆するのかも。
そういう動機を示さないで
行動の理由がいい人や変な人
という扱いになっているところに
掴みどころのない彼の魅力に
見せているのかな。
ただ良心に従って
尋常じゃない行動を
貫きとおす姿に
ただ頭が下がりました。
無償の奉仕の先に
なにがあるのか。
災害時の自衛隊、無医村の医者、
大火災時の消防隊のような
誰かのために自分を捧げる方の
尊い思いなんだなと
途中で気づきました。
そういう行動をする人の心は
日常生活のなかでは、
すぐに気づけなくて、
自分の近くで、死に直面し、
経験した時に
初めてわかるんですよね。
その存在価値に。
自分の仕事の考え方や
人生の選択に影響しそうな
作品でした。
虹が架かる墓地に
ひとり、またひとり…
最後のシーン、歌には
まいりました。
暫く立てませんでした。
誰もが死をむかえる。その時、自分の回りには誰がいてくれて、誰が悲しんでくれるのだろうか。
水田伸夫監督作品は概ね軽めだと思う。
阿部サダヲと組んだ映画は4本目だと思うが、過去3作はすべて宮藤官九郎脚本のコメディだった。
他の作品も割りと軽めのイメージだ…と、言うほど彼の作品は観ていなくて、むしろテレビドラマの方が観ている感じがする。
テレビドラマでの彼の仕事は、坂元裕二脚本のシリアス系作品を連続して担当していたから、映画とテレビドラマではテイストを変えた仕事をしているように感じた。
でも、よくよく考えると、そのテイストの違いは坂元裕二と宮藤官九郎の違いであって、少し笑わせて、人情に訴えてくるあたりの演出手法においては共通してるのかもしれない。
少し調べてみたら、日テレの重役さんだったと知って驚いた。
誰もが疎ましく感じる空気を読まない人。そういう人こそ、常識人が咀嚼して飲み込んできたような「不都合」を明け透けに問い質して、常識人を改心させたり、人に癒しを与えたりする…という、世界共通で人々が好むファンタジーがある。
日本では「裸の大将」などが代表的で、『フォレスト・ガンプ/一期一会』という傑作映画もある。
本作もそういう種類かと、前半では感じた。
大きくは同じカテゴリーなのだろうが、牧本氏(阿部サダヲ)が癒したのは、死者だった。
彼は、孤独死した蕪木(宇崎竜童)の生前を追って色々な人たちに会う。行く先々で意図せず人々を救っていくなら「裸の大将」なのだが、彼はただ、孤独死した人を弔いたいがために身寄りを探して回っているだけで、会った人達を改心させたり救ったりまではしない。
結果的に、かつて関わりをもったある男が孤独死したなら、弔ってやるのも人情か…と、皆に感じさせたに過ぎない。
唯一、蕪木と絶縁状態の娘(満島ひかり)だけが、牧本氏のもたらす情報で過去を精算することができるのだった。
ここでもまた、阿部サダヲが素晴らしい。
いったい他の誰があの役をやれるのかと思う。もう我々は阿部サダヲに上四方固めでガッチリ押さえ込まれている。
脇のキャストもそれぞれに良い味付けをしてくれているが、やはり満島ひかりだ。彼女が画面に出てくるだけで、下手なことにはならないという安心感がある。
物語の結末は唐突だった。
蕪木の葬儀に参列した人々は、そこに来ない牧本氏のことを思わなかったのか…
牧本氏と腐れ縁の刑事(松下洸平)は、牧本氏が蕪木の葬儀をあげようとしたことを知っていたはずだが、その雨の日に行われていることを知らなかったのか…
結局、牧本氏をみおくってくれたのは、牧本氏がみおくった人達だったというエンディング。
本作はイギリス・イタリア合作映画『おみおくりの作法』のリメイクらしいが、オリジナルは未観賞。
オリジナルの最後はどうなのだろうか。
牧本氏のような人が職場にいたら、それは迷惑だと誰もが思っている。
おみおくり係を廃止させた新任局長が正しいと観客は知っている。
でも、銀幕のなかだけは、人としての正しさとか、理屈抜きのあるべき姿とかを尊重したい。そして自分も人情が分かる人間なのだと確認したい。そんな思いで観賞すると、心に残る映画だ。
そして、最後に宇崎竜童の歌声というプレミアムが付いている❗
ほどよいコメディ感
なかなかの感動作。でも人の死を扱う題材だけれどそんなに重くないのは、ほどよいコメディ感があるから。阿部サダヲさん演じる主人公の牧本のユニークなキャラクターにところどごろ吹き出してしまいました。
しかし、この秋の〈邦画 遺骨三部作〉(勝手に名付けました)、どれも良かったなあ。
「川っぺりムコリッタ」☆4個
「マイ・ブロークン・マリコ」☆4.5個
「アイ・アム まきもと」☆4個
必要と合理性、人間の尊厳と他者への思いやりについてあらためて考えさせられる作品
阿部サダヲのポスターの顔が、死刑にいたる病と同類に思えて、一瞬怯んだが、もっとヒューマンで人情的だったので、まずは安心。
基本的になぜ牧本さんが、一人おみおくり係をやっていたのか、詳細は分からなかったが、本当にこういう部署が役所にあったら、なんと素晴らしいことか。
恐らくは、孤独死を向かえた人たちの親族を探し、ご遺体を引き取ってもらう、というのが仕事のはずなのに、誰も引き取り手がないご遺体を個人で供養する牧本。そこには本能的に人を愛し尊敬する、彼の優しさがあった。あり得ない話かも?でも人として、これが正しい姿なのではないかと思える、穏やかで暖かい気持ちにさせてくれる作品。
生と死を感じ考えるきっかけに
思った以上に泣いてしまいました。
特にラストシーン、そこだけ見たら?ってなる絵面ですがストーリーを含めてみると物凄く寂しいような悲しいような、でもなんだか救われたような気持ちになりました。
好きだったシーンはまきもとがジャケットに、抱っこした赤ちゃんにつけられた白いヨダレ(ミルクの吐き戻し?)の跡を見つけるところ。
そこまでまきもとが死に携わる人間で自分の死を当たり前のように受け入れる覚悟があったところに、生を感じ暖かな気持ちになる瞬間です。あの赤ちゃん独特のミルクっぽい香り。抱っこのシーンでも、赤ちゃんの匂いを嗅いで独特な香りを感じまきもとは少しほっこりした表情でした。
あと國村さんの演技がエグい!一瞬阿部サダヲより國村さん注視してしまいました笑
一生懸命さ
一生懸命になることは、もしかしたら非効率で、やっかいなものかもしれない。
でも、まきもとさんが一生懸命になったからこそ、繋がった縁だったんだと思うと、一生懸命になることは満更でもない気がした。
「粘り勝ちですよ」のライバルの一言に目頭が熱くなる
予告編でお見送り係の廃止が伝えられた。その後の「まきもとさん、あなたの粘り勝ちですよ」は、お見送り係の存続を告げる、市の職員の言葉だと信じて疑わなかった。まさか、警察官(松下洸平)の鎮魂の一言とは想定外。この驚きが感動を締め括ってくれました。
まきもとさん(阿部サダヲ)の死は遣り切れないし、救いのカケラもないように思えます。でも、思い切って哀しみに目をつぶれば、きっと温かい大団円なのでしょう。そう思うことにします。
なお、原作の「お見送りの作法」は観ていません。
◉荒ぶる魂と奇矯な魂
荒ぶるが故に、結局は孤独な人生を送ることになってしまった蕪木(宇崎竜童)の魂に、一途で奇矯なるが故に、仲間から孤立するまきもとさんの魂が、ぐうっと寄り添っていく。担当者として最後のお見送りと言うこともあって。
どう見てもコスパの枠にも、スタッフの枠にも収まらないまきもとさん。その日々の暮らしの最大のご執心は金魚であり、その人生の最大のご執心は、心のこもったお見送りをすることである。だから、身元不明のお骨は火葬が済んでも手放せない。
◉心優しき偏執狂
どこの現場にも飛んで行って遺留品をかき集め、関係者の情報をルーペで調べ上げ、アルバムを丁寧に作り続けてきたと言う、筋金入りの偏執狂・コレクター。観る者は、どう見ても普通と異なるまきもとさんの素行を知らされたことで、同僚たちより彼に近づけた気分になります。
◉私の方が叫びたかった
「君は自分の行く末と、お見送りを重ねているな!」と局長が、まきもとさんに叫ぶ。そうだ、それの何が悪い! と思わずシアターの暗がりで叫ぶところでした 笑
ただ私がそうであっても、まきもとさんの場合は分からない。遥かに超越したステージで、たった一人で亡くなった人の弔いや供養のことを、想っていたのかも知れないです。
しかし生者はご遺体やお骨になると、呆れるほど物と化す。しかも、最高の敬意を求める。だから時によっては扱う側は困って、早く荼毘に伏して地中に埋めてしまいたいと願う。これは、近親者や仲間でも例外ではなかったりします。
まきもとさんはひと時でも、そのコスパの時間の流れを止める存在であったのでしょう。
◉浄化され、浄化していく魂の旅
蕪木を訪ねるまきもとさんの行脚は、恋人、娘、同僚たちの想い出や過去も露わにしていきます。晒されるほどに、人の胸に染み込む秘密。まきもとさんに問われて呟くうちに、皆の愛憎やしがらみが少しずつほどけていく状況が、とても気持ち良かった。
◉白鳥の恋は儚い
人らしい感情など失った蕪木が、白鳥に心惹かれて写真を撮っていた。同じ場所の白鳥の写真が娘・塔子の独り暮らしの家にあるのを見つける。白鳥がきっかけになって、塔子の気持ちに近づく、まきもとさん。まきもとさんの赤裸々な一途さに、心が静かに揺れる塔子。
一眼レフを買った時、塔子と近づいた気がして、初めてまきもとさんが頬を緩めましたね。その後に死が控えているとは知らない、神ならぬ身の喜び。何とも儚いなぁ。でも、それが誰も知り得ない人生の秘密でもあるのですね。
近景にまきもとさんがいない、蕪木の納骨。遠景に蕪木たちの魂が見送る、まきもとさんの納骨。どうしたのだろうと訝る塔子。ややアンバランスにも思える景色は悲しかったですが、ここはまきもとさんの意志は無言のまま、皆さんの心にしっかり残されたと言うことで。
「川っぺりムコリッタ」でもそうでしたけど、魂の住む空の方へと、想いを募らせる生者たち。切なくとも、柔らかく結ばれて生きていく人たち。
阿部サダヲだからもっとコミカル色が強いのかと思いきや,そこそこ重か...
阿部サダヲだからもっとコミカル色が強いのかと思いきや,そこそこ重かった。
作品自体は良かったんだけど、ハッピーエンド派としてはこの終わり方は悲しいから嫌だな。
おそろしく察しが悪い男の頑張った頑張った
2022年映画館観賞53作品目
10月16日(日)イオンシネマ石巻
ACチケット1000円
元ネタになった海外映画『おみおくりの作法』未鑑賞
監督は『花田少年史 幽霊と秘密のトンネル』『舞妓Haaaan!!!』『なくもんか』『綱引いちゃった!』『謝罪の王様』『あやしい彼女』の水田伸生
脚本は『十二人の死にたい子どもたち』『ゾッキ』の倉持裕
身寄りがない若しくは身寄りが受け取りを拒否した亡くなった人のために自費で葬儀をする変人市役所職員おみおくり係牧本壮という男の話
新任の上司の方針でおみおくり係の廃止が決定
おみおくり係最後の仕事として蕪木の葬儀をしようと蕪木ゆかりの人々を訪ねる
舞台は山形県庄内市という架空の市
庄内町はあるが庄内市はない
ロケ地は鶴岡市酒田市庄内町とオール山形と思いきや新潟県村上市も
隣県だがわりと離れている
みはる食堂のシーンは村上市らしい
酒田港ではイメージに合わなかったのだろうか
主人公がおそろしく察しが悪い
そのためかハートフルコメディーに仕上がっている
わからないことはわからないとはっきり言うのは大事なことだがそれも度が過ぎては失礼にあたる
たしかに良い人だけど自己中で発達障害っぽいので刑事さんにいつも怒られる
テンパってたときのあのポーズはせんだみつおっぽい
阿部サダヲはこのテンションがちょうど良い
大人計画の舞台じゃないんだから
阿部サダヲの当たり役と言っても過言ではない
いくらなんでも包丁で人の顔にばつ印の傷をつけるなんて酷い
あの男の傷跡にはシャボン玉ホリデーでギャングのコントをやったときにボスに扮した谷啓を彷彿させた
運転免許証の写真を引いたアングルで見たとき一瞬おヒョイさんかなと思ったが宇崎竜童だった
昔の有名な映画のテーマソングになった海外の名曲はこの作品のエンドロールにも使用されそれを宇崎竜童が歌った
いつのまにか宮沢りえも孫がいてもおかしくない年齢になった
赤ん坊がみはるの子供なわけがない
牧本は一人暮らしだが食卓の風景は異様
鬼束ちひろの『私とワルツを』の歌詞ではないが奇妙な晩餐そのもの
市役所のおみおくり係として自費で無縁仏の葬儀をする牧本壮に阿部サダヲ
蕪木の娘で養豚場で働く津森塔子に満島ひかり
アパートで孤独死した蕪木孝一郎に宇崎竜童
身寄りがない遺体を一時管理している地元刑事の神代享に松下洸平
牧本と親しい葬儀屋の下林智之にでんでん
蕪木がむかし働いていた食肉加工会社の元同僚の平光啓太に松尾スズキ
県から異動してきた市民福祉局局長に就任したばかりの小野口義久に坪倉由幸
小野口の部下で牧本の職場の直属の上司に篠井英介
かつて蕪木が路上生活をしていた時のホームレス仲間に嶋田久作
オウムを残して孤独死した老女が住むアパートの管理人に池津祥子
蕪木の元恋人で港で食堂を営む今江みはるに宮沢りえ
炭鉱時代の元同僚で事故の際に盲目になったものの蕪木に命を助けてもらい恩義を感じている槍田幹二に國村隼
カラコンだろうけど國村隼が演じた盲目の男はグラサンをつけてないと怖い
昔のジュリーみたい
感動作品にするために犠牲になった男の中途半端な物語
コメディかと思っていたが、社会派かつ感動作品に仕上がっていた。
悪い作品ではないが、なぜ牧本がおみおくり係にこだわり、おみおくり係として最後の一件だからとはいえ蕪木の件にそこまで情熱を燃やすのか、納得できないわけではないがあまりピンとこなかった。
いくつか笑えるシーンもあるものの、大抵は単発の笑いで、牧本の個性(おそらく発達障害)がもたらす周囲とのズレも序盤以外はあまり顕著には描かれない。
最後の事故も唐突で映画の主軸が見えず、感動作品に仕立てるために殺されたようにも思える(周囲が見えなくなり、いつものように道路横断への慎重さを欠いていたが信号は青だった)。
蕪木に自身の墓を譲るのやりすぎだし、作劇上の意味を考えるとラストシーンのコントラストのため。
鏑木の娘が葬儀の際に牧本の不在をほとんど気にしてないのもツラいし、無縁墓地に来るのが刑事だけで、牧本に理解を示していたはずの葬儀屋や上司がいないのも不自然。
予告で感じたような発達障害を笑うような作品になってなかったのは唯一の救い。
どうして
オリジナル作品は観てないけど、マキモトを死なす必要あります?
納得できない終わりかただった。
満島ひかりといい感じになっていたのに、あんな風に死なせます?嫌な上司への天誅がオシッコだけ。マスコミに取り上げられるか何かで
お見送り係の存続が決まり、満島ひかりといい感じのままのラストが良かった。
山形ロケ作品ということと、満島ひかり、宮沢りえ、阿部サダヲ、宇崎竜童、などそうそうたる出演者に敬意を表しての星3。
これは映画の作品なのか
俳優さんたちはいいし魅力的。
でもストーリーがどうかなと思う。 映画って何でもありだとは思うけど。
映画って「喜怒哀楽」? なんだか分からなくなってきた。
俺、日常を変に飾らず表現した映画は好きなんだけど。
多分、ありえない人間への戸惑いと違和感が、ひとつ入り込めないことにつながっているんだと思う。
頑張った、頑張った。
小さな市役所で働く、身寄りのない遺体を"お見送り"する牧本の最後のひと仕事の話。
イギリスの作品をリメイクらしく、なぜ今リメイクする必要があるか不明な作品が多い中、今作は「孤独死」というテーマだけで充分今の日本でリメイクする必要あるだろうなという納得観。というか邦画高確率で死の匂いがするテーマが入ってくるんだが、どんだけ日本は暗い国なの(笑)
葬儀は遺族のためか亡くなった人のためかという話が途中でてきたのだが、私はやっぱり遺族というか今生きている人達のためのものだと思う。牧本自身は死者のためを思っておみおくりをしていたのだろうけど、その中で故人の人柄と人生を知り、人と交流して、徐々に何かを得ていく。これは身寄りのない牧本自身の終活でもあったんだなと。
死ぬ瞬間1人ぼっちで外だけど、白鳥も見えておばあちゃんから教わった「頑張った」を唱えれば、ほんの少しだけ怖くない。報われないように見える牧本の死だけど、最後の最後の瞬間にはちゃんと報われてる。なので個人的に最後お墓の前に故人達が来るのわざわざなくても良かったかなぁと思った。
葬儀って、ちゃんとたくさんの親族に見送られてても、親族が多ければ多いほど香典返しやら座る位置やら花の位置やら、全く知らない親戚に挨拶するやら、結構会社の業務みたいなとこあって意外とちゃんとおみおくりできてるかは疑問。
昔は家族が皆同じところに住んで、親戚も近所にいたからこの形で良かったのだろうけど、葬儀も時代と共に形式を変える必要あるんでは?と思った。私はもし自分が独り身のまま死んだとして、火葬場まで着いてきてくれるのは親族よりその時に交流が深かった他人が良い。
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