「一見、涙の感動作としてみせるのはいいが...」月の満ち欠け 屠殺100%さんの映画レビュー(感想・評価)
一見、涙の感動作としてみせるのはいいが...
涙の感動と恐怖は別々の感情である。
しかし、この映画は、見事にその2つの感情に左右する。作り手は涙の感動作として成りたせようと意識しているが、個人的には恐怖が際立つ作品であった。
恐怖映画といってもよい。怖さが先立って涙がどこかに追いやられる。
大泉洋が唯一物事を理性的に捉えられる存在であり、正気を保ってみていられる大きな理由であった。彼は素直に辛い感情を爆発させて泣く。もらい泣きするくらい演技に迫真性がある。感動作として存在するのは、彼のおかげであったのだが、彼も最後は取り込まれてしまう。一気に恐怖映画としてトーンが塗り替えられてしまう。
大泉洋は、あのラストの月の満ち欠けをじっと見て白目をむいて発狂したんではないか?と想像してしまう。
あんな、再会が次から次にきたら誰でも頭がおかしくなるだろう。
しかし、恐怖映画としてみると、この輪廻転生というアイデアは、悪い転生なら『オーメン』があり、すでに使い古されている。良い転生で感動作と見せかけて、恐怖を感じさせるアイデアなら本作がおそらく世界初。良い転生なら、素直に感動させてくれる演出でもよいはずだ。輪廻転生思想の本家、インド、そして良い転生ならインド映画『マッキー』は素晴らしい感動を与えてくれる。なのにそうならないのは、転生する人が悪い人生を送り、あるいは惨めな死に方をするからだろう。
あの死に様は確かに無念で可愛そうだが、だからといって輪廻転生で好き勝手に蘇るというのが、あまりにエゴイスティックすぎて、感動の涙をかき消すほどの邪悪なものを感じてしまう。生命を弄んでいる感じが気持ち悪いし、素直に感動とはいかないのだ。
あるいは『ソウルフル・ワールド』のエゴとは程遠い蘇りは成熟した人間の諦観と爽やさが素晴らしいが、この蘇りは、生きたい!という欲望にまっしぐら。そういうケースは『ペット・セメタリー』のような罰を悪霊たちから受ける、あるいは『ヘルレイザー』のフランクおじさんやジュリアのような化け物となって永遠にあの世とこの世を行き来し、生命を得たい!という、尽きぬ邪悪な渇望に狂わされる、のがホラーとしての説得力をもつのだが、あくまでも涙の感動作なのでそうはならない。
どこまでも、涙の感動作なのか、ホラーなのか頭の中でスッキリしないが、意図せざるホラー映画というものが存在するとしたら、この作品はその地を開拓した稀有な作品である。