劇場公開日 2023年8月11日

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「圧巻の作品」リボルバー・リリー R41さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0 圧巻の作品

2025年8月14日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

長編小説の映画化だけあり、非常に面白い作品だった。
史実の部分はあるものの、基本的にはすべてフィクション
このフィクションに込められた作者の意図
明確に語られたテーマ
少しはいたであろう戦争反対派と時の政府に抗う人々
その想いは「戦争では何も守れない」ということ。
この想いの重さを、誰であろう他ならぬ「政府」に教えたかったのだと感じた。
命がけで海軍省にシンタを送り届けたユリ
彼女の意思は、無念に果てた夫の想いであり、ユリという心から信じる「平和」という概念を持った人物に引き寄せられた岩見 ナカ コトコ
こんなにも少数で陸軍相手に死闘を繰り広げる。
そもそも、謎の少年シンタがなぜ百合のことを知っていたのか?
それを言った細見欣也とは何者なのか?
うまく合点がいかないまま、陸軍に追われているシンタの手を引いて助ける。
難問なのは「幣原機関」しではらきかん という架空の諜報組織
ユリはその中でも最高の人材で、あのしつこい工員はユリの後輩
つまり彼は、幣原機関のための資金を手に入れようとしていたと推測する。
同時に彼は個人的に自分こそが最高の逸材だと自負している。
だからお金よりもユリとの対決に情熱を注いだのだと思う。
そうなると、最後に登場した片目のヒットマンもまた、幣原機関の誰かだと思われるが、すでにお金は海軍に渡ってしまっている。
そして何より、ユリは彼がやってくるのを知っていたようだ。
そしてなぜユリは岩見と二人で汽車に乗っていたのだろう?
おそらく、また新しい事件が起きたのだろう。
その共通の目的のライバルこそ、幣原機関だったのだろう。
あのお金とは無関係なところでまた幣原機関と争わなければならないのが彼女の運命だろうか?
岩見の告白など、そんな余裕はないのが今の彼女。
さて、
シンタをヤクザの5代目に誘拐され、ユリは取引する。
それこそが最後に小沢大佐を始末したことに繋がる。
これは、ヤクザが政府とつながった瞬間だ。
これ自体はフィクションだが、このようなことでつながっているのは事実だろう。
ここに癒着の実態を忍ばせているのも面白い。
その無線の相手は5代目を使い、小沢大佐が任務を失敗したにも拘らず一切の責任を取らずに言い訳した責任を取らせた。
面楽陸軍中将クラスの人物で、内務省などに通じている幣原機関の逸材ユリは、彼を知っていたのだろう。
彼女にとってお安い御用だったわけだ。
私も含め多くの人は、5代目役の佐藤二郎さんの雰囲気から、条件はユリの体だと思っただろう。
岩見が何を約束したのか聞こうとしたが「聞かないことにする」と言ったのも、聞きたくなかったからだ。
物語は、シンタの父細見欣也は、実はユリの夫だったというミステリとなっているが、実際描かれているのはその事実よりも、揺れ動くユリの心情だ。
八方塞になった水野が、最後に信用できる唯一の人物 つまりユリにしか託す道はなくなった。
決して巻き込みたくなかった人を巻き込まざるを得ない状況は、おそらく小説の方がよくわかるのだろう。
細見欣也、つまり水野カンゾウの心理も映像ではなかなか捉えにくいが、改めて考えてみる価値はある。
彼こそ、日本の将来を考えた人物だ。
面白いのは、今の日本 水野やユリが絶対阻止したいと願った戦後80年という今
きな臭いニオイが世界中でまん延している今
このいまにおいて、「水野やユリのような人物よ、いまこそ出てこい!」と叫ぶ作家の意思が見えるようだ。
フィクションだが、彼らのような日本人が必死で平和を願い、命をかけて貫いた意思は、決してフィクションではなく「実際にあった」はずだ。
決して長いものに巻かれる生き方ではなく、自分自身で考えて行動することがいま求められている。
そしてこの物語は、お金の延長線上にある人間の卑しさを浮き彫りにしている。
その最たるものが「戦争」だろう。
そしておそらく、ユリの使った暴力は、力に対する力ではなく、ボケた頭が使う力に抵抗する「思慮深い力」だったと思う。
同じようで違う。
これを混同するようにボケた思考をする現代社会。
作家はそんな我々に「喝」を入れたかったのかもしれない。
めちゃくちゃ面白かった。

R41
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