「ナウシカのようにマスクは外して、地球も人も息をしている限りまだ間に合う。」杜人(もりびと) 環境再生医 矢野智徳の挑戦 fuhgetsuさんの映画レビュー(感想・評価)
ナウシカのようにマスクは外して、地球も人も息をしている限りまだ間に合う。
名古屋のシネマスコーレにて、朝一の上映。
友人たちの何人もが、公開前からよい噂をたくさんしてたのもある。
しかし、なんの予備知識なしで、#杜人 を観てきました。
ナウシカのような人というキャッチフレーズをチラシで見てしまったけど、そんな先入観など必要ないほど、もっと身近で現実味のある深いドキュメンタリーでした。
はじまってすぐさま泣きそうなくらい、でもその感動は大袈裟なものではなく、日頃から自分も常に意識して大切に思う心とまったく一緒の当たり前の眼差しだから、うんうん頷きながら響鳴し、染み込んでいきました。
環境再生医。
結のコミュニティ。
初めてきく言葉も多く新鮮だけど、この方が矢野智徳さんなのか。
スクリーンで初めてお会いする、でもどこかで会ったことあるような、本当にかっこいい人だ。
風の草刈りとか、風の剪定とか。
自然がやってる風の道を作り、表層の水切りや点穴を開けて空気を流し込み、水の流れを取り戻す、なんと地道で手間ひまかけた優しい作業。
それだけ、戦後から今日まで一直線に進めてきた開発という名の環境破壊で都市部だけでなく列島全土の自然を痛め傷つけてきたコンクリートの世界を、わたしは何のためらいもなくペロッと引き剥がしたい気持ちでずっといた。
それでも矢野さんは、ハチドリのひとしずくのように、水脈の滞った場所を見つけ出して流れを作り直す。
コンクリートやU字溝に穴を開けるだけでも、人工物を完全撤去せず、残りは大岩のようにそのまま利用し、水と空気の抜け道さえ取り戻せば、大地は再び呼吸をしはじめることを、わたしはこの映画で学ぶことができた。
被災地の映像もでてきて、こういう復興が行われていたことも初めて知った。
砂防ダムや無駄な開発で本来あった目に見えない水の流れが鬱血して滞り、土砂災害となって犠牲者は出るけど、実は自然は自らの治癒力で滞った場所を破壊し、新たに水脈を再生して死にかけた土壌を回復しようとしているだけだ。
矢野さんの「土砂崩れは大地の深呼吸」という言葉が響く。
ここまで来たら、災害がきっかけでこれから目覚めていくんだなと改めて思った。
ハチドリもそうだけど、人はそんなことして間に合うのかと、死にゆく自然を横目に素通りしてきたのが今までだけど、自然は人間が居なくなっても回復する力を秘めている。
滅びゆく真っ只中にいる人間だけが呑気に、まだ大丈夫と思ってる。
自然を守ろうではない。
わたしたちはどれだけ開発して自然を穢しても、どこまでも自然がわたしたちを守ってくれている。
医療で病気を治すのではなく、人の持つ自然治癒力を高めて治すように、人が思い通りに自然をコントロールしたり壊れた自然を回復させることもできない。
しかし、そのお手伝いならできる。
矢野さんの「息をしている限りは可能性がある」という言葉。
それはこの世界に落胆して、ハチドリのような行動ができないわたしに突き刺さる。
わたしがあきらめようが、生きとし生けるものすべては生の最期まであきらめず生きる選択をしつづけているという意味だったかから。
目の前でまだ息をしてるのに素通りしたら、いくら後で後悔しても死んでからでは救えない。
この数十年の開発を元に戻すのは途方もない労力と時間がかかる。
矢野さんのような人が100人いても叶わない。
そうじゃなくて、わたし一人が気づいて、わたしの周囲だけでも半径1mだけでも開発をやめて、意識するだけでも、変わっていくと思うし、そういう小さな広がりがやがて集団心理に働きかけるところまで行けば、相乗効果で思ってた以上に早くことが進む。
そんなことより、自然の回復力を心から信じることができれば、人のことなどどうでもいいのだ。
自分だけの世界といわれようと、人と人が結のつながりで命や生を大切にする集団とならないかぎり、前に進むことは困難となる。
それより大切なことは、人と人がつながる以前に、大地としっかりつながり直すこと。
エンディングのロールスーパーに友人の名前がちらほら、なるほど。
この映画は、専門知識のある方や、環境オタクでなくとも、普通の人でも、どんな考えの人であってもそれぞれの中で腑に落ちる言葉や映像が込められてると思うので、たくさんの人に観てもらいたいなぁ。
シネマスコーレは17日まで。