「理解はできても共感できず」ザ・ホエール コージィ日本犬さんの映画レビュー(感想・評価)
理解はできても共感できず
フレイザーの演技は圧巻で、アカデミー賞主演男優賞も納得。
メイクだけでなく、自らの人生(結婚生活の破綻、母の死、セクハラ被害の告発をして団体側から干されたことによる重度の鬱)のダメージを、ことごとく役に昇華していたように感じました。
そんなフレイザーと、彼に負けないほど思春期の拗れまくった厄介な娘役のセイディ・シンク、この二人の演技合戦を味わう方向で楽しみました。
考えるより感じろ系な、A24の作品ですしね。
元が舞台劇らしく、基本は主人公の部屋の中の会話劇ゆえ、進展しないもどかしさに苛立つ部分も大きく。
おそらく主人公の後悔と贖罪が主題だったのだろうと感じました。
娘への愛とともに、自分の選択で失った娘との絆を取り戻してから死にたいという願いは理解できました。
タイトルも、執着によって妻と娘を置き去りにしたエイハブと、また死にいく無様で醜悪な肉体をモビィ・ディックとにかけた比喩としてつけられているのもわかる。
ただ、理解はできても共感や感動はまた別。
自分の感情の引き出しを開ける鍵は、実際の体験・経験や、歴史や宗教など文化的な肌感覚での理解、過去読んだり観たりした創作物から得た感覚といった、自分自身の中にある「なにか」の刺激ですから。
その点、本作は『白鯨』に対する教養、ゲイに対する家族の目のありよう、アメリカのキリスト教(系カルト宗教)に関する知識と感覚の共有などが求められるため、本当に楽しめるかと言われたら私には基礎知識が不足していてかなり微妙ではありました。
何しろアメリカで生まれ育ってないですからね。
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