「桜の下には死体が ―というが、エッフェル塔の下には愛が埋まっている。」エッフェル塔 創造者の愛 きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
桜の下には死体が ―というが、エッフェル塔の下には愛が埋まっている。
大作映画「タイタニック」で、
ローズ(ケイト・ウィンスレット)は
「男たちって大きい物が好き」。
「大きな客船や戦艦を造ることに夢中になるのよねー」と冷ややかに言い放っていたっけね。
技師アレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェル。
彼は恋人アドリエンヌと、そのアドリエンヌを奪った夫(=新聞記者アントワーヌ)を前にして、虚勢を張って、
「世界一高い300mの塔を建ててやる」と、男の常=見栄で 宣言してしまったという物語。
パリ万博のシンボルとして建てられたエッフェル塔。
これは散々なる非難と中傷に見舞われた塔なのだ。
フランス中の文筆家・芸術家たちは錚々たる連名で、新聞ル・タン紙で抗議文を掲げ、
モーパッサンのこんな辛辣な嫌味さえ残っている
「ここ(=塔の1Fのレストラン)がパリの中で、いまいましいエッフェル塔を見なくてすむ唯一の場所だ」と。
建築費の4分の3はジャン・エッフェルが私財を投げ打ち、借金をして竣工にこぎつけたのだそうだ。苦労の結晶だ。
フランス政府に移管されるまではその名の通りこの塔はエッフェル氏本人の なかば私物であり、彼は入場料収入を借財の返済に当てていた。
叶わぬ恋でありながら、アドリエンヌを想うエッフェルの昼の、夜の、そして朝の横顔が美しい。
仕事に全てを賭ける男と、訪ねてきた女の、足場の上での逢瀬が美しい。
・・・・・・・・・・・・・
思い出が、
エッフェル塔には、僕には思い出がある。
痛い思い出だ。
身重の妻を国に置いて、仕事に失敗していた僕はフランスに遊びに行ったのだ。
「気晴らしと療養のためにちょっと旅に出てきなさいよ」と僕を送り出したのは妻だった。
塔の展望台で日本への絵葉書を書き、七月の風に吹かれながら やおら手すりから下を見下ろすと、はるか下界の緑の原に、若者たちが座ったり寝そべったりして夏の陽光に当たっているのが点のように見える。
芝生に大きな「字」が見えた
JE T'AIME MARIE
どこかの若者が爪先で芝生を削って、夜のうちに字を作り、
翌日ガールフレンドを伴って、胸を高鳴らせながらここに登ったことは間違いない。
旅に出してくれたことの礼と、この JE T'AIME MARIE のこともハガキには書いた。
「A」型に、オーバルに裾を広げるエッフェル塔の優雅な塔脚。
この塔脚の繊細な鉄骨の中を斜めに昇ってゆく不思議なリフト。
入場券売り場でチケットを買った。
リフトを待つ列が進むと係員がそのチケットを客から回収してしまうのが見える。
おっと!もったいない。
Souvenir OK?と訊いたら、ニコリともせずに紙に破り目を入れて返してくれた。
・・・・・・・・・・・・・
この映画は史実を土台にして、建築作業の進行と、塔の立ち上がりと共に燃え上がってゆく三人の愛の物語を、同時に重ねて撮られている。
そして塔は完成したけれど、親友の人妻になってしまったかつての婚約者=アドリエンヌとの再会が、とても哀しいのだ。
今日の映画館、塩尻市の東座は、暗い館内にフレグランスが甘く香っていた。ジャドール辺りだろうか。
思い出が甦ってしまう。
フランスのラブロマンスは胸が刺されるから耐まらない。
いつもは映写室からすぐに出てきてくれる合木さんも何故かきょうは顔を見せてくれなかった。
時が経ち、
僕は あのパリ土産のチケット片はどこかに紛失(なく)してしまったけれど
その後再婚したかつての妻。そして独りの僕。映画のようにばったりと出会ったりすることって あるのだろうか・・。僕は彼女の御夫君の前で、J・エッフェルのように強がりのひとつも言える虚勢と、そして何かをやり遂げる意地とか実力を持っているだろうか。
「MARIE」は、偶然だがあの人のニックネームだった・・
パリのエッフェル塔の存在は、僕にとっては残念な男の、
遥かに遠くて、残念な男の、
記念の碑 (いしぶみ)なのです。
·
2024年バリオリンピックの表彰メダルには、過去の改修の際に取り外されて、極秘に保管されていたというエッフェル塔の鉄骨が使われることとなった。
金銀銅の各メダルに、フランスの国土を表す六角形の鉄片が象嵌され、オリンピアンたちはそのメダルと共にフランスの象徴を各国に持ち帰ることになる。
まるで映画の中の話みたいですね。私は、写真などで見たことのあるエッフェル塔や凱旋門、ルーブル美術館やユトリロの絵のような風景などしか思い浮かびません。
生きてる間に一度くらいはパリを訪れてみたいものです。