「ネコと対話せよ」ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ mamemameさんの映画レビュー(感想・評価)
ネコと対話せよ
ルイス・ウェインといえば猫のイラストで有名だが、日本では普通のイラストよりも「統合失調症を発症した猫画家」での比較画像の方が有名と思われる。自分もそれで知ったから。
後期のサイケデリックな猫の絵は統合失調症の恐ろしさを感じさせる物だったが、この映画を見た後ではもっと優しい目で見れるようになった。
父を失い母と妹5人を養う羽目になったルイスにとって世界はつらくてうるさいものだったが、妻エミリーを通して初めて「美しい」世界を見るようになる。
そしてその妻の乳がんの時に、愛猫ピーターと出会う。エミリー亡き後はピーターが「美しい」世界を見るための媒介となった。
生活はその後も苦しく、妹たちは経済面でルイスを責め立て、とうとう彼は貧困者用の精神病院に入れられる。そこには猫はおらず、世界を美しく見るための媒介者は存在しなかった。
そんな時に描いた猫の絵が、幾何学的サイケデリックな画風へと変化して行く。
でもそれはアール・ブリュットに見られる強迫観念的な「ミニマルな繰り返し」ではなく、もっと意味のあるもの、光のスペクトル分析のような、猫を通した見た神性の表現のように思える。
劇中にでてくる「電気的」(Electrical)な感覚は、例えば恋に落ちる、感動する、引き付けらる等の感覚を彼なりの言葉で表現したものだろう。
猫のいない精神病院で、彼は混乱した頭の中に電気的な神聖なる猫を創造(想像)し、それをイコンとして描いたのではないだろうか。
これは実際のルイスがどう感じたかではなく、映画においての解釈になるが、しかし映画の製作サイドはルイスの見る世界がそのようなものだったと描きたかったはずだ。
最後、ノートに挟まれた青い布切れ(エミリーのもの)を見つけ、その布切れを触媒として彼はまた「美しい」世界を見る。
この絵画調、パステル調の風景は劇中に2回出てくるが、これはつまり現実の風景ではなく、エミリーのおかげで見えている「美しい」世界だということ。
ルイス・ウェインの最後はこの映画では描かれていないが、猫に囲まれて美しい世界に浸れて幸せだったことを願う。