ハッチング 孵化のレビュー・感想・評価
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2022年ベストムービー!⭐️⭐️⭐️⭐️✨
北欧産のホラー映画と言うと、『ぼくのエリ 200歳の少女』など、なかなか忘れ難い作品がありましたけど、この作品も見事その仲間入りです!(笑)
卵から産まれてくるのは、主人公ティンヤの分身だろうなと、これは容易に想像出来ましたけど、そのビジュアルが一切公開されていないのは、宣伝効果としては、配給会社さんはなかなか賢明な判断かなと思いました…。
テーマはSNS社会を皮肉っているんですが、まぁ、そんなややこしい事を考えなくとも、普通に楽しめるホラー作品です。
で、恐らく観ている人皆んなが多分思うんでしょうけど、1番怖いのはティンヤの"ママ"です(笑)
ラスト、彼女が、何度もハンドルに頭を打ち付けるシーンは、ちょっとトラウマ級の怖さでしたね!
*なかなか美しい映像と、グロな造形・場面の対比に、観ている側の不安感が見事駆り立てられて、最後まで目の離せない作品でした。
ただ、鳥が嫌いとか苦手という方には、決してオススメしません!…夜中、うなされること必至です(笑)
カラスを敵に回すと怖いよ‼️
卵からかえった怪物が、最初こそ、マンガみたいでチャチだと思いましたが、だんだん引き込まれました。
怪物が、ティンヤの吐くものを食べて育つ、という設定が見事だと思います。
テロが、最初はいい加減な男性に見えたけれど
実はいちばんまともな人だったのもよかった。
赤ちゃんが無事でなにより。
この後、どうするのだろう、と思わされたラストも見事だし、エンドロールがフィンランド語(ですよね?)のおかげで、よくわからないところも怖さ温存でよかった。
現代社会をよく風刺していると思います。
すてきな家族の動画をあげることに夢中になっている人に、特に観てもらいたいです。
ツカミは良いのに物足りない
諸悪の根源の母が最後まで改心する描写もなければ
惨殺される描写も無いので、カタルシスが無い。
母親が自撮り配信中に鳥に食い殺される所が映ってしまったり
母親を惨殺した後、元々カラスの異形の者が
白鳥の様に体操大会で無双して賞賛を浴びるENDが観たかった。
D.N.A
いや〜恐ろしや恐ろしや。登場人物の誰もが不気味であり不快であるという役者を良い意味で殺しにかかっている作品だなと思いました。
特に主人公の母親が本当に気色悪く、自身の家族をYouTuberとしてのネタとしてしか見ておらず、自分は違う男と不倫している、娘にはスパルタなまでの体操の指導をする、娘に八つ当たりをする、特段嫌だったのは娘の体操の大会で撮影のために前のめりになって撮影するというモラルも常識も持ち合わせていない害悪のような行動に非常にイラつきました。役者さんホント凄かったです。あと地味に長男の行動や表情にもムカっときました。今後彼が出る作品は追っていきたいなと思わせるほどです。
肥大化していく卵から生まれたクリーチャーに自分の吐瀉物を与えることでどんどん自分と似ている、もしくはもう1人の自分が誕生していく過程を見るたびに血の気が引いていきました。別人格の行っている事なのに、感覚共有しているが故に自身が血まみれになってしまう恐ろしさがそこに散りばめられていました。
最後のオチもハッピーとは到底受け切れない終わり方で、精神が完全に移り変わってしまったのか、それともクリーチャーが自我を持ってしまったのか…。良い意味で非常に後味の悪い映画でした。
割と早い段階で卵が孵化してしまったために、物語の起伏のバランスが悪くなってしまったのは勿体なかったですが、十二分に楽しめ、慄けるホラー映画でした。今年はボディホラーの年だなぁ。チタンチラリ…。
鑑賞日 4/21
鑑賞時間 20:25〜22:05
座席 G-1
綺麗な映画だった
2022年33本目
母親の理想に従って、「いい子」にしている女の子が、異形のものを飼ってしまう。
それは、彼女が心のどこかで「いなければいいのに」と思っているものや人を殺してしまう。
どんどんと、異形のものは、自分の姿に似ていって
最後は母親を殺そうとするところで、女の子が死んで、異形のもの(彼女の中の悪意)が残る。
悪意を育てて、最後は孵化するのが綺麗だったし、
女の子の生きづらさみたいな部分もリアルでよかった。
唯一、急な音とかにびっくりして疲れるのが難点だった。って、ホラー映画だから当たり前なのだけど!笑
うん、絵も構成も綺麗な良い映画だった。
母親に愛されたいと思う子ども×2名、ただし……
観る前に嘔吐シーンがあると聞いたので構えていましたが、自分の中ではそこまで構えるほどでもなかったです。どちらかといえば、エクソシストが貞子の影響受けてますか?というシーンの方が気になった。
母親に愛されたいと願う子ども×2名。
一方、母親の方は家族や恋人を大切にするふりをしながら、一番大切なのは自分というタイプ(に見えた)。
だから誰かを愛すよりも、愛情をくれる誰かを永遠に探し求めてしまう。
娘のティンヤ母親とは違う……と思わせつつ、実は母親と同じく他人から愛されたい、それを阻むものは全て潰すという性格。それが、彼女の本心であり子どもでもある雛鳥のアッリの行動に反映される。
最後の最後でティンヤは死に、アッリが新しいティンヤとして母親の前に立つが、その際の母親の笑顔は(この子なら私のことを裏切らなそう)という笑顔に思えて気色悪かった。
本来なら星3はつけたいところですが、ラストが結構雑かったので2止まりで。
でも、今後が気になる監督さんであります。
鬱積のたまご。 煮つまるストレスはやがて、本人すらもコントロールできない自分を育てる。
母の、自分本位な性格。みせかけの家族への愛。
父の、事なかれ主義的な性格。無力な自分へのあきらめ感。
その積み重ねは家族になにを与えた?
息子の、愛情に飢え、思いやりのかわりに増す嫉妬心。姉より注目されたい願望に歪みの影。
娘ティンヤの、母からの抑圧に耐えることに慣れた果て。機嫌をうかがう故に同調するしかなく自分の意志を消すための哀しきほほえみ。
ティンヤの心情に追い打ちをかけたのは、常に自分にプレッシャーをあたえてきた母の裏切り。
しかも不倫を正当化させて直接聞かされたショック。相手の赤ちゃんへ接する母に寂しさを募らせる。
匂わす娘の様子に変わらず踏み込めない父。
姉をやっかみ信用しない弟。母を混ぜ選手の座をとりあう友人とのこじれ。
体操の大会がせまるにつれ徐々にもつれる感情と並行して起きる怪奇な事件の裏には悲しみや怒りを栄養にして育ち悪さするコントロールできない鳥(ティンヤのこころ)がいる。
蝕ばまれる彼女の救われなさは、鬱憤と葛藤のボルテージをあげ、孵化させた不気味なヒナがやがて狂気の鳥となり彼女自身にそっくりになっていくことに象徴されている。
家族を崩壊し終焉へと導くそのラスト。
それは間違いなくこの家族の第二章のプロローグでもあろう。
でも、、、
私が思うにこれはきっと、この家族のだれかの長くおそろしい悪夢。
闇を反映させたその夢に
うなされ涙して目が覚めたのは誰?
身だしなみをととのえ笑顔をつくり、美しく飾り立てた家で仲良く並んで家族の幸せな映像の配信の為の劇がまた今日もはじまる。
と、いうことで
なんだか怖くつらい話でしたが、それだけではなく
家族のあり方をちょっと考えさせられました。
なによりも濡れた鳥が苦手な私は握ってこらえた手がしびれてます。
恐ろしい映画だな
お母さんの育ちが気になったの。
幸せを感じられない家庭で育ったんじゃないかな。
幸せな家庭で育ったら、それが「一点の陰りもない」幸せではないことを知ってると思うのね。
でも不幸な家庭に育って幸福な家庭を見たら一点の陰りもない幸せな家庭に見えると思うの。
なので母親になったとき、夢であった一点の陰りもない家庭を築こうとしてしまう。
でも、そんなものは存在しないから、虚構になるよね。
それで色んなことが歪んでいくっていう。
話自体は、押し込めていた負の感情が、なにかの拍子に実体化してしまうっていう分かりやすい話だったな。
でも「私が育てちゃったの」が自分が育てた怪物と、お母さんが育てた私のダブルミーニングになってたりして、面白かったよ。
悪意の卵。
フィンランド製のホラーですね、なんか言葉が新鮮で良いわ。
YouTuberのお母さんが分かりやすく外面担当で、だんだん溜まっていく主人公のストレスを卵の成長が表現してます。だから卵がなんでデカくなるの?とか出てきたやつ頭デカくね?とか思ってはいけません。主人公の幻想でダークファンタジーです。
後半はどんどん分離して悪さをし始めますが、やっぱり彼女が育てた彼女の分身というはなし。
主人公の子がなかなか多彩だし演技も出来る子で今後に期待です。不倫相手もなかなかナイスガイで分かり合えず切ないです。
この映画も女性監督ですね、世界中で増えてますがいろんな視点のお話が出来ることは素直に歓迎です。
母性なのか?自身なのか?
北欧の洒落た家の中で淀んだ家族の抱える闇が良かった
子供の心を顧みない母親
何も見えていない「振り」をする父親
我が強い末弟
母にすがる長女は愛を得ようと自ら自身を縛る
長女の悲しみで育った卵から生まれた「モノ」は育てた彼女の子供か?
それとも彼女自身なのか?
この事を考えている
家族の崩壊
黒い鳥という形の表現をとった、家族の病の話と思った。
母親が鳥をくびり殺すという事件をきっかけに、少女の中に鬱積された負の感情が育ち、爆発する。それは彼女自身がコントロールできないまま、周囲に甚大な影響を与えていく。
自分しか見ておらず娘に完璧を強いる母、それに応えようと必死に頑張るが報いることのできない娘、愛や注目が向けられないことに不満を感じている弟、家族の中に問題があることに気づいているが直視し向き合おうとしない父。
誰も少女の抱える問題に寄り添ってくれない中、中盤で修理をしようと試みる人が現れるが、その縁はあっけなく崩れ去る。
主演の少女の表情の変化や徐々に痩せていく様は観ていて痛々しい。音楽も効果的。グロ注意であるため万人にはオススメできないが、考えさせられる良作だと思った。
吐瀉物が苦手な方は鑑賞注意。
最後の「私が育てたのよ」という言葉が引っ掛かって何でだろうって考えたんですが、あれは優しさからくる母性本能だけではなく、主人公の唯一のヘルプだったのかなと今は感じます。
あの卵から還ったのは主人公の負の感情が具現化したものだと考えますが、それを殺すということは何も無かったことにするということです。
負の感情と言っても、怒りや嫉妬だけではなく、悲しいや寂しいも入っていましたので、彼女自身の一部として大切にしてあげなければいけなかったのですね。
結局誰もそれが理解できずに最後あの結果になってしまったのでしょうが、その時に母親が小さく笑ったのは、優しくて弱い子よりもどんな形でも強い子の方が母親にとっては理想だったのかなと思いました。
最後まで駄目な母親でしたね…。
一見乗っ取られたように見えますが同一人物なのでそれは無く、意外に家族や社会と馴染んで今までより生きやすくなるかもしれませんね。
と、思ってしまいそうになるから現代社会は恐しいものです。
とても考えさせられる映画でした。
ホラーとしての意外性は無いが人間を描いている
開始早々、YouTubeか何かの動画撮影で幸せアピールしてる母親が家に入ってきたカラスに装飾品をめちゃくちゃにされた事にキレて娘の前で捻り殺した後、生ゴミね!って平気で言う。心が無い人間であるのはわかるが、その後まだまだこの母親にはやばい裏がある。父親はわかってはいるが、家の中ではマスコットみたいな存在。主人公の娘は夜中に死んだはずのカラスの断末魔の叫びを聞き森へ行くが昼間に死んだはずのカラスは瀕死の状態で脇には卵があり自分が代わりに育てようとする。
見ていて中盤まではイマジナリーフレンドの話かと思っていたら、そうではなかった。普通に異形のモノが存在しています。最後に母親が誤って自分の娘を殺してしまいますが、彼女の血を吸収した異形のモノは99%くらい彼女そのものになる。それを見た母親は自分の娘を殺して泣いていたのに娘そっくりなソレを目の前にして、安堵の表情を浮かべます。結局この女は大切にしていた自分の娘さえも装飾の一部でしかなかったのです。承認欲求が強い人間は自分を中心に世界が回っていてそんな人間のサイコっぽさの方が怖いって映画だった。とにかく主人公が可哀想で、自分の小3くらいまでのトラウマも蘇ってきて辛くなった…
王道ホラーの諸要素を巧みに集積した、女性監督らしい北欧美少女ホラーの佳品
クローネンバーグの初期作に『ザ・ブルード 怒りのメタファー』という傑作がある。
僕が『ハッチング 孵化』の予告編を観て最初に想起したのが、上記の映画だった。
僕個人は、クローネンバーグ映画の中でも、少なくとも「アイディア」の面では最もぶっ飛んだ作品の一本だと思っているが、なにせまあまあ古い映画なので、若い人は知らないかもしれない。
『ザ・ブルード』は、精神的な病理を催眠によって「潰瘍化」させ、身体に外傷として顕現させたうえ、外科的手術を用いて切除すれば、心の病がすっきり治療できるという画期的施術を創造した医者が出てきて、その催眠療法を実際に受けた女性が、知らない間に「怒りの侏儒」を孕むようになり、女性の敵意の対象を、彼女からボコボコ産み落とされた「雛=ブルード」軍団が「彼女の代わりに」血祭に上げにいくという、血臭と女臭漂うとてもイカした映画だった。中学生の頃、僕はこれでエロゲより先に「母胎化生体プラントエンド」の原型に出くわし、大いに衝撃を受けたものだ。
実際に『ハッチング』を観るかぎり、監督または脚本家が、この『ザ・ブルード』のネタを土台に、いろいろとアイディアを膨らませていった可能性は結構高いと思う。
(家に帰ってから買ったパンフを読んだら、まさに高橋諭治さんが同じ指摘をしていた)
特に、ヒロイン自身は決して惨劇を望んでいないのに、「悪意」の具現化としての「代行者」が勝手に誰彼なく殺しに行って、それを止めることができずに本人も身を滅ぼしてゆくという物語構造が、とてもよく似ている。
『ザ・ブルード』のサマンサ・エッガーは成熟した女性だったので、結果的に自らが「ザ・ネスト」化することに相成ったが、本作のヒロインはまだ少女で、妊娠能力を有さない。
だから、彼女の「ブルード」はある種の代理出産――すなわち外から拾ってきた「卵」に、自らの「血と涙」を与える儀式を経て、生みだされることになる。
でも、『のび太の恐竜』みたいな出だしの話を、モンスター映画の枠内で、よくもまあ巧みに「ドッペルゲンガーもの」につなげて見せたものだと感心する。
要するに、モンスターとして生まれた「擬似子」が、急速に成長して「本人」に成り代わるという仕掛けである。なんか前例を知っているような、知らないような……なんだっけな?
明快に記憶に残っている例でいうと、『CUBE』のヴィンチェンゾ・ナタリの全くヒットしなかったゴミSFで『スプライス』というのがあって(僕は放出品のビデオで観た)、内容的にはちょっと似ているかもしれない。あれは科学者夫婦が動物と人間を掛け合わせた人工生命体を創造して、隠密裏に育てていたら、そのうちすごい美女に成長するのだが、その生物の進化はそこでとどまらず――といった映画だった。
総じての印象でいうと、『ぼくのエリ 200歳の少女』と共通するような、北欧ホラー特有の仄明るい空気感が支配的でありながらも、より徹底的に「美少女」の存在に依拠する作りは、近年の『イット・フォローズ』や『RAW 少女の目覚め』『テルマ』あたりの「少女ホラー」の系譜に近い。
ただ、実際に出てくるホラー的な要素の大半は、すでに70年代から80年代のホラー全盛期に作られたクリシェから、かなり直截的にとられていて、監督は意外にマニアックなタイプなのではないかという気もする。
まず、なんといってもクローネンバーグの濃厚な気配。
元ネタの『ザ・ブルード』のみならず、解剖学的な人体部位への偏執的なこだわり(冒頭の背骨!)や人体破壊への関心、何より「怪物の悲哀」を描く「哀しみ色」のホラーであることが、クローネンバーグの作風を直接的に継承している。特殊メイクに依拠するグロテスクな造形への偏愛と、CGを用いず実際に触知可能なクリーチャーを創造する復古的な姿勢も、クローネンバーグのそれと近しい。
それから、「美少女ホラー」といえば『フェノミナ』のダリオ・アルジェント。
犯人視点の一人称カメラや、廊下を奥に進んだり手前に向かってきたりするシンメトリックなシーンづくり、大型ナイフへのこだわり、鳥が暴れまくる描写など、本作には明らかにアルジェント・テイストの場面が散見される。
母娘関係の異常な緊張感や、自らの「分身」としての押し付けと理想化、経血や拒食といった少女の思春期性とからむ恐怖要素の多くは、当然ながら、ブライアン・デ・パルマの『キャリー』に負っている部分が大きい。
少女の外的変容と狂暴化、グロテスクな顔貌変化は、もちろん『エクソシスト』に由来する要素だ。
あと、カラスの不吉な象徴性は『オーメン』、育てている怪物の幼体が邪悪化するという流れは『グレムリン』、平和で幸せそのものの家族という「仮面家族」への恐怖感は『ステップフォードの妻たち』(『ゲット・アウト』の元ネタ映画でもある)。大きな卵が割れて異形が産まれるビジュアル・イメージも、もしかすると霊感源は『エイリアン』だったりして。
これらの映画からは時代は下るが、心に闇を抱えた少女が、おとぎ話のような悪夢を引き寄せて、それに飲み込まれていくという寓話性は、ギレルモ・デル・トロの『パンズ・ラビリンス』あたりとも通底する。
その他、数多あるドッペルゲンガー映画(ロメロの『ダーク・ハーフ』は、まさに頼んでもいない殺戮を繰り広げる「もう一人の自分」の話だった)や、アンファン・テリブルもの(見た目は同じ子供なのに中身が別の邪悪な存在って意味では『ペット・セメタリー』あたりも含まれるのでは)などの要素も含めて、監督と脚本家はあちこちから「どこかで観たようなネタ」を持ってきて、それをきわめて巧みに組み合わせ、一本の「少女」の物語にまとめあげている。
この、映画の底層を支えるシネフィル的なマニア性と過去言及性は、まさにアリ・アスターやロバート・エガースらA24周辺の映画作家たちと近接した「今風の」作家性であり、単に「昼のシーンの多いホラー」というにとどまらない、時代的な共通性を感じさせざるを得ない。
それと、上に上げた『キャリー』や『ペット・セメタリー』や『ダーク・ハーフ』の原作者であるスティーヴン・キングが少なくともフィンランドの隣国スウェーデンでは大変な人気があって、『ぼくのエリ』の原作者 ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストのようなフォロアーを生んでいることを考えると、フィンランドでもキングが広く受容されている可能性は大きいはずだ。そして、本作『ハッチング』に影響を与えている可能性も。
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映画自体は、とにかく一貫して、ヒロインの少女ティンヤ(シーリ・ソラリンナ)の美少女性を際立たせていく作りだ。
出だしから、レオタードに包まれた12歳のニンフェットな肢体美を惜しげもなく見せつけつつ、シーリちゃんはほぼ出ずっぱりで作品内に君臨している。
『ぼくのエリ』でも、やたら子供たちがジムで体操しているシーンが出てきたのを考えると、北欧では(日本におけるバレエのような感じで)体操とフィギュアスケートが「少女の習い事スポーツ」として盛んなのだろうが、これだけローティーンの「少女性」の魅力に依拠した映画を観たのは久しぶりかもしれない(大好物なので文句は一切ない)。
支配的な母親に歯向かえない従順な少女としての演技だけでなく、その裏返しとしての「アッリ」の怒りと悶えもちゃんと演技で表現できていて、本当に将来性豊かな女優さんだと思う。
一方、母親のインスタ蠅ぶりは、ある種戯画的というかコントじみた印象もあるが、作り笑顔で「外から見たあるべき家族の姿」を遮二無二追求する姿は、きわめて生々しく、おそらく日本でもたくさんうごめいている手合いなのだろう(私はSNSは一切やらないのでよく知らないが)。
旦那が自閉症スペクトラムっぽい感じ(たぶん、理系方面で偏りのある特殊な才能があって、結構な大金を稼ぐことができていて、奥さんはその辺を有効に使って裕福な生活を満喫しているのでは?)で、思い切り息子にそれが遺伝している(外見も、内面も)のも、いかにもありそうな話。で、旦那を小馬鹿にしている奥さんが、DIYに熱心なイケメンと浮気するのも、自然な展開だ。
この「インスタの中では幸せな家族」の実情と歪みを描きながら、そのストレスのはけ口として少女が「卵」に注いだ「悪意のDNA」(母親のスパルタで流れた手の血と、母親の浮気で流れた悲しみの涙)が生み出した悪夢の顛末を描くのが、本作の主眼である。要するに「王様の耳はロバの耳」の穴から、ドッペルゲンガーの怪物が這い出てくる話である。
少女から見れば、本作は過たずドッペルゲンガーの物語だが、産み落とされた怪物のサイドからすれば、これはまさにフランケンシュタインの物語であり、遺棄される子供としてのモンスターの物語であるともいえる。そもそも『フランケンシュタイン』はメアリ・シェリーの中にある「出産と子育て」にまつわる恐怖を「男×男」の物語に転嫁して吐き出した小説という部分も間違いなくあり、それを女性監督らしい感性で、「母×少女×少女」の物語に組み戻した産物ともいえるかもしれない。
映画のすべてが満足かと言われると、絵づくりの部分で物足りない気分があるのは否めない。
しょうじきこのテーマで撮るなら、もう少し耽美的な撮影方針でもいいだろうと思うし、あまりカット割りやフレーミングに美意識が感じられないので、映画としての画格が思ったより高くないのが残念だ。あれだけアニマトロニクスに力を入れているのに、なんとなく独特の「雰囲気」や「気配」といった余情が漂ってこない映画なのだ。
ティンヤのズル剝けになった手が、大して時間も経っていない様子なのにいつの間にか治っていたり、ラスト近くでむしり取られたはずのアッリの頭髪が次のシーンではなんともなかったりと、細かいところにあまり気が向いていないのも気にかかる。
「同じ外見の人間が二人居る」という設定からだと、もう少しいろいろネタを広げていけそうな気もする割に、その辺のアイディア醸成があまり見られなかったり、犬とかお面とか父親&弟とかインスタ視聴者とか、「実はもっと広げたらきっと面白かった部分」をほったらかしにしたまま終わっていたり、個人的には「もっと面白く出来た映画」なのではないかとも思う。
とはいえ、とにかくシーリちゃんが可愛かったし、清く正しい「女性監督によるニンフェットな少女映画(非LGBTQ)」を久々にスクリーンで観ることができて、本当に良かった。
そういや、自分の大好きな過去作品で「少女がカラスの異形を匿って餌をやって育てている」話があったはずなのになんだっけ思い出せねえなとずっと帰り道考えていたが、アニメの『プリンセスチュチュ』でした(笑)。
恐竜の子孫(恐竜の中の生き残り説も)はやはり怖い
うまく言葉にできない感情に襲われる、とか、得体の知れないものに触れてしまった……とまではいきませんでした。そういう感情のザワつきをちょい期待していたので、やや物足りなさが。
でも、親の〝かなり身勝手な〟期待に健気に応えようとする少女の現実逃避への情念が、可視化されたとしたら確かにそういうこともあるかもな、という比較的分かりやすい深層心理の表れとして上手く描かれていました。
屈折と抑圧の一番の原因であるあの人は、同時に一番怖い人でもあるので、はじめのほうでの攻撃対象にはならない。ちゃんと脚本ともマッチしてます。
母親殺しによる解放ではなく、母親に殺されることで解放される。この形が家族の再生の始まりなのか、破滅の始まりなのか、心理学的なテーマとして議論するのも面白そうなので、どこかのゼミで取り上げてくれないかな、なんて思ったりもしました。
あなたの中にも、ソレはいる…
所謂旧来の教育ママ、ステージママとはひと味違い、自分の幸せを貪欲に求める母親に反抗できない娘が、抑圧された気持ちを投影させる自分を作り出してしまう。
というと、多重人格障害ものかと思いきや、鳥を卵から育てているうちに自分の剥き出しの感情を投影させた人間もどきへと成長させてしまい、家族が崩壊していく話。
少しマンガチックなホラーだが、身につまされる親がいるだろうし、誰しも人に言えないダークな気持ちがあることを表現していて、なんだか人ごとではないようでゾクっとする。
母親はインスタ映えばかりを気にして、見せかけの幸せをSNS上でアピールするのが日課。娘の成功が自分に幸せを運んでくれると思い込み、有無を言わさず厳しい体操のレッスンをさせる。この母親が単なる真面目な教育ママでない証拠に、不倫相手の家に娘を泊まらせたり、鳥の首を迷いもなくへし折ったりする行動に狂気の一旦が感じられる。夫に似て気弱な娘にも、母親の血が流れていることが時々垣間見える。それが最後の悲劇へと繋がっていく。
それにしても主役の少女は、流石狭き門のオーディションを経て選ばれただけはある。鍛えられた贅肉のない肉体を持ちながら、可憐な大人と子供の間の不安定さを持った美しさも備えている。鬼気迫る演技も見事!
さて、自分が考えたもう一つのラストシーンは、生き残ったもう一人の少女は元が何せ鳥なのだから、段違い平行棒なんて何回転もできて、体操の大会でも優勝し、母親を狂喜乱舞させるというのはどうだろう(笑)
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