カラーパープルのレビュー・感想・評価
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神様との対話
1985年版は、「そんな映画あったかも…」程度にしか覚えてないので、ほぼ初見で全く比べられないのだけど、まあ良かった。
人種差別が中心の話なのかな、と思ってたけど、人種差別とか性差別とかそういうことじゃなく(もちろんそういうのが背景にありつつも)、主人公セリーが自分自身の尊厳を取り戻していく個人の物語だという感じがした。
世の理不尽・無情に対して、「耐える」「従う」という処世術しか選択肢をもてなかったセリーが、様々な「自分の尊厳を守ることを第一に考える」たくましい女性たちとの出会いを通して、精神的な成長を遂げていくところに拍手を送りたくなり、自分自身も勇気づけられる。
残酷な人生に対して、神様を呪うセリーに対して、シャグが「それは神様のせいじゃない。人のせい」と言うシーンが印象的。それまでセリーは、自分の不遇を、神様のせいにしていた。そうやって納得しようとしてきた。でも、自分の人生は自分の意志で変えていかなければならない、神様が自分を愛してくれているように、自分も自分を愛さなければならない、と気づいた瞬間だと思う。
セリーや他の人々の、信仰や神様との関係性が変化していくところが面白いと思う。キリスト教信仰とはどういうものなのかよく分かる。
「この人は絶対に変わることがないだろうな」と思えるミスターも、神様との対話によって、「男性は女性を支配するべき」という父親から植え付けられた呪いから解放されることができた。
多様性に配慮しすぎて不自然な配役やストーリーになることが昨今よく批判されているけど、こういう必然性のある映画を作ることが本来の王道のやり方なんじゃないかと思う。ブラックパンサーもそういうことでヒットしたんじゃないかな。
がっつりミュージカルだったけど、正直言って歌やダンスはそんな印象に残らなかった。「ラ・ラ・ランド」とか「グレイテスト・ショーマン」とかは良かったって思ったんで、全くそういう感性が自分にないとは思わないんだけどなー。
「カラーパープル」というタイトルは、神様の作った一番美しい、紫という色、という意味だけでなく、有色人種(people of color)という意味もかけてあるのかな? 知らんけど。
『 赦し 』〜 パワフルな歌声に鳥肌 ✨
母親から教わった縫い物が得意な主人公セリー( ファンテイジア・バリーノ )と、教師志望の利発な妹ネティ( ハリー・ベイリー )。苦労を重ねる二人が、互いを思いやる姿が美しい。
映画「 ドリーム 」で女性数学者キャサリンを演じたタラジ・P・ヘンソンが、美しいジャズ歌手シュグを艶やかに演じる。
パンチの効いた歌声、パワフルなダンスシーンが圧巻。とにかく皆歌が上手い ✨
暴力的な夫ミスターをも赦したセリー。まさに『 赦し 』でした。
映画館での鑑賞
立ち上がることの勇気
始まりのミュージカルシーンから
惹かれる音楽とダンスだったが、
なかなか悲しいシーンの連続。
やっと幸せになれるかと思ったところでの
市長夫人の黒人差別のシーンが辛かった。
ソフィア(ダニエル•ブルックス)が格好良く
彼女が立ち直るシーンから号泣…
セリーのパンツ屋さんのシーンも良く、
妹ネティの若い頃を演じたハリー•ベイリーの歌声も素敵でした。
久しぶりにあまり楽しいと思えないミュージカル
1900年初め…という時代背景のせいだと思います。
女性は奴隷
有色人種も多分奴隷に近い存在だったのかなと思う、そんな時代です。
なので、見ていて嫌な気分になりました。
シャグの声はとても艶があって素敵。
主役の方より、私は魅力的な声に感じました。
妹との再会の場面は、涙が出ます。
最後は、天晴れ!!スッキリしました(^-^)✨
この映画は、黒人差別問題!男性優位社会!女性に対してのパワーハラスメント問題に一喝!!!を入れてる映画で、最後、スカッとして天晴れでした(^-^)✨
主人公が、これでもか、これでもかの苦労の連続。。。痛たまれませんでした。。。最後、愛してた妹さんと会えて、お孫さんにも会えて。。。暴力旦那までも、お友達として許し。。。その暴力旦那が、最愛の妹さんを自国に呼ぶ手続き助けを。。。
皮肉なもんだけど。。。絆が絆を結び、大きな輪になり、主人公を愛してる仲間、勢揃いで笑顔で終われる。。。出来過ぎと言えば。。。出来過ぎかもしれないけど感涙しました(^-^)✨楽しめました。是非、映画館で!!
Never End
スピルバーグ版は未鑑賞で、あらすじも迫害の歴史の一部をクローズアップしてそこにミュージカルを加えた作品なのかなと思いながら鑑賞。
ミュージカルや歌唱のクオリティはとても高く見応えがありました。ただ断片的だなと感じたところが多かったのと、間延びした展開には少し飽きがきてしまい、観終わったあとに物足りなさが残った作品でした。
ミュージカルシーンは文句なしで、壮大に大人数でやるミュージカルはそこまで多くないんですが、教会のシーンでの狭い空間でわっさわっさ踊れや歌えやのシーンがとてもの好みでここが一番胸躍ったかなと思いました。
1900年代初期、男性の方が圧倒的に立場が強く、女性は奴隷のような扱いを受けており、主人公はその象徴かの如く酷い扱いをされていました。
父親からは牛の代わりに売られ、売られた場所では奥さんともいえない雑な扱いをされていたりと、かなり不憫で観ていて辛いものがありました。
ただこの男女の差別的部分は色濃く描かれていたんですが、人種差別的な部分の描き込みはとても薄く、途中突然登場してくる市長が「黒人は私のことが大好きなの」とか抜かして、使用人として勧誘してくるくらいでしか描かれないので、ちょっとアンバランスになっていたなと思いました。
作中で強い女性として描かれるソフィアの姿はとても美しく、男性に尻に敷かれるのでは無く、自分自身に誇りを持って生きる姿が最高でした。彼女が躍動するシーンはミュージカルシーン以上に昂るものがありました。
登場人物の年齢の重ね方の変化はかなり分かりづらく、30年近く時代が進んでいる割には年齢若くね?と思うところもありましたし、風貌が似た人たちがどどーっと押し寄せてきて混乱するところが多々ありました。
ミュージカル自体は素晴らしかったはずなのに、なぜか楽曲がひとつも思い出せないのが観終わった後の謎でした。
作品としてミュージカルでオリジナル元のエグさを中和したのかなとは思いましたが、それが今作の特徴になるはずだった部分を消してしまっていたのかなと思いました。
終盤、終わりそうだなと身構えていたら終わらず、終わりそうだなと思ったらまた終わらずが何度も繰り返されて、焦ったくなってしまいました。セリーが空を見上げたシーンなんか絶対に終わったと思ったんですけどね笑
ラストシーンはあれだけ罵っていた旦那を読んでのパーティーで、妹と娘と息子と再会しての一見ハッピーな終わり方でしたが、あの旦那を本当に許していいのか?と疑問を持つ終わりだったので少しモヤっとしてしまいました。
良い映画だったなと思うところは多くありつつも、ミュージカルを交えたからかなのか、どこかテーマがぼやけてしまっていたなと思いました。それにしても長く感じてしまったのが惜しいばかりです。
鑑賞日 2/12
鑑賞時間 11:00〜13:35
座席 E-15
悲惨な話を観やすく
シュグのパパ役の牧師は、ボーンズS6E4にゲスト出演したバンスン・デュード教授だね。すんばらしーってゆう科学番組のホストの人。歌える人なんだね。
(養)父に性的虐待され2人の子を産んだが、その子らは産まれてすぐにどこかに連れ去られ生きてるか死んでるかもわからない。この悲惨さがパワフルで生き生きとした音楽で若干薄められている。大変観やすい。
その事を歓迎していいものか迷う。
道行く近所の人が、セリーに子どもの名前決めた?って聞いてたけど、その子が誰の子なのかわかってて言ってんのかな?誰の子がわからんけど少女が妊娠させられる事があまりに普通で、なんか祝福ムードなんかな?とか思った。
助産師がウーピー・ゴールドバーグだったと思う。ちゃんとクレジット確認してないけど。
セリーはシュグと恋愛関係になって、というのがセリーの解放には大きな要素だと思うが、描写がまろやかでもっとしっかり女同士の恋を描いてほしかったなぁ。
あと、「カラーパープル」なのに、紫があんまり明確に出てこない。花の色もピンクっぽいコスモス系だし、洋服屋を開いてからのパッピーなダンスナンバーでのセリーの服を赤じゃなくて紫にするとかなんでせんかったんやろうと思った。
黒人である男たちも白人社会から差別されていてたいへんなんだと思うが、そのひずみを女を虐げる事に転嫁する様の醜悪さに、ずっーっと眉をしかめて観ていた。
とはいえ、彼らに何ができただろうとも思う。
みなさん歌がうまくて、音楽はどれも良かった。
日曜日の教会へ行こうの歌とか、パンツ屋の歌とか、単純に私も歌って踊りたいと思ったけど、黒人音楽は、奴隷労働の苦しみから労働歌ができて、そこからゴスペルやらブルースやらたぶんジャズもロックも派生していったはず。であるならば、その歴史の惨たらしさを理解せず、表面的にいいなと思って黒人以外が歌ったりするのは、やっぱり文化の盗用なのかな?
表面的でもいいと思う表現を使いたいと思うのは、私は悪い事じゃないと思ってしまうけど、特に白人がやると当事者はムカつくだろうなとも思った。
映画に関係ないけど。
あと養父の葬式で、性犯罪者をなんでたたえなあかんねんと思って腹立した。
そして、セリーが虐待されて産んだ子を愛することは、素晴らしい事だと思うけど、虐待されて産んだ子を愛せなくても、産んだ人は悪くないから、これ観て自分を責めないで欲しいと思った。
シュグの語る神は、一神教というより八百万の神っぽかった。陽の光にも花にも神が宿るて、まんま八百万やん、って思った。
まっぴらごめんだ
こないだ鑑賞してきました🎬
ファンテイジア・バリーノ演じるセリーは、小さい頃から父親や勝手に決められた旦那でありコールマン・ドミンゴ演じるミスターに虐げられる日々を送っています。
色々あって生き別れた妹のネティの行方もわからない中、ダニエル・ブルックス演じる型破りなソフィアや、タラジ・P・ヘンソン演じるブルースを歌うシュグとの交流で彼女たちに感化され、ついにミスターの元から羽ばたいていくストーリー。
スピルバーグらしい王道な展開ですが、諦めずに希望を持ち続け、実際に行動していく姿勢が大事というメッセージには共感します🙂
最後はきっちり姉妹も再会し、大団円😀
セリー、シュグ、ソフィアの歌唱パートや、大勢のエキストラが歌って踊るシーンはミュージカル好きな方には必見ですね😁
私としては、オプラ・ウィンフリーが関わってるのも見逃せないポイントでした👍
時代は移り変わっても現代女性が求める自由な生き方と信愛なる賛歌!
ハイみなさ-ん!今晩は。
お忍びのテンションでレビュ-書いてますのよ。
もうね、タイピングにちょと調子が疲れ気味で (´-ω-`)。
今日の作品は「カラーパープル」ミュ-ジカルリメイク作品の鑑賞です。
この作品は、1985年にスティーヴン・スピルバーグ監督が一度映画化してるんですね。その当時はアカデミ-にノミネ-トは多くされたけど無冠に終わったのね。
それはやっぱり当時黒人受賞への何らかの偏見は有ったかも知れませんね。
そして時を38年ほど経てミュ-ジカル作品で蘇り~。
ミュ-ジカルって言ってもそれ程激しい内容には感じませんでした。
優しい母が亡くなり、横暴な厳しい父と 愛の無い夫へ嫁ぐ姉(セリー)、そして生き別れてしまう妹(ネティ)との不遇な姉妹の運命が織り成す感動巨編。
同じ境遇の女性たちと出会いを通して、自分の価値感、自らが輝く居場所をつかみとり強く社会に生きて行く信愛と友情と希望に満ちたドラマを描いている。
黒人社会における女性への差別、偏見、激しい暴力。銃で脅され生きてゆく彼女たちを見て何も出来ない自分の無力感を感じる。
現代社会では女性は本当に強くなったと思われるが、こういった過去に男達がやってきた過ち(業)が彼女たちを造ったんだと・・・そう思う。
ちょっと盾ついて暴言吐いたら殴られ蹴られ、牢屋に6年も。酷い。本当に酷いと思う。じっと耐えて耐えて生きて来て、やっと最後に最愛の妹が、そして自分の子供が生きていて孫まで出来ていて無事に会えるなんて。
ここの心深い望みがやっと叶った瞬間がとっても輝いてて、それ総てが幸せの人生で有ったと そう思える所が素晴らしかったです。
老年期ミスター役:ルイス・ゴセット・ジュニアさん出てたんですね。メッチャ彼は懐かしかったです。
興味ある方は
劇場へどうぞ!
歌と踊りが良い😆❗️
黒人、さらにその中でも女性はこんなに酷い目に遭っていたのか😰と衝撃でした。
あの、ものすごいパワフルな女性ソフィアの心が折れるシーンは胸が締めつけられた。
歌がみんな上手く、特にセリーが一人立ちした時に歌った歌がすごく良かった😌
「私は美しい、私はここにいる!」って歌詞に泣けた😭
女性蔑視の描写が辛い
女性扱いの軽さに終始心が痛んだ。
あんなのが結婚?あんなの夫でも妻でもない。
父親と男との間で物々交換されて、本人の意思なく急に決まる。
帰る道すがら馬にも乗せてもらえないし、荷物さえ持ってもらえない、振り向きすらしない。ただ夫となった人の後ろを黙って歩いてついていかないといけない。悲しい。
少しでも口ごたえしようものなら殴られて、言う通りしなければ怒鳴られ脅され、自分の子でもないのに世話もさせられ。
あんなの結婚じゃない、妻じゃない、家政婦兼小間使い兼性処理道具。悲しい。
そして冒頭に子供を2人産んでた描写があったけど、あれは父親との子供ってことだよね?
終盤で実の父ではないということが判明したけど、実の父だと思って子どもを産まされるってなんて地獄?
そしてセリーがいなくなってすぐに妹のネティに手を出す父親。
女性の人生がハードモードすぎる。
それが当たり前の世の中で、シュグとソフィアはどうやって強くあれたの?
シュグは歌手として成功している立場があるから自立しているけれど、その立場を守るためには性を犠牲にしてきた、またしているんだろうかと考えてしまった。
ソフィアはどうやって強くなったの?性格、育った環境なの?
何よりミスターが最悪すぎる。自分の妻は奴隷のように扱うのに、好きな女には自分で料理を作ってそれを不味いと放り投げられても😭みたいな顔するだけで、なんなの情けない。最後まで許せなかった。終盤はそんなことしても許されると思うな、と出てくるたびに思ってしまう。
なんでセリーは許せたの?友人になれたの?
生き別れの妹と再会させてくれたからって、そもそもの別れた元凶お前だし、なかなか引き合わせてくれなかったのもお前だし、お前が父親に結婚を言い出さなければ全てがこうなってないし、うん、絶対許せない〜!
ミュージカルになってたおかげでオリジナル版よりは辛いシーンがポップになってたというのを見て、オリジナル版は見れないかもしれないと感じた。
途中ドロドロに重たくも最後完全ハッピーエンドって感じで、そんなうま...
途中ドロドロに重たくも最後完全ハッピーエンドって感じで、そんなうまくいくかなって感じはあったし想像どおりの展開であったけど、まぁ映画というよりはほんと舞台(ミュージカル)なわけだし、トータルは楽しめました。
感動したがミュージカルの感動に騙されて、大事な問題が凄く「浅く流されてしまった」ような違和感が残った。
スピルバーグ映画化作品と同原作のミュージカル版。
セリー、ソフィア、シュグ三人と、そしてエンディングの歌が素晴らしい。
エンディング後、拍手が起きました。
黒人差別の中で、黒人の世界でも凄まじかった女性差別を中心に描かれています。
父親に子供を取り上げられ売られ、父親からも行為を強要されたり、金や牛でやりとりされる娘たち。
主人公セリーは、黙って従い、牛と引き換えに嫁がされた夫から家事を強要され暴力も受け、妹も襲われる。(妹が逃げ込んできたら当然その流れになると思うが。)
自由に振る舞う強い女ソフィアの登場に溜飲が下がるが、やがてより悲惨な差別を受ける。
スピルバーグ版は未見、原作未読ですが、ミュージカルであることと、現代の制限から、その辺の表現はこれでもきっと控えめと思え、表現が浅い印象。
なぜ、従わざるを得なかったのかの背景も描いてほしかった。
中盤以降、セリーのもとに裕福になったシュグが帰ってきて外の自由世界に連れ出してくれる。
さらに、店の権利も転がり込んできて、完全に自立。
妹も妹と偶然一緒だった子供たちも帰ってきてハッピーエンド。
よかったよかった、か????
あまりに都合よすぎないか?
観終わった後、感動はしたが、何かミュージカルの感動に騙されて、大事な問題が凄く「浅く流されてしまった」ような違和感が残った。
【”赦しと奇跡の再会。”傑作オリジナル作品に、ブルージーでソウルフルな楽曲と、ダンスを加え一層魅力を増した紫の肌の女性達の生き様を見事に描いた作品。姉妹が数十年振りに再会するシーンは矢張り沁みます。】
ー 数日前にオリジナル作品を鑑賞したばかりだったので、”魅力が減ってしまうかな。”と思いながら劇場へ足を運んだのだが、全くの杞憂であった。ー
■1909年、米国南部。セリー(ファンテイジア・パリーノ)は父親に虐待され、女の子と男の子を授かるが、父親に売り飛ばされてしまう。更にミスターという粗野な男と結婚させられ夫の暴力に耐えながら、離れ離れになった妹ネティ(シアラ)からの手紙を待つが、一通も届かない。
或る時、夫の元恋人で歌手のシュグ(タラジ・P・ジョンソン)が家にやって来て、ミスターに対し、言いたい放題で自由奔放な彼女に惹かれて行く。
◆感想
・上映時間2時間21分の作品であるが、体感1時間半である。それ位、大スクリーンで繰り広げられるど根性な紫の肌の女の人達の生き様と、それを彩るブルージーでソウルフルな楽曲と、ダンスに魅入られたのである。
・セリーはシュグや、自分の主張を曲げない男勝りなソフィアにも惹かれて行く。
ー 故に、ソフィアが高慢ちきな白人市長夫人から侮蔑の言葉を受けた際に抵抗し、長年留置場に入るのだが、セリーは毎週の面会日に彼女に会いに行くのである。
そして、留置場から出て来た屍の様なソフィアがセリーに言った言葉。”アンタが毎週、来てくれたから・・。”-
■今作は、オリジナルと同様に愚かしき男と、それに屈せず生きる女性達の姿を軸に描いているが、ミスターが飢饉などにより打ちのめされ雨の中、農地に突っ伏しながら”改めます。”と神に祈るシーンなどは彼の改心も描いていて、作品の幅を広げていると思うシーンであった。
<ラスト、セリーやシュグやミスターが集う場に現れたネティがその夫と子供をセリーに紹介するシーンは矢張り沁みる。
序でに言えば、ネティが帰国できるように取り計らったのは、愚かしき夫であったミスターである。
今作は、オリジナルを観ていなくてもとても心に響く作品ではないかな、と私は思います。>
心は繋がってる。
父に虐待され、10代で望まない結婚を強いられ、心の支えでもある唯一の妹と離れ離れにさせられた黒人女性セリーの話。
産まれて早々取り上げられ、自分の子とも離れ離れ、後に「悪魔と呼ばれてる」ミスターと望まない結婚、その結婚生活とは奴隷の様な扱いの生活だった…後に黒人女性のソフィア、シュグという2人の女性に出会い、今まで見たことのない世界と強い心の2人を知り、自分の生き方を改める…。
結果から書いてしまうと、とても良かった。
本作観る前はちょっと苦手な作風、上映時間が長いでシンドイなと思ってたんだけどミュージカルで進んでくストーリーと理不尽な男達の振る舞いが「何なのこの男達?!」で、何か飽きず、時間も感じずでさくっと観終わってた。
セリーの弱い心が二人の女性に出会えた事で強くなってく様と、ずっと心にいた妹ネティ、子供達との再会のラストには涙。
でもラストの集まりに、自分を奴隷の様に扱ったミスターを呼んだのには違和感。
期待してたんだけどそんなに…。各キャラクターが感情的過ぎてクドかっ...
期待してたんだけどそんなに…。各キャラクターが感情的過ぎてクドかった。キリスト教で〆るのもそれでいいの?は?
神に愛される紫は、どんな場所でも咲き誇って良いという意味らしいけれども
2024.2.9 字幕 イオンシネマ京都桂川
2023年のアメリカ映画(141分、G)
原作はアリス・ウォーカーの小説『The Color Purple(1982年)』
抑圧に苦しむ女性の生き様を描くヒューマンドラマ
監督はブリッツ・バザウレ
脚本はマーカス・ガードリー
原題は『The Color Purple』で、劇中で登場するセリフの一部
物語の舞台は、1909年のアメリカ・ジョージア州
父アルフォンソ(デーオン・コール)と妹ネティ(ハリー・ベイリー、成人期:シアラ)と一緒に住むセリー(フィリシア・パール・エムパーシ、成人期:ファンテイジア・バリーノ)は、父との子どもを身籠りながらも、日々の仕事は休ませてもらえない過酷な状況を生きてきた
ようやく出産できた子どもも父に奪われ、どこかへと売られてしまう
ある日、ネティの求婚に訪れたミスターことアルバート・ジョンソン(コールマン・ドミンゴ)は、そこでアルフォンソからネリーなら物々交換でやると言われてしまう
これによって、ネティはミスターの妻となるのだが、そこで待っていた生活はメイド以下の過酷なものだった
物語は、父と二人きりになったことで襲われたネティが、セリーの元にくるところから動き出す
元々ネティ狙いだったミスターは、恩を売りながら、彼女を手籠にしようと考えていた
だが、ネティは反発し、それによって彼女は追い出されてしまう
セリーとネティは手紙を出し合う約束を交わすものの、それらはすべてミスターの手によって阻まれてしまうのである
映画は、かなり古い小説を題材にして、その映画化とは違ったアプローチで再映画化をしている作品である
ブロードウェイの舞台の方がスピルバーグ版よりも近く、本質的にはミュージカル映画というカテゴリーになっている
いわゆる「抑圧され続ける黒人女性」を描いていて、この不遇から抜け出そうと必死にもがいている様子が描かれていく
ネティの居場所は不明ながら、彼女はどこかの家庭のメイドとなり、二人の子どもの世話を任されていた
それがセリーの「2人の子ども」なのだが、冒頭で「生まれたのがアダム」で、その次のシーンで彼女らが見つけるのはオリヴィアという繋がらないシーンがいきなり登場して困惑してしまう
いっそのこと「アダムだけ」に改変しておいても問題ない流れだったので、何か重要なものを見落としたのでは?と不安になってしまう
その後、ミスターの元妻でブルースの道に行ったシュグ(タラジ・P・ヘンソン)が登場したり、ミスターの連れ子ハーポ(ジャマール・エイブリー・ジュニア、成人期:コーリー・ホーキンズ)の妻としてソフィア(ダニエル・ブルックス)が登場したりする
いずれもが内向的なセリーを変化させる役割を担っていて、セリーがミスターに啖呵を切るというところまでの案内役と言っても差し支えない配置になっていた
これらのキャラの顛末も同時に描いていくのだが、かなり荒っぽい感じになっていて、中盤ではセリーの存在感はほぼゼロのような状態になってしまう
いわゆる脇役が目立ちまくる時間が長すぎるので、群像劇としての舞台なら必要だが、セリーを主人公とする映画として観れば、とっ散らかったような印象になってしまうのではないかと感じた
いずれにせよ、約35年間を描くには2時間は短すぎるので、もっと選択と集中をしていれば良かったと思う
楽曲も歌唱力は感じるものの、頭に残るメロディというものがないのも残念だった
また、「The Color Purple」の意味が「それだけ?」感が凄まじく、本当はもっと色んな意味や暗喩があるのだと思う
映画からは何も伝わってこないのだが、原作者の思惑としては、「執筆のために田舎町を訪れたら紫色が多いことに気づいた」というもので、これを深読みすると「この時代は田舎の方がまだ近代的ではなく黒人女性が奴隷のように扱われていた」というものになるので、本来ならば良い意味ではないのだろう
だが、「紫色がなければ神様も寂しがるだろう」という劇中のセリフがあるように、そんな不遇の中でも「紫は紫として咲き誇っていい」というニュアンスになっていると思う
それを映画が体現できたかは謎だが、補完が必要になるタイトルというのはあまり褒められたものではない、というのが率直な感想である
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