カラーパープルのレビュー・感想・評価
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罪のないものだけが石を投げよ
冒頭から見ているのが辛い映画でした。子を産んだらすかさず取り上げられるって、本当にそんな時代があったのか。金で取引されて、怒鳴られ殴られ働き通し。力で勝る男の天下で、女性には過酷な時代。恐らく、時代を遡ればもっと過酷だったのでしょう。吉川英治氏の三国志では、劉備に自分の女房の肉を食わせるという「美談」があったのだから(決して吉川氏の創作ではなく、注釈入りで紹介されたエピソードでしたが)。兎に角、古くから続く残酷歴史の一部と思えば、そこまでは驚かなかったのですが。
そして、殴り返して解決? 本当は当然の姿である家族団らんエンドって、ハッピーに見えて「当たり前の姿じゃないか」と思わなくもない。それほど過酷な目にあったということですが、それに対して怒りを覚えなくもない。
では、加害者側である旦那(?)の方はどうか。実はあれらの抑圧的な態度は、親や周囲の環境から受け継いだ当たり前の振る舞いだったのかと思います。そんな時代だからこそ、そうして嫁にも勝ち気で生きてきた。自分が家を仕切っているのだ、云うことを聞かなければ躾けで正す、当然だろう? と、悪びれもなく云ったでしょう。本当に悪いことをしていると思ってないのでしょう。で、女房から殴り返されて思うことは「なんで?」だったのでは。店から追い出されて泥だらけになって反省したように見えましたが、彼もまた、時代に躾けられて弱っただけではないか。本当に自分が悪だと理解できたかどうか、判ったものではない。
何が気になると云って、この映画を見ている自分自身が本当は悪人じゃないかと、そう振り返るべきなのかと悩んでしまったこと。誰かに接する上で、それが何も被害を及ぼしてないかどうか。この映画の彼のように、時代に乗り遅れた悪人ではないだろうか、等々。いろいろ悩まされる映画ではありました。
スピルバーグ監督の前作は見ていないです。ミュージカルにしたということで、躍動感溢れる映画でした。やはり黒人で揃えたミュージカルは凄いですね。他にダイアナ・ロスやマイケル・ジャクソンの出演した、黒人版オズの魔法使い「THE WIZ」がお気に入りです。他、「ブルース・ブラザーズ」のジェームズ・ブラウンが歌い黒人達が踊るシーンなんかも凄い。
ただし黒人音楽、ブラック・ミュージックから発祥したブルースやジャズなんかも奴隷制度や人種差別の苦難の歴史と共に在ったことを考えると、世の中、辛いことが無いといけないのかと、なんとも悩ましく思えてならないです。
もう一度云いますが、スピルバーグ監督の前作は観ていないです。何故なら、良い映画ですが、観れば辛い想いをすることが、観る前から判っていたような気がするから。
ミュージカルになることで、鑑賞しやすいエンターテイメントに♪
少し前までは、ミュージカル映画が苦手でした。何故?そこで?急に?歌い出すのかな?なんて、こっちの心情そっちのけで進んでいくストーリー展開に全くついていけなかったのですが、「ラ・ラ・ランド」「グレイテスト・ショーマン」「ボヘミアン・ラプソディ」など、数々の名作ミュージカルに出会い、今では好んでミュージカル映画を観るようになりました。最近のお気に入りはインド映画の「R R R」です。
ミュージカル映画の何がよいかというと、やはり問答無用で、ソウルフルであるということ。順を追って心情を丁寧に描き出す映画も良いのですが、細かいことは置いといて、とりあえず想いを歌にしたから聞いてくれ!という単刀直入感が潔いと思うのです。任侠ものやホラー映画など、まだまだ好んで鑑賞していない映画もありますが、思い切って一度その世界に飛び込んでみると、もしかしたら新しい世界が広がるかもしれません。
この「カラーパープル」という映画は、巨匠スティーブン・スピルバーグが1985年に手がけた名作映画「カラーパープル」をミュージカル映画としてリメイクした作品です。オリジナルを知らない人にとっては、こっちが正解だったのでは?と思うほど、この映画にミュージカルという手法がマッチしています。ミュージカルにすることで、虐げられた悲惨な人生を送っている主人公たちの重苦しく鬱屈とした日常がそこまで暗くなりすぎません。繰り返し鑑賞したくなる明るさと軽やかさを残しています。勧善懲悪で迎えるラストも、高らかに歌い上げる魂の歌が、爽快感を後押ししてくれます。また、オリジナルとは異なる物語の大ラスは、勧善懲悪を超えて、悪人にも悔い改めるチャンスが与えられいます。この映画は、人は赦されるべき存在であること、不遇な境遇から立ち上がる強さと、人生はいつでも何度でもやり直せることを教えてくれる映画です。
過酷な人生を照らすパワフルな歌声、85年版との雰囲気の違いに驚く
スピルバーグによる1985年版の「カラーパープル」を予習して臨んだが、物語の筋はほぼ同じなのに雰囲気がかなり賑やかなことにちょっと面食らった。
ミュージカルだから、まあ当然ではある。冒頭から、胸を震わす迫力のコーラス。85年版は最初の30分ほどの展開が特につらくて胸が塞がるような気持ちになるが、ほぼ同じ展開でも歌が挿入されたおかげか、全体的に何となくソフトな雰囲気になっていた。
黒人として生を受けた人々の天賦の才とでも言おうか。ダンスで見せる生命力にあふれるリズム、ボーカルの音程の確かさと力強さ、コーラスの心地よい音圧。このクオリティで表現される登場人物の心の声には、観客の感情を動かすパワーがある。
歌の力に圧倒された一方、物語描写と俳優の顔ぶれに関しては、個人的には概ね85年版の方が好みだった。
一番気になったのは、ソフィアの扱いだ。市長を殴って牢屋に入ってから、クライマックスの食卓で自分の言葉を取り戻すまでの時間が、体感的にとても短い。本作は85年版より若干尺が短い上、挿入歌に時間が割かれるためか、彼女のエピソードがぱっと思い出すだけでも2つほど削られていた。85年版では、彼女がひどい仕打ちを受け、心を病んでいた時期を長く感じたからこそ、あの食卓でついに復活した場面にカタルシスを覚えた。本作では、相対的にこの部分が物足りなかった。
シュグのごつさ(申し訳ありません)も気になった。85年版でシュグを演じたマーガレット・エイヴリーが、あまりに都会的で美しかったので……。ウーピー・ゴールドバーグが演じたセリーの人となりや人生とのコントラストを、そのルックスの違いが雄弁に語っていた。
本作は主要キャスト3人(セリー・ソフィア・シュグ)ともがっちり体型なので、85年版の後に見ると各々のキャラ立ちが弱くなっているように見えた。
また、ミュージカルシーン自体は確かにクオリティが高いのだが、85年版にあった物語進行のテンポのよさが、歌唱シーンが挟まれることによって失われたように感じた。
シュグがセリーに歌う「Miss Celie’s Blues(Sister)」は85年版でも歌われているが、使われるタイミングが違うことで微妙に違う意味合いを帯びる。
85年版で歌われるのは、彼女が最初にハーポの店に出演した時だ。普段着のまま店に来て、周囲の女性客に馬鹿にされていたセリーに向かって歌うので、シュグがセリーの内面に惹かれたということが際立つ。誰からも見下されていたセリーを救済する歌でもある。
本作では、ミスターのもとを離れついに自由を得たセリーを祝福するように歌われ、これまで耐え続けたセリーがようやく噛み締めた解放感や芽生えた希望までも、その歌声が描き出す。
同じ歌でも、使いどころでそのようにニュアンスが違って聞こえたのは面白かった。
本作の方がよかったと思えたのは、終盤のミスターの描写だ。
85年版では、原作にはあったという落ちぶれたミスターが改心する過程が描かれず、移民局からセリー当てに届いた手紙を、ミスターが勝手に移民局に持っていく、という台詞なしの短い場面がラスト直前で挿入された。何か悪さをしたのかと思ったら、次の場面では再会した姉妹を遠巻きに見守っていたので、彼の唐突なキャラ変に戸惑ってしまった。
本作では、少々駆け足だが原作にならってミスターの改心がきちんと描写されていたので、若干ご都合感はありながらも引っ掛かりを感じず見ることができ、最後はやさしい気持ちになれた。
同じ物語を描きながらも、歌の力によって重すぎず見やすい雰囲気になった本作。
当時の女性差別や人種差別を描き、同性愛の要素もある物語は、LGBTQが広く知られるようになり、BLMやMeToo運動を経た今、むしろ現代的でさえある。
この物語を生んだアリス・ウォーカーもさることながら、80年代に映画として世に問うたスピルバーグの慧眼に改めて感じ入る。
これは最初からミュージカル向きだった
1909年のアメリカ、ジョージア州で父親からの虐待、女性差別、搾取に耐え抜き、やがてそこから立ち上がっていく黒人女性たちへのアンセムは、改めて観てみると、ミュージカルとの親和性が高かったことに気づく。女性たちが受ける屈辱的な行為や言葉が目や耳を覆うものであり、だからこそ、その反動として描かれる痛烈なリベンジ劇は、ドラスティックな展開が許されるミュージカルというフォーマットにピッタリだからだ。
1985年にスティーヴン・スピルバーグが監督したドラマ版を観た時に感じた、笑っていいのか、泣いていいのか分からない中途半端なムードは、これが当時のスピルバーグにマッチしていたかどうかは別にして、そもそもこの原作はミュージカル向きだったことが原因なのかもしれないと思った。
しかし、今や1985年の映画を知らない人が多いと聞く。ならば尚更、これを人間の生命力と尊厳を歌と踊りに乗せたミュージカル映画としてオススメしたい。中でも、オリジナルのブロードウェー・ミュージカルでもヒロインのセリーを演じたファンテイジア・バリーノが熱唱する"I'm Here"は文字通りショーストッパーもの。気持ちがアガることをお約束したい。
歴史と社会の見事なエンタメ化
スピルバーグ作(1985) はかなり忘れてしまっていましたが前知識は全く不要で、ゴスペルとブルースを基調とした怒りと突破の歌声は本作にピッタリでした。白人から虐げられた黒人社会の中にも女性蔑視が塗りこめられているいう二重構造の呻き声が響き渡ります。エンタメ性を保ちつつ歴史と社会をこれだけの迫力のミュージカルにするなんて日本映画には当分出来そうにありません。そもそも、日本には本気のミュージカル映画なんてないよな。
black, poor, ugly, woman, but i’m here
ミュージカルにするのであれば、この掛け合いをそのまま歌に落とし込めなかったのかな。暴力により強いようとする男を指で制する名場面のはずだが、尺も間合いも足りておらず、シーンをただ消化した印象を覚えた。
ここに関わらず、全体的に詰め込み過ぎなのが気になる。音楽も前奏短く、さっさと歌い出すので、芝居とのつながりやバランスに違和感を覚えたところも多い。
主人公と対照的な人柄のソフィアは85年版でオプラの好演もあって重要な役割を果たしたが、今回は好感が持ちづらく、場面も少なくて、存在が希薄である。他方、存在が大きく描かれたシュグであるが、セリーとの差がなくて、スター感は突出しない。
真っ平ご免! 力強く歌い上げ、色付く人生を
“お子様ランチ”ばかり撮ってきたスピルバーグ初のシリアス作品であり、ウーピー・ゴールドバーグの映画デビュー作。
ピュリッツァー賞に輝く同名小説を基に、一人の黒人女性の壮絶な半生。
スピルバーグ版は昔に見た事あり。アカデミー賞10部門11ノミネートされるも受賞ゼロばかり取り上げられるが、力作である事に違いはない。
そんなシリアス力作を、ミュージカル映画化。
小説→映画化→ブロードウェイでミュージカル化→ミュージカル映画化。昨今珍しくない流れ。
オリジナルの監督スピルバーグとキャストのオプラ・ウィンフリーと音楽のクインシー・ジョーンズがプロデュースで参加。ウーピーも冒頭特別出演。
強力バックアップ、新たなスタッフ/キャストと新たな魅力を持って、歌い上げる。
1900年代初め。ジョージア州の田舎町。
優しい母を亡くしたセリーとネティの姉妹は横暴な父の下で堪え忍びながら支え合って暮らしていた。
父からの性的虐待でセリーは身籠り出産するも、子供は売り飛ばされる。子供の名を記した織物と共に。
ある時“ミスター”と呼ばれる農場経営男が、ネティを嫁に欲しいとやって来る。
頭が良く、美人のネティを嫁にやるのを断る父だったが、代わりにセリーをくれてやる。
横暴な父の下から解放されたセリーだったが、ミスターも同じだった。
望まぬ結婚。そこに愛など全く無い。
前妻との間の子供たちの世話。来る日も来る日も家事に労働にこき使われる。
奴隷と変わりない。初日から暴力も…。
そんなある日、姉が居なくなり手を出してきた父から逃げるように、ネティが転がり込んでくる。
また姉妹一緒に居られる事を喜ぶが、迫ってきたミスターを拒んだ事で、ネティは追い出される。
また独り…。ネティは手紙を出すも、郵便物はミスターが管理。唯一の愛する肉親からも完全に引き離され…。
序盤は見ていてとにかく辛い。
男尊女卑、人種差別、父親からの性的虐待、無理矢理結婚させられ相手も暴力、奴隷同然…。
“物語(フィクション)”として描かれるくらい。当時の黒人女性の境遇。劇中のミスターの蔑みで言うなら、“醜いゴキブリ”。
そんなセリーの人生が、様々な出会いによって色付き、変わり始める…。
ミスターと前妻の息子ハーポの妻、ソフィア。
この時代の黒人女性に於いて、メチャパワフル!
男に屈しない。ミスターにも堂々物言う。ハーポを尻に敷く。
夫に虐げられるセリーにとっては衝撃でもあるだろう。
よくよく考えれば姑と嫁なのだが、孤独なセリーにとって心強い友人に。
演じたダニエル・ブルックスはブロードウェイ版から同役。トニー賞も受賞。
オリジナルのようにオスカー期待されながらも、作品はことごとくノミネート落選。楽曲も。唯一ノミネート(助演女優)されたのがブルックス。それも納得の存在感。
ミスターの前妻、シュグ。
各地を回る人気の歌姫。ハーポが建てた酒場で歌う為に招待され、久し振りに帰ってくる。
彼女もまた。男に屈しない。散々わがままを言い、ミスターをこき使うほど。
自由奔放な性格と生き方。
彼女もソフィアと同じく、この時代の黒人女性に於いて自分を貫く。
フレッシュなキャストの中で比較的実績と実力あるタラジ・P・ヘンソンが好助演。
こんな生き方もあるんだ…。
だけど、私は…。
勇気付けられる。奮い立たせられる。
立ち向かって。闘って。
その思いを燻らせず胸に秘めたまま、それでもミスターに従う。
堪え忍んで、堪え忍んで、堪え忍んで、堪え忍んで、堪え忍んで、歳月が流れ…。
遂に立ち向かい、闘う時が…。
妹から送られていたたくさんの手紙を発見する。
妹は遠く離れた地で、生きていた。しかも、セリーの生き別れの子供たちと一緒に。別れ際送った織物が繋げた。
今も姉を思っている。愛している。
私だってそう。今も妹を思っている。愛している。ずっと変わらず。
そんな妹を、私から引き離した。夫は。
いや、夫などではない。馬のクソ男。
もう真っ平ご免!
遂に反発。オリジナルでも印象的な屈指の名シーンは、勿論本作でも。
私を虐げる限り、あなたに不幸が訪れる。
力強くミスターに言い放ち、セリーはシュグともう誰にも縛られない自由な生き方と自分を。
ダニエル・ブルックスと同じくブロードウェイ版から同役のファンタジア・パリノが体現。
黒人女性たちの力強さ、ユーモア、抗い自分で選んだ自由な生き方、胸に秘めた熱い思い、不屈の精神…。
それらを歌い上げるミュージカル楽曲の数々が素晴らしい。
まだ一緒に暮らしていた時のセリーとネティのデュエット曲、ソフィアのパワフルさを表す曲、セリーとシュグのファンタスティックなデュエット曲、セリーが自由を決めた曲…。
他にも魅力的な楽曲が彩る。
俊英ブリッツ・バザウーレがドラマチックにエモーショナルに新たに歌い上げた。
逆境に挫けず、諦めなければ、いつか必ず報われる。救われる。
そうなったのは運命とかではなく、自分自身。
ある時ソフィアを襲った人種差別の魔手。さすがのソフィアもどん底に叩き落とされる。
そんな彼女を勇気付けたセリーの優しさ。
セリーが去った後、ミスターには不幸続く。農場は害虫被害で焼き払う事になり、飲んだくれ、落ちぶれ…。
ミスターも本当だったらシュグのバンドで華やかな人生を送っていたかもしれない。父親の農場を継ぐ事になり、泥土まみれの人生…。横暴さはその鬱憤かもしれない。
落ちぶれた姿を見て、初めてミスターを憐れに思った。
そんな彼がある行動を…。ラストの感動の“再会”の為に尽力。
ずっと嫌な奴だったのに、最後の最後になって、ミスター、泣かせる事しやがって! 好調コールマン・ドミンゴが魅せる。
罪を悔い改める。
そしてそれを赦す。
セリーが信じる“神の神業”と言ってしまえば宗教色で日本人にはピンと来ないかもしれないが、つぐないややり直しや赦しは万国共通。
あらゆる出来事や思いが集って、繋がって…。
素直に心温かなハッピーエンド。
灰色から紫へ、カラフルに。
私の色。あなたの色。
色付く人生を。
圧倒的なパワーで歌い踊る黒人女性賛歌‼️
ミュージカル演出の勝利ですね。
1909年当時の少女時代から1947年までの40年間に渡り、
夫や男社会に虐げられ自由を奪われていた黒人女性が、
自己を肯定して自己を愛して生きる、までになる日々を
歌と踊りで描いています。
よく踊りと歌の背景になる風景が、
海辺で朽ちた大木が奇妙な形で倒れてたり、曲がりくねって立っていたりする
木が背景。
それは葉を落として枝が風圧で曲りくねっても、
折れずに死なずに存在している《女たち》を象徴するかのようです。
アリス・ウォカーの原作を1985年に映画化した
スティーブン・スピルバーグの映画はとても衝撃的な内容で、
私は一気に奈落へ落とされました。
まだ14歳で養父の子供を2度も出産したセリーは、
生まれたばかりの子供を、たった一日で引き離されて、
子供はどこかへ貰われていきます。
そしてやがてセリーは売り飛ばされるように横暴な男の元へ嫁ぎます。
この辺をマイルドにして、しかも歌い踊るパワフルな映像は、
1985年作品の重苦しくタブーに満ちた内容とはほど遠くて
とても前向きで観やすい内容となっています。
黒人女性たちの憧れとなるカリスマ歌姫のジュグ・ベイリー。
彼女は牧師の娘ながらゴスペルを拒否してブルースを選び
スター歌手になるのです。
そして一方の妹のネティ。
この映画はセリーとネティ姉妹の離れ離れにしてお互いを思い続ける
「母を探して何万里」みたいな内容。
《姉妹愛の物語なのです》
ネティは養父に迫られて逃げ出し、姉の元に身を寄せると今度は
姉の夫に寝床に入ってこられる・・・と女として苦難の連続。
しかしその運命を受け入れずに独立して行く強い女性です。
とても音楽も映像も美術も衣装も素晴らしいです。
ただ、白人がほとんど登場しないのです。
まるで黒人しかいないみたいに、黒人女性の敵は、黒人男性である
・・・みたいな偏向もやや不可解ですね。
元気の良いソフィーナが、メンフィス市長夫人(白人)に、
「メイドにならない?」と声をかけられて、
「真っ平ごめん!!」
と大暴れして獄中の人になる。
この部分が唯一白人との接点というか、差別を描いていました。
黒人による黒人のための自由と女性解放運動の映画!!
そんな感じも受けてしまいました。
ミュージカル!!良き!!!
月に8回ほど映画館で映画を観る中途半端な映画好き。
なので専門的過ぎないライトな紹介を書いてます。
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スピルバーグの有名作をミュージカルで再構築した本作。
スピルバーグの原作は未鑑賞なのでこの映画だけで
評価しますが、いや〜〜〜楽しい!!
黒人と言うだけでも生きにくい時代に
女性の扱われ方が同じ黒人の中でも家畜の様な時代。
実の父親や旦那に性暴力やモラハラを受けながら
何とか逞しく生き続けた黒人女性の物語。
始まりはミュージカル好きには堪らない
大勢のダンサーの息のあった大群舞!
もう、一気にトリコです!!(笑)
正直映画の前半は男社会の女性蔑視による虐待の連続!!
かなりキツイ話なのですが、ミュージカル故に苦しい局面が
それ程苦しくない観やすいルックになっていて
途中から女性の自由な生き方への反撃になって行く!!
イエ〜〜イ!!
気持ちいい、気持ちいい!!
ブロードウエイで同じ役を演じた役者さんがそのまま演じてます。
それだけでもアメリカに行かないと観られないブロードウエイ作品を観た!
って感じです。
ミュージカル苦手って人の気持ち、解らなくはないのです。
「いきなり歌い出すのって何!!」
ミュージカルの中にはミュージカル大好きな私でも
それはどうよ??と言う作品もありますが、それでも
ちょっと待って!!
一本の映画の中で現代アメリカ最高峰のダンスと、歌唱と演技が
いっぺんに観られるなんて超お得なコンテンツだと思いませんか??
ミュージカルには演技を超えた踊る熱量と歌う熱量が上乗せされて
より重層的な五感の快感が乗っかっています。
演技、歌、ダンスの三段重ね御重を味合わないのは勿体無い気がします。
ぜひ一度ご覧くださいませ。
女性の辛さがよく伝えられる
女性の一人としてすごく共感だった。人種や地域にかかわらず今になってもまだ差別があり、自分の権利をもって生活できない女性はまだ世の中にいる。この映画は悲しい事実を伝うだけではなく、ストーリーズを通して希望も与えくれた。ミュージカルでキャラクターの感情がよく感じられた。
自由を手に入れるために戦い続けた女性たちの生き様を描いた映画
エミレーツ航空の飛行機の中で鑑賞。
スティーブン・スピルバーグ監督の作品だと知ったのは、観た後。
作者・アリス・ウォーカーの人生を題材にし、1982年に出版された時にはピューリッツァー賞と全米図書賞を受賞したとのこと。この映画はリメイク版。
人々に生きる力を与える映画。
暴力や差別、自由を奪われた人々が立ち上がり、自分の力で自由を勝ち取っていく物語。
内容は非常に暗くて辛いが、ミュージカルで明るく描かれているおかげで非常に見やすいし受け取りやすい。
屈することなく強く逞しく生きていきたくなる映画だった。
いつかどこかで2回目を
冒頭から主人公が置かれるあまりにひどい状況
(父や夫からの暴力や理不尽な仕打ち)にショックを受け引きまくり、
明るめの美しいシーンに切り替わっても、心の中で上滑り。
映画を彩る数々の曲や俳優たちの歌・演技は素晴らしく、
苦しみばかりの人生だったセリーが裁縫に生きる道を見いだし、自立、成功していく様はある種のカタルシスをもたらしてくれるのだが・・・
キリスト教への信仰が全てのベースにあるのは分かるが、セリーが暴力夫を許して「色々あったけど神よ、ありがとう」的に皆で美しく歌い上げるラストは、困ったときの神頼み的感覚しか持ち合わせていない自分には消化しきれかった。
初見ではこの「自分なら許せない!」的フィルターに邪魔されたので
次回は願わくばフィルターを外して、もっと映画そのものに身をゆだねる形で鑑賞してみたい。
とっても明るい作品になりましたねぇ
僕はオリジナル版が大好きがゆえに本作の
かなりエンタメに寄せたテイストがちょっと
苦手に思ったのかもしれません。
ミュージカル映画になっていることで、常に前向きな
気分になれる雰囲気。・・・あまり落ち込まない。
オリジナル版と違って、エピソードを登場人物それぞれ
細かく丁寧に描いている。
・・・わかりやすい反面、結構先が読める。
だから女性たちの自立の過程のワクワクや、
ラストの感動がちょっと薄くなっちゃったかな?
って感じでした。
けど、オリジナル版を観ているからという点が
大きいかもしれません。
僕としては映像の行間を読むような作品が好きなので
ここまでわかりやすくみせてくれると、ちょっと・・・
って感じになっちゃいますが、ミュージカル版が
ベースですからいたしかたないのかも?
けど、良作です。
ミュージカル好きとしては難しい
東宝シネマズにて観賞。意外と早く上映館が少なくなってしまったなと思ったけど…
以前通ってたスタジオでニューヨーク土産にこの作品のTシャツもらってタイトル通り紫で気に行ってよく着てましたが肝心の話の内容や曲は知らず。
1985年にスピルバーグが映画化してるこの作品。1909年、ジョージア州に暮らす黒人の姉妹。横暴な父に虐待され姉は無理やり嫁がされた先でも夫に虐げられ逃げてきた妹は追い出され離れ離れに、妹からくる手紙も隠され続け酷い扱いをうける毎日。ともう冒頭だけでクズ男しか出てこなくて気分が塞ぎ込むのなんの…歌はすごくパワフルだけどこういうソウルフルなミュージカル作品との相性が良くないのでは?…と思いましたが出演者たちの歌というには憚られるほどの魂の叫びの数々…
キーパーソンは歌手のシュグ。彼女がヒロインのセリーを救うきっかけになるのだけど、やっぱり救いの手を差し伸べられるのって余裕ある人だということをすごく感じました。
時代が時代とはいえ、虐げられた黒人の先祖が切り開いてきた土地を守る男たちは、自分たちが虐げられたストレスを今度は妻や娘など弱いものにぶつける。辛い思いをした人が人に優しくできるなんて大嘘なんですよ、とそれなりに人間関係で苦労してきた私はその点に妙に共感してしまいました、ひねくれててごめんなさい(笑)
話がしんどい部分が多くスピルバーグ版見る気にはなれないけどやはり歌唱シーンが挟まれたことで色々削られてるエピソードがあるらしく納得。セリーの夫が突然改心するのもちょっと違和感で、人はそう簡単にしかもある程度の年齢いったら変わりませんよーとまた捻くれる(笑)
歌手のシェグの父親との和解シーンは美しかったですね。セリーも妹や子供にラストの復活祭で再会することができて救いがあり、まさにいのりの歌声がガンガン響いてきて、これがソウルフルなミュージカルにした意義なのかな…ミュージカルにすべき題材だというレビューもありその辺は好みの違いかな…
ヒロインのセリーが自身の裁縫という特技を活かして人生を切り拓くさまは素晴らしく、そこでパンツを作るというのもベタな展開だけどこの時代はスカートが当たり前だったので楽しいシーンだしやっぱりこういうファッションショー的なシーンをミュージカルに入れるってお約束なんですよね!
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クリスチャンの素晴らしい信仰の姿を描いた作品
●はじめに
『カラーパープル』(原題:The Color Purple)は、2023年制作のアメリカ合衆国のミュージカル映画。
アリス・ウォーカー原作のピューリッツァー賞に輝いた同名小説をブロードウェイでミュージカル化した作品を基にミュージカル映画としてリメイク。
1985年の映画版はスティーヴン・スピルバーグ監督の初めてのシリアスドラマでした。 第58回アカデミー賞で、作品賞、助演女優賞(2人)など、10部門(11人)で候補に挙がったのに、結果的には無冠に終わりましたが、この作品に巡り合い、スピルバーグの人間を見る温かい目に、深く感動したものでした。
このリメークにはスピルバーグも積極的に後押し、前作でソフィアを演じてアカデミー助演女優賞にノミネートされたオプラ・ウィンフリー、前作で音楽を担当したクインシー・ジョーンズの3人が製作に参加しています。
●ストーリー
1909年に始まり1947年までの38年間にわたるアメリカ版“大河ドラマ”横暴な父に虐待され、10代で望まぬ結婚を強いられた女性セリー(ジョンソン:ファンテイジア・バリーノ)。唯一の心の支えである妹のネティ(ハリー・ベイリー)とも離れ離れになり、不遇な日々を過ごしていました
女性の権利を一切認めないセリーの暴君の夫ミスター(コールマン・ドミンゴ)によって様々な虐待を受けながらも、たくましく生きていき、型破りな生き方の女性たちとの出会いや交流を通して自分の価値に目覚めたセリーは、不屈の精神で自らの人生を切り拓いていくのです。
やがて長い間消息の途絶えていた二人が、最後に夢の再会を果たすというもので、大筋においては前作と同じです。
●感想
前作のウーピー・ゴールドバーグに代わって今回セリーを演じるのはファンテイジア・バリーノ。ステージ版でもセリーを演じ、他の持ち歌でグラミー賞も獲得した歌唱力はすばらしいものでした。
一般的に、リメークが前作を超えることは少ないのですが、この作品は、ミュージカルという新しい要素が加わったことと、クリスチャン的には、前作よりも福音のメッセージがより明確に出ていることが特長です。わたしはクリスチャンではないのですが、同じ信仰を持つものとして、困難な人生に屈そうとせず、立ち向かっていくセリーの信仰の強さに、クリスチャンとしての信仰の素晴らしさを感じました。
クリスチャン映画の名作『祈りのちから』に匹敵する信仰がテーマの作品として、お勧めします。
●解説
・差別は黒人差別だけでなくあらゆる人間の中に“差別”は存在することを
アメリカの人種差別というと、まず白人の黒人に対するものと考えますが、この映画には、白人は市長夫人1人しか出てきません。あとは全て黒人で、黒人同士の間で、あからさまな差別と虐待が繰り広げられることに、正直驚かされます。端的に言えば、人種や性差や社会的身分などにかかわらず、あらゆる人間の中に“差別”は存在するということ。それは自分を他者より優れているとする心で、虐げられた黒人の中におこりがちなコンプレクスが、余計にセリーへのDVを激しくしていたのではないでしょうか。
・黒人社会の男尊女卑
本作では、この時代の黒人女性は奴隷のように扱われていたことが克明に描かれます。セリーの父親(実は育ての親)からは、セリーに近親相姦を受けて出産するものの、赤子の隔離と人身売買にされてしまうのです。そして子猫を譲るようにミスターのもとへ結婚を強要されるのでした。
それはほかの黒人女性でも大差なかったのです。
・40年間ソフィーに希望を灯し続けたものとは
約40年にわたる夫からのDV、暴力による差別・抑圧の中で、ソフィを耐え抜かせる力となったのは、一つは美しくも不屈の姉妹愛でした。夫のミスターが妹ネティからの手紙を姉セリーに隠して見せなかったため、40年間も音信不通だったのに、二人の姉妹愛は、決してなくなりならなかったのです。
もう一つは、親友シュグの励ましです。夫のミスターから、長年にわたって「ブスで不器用な料理下手で、何一つ取り柄のない女」と言われて虐待され、本当の自分を見失い、夢も希望もなくしていたセリーに、一人の人格を持った女性として、強くたくましく生きる勇気を与えてくれたのは、「あなたはすばらしい」と励まし続けたシュグの愛があったからでした。
また市長夫人の強制投獄で、すっかり気力を失ってしまったソフィアに再び高らかな笑いと生気を取り戻させたのは、男たちへのセリーの毅然とした態度でした。その源泉となったのはシュグの励ましの言葉があったからこそなのです。
人は、良き友があってこそ、逆境の中でも真の自分の存在価値を見いだし、そのさらなる追求を目指して生きる力を取り戻せるのものだと感じさせてくれました。
さらに、ソフィーは自分が苦しいときこそ、ゴスペルを歌い、主との一体感を深めて、自らを信仰の世界へと奮い立たせたのです。だから40年間一貫して、妹との再会を信じ、前向きに突き進むことができたのです。
・クリスチャンならではの和解と悔い改めの素晴らしいシーンも用意されています。
まずは牧師の父と放蕩娘のシュグが和解するところ。
今回は、教会の中での二人だけで、父のピアノで娘がゴスペルを歌い、娘は父の胸に涙ながらに顔をうずめる、というシーンになって、神父の父親と娘の赦しと和解を象徴する美しさを前作よりも際立たせていました。
・夫ミスターの回心
妻セリーが彼のもとを去ったあと、独りで作物を作っていたミスターの広大な畑に害虫が発生し、駆除のために全作物を燃やした彼は、収穫を全て失ってしまいます。そして絶望して土砂降りの雨の中を歩くうち、落雷の恐怖の中で、これは長年のセリーに対する自分の態度に対する神の怒りの裁きだと気づき、悔い改めるのでした。
彼は、泥の中に体をうずめながら、「改める!」と何度も絶叫するのです。その言葉は、クリスチャン的に言うなら「悔い改める」ということです。
彼は別人のような優しい男になります。そして、セリーの妹ネティの一家がアフリカから戻るための渡航費用を、自分の土地の一部を売って用立ててあげるのです。こうしてセリーは、40年ぶりに妹ネティと、また出産と共に取り上げられた2人の我が子との再会を果たします。
前作では、彼は、再会した姉妹の喜ぶ姿を遠くから眺め、立ち去るのですが、今回の彼は、洋装店を開いたセリーの店を訪れて、売り上げの足しにと派手なパンツを買うだけでなく、セリーたちの晩餐会にも顔を出し、妹一家の招待計画まで知らせます。ここは前作に比べてベタな感じがします。
それでも本作の監督は、多くの女性が重要な役割を果たす中で、1人、このミスターに、前作より大きな役割を担わせたと思うのです。
それは、どんなに極悪非道な人間でも、神の前に悔い改めれば、必ず人生を“やり直す”ことができることを語りたかったからでしよう。そして「真の悔い改めはその実を結ぶ(償いの行動が伴う)」という聖書の真理を、クリスチャンだけでなく全ての観客に、スクリーンでも明らかにしたかったに違いありません。わたし的にいえば、悪人こそ救われるという、「悪人正機説」なのです。
2 時間21分の映画を観終わってみると、人間一人一人の人生とは、まさに人生の問題集を説き明かしていく魂の修行のようなものだと思います。どんな苦難にも自らが解けないようなものは用意されておらず、どこからに答えが用意されているものです。そして、諦めずに苦難困難に立ち向かっていると、自分の守護霊や神さまもちゃんと助言を送ってくださっているものなのです。
映画の中で、前半では「♬神の御業が働く」と歌われ、ラストでは「♬神の御業が見える」と歌われます。苦しいことも、悲しいことも、全ての人間の営みの背後には、神の御業が人生の問題集のとおりになされているのです。そして人がひとたびそのことに気づくと、私たちには神様の御業がはっきりと見えるようになるのです。それは、まさしくこのみ言葉のとおりです。
その時、セリーも、ネティも、シュグも、ソフィアも、そして観ている私たちも、主を仰いできっとこう言うと思うのです。
「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」 (詩篇119:71)
クリスチャンではない人でも、いま逆境の渦中にある人なら、本作をご覧になって、人生の苦難の見方がガラリと変わる作品となることでしょう。
公開日 :2024年2月9日[1]
上映時間:141分
私は好きです
ミュージカル仕立てで華やかにも見えるけれど、ストーリー自体はかなり重め。
黒人女性・・・当時の差別ピラミッドの中でも一番下に位置するわけで、現代を生きる強め女性から見れば胸クソ悪いシーンも多いけれど、でも、それが当時の現実。
ずっと耐える側だった主人公セリーが、多くの友を得、さまざまなものを享受し、男性に「NO」と言い、自分の足で立つようになる。
時代の変化もあったと思う。けれど、それだけではない。
当初から、夫に殴られたら負けじと殴り返す妻もいたし、スターとして働く女もいた。
これは、彼女たちに憧れたり影響を受けたりした、セリー自身の成長物語。
こういう時代を経て、多くの女性が声を上げて作り出してくれた現代。当たり前と思わずもっと大切にせにゃ、と思う。
日本でも、女性の選挙権が認められたのはたしかこの頃だよね。
次の選挙、行こう。
圧巻のミュージカル!
映画館で予告を観てとても面白そうだったので、楽しみにしていました。(昔のカラーパープルは未視聴)
予告でミュージカルシーンが多く出ていたのでミュージカルを期待して観に行きました。
冒頭から圧巻のミュージカルで、とても楽しむことが出来ました!
ストーリーは暗かったのですが、ミュージカルシーンがありとても観やすかったです。
ラストはとても良かったです!
リメイク大成功ミュージカル!サントラ買う!
85年版とは全く違う映画!
陰惨なシーンはマイルドに、かつ分かりにくかったシーンを補完して、パワフルなミュージカル映画に仕上げた超良作!
今回はファンテイジア・バリーノ(セリー)とタラジ・P・ヘンソン(シャグ)の2人が主役!
シャグの登場時とハーポの酒場のミュージカルシーンは圧巻。2人で映画館で唄うシーンもセット凄。そしてクライマックスで、セリーがソロで自分の店で唄うシーンは歌詞と台詞がリンクして本当にグッときた。
そしてダニエル・ブルックスのソフィアも最高!
以下備忘録。85年版との違い
いっぱいあり過ぎるが、ミュージカルシーンが盛り沢山なため、ドラマは工夫してコンパクトにしている。
・基本的にセリーの若い頃は短く、ミスターと決別してからを長くしている
・ネティの回想、ナレーションは分かりやすく、尺は短くなる
・セリーがジュリア?に毎週面会に行っていたことが分かり、実は二人の絆が深まってたことが分かった(婦人と店に行く辛いシーンはカット)
・セリーの親父が実親じゃなかった下り、ミスターが移民局に掛け合ってた下りが分かりやすく。
・ミスター親父の水の件や、剃刀の件は、やっぱスピルバーグの焦らしが上手いなー、と実感。
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