カラーパープルのレビュー・感想・評価
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罪のないものだけが石を投げよ
冒頭から見ているのが辛い映画でした。子を産んだらすかさず取り上げられるって、本当にそんな時代があったのか。金で取引されて、怒鳴られ殴られ働き通し。力で勝る男の天下で、女性には過酷な時代。恐らく、時代を遡ればもっと過酷だったのでしょう。吉川英治氏の三国志では、劉備に自分の女房の肉を食わせるという「美談」があったのだから(決して吉川氏の創作ではなく、注釈入りで紹介されたエピソードでしたが)。兎に角、古くから続く残酷歴史の一部と思えば、そこまでは驚かなかったのですが。
そして、殴り返して解決? 本当は当然の姿である家族団らんエンドって、ハッピーに見えて「当たり前の姿じゃないか」と思わなくもない。それほど過酷な目にあったということですが、それに対して怒りを覚えなくもない。
では、加害者側である旦那(?)の方はどうか。実はあれらの抑圧的な態度は、親や周囲の環境から受け継いだ当たり前の振る舞いだったのかと思います。そんな時代だからこそ、そうして嫁にも勝ち気で生きてきた。自分が家を仕切っているのだ、云うことを聞かなければ躾けで正す、当然だろう? と、悪びれもなく云ったでしょう。本当に悪いことをしていると思ってないのでしょう。で、女房から殴り返されて思うことは「なんで?」だったのでは。店から追い出されて泥だらけになって反省したように見えましたが、彼もまた、時代に躾けられて弱っただけではないか。本当に自分が悪だと理解できたかどうか、判ったものではない。
何が気になると云って、この映画を見ている自分自身が本当は悪人じゃないかと、そう振り返るべきなのかと悩んでしまったこと。誰かに接する上で、それが何も被害を及ぼしてないかどうか。この映画の彼のように、時代に乗り遅れた悪人ではないだろうか、等々。いろいろ悩まされる映画ではありました。
スピルバーグ監督の前作は見ていないです。ミュージカルにしたということで、躍動感溢れる映画でした。やはり黒人で揃えたミュージカルは凄いですね。他にダイアナ・ロスやマイケル・ジャクソンの出演した、黒人版オズの魔法使い「THE WIZ」がお気に入りです。他、「ブルース・ブラザーズ」のジェームズ・ブラウンが歌い黒人達が踊るシーンなんかも凄い。
ただし黒人音楽、ブラック・ミュージックから発祥したブルースやジャズなんかも奴隷制度や人種差別の苦難の歴史と共に在ったことを考えると、世の中、辛いことが無いといけないのかと、なんとも悩ましく思えてならないです。
もう一度云いますが、スピルバーグ監督の前作は観ていないです。何故なら、良い映画ですが、観れば辛い想いをすることが、観る前から判っていたような気がするから。
ミュージカルになることで、鑑賞しやすいエンターテイメントに♪
少し前までは、ミュージカル映画が苦手でした。何故?そこで?急に?歌い出すのかな?なんて、こっちの心情そっちのけで進んでいくストーリー展開に全くついていけなかったのですが、「ラ・ラ・ランド」「グレイテスト・ショーマン」「ボヘミアン・ラプソディ」など、数々の名作ミュージカルに出会い、今では好んでミュージカル映画を観るようになりました。最近のお気に入りはインド映画の「R R R」です。 ミュージカル映画の何がよいかというと、やはり問答無用で、ソウルフルであるということ。順を追って心情を丁寧に描き出す映画も良いのですが、細かいことは置いといて、とりあえず想いを歌にしたから聞いてくれ!という単刀直入感が潔いと思うのです。任侠ものやホラー映画など、まだまだ好んで鑑賞していない映画もありますが、思い切って一度その世界に飛び込んでみると、もしかしたら新しい世界が広がるかもしれません。 この「カラーパープル」という映画は、巨匠スティーブン・スピルバーグが1985年に手がけた名作映画「カラーパープル」をミュージカル映画としてリメイクした作品です。オリジナルを知らない人にとっては、こっちが正解だったのでは?と思うほど、この映画にミュージカルという手法がマッチしています。ミュージカルにすることで、虐げられた悲惨な人生を送っている主人公たちの重苦しく鬱屈とした日常がそこまで暗くなりすぎません。繰り返し鑑賞したくなる明るさと軽やかさを残しています。勧善懲悪で迎えるラストも、高らかに歌い上げる魂の歌が、爽快感を後押ししてくれます。また、オリジナルとは異なる物語の大ラスは、勧善懲悪を超えて、悪人にも悔い改めるチャンスが与えられいます。この映画は、人は赦されるべき存在であること、不遇な境遇から立ち上がる強さと、人生はいつでも何度でもやり直せることを教えてくれる映画です。
過酷な人生を照らすパワフルな歌声、85年版との雰囲気の違いに驚く
スピルバーグによる1985年版の「カラーパープル」を予習して臨んだが、物語の筋はほぼ同じなのに雰囲気がかなり賑やかなことにちょっと面食らった。
ミュージカルだから、まあ当然ではある。冒頭から、胸を震わす迫力のコーラス。85年版は最初の30分ほどの展開が特につらくて胸が塞がるような気持ちになるが、ほぼ同じ展開でも歌が挿入されたおかげか、全体的に何となくソフトな雰囲気になっていた。
黒人として生を受けた人々の天賦の才とでも言おうか。ダンスで見せる生命力にあふれるリズム、ボーカルの音程の確かさと力強さ、コーラスの心地よい音圧。このクオリティで表現される登場人物の心の声には、観客の感情を動かすパワーがある。
歌の力に圧倒された一方、物語描写と俳優の顔ぶれに関しては、個人的には概ね85年版の方が好みだった。
一番気になったのは、ソフィアの扱いだ。市長を殴って牢屋に入ってから、クライマックスの食卓で自分の言葉を取り戻すまでの時間が、体感的にとても短い。本作は85年版より若干尺が短い上、挿入歌に時間が割かれるためか、彼女のエピソードがぱっと思い出すだけでも2つほど削られていた。85年版では、彼女がひどい仕打ちを受け、心を病んでいた時期を長く感じたからこそ、あの食卓でついに復活した場面にカタルシスを覚えた。本作では、相対的にこの部分が物足りなかった。
シュグのごつさ(申し訳ありません)も気になった。85年版でシュグを演じたマーガレット・エイヴリーが、あまりに都会的で美しかったので……。ウーピー・ゴールドバーグが演じたセリーの人となりや人生とのコントラストを、そのルックスの違いが雄弁に語っていた。
本作は主要キャスト3人(セリー・ソフィア・シュグ)ともがっちり体型なので、85年版の後に見ると各々のキャラ立ちが弱くなっているように見えた。
また、ミュージカルシーン自体は確かにクオリティが高いのだが、85年版にあった物語進行のテンポのよさが、歌唱シーンが挟まれることによって失われたように感じた。
シュグがセリーに歌う「Miss Celie’s Blues(Sister)」は85年版でも歌われているが、使われるタイミングが違うことで微妙に違う意味合いを帯びる。
85年版で歌われるのは、彼女が最初にハーポの店に出演した時だ。普段着のまま店に来て、周囲の女性客に馬鹿にされていたセリーに向かって歌うので、シュグがセリーの内面に惹かれたということが際立つ。誰からも見下されていたセリーを救済する歌でもある。
本作では、ミスターのもとを離れついに自由を得たセリーを祝福するように歌われ、これまで耐え続けたセリーがようやく噛み締めた解放感や芽生えた希望までも、その歌声が描き出す。
同じ歌でも、使いどころでそのようにニュアンスが違って聞こえたのは面白かった。
本作の方がよかったと思えたのは、終盤のミスターの描写だ。
85年版では、原作にはあったという落ちぶれたミスターが改心する過程が描かれず、移民局からセリー当てに届いた手紙を、ミスターが勝手に移民局に持っていく、という台詞なしの短い場面がラスト直前で挿入された。何か悪さをしたのかと思ったら、次の場面では再会した姉妹を遠巻きに見守っていたので、彼の唐突なキャラ変に戸惑ってしまった。
本作では、少々駆け足だが原作にならってミスターの改心がきちんと描写されていたので、若干ご都合感はありながらも引っ掛かりを感じず見ることができ、最後はやさしい気持ちになれた。
同じ物語を描きながらも、歌の力によって重すぎず見やすい雰囲気になった本作。
当時の女性差別や人種差別を描き、同性愛の要素もある物語は、LGBTQが広く知られるようになり、BLMやMeToo運動を経た今、むしろ現代的でさえある。
この物語を生んだアリス・ウォーカーもさることながら、80年代に映画として世に問うたスピルバーグの慧眼に改めて感じ入る。
これは最初からミュージカル向きだった
1909年のアメリカ、ジョージア州で父親からの虐待、女性差別、搾取に耐え抜き、やがてそこから立ち上がっていく黒人女性たちへのアンセムは、改めて観てみると、ミュージカルとの親和性が高かったことに気づく。女性たちが受ける屈辱的な行為や言葉が目や耳を覆うものであり、だからこそ、その反動として描かれる痛烈なリベンジ劇は、ドラスティックな展開が許されるミュージカルというフォーマットにピッタリだからだ。 1985年にスティーヴン・スピルバーグが監督したドラマ版を観た時に感じた、笑っていいのか、泣いていいのか分からない中途半端なムードは、これが当時のスピルバーグにマッチしていたかどうかは別にして、そもそもこの原作はミュージカル向きだったことが原因なのかもしれないと思った。 しかし、今や1985年の映画を知らない人が多いと聞く。ならば尚更、これを人間の生命力と尊厳を歌と踊りに乗せたミュージカル映画としてオススメしたい。中でも、オリジナルのブロードウェー・ミュージカルでもヒロインのセリーを演じたファンテイジア・バリーノが熱唱する"I'm Here"は文字通りショーストッパーもの。気持ちがアガることをお約束したい。
やはり女性は虐げられて来た
カラーパープル、紫色だが、褐色に映るが紫?????
日本だと明治末期の🇺🇸、ちょっと前まで南北戦争や
西部劇の時代。
人種差別もだが、本作は女性差別かな。
やはり、現代の🇯🇵でも今尚、時折感じる女性差別❗️
男は国を問わず偉そうにして女性を下に見ないと
安心できないものか⁉️
一つ疑問、セリーは二度出産しているが、子供の父親は誰なのか❓
セリーの父親といってもラストでわかるが、継父に
乱暴な通称ミスターという男と無理に結婚させられる。
結婚というより、性交渉付きの家政婦としか言えない、
いや、奴隷だ。
夫婦としてセリーを愛し尊重するところが微塵も無い。
さらには暴力を振るう。何か彼自身の尺度で気に入らないことでセリーにボカスカ殴る。セリーは傷だらけ。
白人から差別されていたとしても、同人種の女性をこんな目に遭わす奴は許されない。
またコイツ、妹のネティも暴行しかけてネティを
追い出してしまったのだ。
行くあての無いネティは生きていけるのか⁉️
後半、満を持してセリーは立ち上がる。
それまでに出会ったシュグやソフィアにも感化されて。
このシュグやソフィア、魅力的‼️
ハーポは、ソフィアに恐れをなしているけど、
ちょっとソフィアもハーポに合わしてくれたらバッチリ👌
だけど、白人の市長夫人に👀をつけられて、
ど酷い👀に遭ってしまう。
ここで少し人種差別が映されている。
白人同士ならあり得ないこと。
気を許すとえらい目にあうのだ‼️
その収監されていた間、
毎週セリーが来てくれ励ましてくれたと
感謝するソフィア🥲
やはり優しいセリー❣️
シュグに助け出され自由の身に。
幸運はそれだけでなく、
知らなかったが、顔も見ぬ実父がいて
お店を財産として残してくれていたんだ。
得意の裁縫を発揮して仕立て屋?ブティック?開業。
もう、イキイキして本領発揮❣️して
お店大繁盛❣️
垢抜けてセリーも粋なマダム❣️
あのミスターがやって来てパンツ一本買って行った。
このミスター、改心したのかあるビックリを仕掛ける。
セリーは親しい人たちにパーティーの招待状を送る。
よく晴れた穏やかな日、
大きな🌲をぐるっと円で囲むようにテーブルを並べ、
そろそろゲストが集まり出した。
一台の車が止まり、
中からネティが、オリビアが、その子供たちが、アフリカの正式な衣装を纏い降りて来たのだ。
何年ぶりだろう、
抱擁するセリーとネティ、子供、孫たち。
生きていたのだ。
これからセリーとネティはどんな話をして、
どんな生活をして行くのだろう。
この点だけは、ミスター、でかした👏👏👏👏👏
また観て修正するかも、です。
しんどい!
だいぶ見やすくしてくれてるけど、なかなかしんどかった。
ミスターの改心については全DV男性の化身として、そんな彼らにも救いの道を提示した結果なのかな。
許す自由も許さない自由もあると思うので許すべきって話とは別としたいところだけど、キリスト教的な考えで許し許されるが大切なんだろね。許さないで終わると男性達が教義的に救われないから天国へのセーフティネットみたいな。
話の中では黒人男性の辛さも所々で書いてたし個人の人間性を攻撃するよりも社会的な問題の皺寄せが弱者コミュニティに降りかかって更にはセリーの様な人に降りかかってそんな人が沢山いたと思うとホントしんどい。
シュグやソフィアの様に自分らしく生きようとするだけでもの凄くパワーが必要で亜種扱いになる社会もホントしんどい。
左の頬を叩かれたら殴り返せのマインドが必要すぎる。
あとやな感じの白人のマダムもアレだけど、白人の男性はモブ化してないで白人版ミスターとしていや〜な感じをあの場で振る舞ってほしかったと意地悪に思ってしまう。
だってあの時代の価値観の中心にいる白人男性社会が抜け落ちてるじゃん。
きみまろさんの漫談でも言ってたよ部長が課長を怒り課長が部下を怒り部下が家で犬を怒りって。
ミュージカルにして入口のハードル下げてくれて良かったです。
85年版も見ます。
個人的に長く感じた
ミュージカル映画は、結構好きなのですが。 オリジナルを知らないのと。 前半黒人女性が虐げられて、耐えていく姿がちょっとしんどく。 後半でもちょっと挽回できなかった。 こういう作品だったと知れたので、見た甲斐はあった。
辛く悲しいミュージカルでも・・・
スティーブン・スピルバーグの1985年の名作映画「カラーパープル」を ミュージカル映画としてリメイクしたもの。 ミュージカル映画は明るいものという固定概念を吹っ飛ばし 辛く悲しい映画でもミュージカルがしっくりくるんですね。 主人公のセリーは唯一の心の支えである妹と離れさせられ 不幸のどん底まで落とされました。 観ていて辛かったシーンの連続。 そんなセリーを取り巻く女性たちに勇気づけられ 立ち上がるセリーに拍手喝采です。 離れ離れになった妹との再会も本当に良かったと思い 最後に輪となってみんなが歌うシーンは感動しました。
重いテーマをリズミカルにカラフルに
スピルバーグ監督のオリジナル版は、学生時代にレンタルビデオにて鑑賞し、まだ青かった私にはあまり響かなかった記憶があるが、本作はミュージカル風リメイクということと、懐かしさに惹かれて鑑賞。 ストーリーはオリジナル版と同じなので当然重いのだが、音楽に加えて映像も良い。このテーマを結構ポップでカラフルに描いたのはとても斬新。 観終えた後味は、オリジナル版とは良い意味で全く違う。 この印象の違いは、自身の加齢による感受性の変化にともなうものとも思うが、やはり映像と音楽のおよぼす影響のほうが大きいと思う。 それにしてもエンドロールの刺繍、ほんのり泣けるなぁ。
歴史と社会の見事なエンタメ化
スピルバーグ作(1985) はかなり忘れてしまっていましたが前知識は全く不要で、ゴスペルとブルースを基調とした怒りと突破の歌声は本作にピッタリでした。白人から虐げられた黒人社会の中にも女性蔑視が塗りこめられているいう二重構造の呻き声が響き渡ります。エンタメ性を保ちつつ歴史と社会をこれだけの迫力のミュージカルにするなんて日本映画には当分出来そうにありません。そもそも、日本には本気のミュージカル映画なんてないよな。
black, poor, ugly, woman, but i’m here
ミュージカルにするのであれば、この掛け合いをそのまま歌に落とし込めなかったのかな。暴力により強いようとする男を指で制する名場面のはずだが、尺も間合いも足りておらず、シーンをただ消化した印象を覚えた。 ここに関わらず、全体的に詰め込み過ぎなのが気になる。音楽も前奏短く、さっさと歌い出すので、芝居とのつながりやバランスに違和感を覚えたところも多い。 主人公と対照的な人柄のソフィアは85年版でオプラの好演もあって重要な役割を果たしたが、今回は好感が持ちづらく、場面も少なくて、存在が希薄である。他方、存在が大きく描かれたシュグであるが、セリーとの差がなくて、スター感は突出しない。
真っ平ご免! 力強く歌い上げ、色付く人生を
“お子様ランチ”ばかり撮ってきたスピルバーグ初のシリアス作品であり、ウーピー・ゴールドバーグの映画デビュー作。
ピュリッツァー賞に輝く同名小説を基に、一人の黒人女性の壮絶な半生。
スピルバーグ版は昔に見た事あり。アカデミー賞10部門11ノミネートされるも受賞ゼロばかり取り上げられるが、力作である事に違いはない。
そんなシリアス力作を、ミュージカル映画化。
小説→映画化→ブロードウェイでミュージカル化→ミュージカル映画化。昨今珍しくない流れ。
オリジナルの監督スピルバーグとキャストのオプラ・ウィンフリーと音楽のクインシー・ジョーンズがプロデュースで参加。ウーピーも冒頭特別出演。
強力バックアップ、新たなスタッフ/キャストと新たな魅力を持って、歌い上げる。
1900年代初め。ジョージア州の田舎町。
優しい母を亡くしたセリーとネティの姉妹は横暴な父の下で堪え忍びながら支え合って暮らしていた。
父からの性的虐待でセリーは身籠り出産するも、子供は売り飛ばされる。子供の名を記した織物と共に。
ある時“ミスター”と呼ばれる農場経営男が、ネティを嫁に欲しいとやって来る。
頭が良く、美人のネティを嫁にやるのを断る父だったが、代わりにセリーをくれてやる。
横暴な父の下から解放されたセリーだったが、ミスターも同じだった。
望まぬ結婚。そこに愛など全く無い。
前妻との間の子供たちの世話。来る日も来る日も家事に労働にこき使われる。
奴隷と変わりない。初日から暴力も…。
そんなある日、姉が居なくなり手を出してきた父から逃げるように、ネティが転がり込んでくる。
また姉妹一緒に居られる事を喜ぶが、迫ってきたミスターを拒んだ事で、ネティは追い出される。
また独り…。ネティは手紙を出すも、郵便物はミスターが管理。唯一の愛する肉親からも完全に引き離され…。
序盤は見ていてとにかく辛い。
男尊女卑、人種差別、父親からの性的虐待、無理矢理結婚させられ相手も暴力、奴隷同然…。
“物語(フィクション)”として描かれるくらい。当時の黒人女性の境遇。劇中のミスターの蔑みで言うなら、“醜いゴキブリ”。
そんなセリーの人生が、様々な出会いによって色付き、変わり始める…。
ミスターと前妻の息子ハーポの妻、ソフィア。
この時代の黒人女性に於いて、メチャパワフル!
男に屈しない。ミスターにも堂々物言う。ハーポを尻に敷く。
夫に虐げられるセリーにとっては衝撃でもあるだろう。
よくよく考えれば姑と嫁なのだが、孤独なセリーにとって心強い友人に。
演じたダニエル・ブルックスはブロードウェイ版から同役。トニー賞も受賞。
オリジナルのようにオスカー期待されながらも、作品はことごとくノミネート落選。楽曲も。唯一ノミネート(助演女優)されたのがブルックス。それも納得の存在感。
ミスターの前妻、シュグ。
各地を回る人気の歌姫。ハーポが建てた酒場で歌う為に招待され、久し振りに帰ってくる。
彼女もまた。男に屈しない。散々わがままを言い、ミスターをこき使うほど。
自由奔放な性格と生き方。
彼女もソフィアと同じく、この時代の黒人女性に於いて自分を貫く。
フレッシュなキャストの中で比較的実績と実力あるタラジ・P・ヘンソンが好助演。
こんな生き方もあるんだ…。
だけど、私は…。
勇気付けられる。奮い立たせられる。
立ち向かって。闘って。
その思いを燻らせず胸に秘めたまま、それでもミスターに従う。
堪え忍んで、堪え忍んで、堪え忍んで、堪え忍んで、堪え忍んで、歳月が流れ…。
遂に立ち向かい、闘う時が…。
妹から送られていたたくさんの手紙を発見する。
妹は遠く離れた地で、生きていた。しかも、セリーの生き別れの子供たちと一緒に。別れ際送った織物が繋げた。
今も姉を思っている。愛している。
私だってそう。今も妹を思っている。愛している。ずっと変わらず。
そんな妹を、私から引き離した。夫は。
いや、夫などではない。馬のクソ男。
もう真っ平ご免!
遂に反発。オリジナルでも印象的な屈指の名シーンは、勿論本作でも。
私を虐げる限り、あなたに不幸が訪れる。
力強くミスターに言い放ち、セリーはシュグともう誰にも縛られない自由な生き方と自分を。
ダニエル・ブルックスと同じくブロードウェイ版から同役のファンタジア・パリノが体現。
黒人女性たちの力強さ、ユーモア、抗い自分で選んだ自由な生き方、胸に秘めた熱い思い、不屈の精神…。
それらを歌い上げるミュージカル楽曲の数々が素晴らしい。
まだ一緒に暮らしていた時のセリーとネティのデュエット曲、ソフィアのパワフルさを表す曲、セリーとシュグのファンタスティックなデュエット曲、セリーが自由を決めた曲…。
他にも魅力的な楽曲が彩る。
俊英ブリッツ・バザウーレがドラマチックにエモーショナルに新たに歌い上げた。
逆境に挫けず、諦めなければ、いつか必ず報われる。救われる。
そうなったのは運命とかではなく、自分自身。
ある時ソフィアを襲った人種差別の魔手。さすがのソフィアもどん底に叩き落とされる。
そんな彼女を勇気付けたセリーの優しさ。
セリーが去った後、ミスターには不幸続く。農場は害虫被害で焼き払う事になり、飲んだくれ、落ちぶれ…。
ミスターも本当だったらシュグのバンドで華やかな人生を送っていたかもしれない。父親の農場を継ぐ事になり、泥土まみれの人生…。横暴さはその鬱憤かもしれない。
落ちぶれた姿を見て、初めてミスターを憐れに思った。
そんな彼がある行動を…。ラストの感動の“再会”の為に尽力。
ずっと嫌な奴だったのに、最後の最後になって、ミスター、泣かせる事しやがって! 好調コールマン・ドミンゴが魅せる。
罪を悔い改める。
そしてそれを赦す。
セリーが信じる“神の神業”と言ってしまえば宗教色で日本人にはピンと来ないかもしれないが、つぐないややり直しや赦しは万国共通。
あらゆる出来事や思いが集って、繋がって…。
素直に心温かなハッピーエンド。
灰色から紫へ、カラフルに。
私の色。あなたの色。
色付く人生を。
圧倒的なパワーで歌い踊る黒人女性賛歌‼️
ミュージカル演出の勝利ですね。 1909年当時の少女時代から1947年までの40年間に渡り、 夫や男社会に虐げられ自由を奪われていた黒人女性が、 自己を肯定して自己を愛して生きる、までになる日々を 歌と踊りで描いています。 よく踊りと歌の背景になる風景が、 海辺で朽ちた大木が奇妙な形で倒れてたり、曲がりくねって立っていたりする 木が背景。 それは葉を落として枝が風圧で曲りくねっても、 折れずに死なずに存在している《女たち》を象徴するかのようです。 アリス・ウォカーの原作を1985年に映画化した スティーブン・スピルバーグの映画はとても衝撃的な内容で、 私は一気に奈落へ落とされました。 まだ14歳で養父の子供を2度も出産したセリーは、 生まれたばかりの子供を、たった一日で引き離されて、 子供はどこかへ貰われていきます。 そしてやがてセリーは売り飛ばされるように横暴な男の元へ嫁ぎます。 この辺をマイルドにして、しかも歌い踊るパワフルな映像は、 1985年作品の重苦しくタブーに満ちた内容とはほど遠くて とても前向きで観やすい内容となっています。 黒人女性たちの憧れとなるカリスマ歌姫のジュグ・ベイリー。 彼女は牧師の娘ながらゴスペルを拒否してブルースを選び スター歌手になるのです。 そして一方の妹のネティ。 この映画はセリーとネティ姉妹の離れ離れにしてお互いを思い続ける 「母を探して何万里」みたいな内容。 《姉妹愛の物語なのです》 ネティは養父に迫られて逃げ出し、姉の元に身を寄せると今度は 姉の夫に寝床に入ってこられる・・・と女として苦難の連続。 しかしその運命を受け入れずに独立して行く強い女性です。 とても音楽も映像も美術も衣装も素晴らしいです。 ただ、白人がほとんど登場しないのです。 まるで黒人しかいないみたいに、黒人女性の敵は、黒人男性である ・・・みたいな偏向もやや不可解ですね。 元気の良いソフィーナが、メンフィス市長夫人(白人)に、 「メイドにならない?」と声をかけられて、 「真っ平ごめん!!」 と大暴れして獄中の人になる。 この部分が唯一白人との接点というか、差別を描いていました。 黒人による黒人のための自由と女性解放運動の映画!! そんな感じも受けてしまいました。
ミュージカル!!良き!!!
月に8回ほど映画館で映画を観る中途半端な映画好き。 なので専門的過ぎないライトな紹介を書いてます。 ==================== スピルバーグの有名作をミュージカルで再構築した本作。 スピルバーグの原作は未鑑賞なのでこの映画だけで 評価しますが、いや〜〜〜楽しい!! 黒人と言うだけでも生きにくい時代に 女性の扱われ方が同じ黒人の中でも家畜の様な時代。 実の父親や旦那に性暴力やモラハラを受けながら 何とか逞しく生き続けた黒人女性の物語。 始まりはミュージカル好きには堪らない 大勢のダンサーの息のあった大群舞! もう、一気にトリコです!!(笑) 正直映画の前半は男社会の女性蔑視による虐待の連続!! かなりキツイ話なのですが、ミュージカル故に苦しい局面が それ程苦しくない観やすいルックになっていて 途中から女性の自由な生き方への反撃になって行く!! イエ〜〜イ!! 気持ちいい、気持ちいい!! ブロードウエイで同じ役を演じた役者さんがそのまま演じてます。 それだけでもアメリカに行かないと観られないブロードウエイ作品を観た! って感じです。 ミュージカル苦手って人の気持ち、解らなくはないのです。 「いきなり歌い出すのって何!!」 ミュージカルの中にはミュージカル大好きな私でも それはどうよ??と言う作品もありますが、それでも ちょっと待って!! 一本の映画の中で現代アメリカ最高峰のダンスと、歌唱と演技が いっぺんに観られるなんて超お得なコンテンツだと思いませんか?? ミュージカルには演技を超えた踊る熱量と歌う熱量が上乗せされて より重層的な五感の快感が乗っかっています。 演技、歌、ダンスの三段重ね御重を味合わないのは勿体無い気がします。 ぜひ一度ご覧くださいませ。
女性の辛さがよく伝えられる
女性の一人としてすごく共感だった。人種や地域にかかわらず今になってもまだ差別があり、自分の権利をもって生活できない女性はまだ世の中にいる。この映画は悲しい事実を伝うだけではなく、ストーリーズを通して希望も与えくれた。ミュージカルでキャラクターの感情がよく感じられた。
自由を手に入れるために戦い続けた女性たちの生き様を描いた映画
エミレーツ航空の飛行機の中で鑑賞。 スティーブン・スピルバーグ監督の作品だと知ったのは、観た後。 作者・アリス・ウォーカーの人生を題材にし、1982年に出版された時にはピューリッツァー賞と全米図書賞を受賞したとのこと。この映画はリメイク版。 人々に生きる力を与える映画。 暴力や差別、自由を奪われた人々が立ち上がり、自分の力で自由を勝ち取っていく物語。 内容は非常に暗くて辛いが、ミュージカルで明るく描かれているおかげで非常に見やすいし受け取りやすい。 屈することなく強く逞しく生きていきたくなる映画だった。
いつかどこかで2回目を
冒頭から主人公が置かれるあまりにひどい状況
(父や夫からの暴力や理不尽な仕打ち)にショックを受け引きまくり、
明るめの美しいシーンに切り替わっても、心の中で上滑り。
映画を彩る数々の曲や俳優たちの歌・演技は素晴らしく、
苦しみばかりの人生だったセリーが裁縫に生きる道を見いだし、自立、成功していく様はある種のカタルシスをもたらしてくれるのだが・・・
キリスト教への信仰が全てのベースにあるのは分かるが、セリーが暴力夫を許して「色々あったけど神よ、ありがとう」的に皆で美しく歌い上げるラストは、困ったときの神頼み的感覚しか持ち合わせていない自分には消化しきれかった。
初見ではこの「自分なら許せない!」的フィルターに邪魔されたので
次回は願わくばフィルターを外して、もっと映画そのものに身をゆだねる形で鑑賞してみたい。
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