PLAN 75のレビュー・感想・評価
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本質は年金問題。自由選択のように見せて実は強制
70超えた婆さんに、夜中の交通整理のアルバイトさせる社会。
75は政府が年金支給開始年齢の引き上げを目指している年齢。
現在は年金支給開始は65歳だが、劇中で政府が、PLAN75を65歳に引き下げようとしているニュースが流れている。
つまり、政府は、年金払いたくないんだよ。
プーチンは”高齢者に年金を払うことは国家の存在理由の一つ”
とまで言ってるのに、
警鐘
PLAN75の契約者はそれぞれの人生の過去と未来を背景に、その日に向かう決意をする。
そこから淡々とすすんでいく時間のなかで当事者を取り囲むひとの感情の動きが逆方向に流れていくシーンがいくつかある。
彼らは、個人が選んだ権利に葛藤し悩み、行動を起こす。
主人公もまた…
そこに人間のもつ心をみる。
見逃してはいけないその衝動。
これこそ作者の声だろう。
PLAN75のような制度が近未来に現れないかどうかは
under75の今を生きる私たちがどのように社会をとらえ
仕組みに対して傍観者でいることをやめるかにひとつの鍵があると…
亡くなろうとするその日まで布巾のシワを伸ばして干す主人公の人生を映す手が、意志を持ってあのマスクを外したことが私は嬉しかった。
そして望むなら、おだやかで安らかな暮らしを誰もが保障される世界がいい。
では、ふたたび明日に向かい歩きだした彼女をたしかに支える道標を渡すためには。
亡くなった叔父を最期に身内として葬るためにスピード違反をしたことから追い込まれてしまう彼の立場を理解するには。
娘を助けるために出稼したその国で、業務化した仕組みの歯車となり苛まれる彼女を救い出すのは。
PLAN75は山積みの他人事意識の過去がつくる産物。
そんな未来への警鐘。
今、考えなければ…なのだ。
国家のために死んでくれ。と言われても負けちゃダメ。的な。
諸々の困難から逃げ出す様にプラン75に応募したが、隣で死に行く男をみて、生き直す事を決意する。何か、少し前にありましたけどね。ランプリング主演で。倍賞千恵子さんに似てなくもないw
イヤイヤイヤ。長編化した甲斐がない事ないですか?と、愚痴が先に出てしまう訳で。
10Yearsの短編は鑑賞済み。短編&長編セットは最近では「スキン」ってのがありましたが、コレは明らかに物足りないです。先ずは近代国家が姥捨に走るに至る背景くらいは。と思ってたら、幼稚なニュース原稿でサラリとスルー。この冒頭部の稚拙で性急な運びに、不安感が膨らみます。
ショッキングなネタからの人間ドラマ部分も社会批判部分も、ボヤッとしてるし、言葉の部分からも、原語下の部分にも、深読みネタに乏しく、行間もクソもねーよ!で河合優美の無言表情演技場面。コレが期待に届かないのが残念でした。ビート板の方がシンプルに良かったです。
てなてな感じで。
広瀬奈々子監督の「夜明け」と同じ後味を感じつつ、たいさーん!
もっと深堀してほしかった・・・
安楽死を選択した人との話し相手となったコールセンターの風景とか、なるほどなーって思いましたが、安楽死を国が行ったらどういうことが起こるのか、もっと深堀りした方が映画としては面白かったが、そうなると安楽死について考える映画じゃなくて、単なるSFになっちゃうか・・・
例えば、どういう風に最後の安楽死をさせるのか、安楽死した後はどういう風に火葬するのか。最後の最後に抵抗する人だっているだろうし、安楽死法案に賛成の人や反対の人のデモ行進もあるだろうし(反対派がトマトを公務員に投げつけているシーンはあったけど)
その辺は省略して、主人公の動きに絞っていた。あと最後の死を迎える施設があまりにもセキュリティが緩々すぎて、さすがに突っ込まざるを得なかった。
例えば違うが、おそらく日本の死刑制度と同じくらいのグレーな感じの施設になると思う。そういう雰囲気が全くなかったため、映画とはいえ現実味がないと思った。
世界一高齢化した日本の現状をリアルに描くSFミステリー
リアルな今の日本でも40~50年前に造成された郊外のニュータウンの高齢化率は高く、映画の主人公ミチも郊外の坂道のある古い団地に住んでいる。狭い室内のキッチンの設え、スマホではない固定電話など、慎ましい独居高齢者の生活が淡々と詳細に描かれる。これは、今の日本の高齢者の生活をリアルに描いた作品なのだ、と分かる。
映画の冒頭、殺戮シーンではっとさせられる。肝を据えてこの映画を見るようにと、促された感じだ。
それにしても、倍賞千恵子の横顔が印象的。高齢になっても凛々しく美しい人。彼女の登場で救われる。
主役は倍賞千恵子が最適役
本作は、近未来の日本での75歳以上の生死選択制度・PLAN75に翻弄される人々の姿を描いた衝撃作である。予告編から、無機質で乾いた作品だと想像していたが、全く違っていた。邦画らしい哀愁漂う情感溢れる秀作である。
本作の舞台は近未来の日本。少子高齢化が進み、75歳以上の人間が自らの意志で生死の選択ができる法案・PLAN75が国会で可決される。本作の主人公は、ホテルの客室清掃員として働く78歳の一人暮らしの孤独な老女・角谷ミチ(倍賞千恵子)。彼女は、同僚高齢者の仕事中の死を理由に突然解雇される。再就職探しに奔走するが職はなく、万策尽きた彼女は、ついにPLAN75への加入を決断する・・・。
主役に倍賞千恵子を起用したことで本作のクオリティーとリアリティーが高まっている。彼女以外に本作の主役適任者は考えられない。倍賞千恵子の過去作でのイメージと本作での自然体の演技が本作を強く牽引している。
倍賞千恵子は、山田洋次監督作品、「男はつらいよ」「家族」などで、日本の産業構造の底辺で淡々、黙々、直向きに生きていく昭和女性を演じてきた。本作の主人公と重なるものがある。本作と彼女の一連の過去作が一本の線で繋がり、典型的な昭和女性の半生を想起させる。故に、台詞は少なくても彼女の言動には強く感情移入できる。何故、ミチは働くことに拘るのか。それは、働くことが彼女の生きる証だからだと推察できる。
PLAN75のプロセスが進んで、死が近づいても、主人公は淡々としているかに見えたが、最終プロセスで、彼女は生きることの大切さに気付き、PLAN75から離脱する。ラストシーンで、彼女が夕陽を見ながら呟くように確かめるように歌う“リンゴの木の下で”の未来を示唆した歌詞に、彼女の再生への決意が込められている。
どんなに、辛く、厳しく、悲しく、絶望的なことが起きても、生きている限り明日は来る、次はある。未来はある。希望はある。ラストシーンに込められた、題名とは正反対の本作の真のメッセージである。
まるでシン日本!これは現実か虚構か
水曜日はメンズデーで安いはずが平日の曜日割引は木曜日に集約されたようだ。これも値上げ策の一環??
土曜日に別の映画館で鑑賞予定が席が最前列と2列目しか空いておらず延期に
本日も平日夜の地味な邦画にしてはかなりの入りで、実は密かなヒット作なのかもしれない
本日の年齢層は自分よりも年配だがまだ現役の男性が多いのも意外だった
いきなりショッキングな事件から始まり、その後近未来ディストピアな日本で暮らす高齢の女性、PLAN75の窓口となる行政の若手職員、そして介護の仕事でタイから日本にやってきている女性のオムニバスで話が進む
SFでありフィクションであるはずなのだが、ドキュメンタリーを見ているような印象で、何度もいたたまれない気持ちになる
おそらく自分が主人公の女性と同じ年齢になった時に展開されるであろう生きづらい日本が描かれていた
PLAN 75についてはタブーを敢えて提示しているが、独居世帯が最も多くなっている日本において、なるべく迷惑をかけずに死ぬにはどうしたら良いかと考えるととても魅力的な選択肢だと感じる
一方でこんな社会はあってはいけない、とも考える訳だが、現実社会を思い起こせば、希望の道は見えてこない
目を背けてきた色んな問題を議論するためには多くの方に観て欲しい作品である
まだまだ頑張れる。
思いとどまって正解ですよ、倍賞千恵子さん今の時代78歳なんかまだまだ。身体は元気そうなので希望を失わず頑張れ。
高齢者を減らしたい政府やプラン75の上層部の動きも描いて欲しかった。
リアルすぎるリアルさが効果的
高齢者の再犯率が高いという記事を読んだことがあるが、社会よりも刑務所の方が住むところも食事も確保できる。それで犯罪を重ねてまた塀の中に。
そんな記事をこの映画を見て思い出した。また、劇中で流れるコマーシャル。そんなに簡単に割り切れないよ、という答えを最後で倍賞千恵子が語りかけてくれたようで救われた。
でも、老人にとって社会は生きづらい。仕事もない。住むところもない。なんだか、やるせなさを感じた。
串田和美が出ていたが、リンゴの木の下でも流れて、往年の自由劇場を思い出した。
高齢者題材の映画製作に感謝します。
往年のサクラ(フーテンの寅さんの妹)を主人公役に抜擢して、社会的弱者、
この映画では高齢者ですが、の現実を映像制作してくれてお礼申し上げます。
この映画のPLAN75の公的安楽死キャンペーンは恐ろしいです。
主人公が絶望の末に、このキャンペーンに参加して、離脱したのは救いですね。
人生に絶望して、隣のベッドの男の臨終が瞼に焼き付いているはずなのに
夕焼けをみたら、いつの間にか好きなメロディーを口ずさんでいた!
生きていて良かった。もう一度生きてみようと思い直したのですね。
この映画のクライマックスでした。
命が続いていれば、五感に響く事象がきっとあって、希望も生じることもあるとの
制作者の訴えでした。
ありがとうございました。
非リアルの中から滲み出るリアル
映画はそもそも、非リアルの世界をリアルに映し出す作品が主流にあるが、この作品は、非リアルの中からリアルが滲み出てくるような作品だ。
社会というシステムを維持するがために、個の人間を切り捨てられる制度。それに対する葛藤や反感が、淡々と、なおかつリアルに描き出されていく。説明チックでないだけに、様々なシーンの持つ意味が、よりリアルに響いてくる。
ラストシーンは、来るべき明日に向けて、生きる意思を固めているようにも見えるし、人生の終焉を象徴しているようにもとれる。
「死」という絶対的なテーマに真正面から取り組んだ力作だ。
倍賞千恵子さんをはじめ、役者陣の表情がとても良い。河合優実さんには、これから特に注目していきたい。
最後尻すぼみでちょっと残念
本人が自ら登録する、現代版の国営姥捨て山とでも言いましょうか。。
まぁ、75歳以上は自分で死を選べるという制度なので内容は予想出来るんですが、これを映画としてどう表現するのかな?と見てみました。
①78歳の老婆、②このPLAN75の行政職員、③海外から来たこの施設で働く介護士のそれぞれの視点で見せることは良かったです。
①自分が独り暮らしで仕事も解雇され次は車道の立ちっぱなしの交通整理員くらいしか見つからなかったら賃貸団地の家賃も払えないし生活保護は嫌だ、となればここしか行くところ無いかもしれない。
②行政職員として淡々とまるで銀行の定期預金か生命保険でも勧誘する感じで対応してるだけなら対してなんとも思わないかもしれないけど、いざ身内の伯父さんが申し込みに来たら「いくら国営でも合法的な集団安楽死で遺骨が混ざって分からなくなる合同埋葬される場所だよ!」と思い、
自分の伯父さんだけはつい勝手に連れ出して個別に火葬に出そうとするも最短4日後しか火葬炉の空きが無く、本日16時ならと言われて車を飛ばしたらスピード違反でパトカーに止められるという。。
職員としては気にしない仕事内容でも、身内のことになると途端にそんな施設に高齢の身内を行かせたくなくなる。。だから3等身以内は担当出来ない仕組みだったけど、疎遠だったせいで最初だけ顔を合わせてしまったから難しい。
③外国人の介護士の若いお母さん、現実にも日本人には人気もなく体力のいるこの仕事のなり手として多くいるのかな、と思いました。毎日亡くなる高齢者のフォローをしてるけど、本人は病気で手術代の要る幼い娘を生かすために少しでもお金を稼ぎたい。
それぞれの視点から見せることは良い手法だったんですが、最後がなんだか尻すぼみで残念でした。
①老婆の主人公は隣りのベッドで亡くなってゆく同じ立場の老人を見て、麻酔のマスクを自ら外して施設を飛び出してしまうけど、もう住んでた団地は担当職員によって大家さんに引き渡しされることは契約にあったから帰る家なんてない。外で野垂れ死にするほうがいい!って思ったのかな。。。
外を歩いて歌って。。。そしたらここでもう描写は終了。外で亡くなってしまうと遺体は泥とか草とかで汚れてしまうかもしれないのに。。気持ちを落ち着けて戻ったりはしなかったのか、本当にそのまま外に居続けたのか?結局彼女がどうなったのか分からずモヤモヤ。
②パトカーにスピード違反で止められた行政職員の彼も、助手席に亡くなった伯父を乗せたまま、映画の描写はこれで終わり。キップ切られただけで無事に伯父を火葬場へ連れていけたのか、勝手に連れ出した罪とかにも問われてしまうのか?このPLAN75を利用した場合のこの世界観での法的措置がどうなったのか何の説明も無くモヤモヤしました。
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自分は老後をどう生きるのか、どうするのか?というせっかく誰にもあてはまる普遍的なテーマを扱ったのに、脚本の締めが甘くて残念でした。でも俳優さん達は皆良い演技だったと思います。
最後に。鑑賞料金が安くなる曜日だったからでしょうが、それにしても中高年以降の方達でスクリーン中規模くらいですがほぼ満席でした!
関心のある世代は多いんだな、という実感は湧きました。
安楽死、孤独死問題に取り組む意欲作
『PLAN75』は施設が希望者の安楽死を遂行し、故人の家をクリーニングする制度がメインのようだ。ただ今作は冒頭で若年層が高齢者を襲う事件をPLAN75の導入の背景の一つに挙げている。個人的には、これはリアルの類似事件を想起させるもので、その犯罪を少しでも肯定させることに繋がりかねず、表現が荒唐無稽だと感じるし肯定できるものではないと思う。しかし、その部分を除けば安楽死や付随するサービスに対し、全く否定しないし、孤独死対策にもなるので合理的にも思える。その問題に真正面から取り組んだ意欲作となっている。
ただ想定では日本の近未来とのことだが、いかに日本が世界トップ級の高齢化社会とはいえ、海外の一部では安楽死が認められているところもあるのに、わが国では未だその動きはなく、倫理観に対しても保守的な日本で、近い将来、このようなプランが導入されることは、私は100パーセント無いと思う。この映画のストーリーでも、磯村勇斗さんのPLAN75の福祉員は、自身の叔父が亡くなったのを確認し、衝動的に自身の車で連れ出すし、PLAN75を覚悟をもって選択したはずの倍賞千恵子さん扮する主人公は、最終的に施設を抜け出しプランの計画から離脱。人間の生死は合理化で割り切れるものではないことを示していると感じた。
現実はこの映画よりもつらいのでは
現実はこの映画よりもつらいのではと思いました。それは現実の日本にはプラン75がないからです。
主人公(ミチ)やヒロムのおじさん(幸夫)のような状況の方は、現代の日本に普通にいらっしゃると思います。プラン75がないなら、そのまま何かで死ねるまで生き続けるしかありません。映画では二人ともプラン75を選びました。その選択は妥当だと思いました。
プラン75が日本の未来にありそうとは全然思いませんでした。75歳から医療費10割負担とか選挙権無しの方がありそうかなと思いました。
■プラン75ができた経緯に違和感
高齢者施設の襲撃事件が多発したのでプラン75ができたという流れにまず違和感を感じました。高齢者の危険な自殺が相次いだからプラン75ができた、という方が納得できます。
鑑賞後、監督のインタビューを読んで、理由が分かりました。監督は相模原障害者施設殺傷事件に衝撃を受け、「社会の不寛容さに対する憤りが基になっている」「高齢化社会に対する問題提起ではない」とありました。主人公が高齢者なので、観客としてはどうしても高齢化に関する映画なのかと思ってしまいます。
■自分の人生どうするか
主人公は知的で、優しくて、勤勉で、質素で、身の回りをきちんとして、大きな持病もなく…理想のようなお年寄りだと感じました。でもとにかく資産がなく、稼げる特技もありません。その二つがあったらそもそもプラン75に応募しないのでストーリー上しょうがないのですが、ここまでちゃんとした人なら特技か資産かあるだろうと思ってしまいました。
主人公が生活保護を受けられたらそれでハッピーエンドではないことは、登場した他の高齢者の例で分かります。生活はできても、生きる希望がないとか、孤独死するとか。ではどういう生活が幸せなのか、それは社会が与えられるものなのか?
監督がテーマとしていたという「社会の不寛容」は、私はそれほど強くは感じませんでした。むしろ社会は結構優しいな?くらいに思いました。
■老後の楽しみとは
主人公は同年代の友達と公共施設?でカラオケをするシーンがありました。それはそれで楽しそうなのですが、若者と話したりボーリングで盛り上げるシーンがめちゃくちゃ楽しそうでした。幸夫もヒロムと接しているとき楽しそうでした。高齢者になったときに若者と触れ合えるというのは本当に貴重だし、楽しいものであるのだなと思いました。
主人公が若者にお金を渡すシーンで、なぜか「東京物語」を思い出しました。高齢者が若者に貢献できる何かというのはお金だなという感じです。
■税収が足りないことが問題なのか?
弱者切り捨てで「ジョーカー」を思い出しました。アーサーもミチも、福祉の予算が十分なら幸せだったかというとそうとも思いません。映画では「足りなさすぎ」なわけですが、ぎりぎり生きられるとしても辛いばかりなわけで。親身な若者や異性との自然な出会いがあったら、爽やかなストーリーになるところですが、それは福祉予算ではどうにもなりません。
色々考えさせられました。
滅んでいっても良いではないか
最近、BSで倍賞さんの映画(遥かなる山の呼び声、駅STATION)を見たばかりなので、どうしても”その後”が知りたくて、劇場までわざわざ足を運んだ。改めて、戦後の日本および日本人の足跡そして行く末を暗示していたと思う。結局、そうなんだね、やっぱりね、と。「楢山節考」もそうだけど、フランスの人ってこういったテーマ設定がえらくお気に入りなのだと改めて感心。さて、根底にあるものは、、、?映画的にはカタルシスが不足していて、ややモヤモヤが残りました。
長編デビューとなった早川千絵監督が描いたのは、75歳以上が自分で生...
長編デビューとなった早川千絵監督が描いたのは、75歳以上が自分で生死を選択できる制度「PLAN75」がある近未来の世界。数年後には、5人に1人が75歳以上になるとされる日本で、この問題はもはや他人事ではない。そう感じざるを得ないリアルな内容に胸が抉られた。
磯村勇斗演じるヒロムが優しい役所職員を演じているが、この世界においての処刑人、死神にすら見えるダークなテイスト、そんな中に人間としての感情が垣間見える役を熱演していた。
河合優実演じる成宮が個人的に一番好きなキャラクターで、死をいかに辞退させないか、そしてそれは正しいのか?、という難しい役を若いが故に揺れ動く感情を電話越しの声、表情で見事に演じていた。スクリーン越しに目があった時、あなたならどうするか、問われた気がした。
相当重いテーマ
少子高齢化が進んだ近未来の日本では、満75歳から生死の選択権を与える制度、プラン75、が国会で可決された。これは、超高齢化社会の問題解決策として世論に受け入れられたためだった。夫と死別し、ひとりで暮らす78歳のミチは、ホテルの清掃員として働いていたが、ある日高齢を理由に解雇された。家賃も払えなくなり、住む場所を失いそうになった彼女は、プラン75、の検討を始めた。一方、市役所の、プラン75、申請窓口で働くヒロムや、死を選んだお年寄をサポートするコールセンターの瑶子らは、プラン75、の在り方に疑問を持つようになった。 、という話。
倍賞千恵子が歳とったなぁ、というのが第一の感想。寅さんでサクラを演じてた印象が強く、今でも寅さんシリーズで若かりし頃のサクラを観ることが有るから、余計にそう思うのかも。
最後に、倍賞千恵子は死ななかったが、家も無くなるし、どうするのだろうと、少し気になった。
75歳から安楽死の選択が出来るようになるシステムを導入する、というのが少子高齢化対策で、それを65歳に引き下げるようなアナウンスも有ったが、いくらなんでも、年金を一切払わないなんて有り得んでしょう、って感じた。
しかし、近未来、人口が6000万人になるとの予測も有り、現実問題として年金が出せない世の中になるかもしれないと、本気で少子高齢化対策を考えるべきであり、相当重たいテーマだと思った。
ミチ役の倍賞千恵子も良かったが、磯村勇斗と河合優実が自然な演技で素晴らしかった。
個人的には大賛成の制度
75歳以上が生死を選択出来る制度があったら
貴方はどうしますか?
個人的には大賛成です。
65歳とか55歳でもいいです。
何故なら幸せと感じられるうちに死にたいから。
自らゴールを決めることによって
生き方は大きく変えられます。
ゴールが見えないから不安になる。
そもそも今の与党は利権関係者には
惜しみ無く税金を使うけど困窮する国民に対しては
経済制裁レベルの厳しさ。
多くの先進国がコロナ禍で減税を推し進める中
頑なに消費税を下げない理由は?
来年からはインボイス制度という地獄も。
社会保障にのみ使うと明言した消費税は
大企業の法人税減税の穴埋めに。
今年から高齢者医療費は倍増し
年金カット法案まで始まる。
財源がないと繰り返すのに
防衛費は幾らでも増やせる不思議。
老後資金に2000万貯蓄が必要と
有識者が言えば岸田総理は投資に回せと。
飽くまで政策より自己責任。
それでもそれなりの幸せもあります。
それなら幸せと感じられる
タイミングで人生を終えたい。
だから倍賞千恵子さん演じるミチの最後の行動に
何故?と思ってしまいました。
【”深刻な高年齢化社会に対し、哀しき警鐘を鳴らす作品。”早川千絵監督の作品制作の意図は、現代日本社会の不寛容な哀しき実態を、強烈な設定を敢えてする事で訴えかけているのだ、と思った作品。】
ー 今作は社会に対するメッセージと共に、”自分の死の在り方を考える”作品である。ー
◆感想
・冒頭の青年が老人ホームを襲撃する強烈なシーン。そして、彼が自身の行動をモノローグで述べた言葉に、怒りが沸騰する。
ー ”日本の高度経済成長期を支えてきたのは、70代以上の方々だぞ!何だ、その不寛容で身勝手な思い違いの思想は!”-
・そして、高齢者を社会衰退の原因と捉えた殺傷事件多発を受け、政府が”PLAN75"という75歳を迎えた国民一人一人が自ら死を選択出来る制度を導入した事がTVで流れる。
そのニュースをやや哀し気な表情で聞くミチ(倍賞千恵子)。彼女も”PLAN75"に該当するのだな・・、と言う事が分かる。
・ミチはホテルの客室清掃の仕事をしているが、同じく高齢の仲間の女性が倒れたために、馘首される。
ー ホテル側の言い分は”高齢者を働かせて可哀想だ・・、という電話が入ったからという理由だが、”何を言っている。交通整理や、公共・民間施設のトイレ掃除(とても、尊崇な仕事だと思っている。)などは殆ど、高齢者の方々がやっているではないか”と再び、不寛容な社会に対し、イライラが募る。-
・そして、倒れた女性は自宅で独り孤独死しているのを、ミチが発見してしまう。
ー 仕事も中々見つからず、ミチは”PLAN75"に申し込みをし、加入者に配られる10万円を手にする。人生の総括の値段が10万円?しかも、”共同火葬”だと?ー
・心臓病の5歳の子供を母国フィリピンにおいて、出稼ぎに来ているマリア(ステファニー・アリアン)は政府直轄の”PLAN75"を運営する会社で働き始める。理由は時給がとても良いから・・。
ー 彼女ともう一人が行っている遺品整理のシーン。アウシュビッツのナチスを想起してしまった。”PLAN75"等という愚かしき制度は、何のことはない、民族粛清を行ったナチスの行為を通じるところがある事に、気づく。-
・ミチが、”PLAN75"のコールセンタースタッフの揺子(河合優実)にお願いして、一緒にボーリングに興じるシーン。
ー 良いのか?情が移るのではないか?違和感を感じたシーンである。-
・”PLAN75"の職員ヒロム(磯村勇斗)が20年振りに叔父(たかお鷹)と出会うシーン。叔父は音信不通であったが、身なりから推測するに零落しているようだ。
だが、叔父は誇らしげに言う”日本中の橋を作って来たんだぞ!”
ー この叔父も又、日本の高度経済成長期を支えてきた事が分かるシーンである。-
・そして、ミチと叔父は偶然”その日”を隣同士のベッドで迎える。
だが、ミチは自分で死に誘う呼吸機を外し、叔父はそのまま息を引き取る。
ー このシーンでのミチの心象が、もう少し分かればなあ・・。
一方、ヒロムは、叔父を”共同火葬”させまいと、叔父の遺骸を車に乗せ猛スピードで火葬場に向かうが・・。-
<ラスト、暮れ行く夕陽を眺めるミチの表情の解釈は、観る人によって違うだろうと思う。
私は、”自分の人生を”その時”が来るまで生きてみよう・・”ミチが思い返したように見えた作品である。>
■追記<2022.6.26>
拙レビューの中で、致命的な固有名詞ミスが幾つかあり、御指摘を受け修正しました。
ご寛恕願います。ドラムスコさん、有難うございました。
念願の寿命が伸びて人類は、、、
アインシュタインの基礎理論が原爆に利用されたように、先人が長い歴史の中で知力を尽くして生み出した、医療や食糧生産技術、そして資本主義が、意図せぬ大問題を呈してしまった現代社会。カルネアデスの板のような哲学的思考に陥り、悶々と矛盾を反芻しながら鑑賞。
命の選別という重いテーマにも関わらず、この映画では誰も泣き叫んだりしない。そして絶対悪も登場しない。だから尚更、登場人物の内なる慟哭が伝わってきて辛い。
結局、献身性を制度設計のベースに置くと、みちさんの様な善良で真面目で周囲への気遣いをする人が犠牲になる。
自由意志とは、定義が難しいのだが。監督が、生きているという事、それだけで素晴らしいこと、と仰っていましたが、私も、人は生きている限り、生きているべきだと思う。病気による安楽死問題は、また別次元として。
生命への冒涜は、許されないと思う。
倍賞千恵子さん、主人公の人となり、感情を、抑えた演技で見事に好演。歌声が伸びやかで素敵でした。磯村勇斗さんも、仕事とパーソナルな感情の狭間で揺らぐ心情を上手く表現。
カンヌの報道直後のせいか、いつもスカスカなミニシアターがほぼ満席でした。それだけ少子高齢化問題への関心が高いって事だし、実際街も映画館も高齢者だらけ。
いろいろ考えさせられる映画で、学校教育の教材としても良いんじゃないかと思いました。
全88件中、61~80件目を表示