PLAN 75のレビュー・感想・評価
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生きるって眩しい。死は決して人間の手のうちにあるものではない
少子高齢化が進む日本。
高齢者が若い人の荷物となり
75歳以上が自らの生死を選択できるシステム<プラン75>。
その政策に様々な人が様々な形、思いで関わっていく。
生きてく事も難しいが、死ぬ事も難しい。
人生の幕引きを選択出来たとしても、自分に何ができるだろう。何がしたいだろう。
人は生まれた時は何もできない。成熟していくごとに様々な事が当たり前に出来るようになり、いつしか社会の中での自身の存在意義や生きがいを見出し、誰かと共存して生きている。
老いていく事は少しずつそれらを手放さざるをえなくなり、出来ていたことが出来なくなり、
いつしか自分の生きてきた人生、そして自分自身と向き合う事が全てとなっていく。
自分だったらどうだろう。は勿論
大切な人だったら、親だったら、ただの隣人なら∙∙∙。
人が人を大切に想い、慈しみ、喜怒哀楽の共有が出来るだろうか。
人の生死に関わるその瞬間、何を思うだろう。
寂しく哀しく。でも生きてるってとてつもなく眩しい。
ラストのシーンは、なんだかよくわからない感情の涙がとめどなく溢れてました。
倍賞千恵子 さん素晴らし過ぎて苦しかった
心が揺さぶられる
観賞中、たくさんの感情で心が揺さぶられ、胸が締め付けられました。同情とかではなく、何とかしてあげたい、どうにかならないのか。でも誰が悪いとかではないし。
登場人物それぞれに感情移入し、戸惑ったり、苦しかったり、すごく疲れる2時間でした…。
主人公のミチさんは、まだまだ頭もしっかりしているし、健康面も問題なし。職場の仲間たちとのお喋りを楽しみ、仕事もこなす。
でもそれが、あるキッカケで全部崩れてしまう。
一度崩れた彼女が普通の生活を取り戻すことがどれだけ難しいか、そして彼女がどんな葛藤や孤独や惨めさを感じているのかが、倍賞さんの素晴らしい演技により悲哀と共に伝わりました。
ミチさんが、あの決断を後悔しないことを祈ります。
感想を言語化するのがとても難しい。
ガツンと来ました…。素晴らしかったです。
ミチさんの「15分なんてあっという間ねー」という言葉が、まだ強く耳に残っています。
近未来の姥捨て山
カメラワークに感動、アングルが素晴らしい❣ 75歳以上が自ら生死を選択できる制度が施行された近未来の日本が舞台(昔は家族の“姥捨て山”、これは国家の“姥捨て山”)。登場人物の服装が近未来を予想させ、我が身を考え寒気がした。角谷ミチ(倍賞千恵子)が呟く様に歌うシーン、往年の彼女が唄う透き通った声を知る身としては感慨深かった❣ プラン75カスタマーサポート員の成宮瑶子(河合優実)との心温まるシーン、プラン75社員・岡部ヒロム(磯村勇斗)と叔父の岡部幸夫(たかお鷹)との絡みにも注目。ラストシーンは不可解❓
穏やかで洗練されて、そしておぞましい公共サービスのいかにもありそうな感じが印象的な一作
まったく将来に展望が見出せなくなった、近未来、というよりも実際の日本社会のパラレル世界を描いた一作。一定の年齢に達したり、何らかの基準でカテゴライズされた人々を排除(殺害含む)する社会を舞台とした作品は、『2300年未来への旅』(1977)や『ソイレント・グリーン』(1973)などの「古典」を含め数多く制作されており、特にテーマとしては真新しいものではありません。一方それらの多くは現状の問題が破滅的に進んだ未来社会を描いているため、そのおぞましさにぞっとはするけれども、「まぁ架空の物語だし」とちょっと心理的な距離を保って鑑賞することが可能でした。
しかし本作の基本設定は、明確に現在の「後期高齢者(75歳以上)」という制度的区分を踏まえており、その現実感は前述したような先行作品よりもかなり高くなっています。もし国家が選択式の安楽死を合法化し、その手続きを民間企業が請け負ったらどうなるのか、主人公の女性(倍賞千恵子)含めた何人かの個人的な視点から描いています。実際はこの法案が制度化されてしまったら、かなりの政治家が自ら安楽死を選択しなければならなくなるので実現性そのものはあまり高くなさそうです。しかし理不尽な制度を、まるで社会善であるかのごとく喧伝して既成事実化してしまう手法自体はこれまでも何度も繰り返されてきており、だからこそ作中で、一見洗練された公共サービスであるかのように「PLAN75」を宣伝するCMの語り口に奇妙な既視感を感じてしまうのでしょう。
枯渇した労働力を高齢者や外国人就労者が肩代わりしつつも、都合が悪くなると使い捨てられる状況、老人の孤独死など、一つの物語を核に、よくここまで現状の日本社会の問題を盛り込めたなぁ、とむしろ感心。劇場長編映画の初監督作品とは思えないような、早川千絵監督の抑制が効いて無駄のない演出手腕は見事だけど、「これからの日本社会に希望が持てました」といったような前向きな気分には、残念ながらなりにくい作品だけに、気持ちに余裕のあるときに鑑賞するのがおすすめです。
塚口サロン劇場にて
塚口なんて、めっちゃ久しぶり!
観たい作品やったんで
この作品を今としたら
僕は、14年後だ。ありえる話だ。
この75歳の方々は、戦後すぐ産まれ
国の高度成長を滅法奉仕でささえ
いらんようなったら死んでね。
って!責任者でてこい!
偉いさんが出てこないのが、感じでてます。
戦争や感染になっても死ぬのは、庶民。
僕も賠償さんみたいに、逃げるぜ!😀
SFであってほしいが
古典的名作『2300年未来への旅』(ローガンズ・ラン)と同じ主題。だがこの映画はとてもフィクションとは思えない。今の社会の状況を踏まえれば、世間がそういう風向きになりさえすれば本当に起こる「もう一つの現実」と信じられるほど、背筋が凍るようなリアリティがあった。
老いて家族や他人に迷惑をかけたくないという思い遣りの気持ち、おだやかに旅立つ手助けをしたいという真摯な気持ち、同調圧力の下での「自分の」意思。それらが結び付いて、 (劇中で自賛されていたように)この国の人々は最高に効率的な人口動態制御政策を自ら実行する能力があるだろう。
劇中では対象年齢が下げられる話も出ていたが、やがて窓口も自治体から外注、孫請けとなり、受諾数にはノルマが課せられ、ますますシステマティックに「社会全体にとっての適正なバランス」が追求されるのかもしれない。だがその実態は、遺品略奪のシーンがいみじくも想起させるように、アウシュビッツと同じ国家が線を引いて行う大量殺人と違いがない。
そういう未来の可能性への警鐘として、この作品を完成させ公開してくれた各位に心から感謝を。
追伸:こんな風に悲観的に考えてしまうのは、やまゆり園事件がモチーフと思われる衝撃的な導入が、(製作時はおろか公開時点でも想定外だったろうが)奈良の事件後の展開が含意する「殺人はいけないが犯人が提起したことにも一理ある」といった考え方を許容する空気とぴったり重なるから。悪い意味でとてもタイムリーだった。
静けさが違和感
終盤に描かれる、安楽死させる病院でのシーンで磯村くんがいとも簡単に入り込めて、亡くなった叔父さんを運び出せる事や、
死を免れた賠償さんが簡単に退院?!出来た病院の管理の杜撰さ。
プラン75、いくら本人からの希望でとはいえ、
遺族への事前の通知は無しなのか!
とか、これが本当に、施行されたならば、
連日遺族がこの病院に詰めかけて大変な騒ぎになっているのでは??
静かすぎないか?
とう点が観ていて違和感感じました。
死にたい本人はいいけど、
自分の大切な人に安楽死を選ばれたらどんな気持ちになるかという視点で見ていました。
複雑です。。
PLAN75的空気感は身近にある。絶望から希望を描く映画。
ユーロスペースにて。
ようやく観賞できた。
あり得ないような設定にも関わらず、現在の世相ではあながち存在しないとも言い切れない世界。
独居老人のリアル。
家は借りられない、職もない。
人生百年時代の傍らで。
生きられない人は死を選ぶべきですよ、と国家が煽る。
始終体も心も締め付けられっぱなしなのだが、最後は希望の光を見た気がする。
血縁関係に甘んじることなく、理解しあうことの尊さ。
他人であっても情を通わせ、理解することで人生を豊かにできる。
絶望から希望を描いた映画。
それにしても人生百年時代と言われるよりもPLAN75のほうが責任ある国家の選択だと感じてしまう自分がいる。
この国を覆う異様さもこの映画は際立たせてはいないだろうか。
ぶっささり
小学生だったころ、共働きだった両親に代わって放課後に僕の面倒を見てくれたのはおばあちゃんでした。そんなおばあちゃん子だった僕に、この映画はぶっ刺さりでした。
高齢者が増えすぎた日本で、社会保障などの制度を維持していくために75歳以上の高齢者に対し、本人の意思に基づくとはいえ社会として寿命とは関係のない死を推奨する制度が出来た。
支度金として10万円、そのほか民間サービスを使うと高級リゾートホテルでサービスが受けられるなどなど、特典があります、と。
倍賞千恵子さんら、高齢者たちには雇用、住まい、孤独死、今でも問題になっている高齢者の問題が、僕たちへ分かりやすく突きつけられる。
子どもや孫がいる人といない人での格差もしんどい。一人暮らしと家族のいる人の温度差も、これまたしんどい。
僕は同性愛者なので、ほぼ確実に子どもはできない。パートナーはできるかも。でも死の間際まで一緒にいられるか。家は?貯金は?将来をどうするのか。
まだ日常生活に支障がない程度には元気で、働きたい気持ちもあるのに、働けない。働けないから住む場所もない。行政の援護は期待できない。
そんな状況に自分が置かれたらどうするだろうか。
未来のために死を選ぶと晴れ晴れとした顔で語るムービーが作中にあるが、あんなうすら寒いノリに自分は自分の死という形で同意できるだろうか。
親は?兄は?友人たちは?考え出すと、なんとも暗い気持ちになるし、やるせない思いで胸が満たされる。
この映画はフィクションだ。PLAN75は実在しないし、これが実施されることは、少なくとも僕が生きている間には無いと思っている。
でも、何かが違ったら、何かが変わったら、有り得る未来なのかもしれない。
75歳以上の高齢者、という属性だけで簡単に言うが、一人ひとり、感情があり、歴史があり、希望がある、生きた人間であること。制度構築する際にはどうしても属性で人を語らねばならない。でも、その制度が適用されるのは、実際は生きた人間なんですよね。
うまく言葉にできないけれど、倍賞千恵子さんが、まぎれもない生きている人間で、その人が状況のなかで死を選んでしまう。その決断までの流れに、ひどく心が揺さぶられました。
とても良い心に残る映画でした。重いテーマですが、登場人物が誰もPL...
とても良い心に残る映画でした。重いテーマですが、登場人物が誰もPLAN75について自分の思いを語らず、主張もしません。セリフで語っていたら響かなかったでしょう。
観終わってやりきれない気持ちになるかと思ったら、なりませんでした。世代にかかわらず、みな懸命に考えながら生きていて、みな思いやりの気持ちをもっている、そう感じられる映画でした。
人生○○年時代とは何なのか
ずっとこのことが頭の中に居座っていた。
今は「人生100年時代」と言われて、平均寿命が世界でトップクラスであることを謳いながら、同時に少子高齢化がものすごいスピードで進行していながら何の対策も打てていない現状に問題点を提示するような作品だった。
全体的に説明が最低限で少なく抑えてあるところは良かった。あれはどうなるのだろうか、どうなったのか、観る側に預けられているのがいい。
磯村勇斗と叔父(伯父)さんとの関係は、自分と甥っ子(今5歳、4歳)たちとの関係性を考えずにはいられず、話が進むにつれて他人事ではないと感じながら観ていた。あと30年くらい経てば同じ問題に直面する未来が待っているのだろうか。
河合優実と倍賞千恵子、特に河合優実のパートがもう少し欲しかった印象はある。普段は禁じられている対象者の倍賞千恵子に出会って彼女は変わるのか変わらないのかという描き方のバリエーションも出てくるし、磯村勇斗とは違う向き合い方も見せられるのではないかなと思いながら観ていた。
倍賞千恵子の同僚で孫のベビーシッターをやることに愚痴をこぼしていた人が印象に残る。PLAN75の体験会で豪華なホテルのような場所に行った体験を話し自分も最後はこういうところで迎えたいと言いながら、倍賞千恵子がベビーシッターをさせてもらえないか頼むとやんわり(電話の声は聞こえないのでやんわりではないかもしれないが)断っていたように、PLAN75を自分事として直面していない高齢者もいるんだなと考えると、経済的、あとは地縁や血縁など様々な縁に支えられているかどうかが大きいのかなとも感じるが本当にそれだけだろうか。
家族や共同体の形を規定しすぎてやしないか、それによって人の繋がり方の多様性が阻害されていやしないか、とも考えてしまう。
年齢を重ねることがこれほど恐ろしく感じさせることもないか、そんなに恐ろしく思わないといけないのかなとも同時に思いながら、ギリギリのところでそれでも生きることを選んだ倍賞千恵子の姿に何を見るか。
磯村勇斗がたどり着いた火葬の真実は現実にありそう。映画「ソイレント・グリーン」みたいだけど。
倍賞千恵子と河合優実がボウリングしてストライク取った後、隣のレーンの若者とハイタッチしてるのを見てこういうところに微かでも希望の光を観たい気がした。
そう遠くない未来かも
私は、息をしていることではなく、自分らしく在ることを大切にしたいです。
どのようなタイミングで、どんな環境のもとに生まれて来るかは選ぶことができませんが、どう生きるのかは、人は自覚的・無自覚的にでも選んでいます。
この作品は、死ぬタイミングや死に方を、自分に決める権利があったら…という想定の映画です。
日本人が苦手な、死について考えることが、テーマです。
私は、以前、富裕層のレジデンスでフロント業務をしていたことがあります。
150名ほどの70歳以上の自立したシニアの方々が、快適に生活できるようにサポートすることが仕事でした。
お金があっても、家族がいても、スタッフのサポートを受けることができる環境にいても、老いは、待ったなしです。
90代になれば、1日をつつがなく過ごすことが一大事業になります。
ここで働いて、私は、持病や常用する薬がないうちに、まとまった時間をとって国内外の行きたい場所に行こうと決めました(今はコロナとロシアの動向を静観中ですが)。
老後が不安だからと70代まで働き続けていたら、やりたいことをする気力体力がなくなっていた…なんて悲惨です。
そして、私は、今まで祖父母、両親、おじおばたちを見送ってきて、日本で老後を過ごすのはイヤだなと思っています。
インドか東南アジアの田舎で、ひとりで暮らして、生活を回していけなくなったらゆっくりと死に向かっていきたいです。
この考えを言うと、ママ友からは、「子どもに迷惑だよ」といさめられますが、最期くらい、多少迷惑かけてもいいかなと私は思っています。
というか、それを「わがままなおかんらしいな、しょうがないな、最後の親孝行だ」ととらえる子どもであって欲しいです(確信犯です)。
息をしていることが生きることではないと、私は思います。
最期の瞬間まで、自分らしく生きていたいです。
そのための努力を、今もしています。
諦めて、プラン75を選択したら、そこが自分にとっての死である気がします。
20年後、70代の私が、この文章を読んだらどう思うのか、それも楽しみです(*^-^*)
夢のような現実のような
こんなバージョンのディストピアがあるかもしれない近未来なのか現代なのかが舞台なドラマ。
常に登場人物である老人の息遣いが聞こえ、リアルなイメージと過度にコントラストが効いたどこか非現実的な映像が交錯する。一番リアルだったのは、作中のPLAN75プロモーション映像。映画監督がきちんと作っているので秀作なのがまたきつい。
実際のところは75になっても定年退職できない世の中になるんじゃないかという気はする。
テーマが恐らく人命の物化もしくは貨幣に置き換えられる事を強制的に行...
リアル
身寄りも無く仕事も失った孤独な老人
外国人労働者のシングルマザー
老人達と関わる現代の若者
其々の葛藤や苦悩に対する描写や心理がとても上手に表現されているなぁと思いました。
劇中で登場するニュース報道やTVCMにポスターも、本当に有りそうと思うほどリアルでした。
私は40代で中高年層の女性です。
自分がもし主人公の女性の立場なら、と考えると割とあっさりこのプランに申込んでしまいそうだなと思いました。
倫理的な問題もあるかもしれませんが、この制度によって救われる人達は少なくないと思いました。
身寄りの居ない高齢者達(とくに貧困層)の生きづらさも観ていて胸が詰まりましたが、そんな高齢者に寄り添いたくても出来ない、何が正しいのか分からなくなる若者達の苦悩もひしひしと伝わってきました。
主人公の老人に寄り添う、ケースワーカーのような役割の若い女性が沈黙の後に一瞬カメラ目線になります。
その目が何を訴えているのかはこちら側の捉え方次第だと思いましたが、私はドキッとしました。
なんだか、ハッとさせられたというか。
気を緩めるとすぐに眠気に襲われる私なんですが、この映画は全く眠くならず最後まで鑑賞できました。
問題点を履き違えたり‼️❓すり替えたりすると‼️❓危険だよ‼️❓
自分の老いと向き合う
高齢化社会の日本。でも確実に人口は減少しているのだ。労働力となりうる人、体も動いて働く気もある人が死を選ぶのはどういうことか。自分ならどうするかを考えてしまった。
主人公の女性は、生活保護無しに頑張ろうとしてる。なのに仕事もなく家も無くなりそうだ。仕方なく生活保護の申請に行ったら、早々に受付終了。こうなると、プラン75に申し込むしかない。自ら死に向かう選択を、健康に普通に暮らす人間ができるのだろうか。そこには諦めのような感じがあった。そして、ラストの彼女の選択をわたしは応援したい。何も状況は変わってないけれど、前に進もうとする彼女の幸せを祈りたい気持ちだった。
倍賞千恵子の静かな強さ、年齢を感じさせない美しい声がこの映画にはピッタリだ。そしてこの制度に関わる若者たちのなんとも言えない表情も良かった。
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