PLAN 75のレビュー・感想・評価
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倍賞千恵子のリアル婆さん。
超高齢化社会が進んだ日本。インフラや家電から判断すると、ほんのちょっとだけの未来話。
とにかく、ジジババばっかりの社会だ。ま、そこを強調してるだけの事だろうけどね。
で、国は老人以外の国民を守る為に、75歳以上の人が生死を選べる制度を始める。なぜこの制度が生まれたのか、衝撃的なシーンで始まり、期待度アップ。
主人公のミチは、清掃の仕事をしていたが、高齢を理由に解雇され、PLAN 75に申請するかどうか悩む。サイドストーリーは、お役所の担当者の若者2人、高齢の叔父さんを持つ男子と、ミチの担当する女子、役所とは別の業者で働く病気の子どもを持つフィリピンママ。
あれ?みんな違和感を持ちながらも、そういうモノなのでちゃんとやります的な。まるでドキュメンタリーだわ。プラス全体を通して時間の流れがジジババ。ゆっくりすぎた。
個人的には、納得いかない主人公が、国民を巻き込んでお役所と戦ったり、殺し屋と向き合う的な展開を想像していたので、ガッカリ度が半端なかったです。だって、誰もこの制度と戦わないんだもん。確かに問題提起にはなっていますが、ちょっとエンタメ度が低すぎたかな。
審査員は「姥捨山」がお好き
「第75回カンヌ国際映画祭」の「ある視点」部門で
「カメラ・ドール」の「スペシャル・メンション」を受けたとの報に接し、
思い出したのは〔楢山節考(1983年)〕で『今村昌平』が「パルム・ドール」を受賞した履歴。
「姥捨山」にも代表される「棄老伝説」は
日本では〔今昔物語集〕にもある馴染みのある説話も、
外国人の目からすれば新奇に見えるのだろうか。
野生の動物なら、老いて自分で餌を獲れなくなれば
自ずと逍遥として死に向かうだろうし、
一方で象などは老練な雌が群れを率いるとの現実もあり。
また「ネアンデルタール人」も
病人や虚弱な仲間の面倒を見る社会性を持っていたらしいことを勘案すると、
我々はよほど彼等よりも劣っているのかもしれぬ。
本作の舞台は75歳を過ぎた老人が
自身の意志で死を選択できる「PLAN75」が法制化された近未来の日本。
老人の増加が国力を弱めるとの、かなり「優生思想」に近い内容だが、
それ以外の社会的弱者にも当該プランが波及するのかは、
ここでは触れられない。
しかし、こうした一種の「ディストピア」でも、
それに群がり不正を行う集団の存在は
軽くではあるものの触れられる。
またそれは「ナチス」が、殺害したユダヤ人の死体から、
金歯や銀歯を抜き取ったとの過去をも彷彿とさせる行為。
もっとも、今の年金制度が維持されれば、
貧困のうちに死を選択する可能性は低かろうが、
それへの締め付けが前段で実施されれば、
選択の余地は無くなるだろう。
或いは、雇用の年齢範囲を狭めてしまえば猶更のこと。
実際、今でも一人暮らしの老齢者は、借家の確保が難しくなって来ていると言うし。
営々と働き税金を納め、勤労以外でも社会や国に貢献した結果がこれでは、
あまりにも報いが無い。
もっとも、それを不思議とも思わぬ、思想の形成が出来上がっているのだろう。
高齢者が希望をもてぬ社会は、若年層にとっても生き辛い世界に違いなく、
システムの下世代への波及は容易に想定されるのだが。
本作の主人『ミチ(倍賞千恵子)』はそうした下地があり
「PLAN75」を選択する。
また申請窓口を担当する職員『ヒロム(磯村勇斗)』は
あることを契機に一連の流れに疑問を持つ。
プラン対象者への心のケアを担当する
コールセンターのオペレーター『成宮(河合優実)』は
電話の先に居るのは血の通った人間であることを
今更ながらに実感する。
そうした幾つかの化学変化が、ラストの美しいシーに結実する。
個人的には、これは暗黒の社会への光明と思いたい。
劇中『倍賞千恵子』がカラオケで歌う〔リンゴの木の下で〕が
特にその歌詞が重要なアイテムとして機能する。
それは理解しつつも、自分としては、
〔下町の太陽〕を聞きたかったなぁ。
75歳なんて、あっという間なのだ
角谷ミチの担当者である成宮瑶子の頭の中で不協和音が鳴り響く。成宮の横ではコールセンターの新人がレクチャーを受けている。プラン75に申し込んだ老人の気が変わらないように、うまく誘導するのがあなたがたの仕事ですよと。
自分も同じレクチャーを受けた。そして着実に給料を得るために、言われるがままに頑張ってきた。しかし本当にそれでよかったのだろうか。
成宮は仕事を上手くやった。角谷ミチは心変わりすることなく、無事に最終日の連絡を終えることができた。単なるコールセンターの従業員に過ぎない自分を「先生」などと呼んでくれた。最後までしっかりとしたいい人だった。どうしてあんなにいい人が死ななければならないのか。
申込者の受付をしている岡部も同じように疑問を抱く。この政策は本当にいい政策なのか。生命よりも経済を優先することが、人間にとっていいことなのか。
河合優実も磯村勇斗もいい演技をしていた。そして角谷ミチを演じた主演の倍賞千恵子は、淡々と枯れた演技で、声を上げることのできない老人の辛さと悲哀を切々と伝えていた。見事である。
PLAN75は、ひと言で言えば貧乏老人切り捨て政策である。裕福な政治家には貧乏老人の窮状など理解できないから、平気でこういう非人道的な法律を作る。庶民は強権に逆らうことをしない。逆らっても無駄だと思っている。逆らう人間を馬鹿だという人もいる。そして強圧的な政治家に投票する。ドストエフスキーの言う通り、人間は苦痛と恐怖を愛しているのだろうか。
中にはこの政治は間違っていると声を上げる人もいるが、サイレントマジョリティは現状維持を望んでいる。選挙ではそういう投票行動をとる。そうして裕福で独裁的で好戦的な政治家がのさばる。庶民はひたすら苦しみに耐える。75歳で死ななければならないとお上が決めたのなら、それに従うしかないと諦める。自分の投票行動が自分を苦しめていることに気づかない。
角谷ミチの苦しみは日本人の苦しみを代表しているようだ。歳をとっても共同体は何も助けてくれず、民間は老人を相手にしてくれない。PLAN75でなくても、もう死ぬ以外の選択肢はない。人生なんてそんなものだ。これまで自分の力で生きてきた。いまさら生活保護など受けたくない。生活保護の担当者は老人を人間扱いしてくれない。角谷ミチがこれまで選挙でどの党に投票してきたのかは不明だが、政治が彼女を助けてくれないのは明らかだ。彼女が長い間納めてきた税金は、いったい何のために使われるのだろうか。
若い人には他人事のような映画かもしれない。しかし若い人も、子供の頃から今までがあっという間だったことを考えてみるがいい。75歳なんて、あっという間なのだ。
プラン75
全く期待はずれ
死の選択という重い課題に挑戦したものの、それに対する微かな答えさえ無く、見終わったあとの虚無感は何だったのか?
いろいろなシーンの関連性も不明で、ラストのミチさんは何処へ行くか心配になった
映画としては悪くないけれど 驚くぐらい気持ちが落ち込む。 悪い影響...
映画としては悪くないけれど
驚くぐらい気持ちが落ち込む。
悪い影響を受ける人が出なければ良いと切に願う。
意欲は認める
鑑賞後に残念感が充満する。ラスト20分、多くの何故を残しながら、早川監督は登場人物の決断の瞬間や行動のディテールを描かないことを選択した。マタゾウ的には物足りず、せっかくのテーマが浮いてしまった。
技術的には、撮影は素晴らしかったし、役者も皆さん適切だった。スター倍賞千恵子、その朝の痩せた指が印象的。磯村勇斗、マリア役(失礼)、たかお鷹、それに出番は少ないが泣かせるシーンを担当した河合優実。
カンヌで何らかの賞を得られ、世界で公開されるチャンスが得られているとのこと、なにはともあれおめでとうございます。他国の評価を見てみたいです。
新宿ピカデリーの舞台挨拶回を鑑賞。倍賞千恵子、磯村勇斗、マリア役の方、監督の4名が登壇。お互いの絡みについてあまり語らないなあと思っていたが、劇中もほとんど絡まず事後納得。そして舞台挨拶終了後映画を見ずに出ていかれる前列の女性陣が結構多数で驚いた。
「生きているように生きる」ことの難しさ
圧倒的にすごいと涙が出てこない。『PLAN 75』はまさにそう。エンディングの夕焼けを見ていて、何をどこから消化していいのか分からない。
「ただ生きている」ヒロムの叔父。生活は苦しいが「生きているように生きている」角谷ミチ。ともに75歳を超えていて新制度PLAN 75の対象者である。作中では、新制度の肝心なところは語られないが、登場人物の会話で積極的な安楽死制度であることがわかる。
角谷ミチを演じる倍賞千恵子に関しては、褒め言葉が失礼にさえ感じる圧巻の演技。架空の物語ではなく、現実に存在する出来事として観客に問題を突きつける。
角谷ミチとPLAN 75の民間委託先の担当者との最後の会話のシーンは、自分の記憶から消えることはないと思う。
ミチは、人生の最後に心の通った交流ができたことへの感謝の気持ちを伝えることで、生きる未練を断ち切ろうとする。一方で、河合優実演じるオペレーターの成宮は、私的感情を押し殺して事務的に手続きを進めてはいるものの、ミチの心変わりを期待する気持ちが漏れ出てしまう。
81歳の大ベテランと21歳の新鋭が、演技すら忘れて、ありのままに心の内をぶつけ合う。それくらい、2人とも役に入り込んでいる。
現実問題で言えば、PLAN 75のターゲットになるような人々は、映画館に足を運ぶ余裕はない。公的助成を受けた作品であるならば、余裕のない高齢者に鑑賞券を配布すること検討してもらいたい。
「生きているように生きる」ことが、人間の尊厳を確かなものにしてくれる。このことを教えてもらった気がする。
淡々と丁寧に
わたしは基本的に死も選べることに(安楽死も含め)
肯定派なので、こういう制度は否定はしません。
が、選んでるのか選ばざるをえないのかは
正直なんとも...。
ただミチさんの慎ましく、凛と生きる姿は美しくて
夕方は荒れるという天気予報のなか
夕日を眺めるミチさんの最後のシーンは
未来を感じて力強く清々しかったです。
言葉で語るというより
表情や間、空気感で表現していて
本当に実力派の演者さんたちが見事でした。
問題提起してくれました
見る人の年齢や介護の経験の有無で意見が変わるでしょう。
75才以上の人に死ぬ権利を与えるという映画です。
判断することが自分でできなくなったらどうなるのだろうか?
介護を必要としない人はPLAN75を選択できるだろうけど、判断できなくなった人は選択しない。
自分のことが分からなくなったときにPLAN75を発動させるようなシステムなら申し込みたい。
自分は親の介護はおわったが、もし親がPLAN75を申し込んでいたら子供としてどうするのか。
自分もそろそろ考えなくてはならない世代です。いろいろなことを具体的に考えてしまいます。
見に来てた人はやはり高齢者が多かったです。
架空の話ではありますが考えさせられました。
生きる希望を失くす
河合優美目当てで鑑賞。意外にも高齢者でいっぱい。
高齢者の間で話題にでもなっているのか、「峠 最後のサムライ」よりも観客多かった。
高齢者には辛い内容だけれども、センセーショナルにせず、淡々と描かれる高齢者の生活と制度に携わる若者の心の変化に見入ってしまう。
磯村勇斗と河合優美はいい顔してる。
ビート板どんどんきれいになってくる、次回作が楽しみ。
テーマとしてはものすごく良いのに
予告編からかなり期待していた本作。
監督、わざとそうしたんだと言ってますが、あまりにもボールを投げっぱなしです。
「観る人の捉え方を大事にしたかった」らしいけど、作品としてこれを創ったのであればもう少しやり方はあったはず。
テーマとしてはピカイチなのに、何故こうなってしまったのか。たまに観る監督の自己満足映画観せられた感が強くてモヤッとしてしまいました。
イチ映画ファンとして、こういう創り方もあるとは理解はしておりますが、テーマが良いだけに料理の仕方によってはあらゆる賞を総ナメにする可能性もあっただろうことから残念でならない。このやり方でも賞取るのかもしれないけれども。
個人的にはPLAN80にして欲しいな。難しいテーマに取り組んだ早川監督の勇気には感服するが、着地点も難しいテーマだけに終盤がやや腰砕けになったのが残念。
①この映画のプロットを知った時に先ず頭に浮かんだのがマイケル・ヨーク主演でファラ・フォーセットも出ていた『2300年未来への旅(Logan’s Run)』(1976)という映画。あちらは30歳になったら否応なく死ななければならない未来社会の話だったが、このまま超高齢化が進むと2300年まで待たずにそうなるかも。中国関係の仕事をしているのでと思うんだけれども、かの国もあと数年もすれば日本の人口の何倍もの高齢者を抱えることになる。自分の国の心配をする前に他の国の心配をしても仕方ないけど、大変だろうなァとは思います。②この映画のテーマは個人の死生観・倫理観・年齢(死までの時間的距離)・生活環境・健康状態等によって千差万別の捉え方が有るだろうから正しい結論などないと思う。社会や国がそうせざるを得ない状況に追い込まれれば別だろうけど。日本だって歴史的に間引きや姥捨て山が平然とあったわけだから未来にはない、とは言いきれないだろうし。③終盤までは演出の流れも良く、このまま行けば★4つかと思ったが、終盤どこに着地させようか迷ったのかやや乱調になったので減点。ただ、もう少し生きてみようとミチに決心させたところは監督として一つの落とし処だとは理解できる。④フィリピンからの出稼ぎママが、5才の子供に心臓手術を受けさせる(生きてもらう)費用を稼ぐ為に、給料の良い「PLAN75」による死者の遺品整理の仕事を選ぶ、というのはなかなか皮肉な設定だと思った。⑤成宮が規則で禁止されているのにミチに会うところは組織人としては失格だが、「情が移って何が悪い」という監督のメッセージを伝える為に敢えて入れたエピソードかな。ミチとの最後の通話を終えた成宮のうしろで教育係らしい女性が“気持ちが揺らいだお年寄りを誘導するのがあなた達の役目”という恐ろしい事を言っていたし…中島みゆきの『帰省』という歌に“人は遠くなるほど物に見えてくる”という歌詞があるが、こういう事なんでしょうね。⑥で、以降は全て個人的な見解。還暦を過ぎたらイヤでも自分の死というか死にかたを考えざるを得なくなる。まあ、若いときから死については考えてきたので(だって、いつかは死ぬということを意識していないと充実した生は送れないと思うから)、ここに来て急に、というわけではないけれども、男性の平均寿命まであと桜を見れるのも20回くらいとなると自分の死が現実的なものとなってくる。⑦人生100年時代と言われるが100歳までは生きたくないな。顔や手足が皺皺になるまで生きたいとは思わない。80歳くらいで死ねたら一番良いと思うけど。ただ、人間は死ぬまでは生きるわけで、思う通りに死ねないのが現実(自殺は勘定に入れません)。そういう意味では私はこの制度にはもろ手を挙げて賛成とは言えないけれども反対ではない。家族のある人は違う考えだろうと十分理解できるけれども、将来的に一人で生きていくのが確実な身としては選択肢の一つとして有っても良いな、と思う。死後のことは国がやってくれるのは有り難いし(葬式も墓も要らないし)。ただ、75歳まではあと14年なのでせめて80歳にして欲しいけど。山あり 谷ありの人生だったけれど、今から振り返ると結構面白い人生だったし、若い頃は仕事や家庭の事情で出来なかったことも、今は退職金と時間が有るので出来るようになって、いま死んでも悔いはない境涯に成らせてもらっている。ただ、死んだ後で傑作といえる映画が作られたら、それが観れないのが唯一心残りだけど。⑧映画の中で、“この制度のお陰で1兆円規模の経済効果が出ているため(人の命の代償で1兆円!)、国としては65歳まで引き下げることを云々…”というニュースが流れるがトンでもないわ。でも、このまま日本国の赤字が増え続け国が傾きかけたらどうでしょう?⑨但し、本当にこんな制度が出来たとして、真っ先に利用する(せざるを得ない)のは、、独り暮らしの老人や、孤独死を待つだけの老人、医療費控除で何とか医者にかかっている病気の老人達で、いつまでも権力にしがみついている政治家や、議員年金と議員時代に貯めた金で悠々自適の暮らしをしている元議員、退職金をがっぽりもらった会社役員なんかはどこ吹く風、という社会になるんでしょうな。⑩で、最後にまた本作に戻って、恐らくこの人の主演でなければ物語に説得力が減じたと思う倍賞千恵子。妹の倍賞美津子も若い頃の妖艶さはどこへやら現在の邦画でも元気な老婆役で頑張っておられるが、姉の方は若い頃から“下町の太陽”の隣のお姉ちゃん役に始まって寅さんの妹のサクラへと、スター女優でありながら庶民的な役を演じ続けて来た人だけに、一庶民の老女役を演じて実に適役。しかも分別のあるしっかり者の役が多かったので、ここでも結局家族に頼ってしまったり(娘家族があるのに)孤独死を遂げてしまう老女仲間の中で自然とリーダー的な役割になってしまうと共に、将来への絶望(簾の奥の暗闇をじっと撮す事で日常の中の絶望感を巧みに表現)から一旦PLAN75を選ぶけれども、最後に思い止まって朝日を見つつ、この先だって仕事や住むところを考えれば決して明るい未来が待っているわけではないが、とにかく生きていれば何とかなるという決意がすんなりと受け入れられる。尚、カラオケのシーンで如何にもちょっと歌の上手い素人っぽく歌っているところは流石。
辛い映画だ
結局、倍賞千恵子は死にきれなくて、磯村勇斗は叔父を送り出せなかった。
誰もが中途半端で終わってしまう本作。
それでも、明日が来て、それでも生き続けなければならない現実。
それは、どんなに綺麗事を語ってみても、納得のいく人生なんか存在しないと言っているような気がする。
誰もが年をとる
ラストシーンが朝陽なのがわからない。
そこを抜け出しても待っているのは、ある意味地獄。
人生という迷路の中、踠きながらも懸命に生きてきた。
それが老いというだけで、出口が見えないまま、排除
されて行く。孤独に苛まれ、選んだのは死。だが生へ
の渇望が芽生える。
だらだらと尺を廻し、意味のないカットを織り混ぜ、
3つのエピソードも中途半端に終わる。
星3つは出演者の素晴らしい演技。
私はフランス人の感性がわからない。
ただ単に、私がついていけないだけかもしれませんが。
倍賞千恵子にうってつけの役。好演。だが「非人道的=極悪」ではあるが「効果抜群の政策」ではある。変な正義が突き抜けない描写等は良いですね。
なんと「満席」❗️
「テレビシリーズ」「漫画の原作」以外では邦画では(アニメ除き)近年、全く記憶ないなぁ❗️
客席に白髪👩🦳禿頭🧑🦲の目立つ本作。
「本木雅弘のおくりびと」と同じ現象。でも「おくりびと」観てた老人、かなり物故者だろなぁ
変な感慨が・・・そういや「おくりびともほぼ満席だった」・・身につまされるのだろね。
事前リーフレットどおりの「考えさせる」作品。
倍賞千恵子は皆観客が「寅さん」とかで若い時乙女の時から馴染みだから・・
皆観客が「その立場」現実度を共鳴しやすくしている。
こう言う作品は「胡散臭い突き抜けた正義感」が鬱陶しいウザい、若造が青臭くウザいのが定番だけど
本作は「寸止めで正義感が止まって」いてイイ塩梅である。
ただし、コールセンター職員が、サービス対象者と会うのは
反則技も良いところ。河合優実が好演ではあるが・・民間委託という設定かもしれないが
公務として落第点。職業人としてアウト。
磯村優斗の正義 は 一瞬眉間にシワ状態だったが
落ち着きどころとしては良い。
外国人特定技能労働者の描写が「実は本質的な全ての集約点」
そうだよ、今、爺さん婆さん増えすぎて、外国人に頼らないと成り立たない社会に既になっている。
非人道的、言語道断は相違ないが、「若い者に一方的にしわ寄せ 重い負荷」では
長寿ももろ手を挙げて喜んでばかりいられない。
倍賞千恵子の「揺らぎ」は人間臭くて、現実的で良い
「死後の世界」なんて誰も知らないのだから、死を目前に迷い、あらがう のは当然です。
磯村優斗✖︎磯村勇斗です。
「遺品分別」の部分がホロコースト「シンドラーのリスト」連想させた。
何気ない老人の慎ましい生活、何気ない景色、「間」で鑑賞者に問うている。
倍賞千恵子はベテランだけあって目つきや表情で演技が好演。
まあ、「説教臭く無い、ちょうどイイ塩梅の社会派作品」は相違ない。
最後の方で脚本が破綻しちゃった。残念!
この映画は、PLAN75という制度の是非と、映画としての完成度を別に考えなくちゃいけないですね。
終盤まで、映画として良くできていました。
制度で起こるであろう問題点や対応策について、映像としてきちんと表現されていました。
最後どうまとめるのだろうかと興味津々でしたが・・・・・
なんとも稚拙な行為や故障からのドタバタ劇になりました。ガッカリです!
PLAN75という制度はよくできていると思います。強制ではなく任意ですからね。
「自動車の運転免許証の自主返納」と同レベルの「人生の運転免許証の自主返納」です。
もちろん尊厳死の普及、安楽死の普及(多くの国では合法)の次の段階ですけども。
安楽死を認める条件を、年齢と本人の意思だけに緩和したという話です。
評価としては(映画の完成度)2点+(制度としてのの問題提起)1点で、3点とします。
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