PLAN 75のレビュー・感想・評価
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非リアルの中から滲み出るリアル
映画はそもそも、非リアルの世界をリアルに映し出す作品が主流にあるが、この作品は、非リアルの中からリアルが滲み出てくるような作品だ。
社会というシステムを維持するがために、個の人間を切り捨てられる制度。それに対する葛藤や反感が、淡々と、なおかつリアルに描き出されていく。説明チックでないだけに、様々なシーンの持つ意味が、よりリアルに響いてくる。
ラストシーンは、来るべき明日に向けて、生きる意思を固めているようにも見えるし、人生の終焉を象徴しているようにもとれる。
「死」という絶対的なテーマに真正面から取り組んだ力作だ。
倍賞千恵子さんをはじめ、役者陣の表情がとても良い。河合優実さんには、これから特に注目していきたい。
「PHP蛭子能収さん」
今年61本目。 毎月コンビニなどに置いてあるPHPを買っているのですがそこで蛭子能収さんが、死ぬのが一番怖い、死んだら楽しい事が何一つ出来なくなってしまうと書かれてました。同感です。死んだら趣味の映画も行けない。今作のミチが最後に選んだ決断は、ある種光が感じられました。
これが『一億総活躍社会』の現実か
よくぞこんな問題作を作られたという気持ちでいっぱいです。 内容からして賛否両論は確実。カンヌでカメラドール特別賞を得た今作ですが、恐らくは観た方の中には「こんなのが日本の現状と思われたら堪らない」「高齢者へのリスペクトもないのが今の日本なのか」などという気持ちを持たれる方もいるかもしれません。 それが本来抱くべき正常な気持ちだと思います。 『PLAN75』という仕組みはフィクションです。 しかし、今の日本の高齢者で単身&低所得の方については、実際にこんな生活を送られている方が大半かと。 年金だけじゃ生きていけない。 けれど、高齢者なので(健康面でのリスクが高いので)仕事がもらえない。 生活保護も受給出来ない。 そうこうしているうちに、賃貸の更新時期が来る。 収入もなく、身寄りもないので、更新を断られる。 住む場所すらなくなる。 たまに立ち寄る炊き出しだけが頼みの綱。 恐らくは『PLAN75』というシステム自体が取り沙汰されそうな今作ですが、それ以上に現在の『一億総活躍社会』の矛盾を浮き彫りにさせた貴重な作品でもあります。 なお、これべつに75歳以上の方に限った話じゃないんですよね。 他者との絆もお金もない人生。 改めて、人との繋がりやお金を大切にして生きることの意味を学んだ映画でした。 良作。今のところの今年ベスト。
優しさの仮面の下
本作は早川千絵監督長編デビュー作という事らしいですが、間違いなく名作だと思えるが好き嫌いは結構分かれると思える非常に厳しい内容の作品でした。 テーマ自体は今までにも似たような作品は沢山思い浮かびますが、自分がこの年齢にどんどん近づいているせいもあるのか、これ程切羽詰まった感覚で観たのは初めてかも知れません。 基本、もしこうなったらというSF設定だと思うのだが、余りにも現実社会に近くリアル過ぎるので、この設定(75歳以上になったら、死を選択できる制度)自体を絵空事と思えなく息苦しさまで感じられる程でした。 逆の尊厳死を求める側の作品も過去何作もありましたが、国の制度として尊厳死を勧めるというのは、全く意味が違ってきて、それは国家としての今までの政策の誤り(失敗)を国民になすり付けるという意味となり、いくら社会としての正論であったとしても国家的な暴力であり許されるべきものではない筈なのに、これが日本人の国民性をも利用した優しさの皮を被った残酷さ非道さを見せつけられられ、ある意味恐怖映画の要素も感じてしまいました。 本作は説明台詞を一切排除して、観客は映像だけで物語を理解しなければならない様に作られています。 私は基本的にはこのやり方に賛成なのですが、私が観に行ったのは平日で客層の大半はこの作品のタイトルの様にほぼ70歳以上の方ばかりが目立ち、66歳の私が若く感じられる程で、そういう客層にはこの作り方はひょっとしたら不親切だったかも知れないと思いました。 ラストの主人公の行動や、ヒロムの行動の意味が理解出来たかどうか?、一瞬でもスクリーンから目を離すと、重要なシーンを見落とし理解出来ない部分が多々あったように思えました。 本作の倍賞千恵子の代表作でもある『男はつらいよ』シリーズが何故国民的作品に成り得たのか?を考えると、あれ程の名作でありながら非常に分かりやすかったという事です。それは作品の源流と同様の“優しさ”で作品が作られていたからだと思います。 本作の場合は監督のデビュー作であり、作家としての才能に溢れた作品ではありましたが、客層(高齢者)に合わせた優しさがもう少しあれば完璧だと思いました。 ここで客層と言ってしまいましたが、本作の場合高齢者対象の作品という事では決してありません。 むしろ、本作の主要登場人物のヒロム、瑤子、マリアなどの年齢層こそが本来のターゲットの客層であるべき作品でした。 本作の様な政策(過去の失策に対する尻拭い政策)が現実化した場合、当然その職務に就くのは彼等世代であり、彼等はこの職業に対してどういう考えや気持ちで就くのか?、これこそが本作の最も重要で核心となるべきテーマなのです。 という事で本作は是非、若い人達に観て貰いたい作品であり、くれぐれも“優しさ”の仮面に騙されず、本来の人間性について考えて頂きたいと切に願います。 追記. もし私がSFとして物語を作るなら『PLAN 75』ではなく『PLAN 15』にすると思います。 自殺大国の日本なら15歳から死の選択権を与え、どの世代が一番多く希望するかで、今の国の実態が分かり、国の完成度・成熟度を測る通信簿作成という皮肉を込めたストーリーにしてしまいますが、これだと『世にも奇妙な物語』テイストになってしまいますが、テーマは分かりやすいかなと…(苦笑)
未来社会ムービー
75歳での死を選択できる法律が施行された、未来の日本の物語。寄るすべなき高齢者は、社会からも追い立てられ、行く場を失い合法の死を選ぶ。倍賞千恵子が、淡々と働き努力する老女を演じ、素晴らしい完成度だった。 近未来の日本のドキュメンタリーっぽくて、なかなか深刻な話。というか、現在もこれに近い情勢ではあって、放っておくと明日はこうなるという現実であり、怖いとも言えず、なんとも複雑な気分です。死を選択するような社会は、そもそも文明の衰えの表出だと思います。今の日本はその入り口に踏み入れてしまったところでしょうか。 個人的には、セーフティーネットとしてのベーシックインカム(物資提供含む)を考えるべきと思います。オートメーション化による大量生産は実現できているのだから、政府傘下工場で生産した画一品で、最低限の衣食住は守られる世界は実現可能ではないでしょうか。50兆円以上コロナ対策で投じられるのだから、得意のハコモノ投資で衣食住用の工場は数年でできるはず。そこで生み出されたモノが現物供与品とし、1人月7万円のうち、半分くらいは現物支給になり、予算的に現実味を帯びる。 さすがに本作、このままではあまり救いもないので、アンサームービーが、作られる事を期待したいものです。 早川千絵監督、今後もどんな作品を撮るのか、楽しみです。
いつか行く道・・・・
映画としては、そう優れた作品では無いと思うが、訴えかけてくる物がある。映画は好きでよく行くが、平日昼間なのでいつもは観客は私を含めて一桁です。それが、何と、コロナ対策のため市松模様の席だとしても満席でした。年寄りばかりではなく、若い人も結構いたので感動しました。倍賞千恵子さんの美しい演技にはこみあげてくるものがありました。
死について
考えない人はいないと思いますが考えさせられる作品です。 ただ甘ったるい人道主義のお役所が、このプランを採用することは半永久的にないでしょう。 映像のみで繋ぐことが多いので説明不足のシーンが目立ちました。
フィクションとして実にいいバランスのアイデア
私も50を過ぎ、「もしPLAN75政策が現実にあったら」という想像が、「もし宝くじで3億円当たったら」よりもよっぽど前のめりに考えてしまいそうなくらい、現実にはあり得ないと思いつつもついつい想像を膨らませるほど「フィクションとして実にいいバランスのアイデア」だと思います。 そして、如何にも「お国による政策的な粗」に痛烈な皮肉が込められています。 「欺瞞に満ちたCM」や、民間では考えられないような「請負業者のクオリティ」などは一瞬、「リアリティラインが低いのでは?」と思いそうになるものの、考えてみれば現実世界において「いざ発覚して初めて知る不祥事」などを振り返ると、このPLAN75の世界が物語っていることが実は、現実に近いのかも、、、と考えてしまったり。特に、マリア(ステファニー・アリアン)が務めるあの場所での遺品の扱いなど、もはや「ナチスの収容所」のようでゾッとします。 制度の側にいる若い人たちには悪意がないばかりか、むしろ高齢者のため親身に対応しています。でも実はその背景に、彼らに特別な感情を抱かせないよう「絶妙なルール」が設定されています。そして、岡部(磯村勇斗)と成宮(河合優実)がそれを不意に超えてしまうことで、現実を実感することとなる構成が、高い物語性で面白い仕上がりになっていると思います。 倍賞さん、たかおさん他「高齢者側」の皆さん、そして「若者側」の磯村さん、河合さんなど皆さん素晴らしい演技だと思います。そして早川監督、今後も注目です。
最後尻すぼみでちょっと残念
本人が自ら登録する、現代版の国営姥捨て山とでも言いましょうか。。
まぁ、75歳以上は自分で死を選べるという制度なので内容は予想出来るんですが、これを映画としてどう表現するのかな?と見てみました。
①78歳の老婆、②このPLAN75の行政職員、③海外から来たこの施設で働く介護士のそれぞれの視点で見せることは良かったです。
①自分が独り暮らしで仕事も解雇され次は車道の立ちっぱなしの交通整理員くらいしか見つからなかったら賃貸団地の家賃も払えないし生活保護は嫌だ、となればここしか行くところ無いかもしれない。
②行政職員として淡々とまるで銀行の定期預金か生命保険でも勧誘する感じで対応してるだけなら対してなんとも思わないかもしれないけど、いざ身内の伯父さんが申し込みに来たら「いくら国営でも合法的な集団安楽死で遺骨が混ざって分からなくなる合同埋葬される場所だよ!」と思い、
自分の伯父さんだけはつい勝手に連れ出して個別に火葬に出そうとするも最短4日後しか火葬炉の空きが無く、本日16時ならと言われて車を飛ばしたらスピード違反でパトカーに止められるという。。
職員としては気にしない仕事内容でも、身内のことになると途端にそんな施設に高齢の身内を行かせたくなくなる。。だから3等身以内は担当出来ない仕組みだったけど、疎遠だったせいで最初だけ顔を合わせてしまったから難しい。
③外国人の介護士の若いお母さん、現実にも日本人には人気もなく体力のいるこの仕事のなり手として多くいるのかな、と思いました。毎日亡くなる高齢者のフォローをしてるけど、本人は病気で手術代の要る幼い娘を生かすために少しでもお金を稼ぎたい。
それぞれの視点から見せることは良い手法だったんですが、最後がなんだか尻すぼみで残念でした。
①老婆の主人公は隣りのベッドで亡くなってゆく同じ立場の老人を見て、麻酔のマスクを自ら外して施設を飛び出してしまうけど、もう住んでた団地は担当職員によって大家さんに引き渡しされることは契約にあったから帰る家なんてない。外で野垂れ死にするほうがいい!って思ったのかな。。。
外を歩いて歌って。。。そしたらここでもう描写は終了。外で亡くなってしまうと遺体は泥とか草とかで汚れてしまうかもしれないのに。。気持ちを落ち着けて戻ったりはしなかったのか、本当にそのまま外に居続けたのか?結局彼女がどうなったのか分からずモヤモヤ。
②パトカーにスピード違反で止められた行政職員の彼も、助手席に亡くなった伯父を乗せたまま、映画の描写はこれで終わり。キップ切られただけで無事に伯父を火葬場へ連れていけたのか、勝手に連れ出した罪とかにも問われてしまうのか?このPLAN75を利用した場合のこの世界観での法的措置がどうなったのか何の説明も無くモヤモヤしました。
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自分は老後をどう生きるのか、どうするのか?というせっかく誰にもあてはまる普遍的なテーマを扱ったのに、脚本の締めが甘くて残念でした。でも俳優さん達は皆良い演技だったと思います。
最後に。鑑賞料金が安くなる曜日だったからでしょうが、それにしても中高年以降の方達でスクリーン中規模くらいですがほぼ満席でした!
関心のある世代は多いんだな、という実感は湧きました。
安楽死、孤独死問題に取り組む意欲作
『PLAN75』は施設が希望者の安楽死を遂行し、故人の家をクリーニングする制度がメインのようだ。ただ今作は冒頭で若年層が高齢者を襲う事件をPLAN75の導入の背景の一つに挙げている。個人的には、これはリアルの類似事件を想起させるもので、その犯罪を少しでも肯定させることに繋がりかねず、表現が荒唐無稽だと感じるし肯定できるものではないと思う。しかし、その部分を除けば安楽死や付随するサービスに対し、全く否定しないし、孤独死対策にもなるので合理的にも思える。その問題に真正面から取り組んだ意欲作となっている。
ただ想定では日本の近未来とのことだが、いかに日本が世界トップ級の高齢化社会とはいえ、海外の一部では安楽死が認められているところもあるのに、わが国では未だその動きはなく、倫理観に対しても保守的な日本で、近い将来、このようなプランが導入されることは、私は100パーセント無いと思う。この映画のストーリーでも、磯村勇斗さんのPLAN75の福祉員は、自身の叔父が亡くなったのを確認し、衝動的に自身の車で連れ出すし、PLAN75を覚悟をもって選択したはずの倍賞千恵子さん扮する主人公は、最終的に施設を抜け出しプランの計画から離脱。人間の生死は合理化で割り切れるものではないことを示していると感じた。
架空の話と一蹴できない真実味がある
実際にこのような制度が今後日本で成立する可能性はあるのか…というと、自分は少し現実味に欠ける気がした。 確かにかつての日本には”姥捨て山”の伝承が残っており、それを元に「楢山節考」という映画が木下恵介と今村昌平の手によって2度映画化された。しかし、それもはっきりとした史実を元にしているわけではない。今回のPLAN75は正に現代版”姥捨て山”と言える制度である。そういう意味では、ありそうな話に思えるかもしれない。ただ、曲がりなりにも民主主義国家である日本で本当こんな話が成立するだろうか…と思ってしまった。小さな村社会で起こる姥捨て山とは次元が異なる話である。 したがって、本作はある種の寓話として捉えるのが丁度いいのかもしれない。 とはいえ、完全に絵空事の映画かと言えばそうでもなく、劇中には現代の日本で起こっている問題も描かれており、そこについては目を逸らすことを許さない真実味が感じられた。 主人公のミチは、いわゆる独居老人である。頼れる家族もなく、親友と呼べる人間もいない。ある日、突然仕事をクビになり、住んでるアパートも取り壊されることになる。途方に暮れた彼女は不動産屋を巡り、ハローワークに通う。しかし、身寄りのない高齢者にとって現実は余りにも厳しいものだった。生活保護を受けるという選択もあったが、彼女はそれも拒否した。考えあぐねた結果、ミチはPLAN75を利用する決心をする。 この制度に現実味があるかどうかは別として、実際にこうした話は今の日本にもありそうな気がした。人知れず部屋の中で孤独死する者。自らの命を絶ってしまう者。本作はそこにたまたまPLAN75という制度があったら…という話で、実際にはこのようにして追い詰められて亡くなってしまう人が結構いるのではないだろうか。 ましてや生涯未婚率が増え出生率が減少の一途をたどっている日本の今の現状を考えると、ミチのような高齢者は今後ますます増えていくような気がする。そう考えると末恐ろしくなる。 監督、脚本は本作が長編監督デビュー作となる早川千絵。彼女はこの前に「十年 Ten Yeras Japan」というオムバス作品の中の1本を撮っている。タイトルは本作と同じ「PLAN75」という作品である(未見)。今回はそれを膨らませて長編化しているということだ。 扱うテーマがテーマだけに、全体的に重厚な雰囲気が徹底されている。多くを語らず、さりげない形で表現するあたりは、初演出とは思えぬ匠の技が感じられた。 緩急の付け方も手練れていて、例えば凄惨な幕開けからして意表を突かれた。これはおそらく相模原市で起こった障がい者施設大量殺傷事件を元にしているのだろう。その衝撃性に画面に一気に引き込まれた。 あるいは、ミチとコールセンター職員、成宮の交流は心温まる良いシーンもあるが、最後の電話のやり取りに見られるように非情な現実も丁寧に拾い上げており、感傷に流されない聡明な語り口が見事だと思った。 一方、全体のプロットについては残念ながら少し散漫な印象を持ってしまった。 本作にはミチのメインのドラマのほかに2つのドラマが用意されている。一つはPLAN75の申請窓口を担当する職員ヒロムのドラマ。もう一つは難病の幼子のために日本に出稼ぎに来ているマリアという外国人女性のドラマである。夫々にPLAN75を巡ってかすかに交錯するが、濃密に絡み合うことはない。 おそらくPLAN75によって苦悩する人々を群像劇風に描きたかったのだろう。先述した短編を基本形にしつつ、渦中のミチ以外の視点を持ち込むことで多角的にこのドラマを捉えたかったのかもしれない。しかし、ヒロムとマリアのドラマはいずれも中途半端になってしまった印書を受ける。特にマリアに関してはこの映画にどこまで必要だったか疑問に残った。移民就労の問題として別な形で取り上げるべきだったのではないだろうか。 キャストでは、ミチを演じた倍賞千恵子の抑制を利かせた演技が素晴らしかった。苦悩を滲ませながら堅実な演技を崩さなかった所が流石である。
現実はこの映画よりもつらいのでは
現実はこの映画よりもつらいのではと思いました。それは現実の日本にはプラン75がないからです。
主人公(ミチ)やヒロムのおじさん(幸夫)のような状況の方は、現代の日本に普通にいらっしゃると思います。プラン75がないなら、そのまま何かで死ねるまで生き続けるしかありません。映画では二人ともプラン75を選びました。その選択は妥当だと思いました。
プラン75が日本の未来にありそうとは全然思いませんでした。75歳から医療費10割負担とか選挙権無しの方がありそうかなと思いました。
■プラン75ができた経緯に違和感
高齢者施設の襲撃事件が多発したのでプラン75ができたという流れにまず違和感を感じました。高齢者の危険な自殺が相次いだからプラン75ができた、という方が納得できます。
鑑賞後、監督のインタビューを読んで、理由が分かりました。監督は相模原障害者施設殺傷事件に衝撃を受け、「社会の不寛容さに対する憤りが基になっている」「高齢化社会に対する問題提起ではない」とありました。主人公が高齢者なので、観客としてはどうしても高齢化に関する映画なのかと思ってしまいます。
■自分の人生どうするか
主人公は知的で、優しくて、勤勉で、質素で、身の回りをきちんとして、大きな持病もなく…理想のようなお年寄りだと感じました。でもとにかく資産がなく、稼げる特技もありません。その二つがあったらそもそもプラン75に応募しないのでストーリー上しょうがないのですが、ここまでちゃんとした人なら特技か資産かあるだろうと思ってしまいました。
主人公が生活保護を受けられたらそれでハッピーエンドではないことは、登場した他の高齢者の例で分かります。生活はできても、生きる希望がないとか、孤独死するとか。ではどういう生活が幸せなのか、それは社会が与えられるものなのか?
監督がテーマとしていたという「社会の不寛容」は、私はそれほど強くは感じませんでした。むしろ社会は結構優しいな?くらいに思いました。
■老後の楽しみとは
主人公は同年代の友達と公共施設?でカラオケをするシーンがありました。それはそれで楽しそうなのですが、若者と話したりボーリングで盛り上げるシーンがめちゃくちゃ楽しそうでした。幸夫もヒロムと接しているとき楽しそうでした。高齢者になったときに若者と触れ合えるというのは本当に貴重だし、楽しいものであるのだなと思いました。
主人公が若者にお金を渡すシーンで、なぜか「東京物語」を思い出しました。高齢者が若者に貢献できる何かというのはお金だなという感じです。
■税収が足りないことが問題なのか?
弱者切り捨てで「ジョーカー」を思い出しました。アーサーもミチも、福祉の予算が十分なら幸せだったかというとそうとも思いません。映画では「足りなさすぎ」なわけですが、ぎりぎり生きられるとしても辛いばかりなわけで。親身な若者や異性との自然な出会いがあったら、爽やかなストーリーになるところですが、それは福祉予算ではどうにもなりません。
色々考えさせられました。
滅んでいっても良いではないか
最近、BSで倍賞さんの映画(遥かなる山の呼び声、駅STATION)を見たばかりなので、どうしても”その後”が知りたくて、劇場までわざわざ足を運んだ。改めて、戦後の日本および日本人の足跡そして行く末を暗示していたと思う。結局、そうなんだね、やっぱりね、と。「楢山節考」もそうだけど、フランスの人ってこういったテーマ設定がえらくお気に入りなのだと改めて感心。さて、根底にあるものは、、、?映画的にはカタルシスが不足していて、ややモヤモヤが残りました。
誰にでも起こりうる老いという題材だからこそ、誰もが真剣に考えるが答えは出ない
老いは誰にでもやってくる 身近に居る人が老いていたり 今老いていなくても将来この老いから逃れることはできない そんな誰にでも起こりうる老いという物語をこの映画では3人の物語で描く ・子供もおらず友人も亡くなり孤独になっていく老女と ・市役所でプラン75に従事しながら数十年ぶりに再会した叔父との交流をしていく青年と ・介護施設で働きながら難病の子供のためプラン75に関わっていく外国人女性 この3人の物語が全く交差しない、絡んでいかない 各々が各々の人生を送っていく・・映画のような劇的な展開も無く ぶっちゃけって言ってしまうとこの3人の物語の結末は描かれない 映画には上映時間があるので終わりはあるのだけれど 老女があの後どうなった? 青年はあのあと何をするのか? 外国人女性とその子供は行く末は? なんて描かれない、いやあえて描かないのか 全て観たものに全て委ねている プラン75の是非も含めて プラン75の問題点や終盤“?”のつくシーンはあったものの これは是非みんなに見てもらいたい 評価 4.1 出演者の皆さん演技が素晴らしく引き込まれたんですが やはり今回プラン75を選択する老人として出演されていた 倍賞さんとたかお鷹さんが素晴らしかったなぁ プラン75の是非?そりゃ保留ですよ・・・
政治はしばしば、貧困層と貧困層の対立をあおって安定を生み出す
スイスなどの安楽死、そして『楢山節考』(40年も前の映画だということに驚き!)を思い浮かべながら、この映画を鑑賞しました。安楽死、『楢~』ともに、命の尊厳と個人の意思に関する答えの出ない問題がテーマで、この映画でも必然的にそこに思いは向かいます。でも、この映画、見終わってよく考えてみると、ちょっと違う気がしてきました。本質は、経済格差の映画です。 早川千絵監督もよく分かっていて、何度も貧困層の困窮が描写されます。PLAN75という法が自由意志による選択という立て付けでありながら、角谷ミチが高齢であるというだけの理由で首切りにあい、経済的に立ち行かなくなって、“自由意志で”PLAN75を選択せざるを得なくなる、という筋立てです。 そもそも、PLAN75は国会が立法したという話で、もしこれが現実となったとしたら、議員のお年寄りはいったい何人がPLAN75に申し込むことになるのでしょう。「下々の民のためにPLAN75という選択肢を作ったのであって、自分事とは想定していないし、自分は申し込む必要もない」ということでしょうか。政治家でなくとも、富裕層もまたしかり。貧困層と富裕層の対比を、この映画の中心のストーリーに据えたら、もっと本質に迫った描きができたはずです。まぁ、できるわけないか。 一番気になるのは、こうしたPLAN75という考え方が、世に出てしまったということです。1つの問題の解決方法として認知され、人道的な危うさを認識されながらも、人はどんなことにも慣れてしまうものです。監督がこの映画を作った動機とは裏腹な方向へ、一歩を踏み出してしまったような。善意は、時に利用されることを、心しなければなりません。相模原事件の問題を深掘りするのなら、別の設定で挑むべきだった、のではないでしょうか。 ちなみに、映画の始まりに、笹川財団から助成金が出ているとの表示があったような。見間違いでしょうか、ね。
国が認めている殺人
思った以上に重い題材でした。 生活が苦しく先が見えなかったり死の縁で延命治療を受けなければならないとしたら、確かに選択として安楽死を頭に思い浮かべる。 そんな弱い立場の人を徹底的に社会で居場所を無くさせ、国を上げて明るくPLAN75を推薦している近未来の日本はファンタジーとは思えず、実にリアルでホラーより恐ろしい。 ただ疑問なのは若者の犯罪が増えたのでこの法律は可決したが、この世界ならば高齢者の犯罪が増えるのではないか?誰にも知られなければ悪意ある犯罪は墓場まで持っていけると言うことです。 倍賞さんの背筋が真っ直ぐで言葉の美しい人は「生きる」を大切にしていた女性。磯村くんの案内人は事務的な思考から感情的に沸き上がる身内への愛。 早川監督の脚本はとても実直で丁寧に作られており、演じての感情も犇々と伝わりました。
生死について真正面から向き合わされる
このテーマは全世界共通だろうし、各国でも社会問題として取り上げられるし、生きているものにとって避けられない永遠の課題であると思う。 狩猟のように、熊や鹿が増えたから猟をして数を減らせってことを人間に適用したってことですよね。 劇中、国はあんなに明るくPR動画をまるでコロナワクチン接種をしましょうぐらいな感覚で流し、楽しそうに話しているご婦人が映っていましたけど、本当の実態は老人たちがやっぱり止めたいと心変わりをしないように誘導するとか、10万円の支度金とかいい側面だけを見せて国をあげての殺人なわけです。 これは高齢者問題に対して、何の法整備もしない、対策もしない国や政府に対しての警笛だと私は感じました。必ずやってくる超高齢化社会。高齢者の雇用、生活保護、孤独死、独居老人…山積みな問題に対して、今私たちがすべきことは何なのか考えなくてはならないと思います。 みちさんこと倍賞さん、稲ちゃんこと大方さん達のリアルすぎる高齢者の日常。 覚束ない足取りでとぼとぼ歩いて坂を登り、息もきれるは、それでも働かなくては生きていけないのかと何のために生きているのかと胸が締め付けられる場面が幾度となくありました。そして、みちさんはでも生きたい!という強い意志を固めたようでした。 ヒロム、成宮さん、マリアさんも仕事として最初は関わっていただけなのにだんだんと情が湧き、何とかしてあげたいという心情の変化を見事に表現されていたと思います。 この作品はカンヌでも大評判でしたが、確かに納得でした。今年の賞レースに入ってくることは間違いないでしょう。
老人とオペレーターのエピソードだけに話を絞って、それをじっくり描いた方が良かったのでは?
「超」の付く少子高齢化社会に突入しつつある日本にあって、PLAN75という制度には、絵空事ではないリアリティーを感じてしまった。確かに非人道的ではあるが、かつては「姥捨山」という風習があったのも事実であり、日本が、物理的にも、精神的にも、貧しい国に逆戻りしていることを実感できる。 映画では、独居老人と、市役所職員と、外国人労働者の話が、並行して描かれていくが、彼らの人生がいつ交わるのかと思って観ていると、結局、ほとんど関係することなく終わってしまう。特に、ラストでは、それぞれの登場人物が何をやりたいのか、そのきっかけが何だったのかということがよく分からないため、いったい、今まで観てきたものは何だったのかという気持ちになる。 観客に想像させ、考えさせる余地を残すことも大切ではあろうが、もう少し、登場人物の心情と、その変化を、観客が理解しやすいように描く心遣いも必要だったのではないだろうか? 個人的には、独居老人とコールセンターのオペレーターの話だけを、じっくりと掘り下げた方が良かったのではないかと思えた。
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