「倫理で救われないけれど、制度も正解ではない。」PLAN 75 こむすめさんの映画レビュー(感想・評価)
倫理で救われないけれど、制度も正解ではない。
※セリフ、シーンネタバレあり
序盤10分で、もう画面を見ていられなかった。
音だけを聞きながら、冷たく進む説明と、
「家族の同意も審査も必要ない」という言葉の軽さに、
なにかがずっと胸の奥でひっかかっていた。
でもその後も目を逸らせず、最後まで見届けた。
“先生”と呼ばれるコールセンター職員と、
申し込みをした女性の15分だけの会話。
制度として整えられた優しさ、仕事としての思いやり。
そこに確かにある人間らしさと、
制度に押しつぶされる感情の揺れ。
「所詮情、されど情」という言葉が、静かに頭に残った。
見終わったあとも、すぐに答えは出なかった。
怒り、納得、悲しみ、同情、不安——全部が混ざっていて、
どれも間違いじゃない気がして。
倫理で救われないけれど、制度も正解ではない。
それがこの映画の正直な形なんだと思う。
終盤、
フィリピン人の女性が自転車をこぐ姿、
磯村くんが叔父の遺体を車で運ぶ姿、
そして“プラン”を辞めて歩き出す女性の姿。
誰もがそれぞれの事情の中で、
どうにもならない生を、なんとか進めようとしていた。
倫理や制度では測れない現実が、あの静けさの中に詰まっていた。
そして忘れられないのが、「先生」とこちらで目が合う瞬間。
最初は“急に安っぽい問いかけをしてきた”と思って落胆した。
けれど時間が経ってから、あの目線の意味が分かった気がする。
同僚の言葉に対して私自身も怒りを抱き、
何も言えない苛立ちを感じていた。
私はあの瞬間、完全に「先生」と同調していた。
だから、彼女がこちらを見た時、
彼女と私が分離して、
“共犯である自分を責める自分”に変わった。
その目線は、観客ではなく、
私自身に向けられていた。
エンドロールの間、心はとても静かだった。
涙はもう出なかった。
映画を見たあとの非日常的な高揚もなく、
ただ“自分に戻ってきた”感じ。
結局は他人事として消化したのかもしれない。
でも、それが今の私の現実であり、
無自覚な残酷さでもあり、幼さでもあると思う。
この映画は、たぶん人生のどこかでまた見返す。
その時、どんな自分で、どんな感情で受け止めるのか。
きっと今とは全然違う景色が見えるだろう。
でもそれでいい。
答えを出す映画じゃなく、
時間をかけて“自分の中で育つ映画”なんだと思う。
